カラーテレビ
カラーテレビ(英語: Colour television)とは映像に色が付いているテレビジョン放送、またはこれに対応したテレビ受像機である。
概要
日本で登場したばかりの頃は「総天然色テレビジョン」と呼ばれていた。カラーテレビ放送の搬送波では輝度と色差の信号が送られ、受像器で両者を合成しカラー画像を作る。輝度の信号はそれまでの白黒放送に相当するため、白黒放送の映像も見ることができ、上位互換性を保っている。また白黒テレビの受像器でも色は付かないものの映像を見ることができ、下位互換性を保っている。
放送方式には日本やアメリカで使われるNTSC方式、ヨーロッパで使われるPAL方式、フランスやロシアで使われるSECAM方式がある。
世界初のカラーの本放送は1954年1月23日、米NBCのニューヨーク局であるWNBC局が最初である。日本では1960年9月10日に本放送開始[1]。
当時のカラーテレビは非常に高価であり、カラーで放送される番組もごくわずかしかなく、あまり普及しなかったが、1964年の東京オリンピックを前に各メーカーが宣伝に力を入れ始め、1968年4月からNHKがラジオ契約を廃止してカラー契約を創設することによりカラー放送を大幅に増やしたことなどから普及が促進され1968年頃から1970年代にかけて「パナカラー」(松下電器産業(現・パナソニック))、「キドカラー」(日立製作所)、「トリニトロンカラー」(ソニー)、「ユニカラー」(東京芝浦電気(現・東芝))、「サンカラー」(三洋電機)、「純白カラー」(日本ビクター(現・JVCケンウッド))、「ロングランカラー」(シャープ)、「ダイヤトロン」(三菱電機)など各社から高性能カラーテレビが出揃った。それと同時に大量生産で値段が下がったことによって爆発的に普及し、1973年にはカラーテレビの普及率が白黒テレビを上回った[2]。
1969年には日本が世界で生産第1位国になるものの、1970年にアメリカにダンピング認定を受ける。その後は日本国外への工場移転が進み、日本国内生産は薄型テレビへとシフトしていった。
カラーテレビの普及促進などの目的から、カラーテレビ時代を意識した番組やプロスポーツチーム(読売ジャイアンツ・オークランド・アスレチックスなど)も存在した。
カラーテレビ普及初期の番組表には、カラー放送の番組には「カラー」の表記あるいはそれを表す記号がされ、テレビ放送でも番組開始の冒頭でカラー放送を示すマーク「【カラー】等、局によって異なる」を数秒間表示していた。逆にカラー放送が急速に普及し、相対的に白黒番組の減少が著しくなった1971年頃より、白黒放送の番組に「モノクロ」と表記あるいはそれを表す記号がされるケースも見られた。
日本で完全にカラー放送となったのは1977年10月1日であった(NHK教育の完全カラー化によるもの)。新聞表記の「モノクロ」表記およびそれを表す記号もこの日までに消滅した。
カラー契約
日本放送協会(NHK)はかつて日本放送協会放送受信規約に於いてカラー契約、普通契約、衛星カラー契約及び衛星普通契約の4つを設けカラーとモノクロを区別していた。
2007年10月1日に施行した現行の日本放送協会放送受信規約では、カラー契約及び普通契約は地上契約に衛星カラー契約及び衛星普通契約は衛星契約にそれぞれ統合されている。
注釈
- ↑ 同日にカラー放送を開始したのは、東京のNHK(総合・教育)・日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)、大阪のNHK(総合・教育)・朝日放送・読売テレビの6局8波(出典:放送その時 No.26(NHK放送技術研究所))。その他の放送局も1960年代から随時カラー放送を開始し、1968年頃以降に開局した放送局は地上波・衛星放送含めて、ほぼすべてが開局時よりカラー放送を開始している(例外として、1970年4月開局の福島中央テレビは翌1971年より実施)。
- ↑ 白黒テレビからカラーテレビへ(社会実情データ図録)