王位請求者
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王位請求者(おういせいきゅうしゃ)は、王位を請求する者のこと。広義には皇帝位など「王位」以外の君主位を請求する者を含む。この地位にある者は、一般的に王党派によって支持される[1]。
英語で「プリテンダー(pretender)」と呼ばれることも多いが、この用語には「(不当な)要求者」という否定的な意味があり、中立的でない。これに相当する語句に、王位僭称者(おういせんしょうしゃ)、王位覬覦者(おういきゆしゃ)[2]などがある。
Contents
概要
王位請求者が現れる理由としては、主として次のようなケースが考えられる。
- それまでの王統・皇統の断絶に際して、旧王朝と血縁関係や姻戚関係にある者が請求するケース(例:ハプスブルク家の男系が断絶した際に、妻がハプスブルク家出身であることを理由として神聖ローマ帝位やボヘミア王位を要求したカール・アルブレヒト・フォン・バイエルン)
- 簒奪やクーデター・宮廷革命などで廃位された君主本人やその子孫、縁戚関係の者が請求するケース(例:王位を逐われて国外追放となってからもイングランド王を称し続けたジェームズ2世とその子孫)
- 継承順位を下げられたり、継承権を奪われたりした元相続人が、不当だとして請求を開始するケース(例:スペイン王位継承順位1位だったが、王位継承法の変更により相続人の地位を失った王弟カルロス)
- 継承権を持ちながらも順位が低い者、あるいは継承権を持たない縁戚関係にある者が、何らかの理由で請求を開始するケース
- 革命や他国の併合などで君主制そのものが廃止された国家もしくは地域において、君主制の復活や独立などとともに自身の君主位を請求するケース
実際に君主制の復活を求める者に限らず、世が世なら君主の座に就くことができたであろう者全てが対象者となる。日本を例にとるならば、現在の沖縄県に当たる琉球王国の王家であった尚氏の当主は、たとえ王位の復活を求めていなかったとしても、その立場上は王位請求者と見なされうる。日本の徳川将軍家やネパールのラナ宰相家のような、かつて実質的に君主として扱われていた一族の子孫も、しばしば王位請求者のような存在とみなされる。
現在、王位請求者とされる人物には、一般人として生活している者も多いが、中には君主の地位や君主制の復活を求めて亡命政府や政治団体などを組織して活動している者もいる。また(当人の意思にかかわらず)王位請求者を戴いて自らの理想とする形で君主制を復活させようとする王党派組織も、各国に存在する。(シュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ、保守王党派クラブ、チェコ・コルナなど)
現在の王位請求者の一覧
アジア
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
25x20px アフガニスタン王国 | アフマド・シャー・ハーン | 150px | 最後のアフガニスタン国王ザーヒル・シャーの息子。 |
25x20px イエメン・ムタワッキリテ王国 | アギッル・ビンモハメッド・アルバドル | 150px | 最後のイエメン国王ムハンマド・アル=バドルの息子。イエメン王国亡命政府が現存する。 |
テンプレート:IRQ1924 | ラアド・イブン・ザイド | 150px | 初代国王ファイサル1世の弟ザイド・イブン・フサインの長男に当たる。息子に国連人権高等弁務官ザイド・フセインがいる。 |
テンプレート:IRQ1924 | シャリーフ・アリー・イブン・アル=フセイン | 150px | 最後の国王ファイサル2世の従弟に当たる。フセイン政権の崩壊後、王制滅亡以来初めてイラクの地を踏んだが、アメリカを含めどこの国からも充分な支援を得られず、またイラク国内に政治基盤もなくイラク国民からの支持がほとんどないため、イラクを離れ、現在はイギリスで生活している。2005年にイラクで行われた暫定国民議会選挙では、自らが党首を務めるイラク立憲君主党も参加したが、議席は獲得できなかった。 |
テンプレート:IRN1933 (パフラヴィー朝イラン) |
クロシュ・レザー・パフラヴィー | 150px | 最後の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーの長男で、元皇太子。イランにおける人権問題等を批判し、イランの世俗化と民主化を主張して政治活動を行っている。 |
25x20px 崇高なる国ペルシア (ガージャール朝イラン) |
モハンマド・ハサン・ミールザー2世 | 150px | 第6代君主モハンマド・アリー・シャーの子孫。亡命政府がアメリカ合衆国を拠点に存在する。 |
オスマン帝国 | デュンダル・アリ・オスマン | 150px | オスマン家第45代当主。 |
25x20px カルトリ・カヘティ王国 | ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ | 150px | ムフラニ系統バグラティオニ家(第2王統)の当主。過去にジョージア王家は2つに分かれており、ダヴィッドの祖父イラクリ・バグラチオン・ムフラニは第二次世界大戦後、ソ連に留まったまま冷戦の激化によって行方が分からなくなっていた第1王統が途絶したと判断し、第2王統の自分がジョージア王室の長であることを宣言した。 |
25x20px カルトリ・カヘティ王国 | ヌグザル・バグラチオン・グルジンスキ | 150px | ソ連崩壊後に存続していたことが判明したグルジンスキ系統バグラティオニ家(第1王統)の当主。娘のアンナ・バグラチオン・グルジンスキを第2王統のダヴィッドと結婚させたが、夫妻は2013年に離婚している。 |
25x20px サラワク王国 | ジェイソン・デズモンド・アンソニー・ブルック | 150px | サラワク王家(ブルック王朝)の子孫。第2代国王チャールズ・ブルックの玄孫。 |
清 | 金毓嶂 | 150px | 愛新覚羅溥任(愛新覚羅溥儀の弟)の長男。血統的には愛新覚羅氏の嫡流であり当主といえるが、姓は愛新覚羅ではなく金である。 |
25x20px スールー王国 | w:Muedzul Lail Tan Kiramほか | 150px | スールー王国の滅亡後、王家の複数の家系がスルタン位を主張しはじめ、現在、スルタン一族の間で継承順位を巡る論争が起きている。2013年、ジャマルル・キラム3世がラハダトゥ対立を起こした。 |
25x20px 大韓帝国 | 李源 | 150px | 全州李氏宗家の第30代当主で、正式な皇位請求者である。高宗の曾孫にあたる。2005年、直系の李玖の死後、その養子として李王家の後継者(皇嗣孫)となる。 |
25x20px 大韓帝国 | 李海瑗 | 150px | 李源の叔母で、現当主の座を主張している。高宗の第5皇子である義親王李堈と側室の間に次女として生まれた。李玖の死を受けて2006年に皇位継承式を開催し、以後「大韓帝国女皇」を称している。 |
テンプレート:TIB | ダライ・ラマ14世 | 150px | 宗教的権威者の立場と、政治的権威者の立場とを兼ね備えたチベットの僧侶君主だったが、1959年にインドへ亡命して政治難民となった。 |
16x20px チャンパーサック王国 | Keo na Champassak | ブン・ウムの長男で、最後のチャンパーサック王ブア・ルパアン・ラーチャナダイの孫。 | |
16x20px ネパール王国 | ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ | 150px | 2008年に制憲議会によって廃された最後のネパール国王。 |
25x20px ビルマ王国 | タウ・パヤー | 150px | 最後の国王ティーボーの孫。 |
25x20px ベトナム帝国 | バオ・アン | 150px | 阮朝最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大帝)の皇子で、阮氏の現当主。 |
テンプレート:LAO1949 | スリウォンサワーン | 150px | 最後のラオス国王サワーンワッタナーの嫡孫で、ラオスの王位継承者。現在はフランスで亡命生活を送る。叔父でもある摂政のスリャウォンサワーン王子と共に、ラオス王室の代表を務める。ラオスにおける立憲君主制を復活させるために、ラオス王国亡命政府と協力しながら政治活動を展開している。 |
琉球国 | 尚衞 | 150px | 第二尚氏の第23代当主。最後の琉球国王として知られる尚泰王の玄孫。 |
インド諸邦
アフリカ
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
テンプレート:EGY1922 | フアード2世 | 150px | ムハンマド・アリー朝の最後のエジプト国王。1歳にも満たないうちに即位し、戴冠しないうちにその翌年のクーデターで王政が廃止されたため、実質的な統治は行わなかった。 |
テンプレート:ETH1897 | ゼラ・ヤコブ・アムハ・セラシエ | 150px | 最後のエチオピア皇帝であるハイレ・セラシエ1世の孫。エチオピア皇帝を称していたアムハ・セラシエの息子。1997年の父の死後、エチオピア帝室の家長であると エチオピア帝国亡命政府「エチオピア帝冠評議会」に認識されている。 |
テンプレート:ETH1897 | ギルマ・ヨハニス・イヤス | 150px | 戴冠式を行わないまま退位させられたイヤス5世の曾孫として、ゼラ・ヤコブと対立する王位請求者となっている。 |
25x20px ザンジバル王国 | ジャムシッド・ビン・アブドゥッラー | 1964年に発生したザンジバル革命によって廃されたスルターン。オマーンのブーサイード朝の分家にあたる。 | |
25x20px 中央アフリカ帝国 | ジャン=ベデル・ボカサ2世 | 150px | 中央アフリカ皇帝ボカサ1世の息子で、元皇太子。 |
25px チュニジア王国 | Muhammad Al Husain | 150px | Muhammad VI al-Habibの孫。 |
25x20px ブルンジ王国 | ローザ・ポーラ・イリバギザ | 150px | 最後のブルンジ国王ンタレ5世の妹。 |
25x20px リビア王国 | ムハンマド・エル=サヌーシー | 150px | サヌーシー朝リビア王イドリース1世の甥の息子。 |
25x20px ルワンダ王国 | ユヒ6世 | 150px | 最後のルワンダ国王キゲリ5世の甥。 |
ヨーロッパ
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
25px アイルランド王国 | フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | 150px | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はアイルランド王位を請求していない。 |
25px アイルランド王国 | ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | |
25x20px アルバニア王国 | レカ・ゾグ | 150px | アルバニア国王ゾグ1世の孫で、アルバニア王家の家長。王制支持者からは「レカ2世(Leka II)」と呼ばれている。 |
イングランド王国 | フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | 150px | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はイングランド王位を請求していない。 |
イングランド王国 | ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | |
オーストリア帝国 | カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン | 150px | 最後のオーストリア皇帝カール1世の孫で、ハプスブルク=ロートリンゲン家の家長。 |
テンプレート:GRC1828 | コンスタンティノス2世 | 150px | 最後のギリシャ国王。1974年の国民投票で廃位された。 |
25x20px クロアチア=スラヴォニア王国 | カルロ・ハプスブルシコ=ロレンスキ | 150px | 最後の国王カルロ4世の孫で、ハプスブルク=ロートリンゲン家の家長。 |
クロアチア独立国 | アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ | 150px | クロアチア国王トミスラヴ2世の息子。「ズヴォニミル2世(Zvonimir II)」を名乗っている。 |
スコットランド王国 | フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | 150px | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はスコットランド王位を請求していない。 |
スコットランド王国 | ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | |
スペイン王国 | カルロス・ハビエル・デ・ボルボン=パルマ | 150px | ブルボン=パルマ家の家長で、スペインのカルリスタ王位請求者として「カルロス・ハビエル1世(Carlos Javier I)」と呼ばれる[3][4]。 |
スペイン王国 | ドミニコ・デ・アウストリア=トスカーナ | アブスブルゴ=トスカーナ家の一族。カルロクタビスタ派のカルリスタ王位請求者だが、有力な支持者はいない。ルーマニアのブラン城の所有者。 | |
25x20px セルビア王国 | アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ | 150px | ユーゴスラビア王国最後の国王であるペータル2世の息子で、元王太子。「セルビア王太子アレクサンダル2世」を称する。 |
ナバラ王国 | ペドロ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス | 150px | スペインの王族で、カラブリア系のブルボン=シチリア家の家長。両シチリア王国の王位請求者でもある。カラブリア公およびカゼルタ伯を名乗る。公称「ペドロ2世」。祖母のアリシア・デ・ボルボン=パルマが伝統的な親族間の男系優先の長子相続に基づくナバラ王位の請求者であることが、カラブリア系ブルボン=シチリア家の公式ホームページ[5]において言及されていた。 |
ナバラ王国 | ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン | 150px | ブラン・デスパーニュと呼ばれる現在のフランスおよびナバラ王位請求者。ルイ13世以降のナバラ王位のフランス王位への統合にともなう、サリカ法による相続に基づく。公称「ルイス9世」。 |
テンプレート:HUN1867 | ハプスブルグ=ロタリンギアイ・カーロイ | 150px | 最後のハンガリー国王カーロイ4世の孫で、ハプスブルグ=ロタリンギア家の家長。 |
テンプレート:FIN1917 | フィリップ・フォン・ヘッセン | 150px | ヘッセン家の当主ハインリヒ・ドナトゥス・フォン・ヘッセンの弟。フィンランド国王カールレ1世の子孫で、叔父ハインリヒからフィンランド王国の王位請求権を相続した。 |
テンプレート:BGR1908 | シメオン2世 | 150px | ブルガリア最後の国王。第二次世界大戦中の1943年、6歳で即位したが、終戦後の1946年、国民投票により王政は廃止され、母后とともに亡命した。のちに「シメオン・サクスコブルクゴツキ」としてブルガリアの首相に就任した。 |
ボヘミア王国 | カレル・ハプスブルスコ=ロートリンスキー | 150px | 最後のボヘミア王カレル3世の孫。ハプスブルスコ=ロートリンスカ家の家長。 |
テンプレート:PRT1830 | ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ | 150px | ブラガンサ家の家長。ポルトガル内戦で廃されたミゲル1世の曾孫で、最後の国王マヌエル2世から後継指名されたドゥアルテ・ヌノの長男。「ブラガンサ公」を名乗る。大部分の王党派は彼を正当な王位請求者として認めている。 |
テンプレート:PRT1830 | D. Pedro Folque de Mendoça Rolim de Moura Barreto, 6º duque de Loulé | 150px | ポルトガルの貴族ローレ公爵家の当主。 ミゲル1世の妹アナ・デ・ジェズス・マリア・デ・ブラガンサの子孫。この系統の支持者は、ミゲル1世はポルトガル王位に関する全ての権利を放棄したため、その子孫であるドゥアルテ・ヌノの系統には王位請求者たる資格がないとみなす。最後の国王マヌエル2世がドゥアルテ・ヌノを後継に定めているため、この主張はあまり支持を得られておらず、また公爵本人は王位を請求していない。 |
25x20px モンテネグロ王国 | ニコラ・ペトロヴィチ=ニェゴシュ | 150px | モンテネグロ王ニコラ1世の嫡曾孫で、モンテネグロ王家の家長。「モンテネグロ王太子」を称しており、王党派からは「ニコラ2世(Никола II)」と呼ばれている。王家礼遇法により、大統領と同額の手当が支給されている。 |
リトアニア王国 | Inigo von Urach | 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世の孫。リトアニア語を話せることなどの条件から、兄のウラッハ公ヴィルヘルム・アルベルト・フォン・ヴュルテンベルクに優先して王党派組織「リトアニア王室協会」に選ばれ、受諾しリトアニア王位請求者となった[6]。 | |
ルーマニア王国 | マルガレータ・ア・ロムニエイ | 150px | 最後のルーマニア国王ミハイ1世の長女。ルーマニア王室の家長として「ルーマニア王冠の守護者」の称号と「陛下」の敬称を用いる。 |
ルーマニア王国 | パウル・ランブリノ | 150px | ルーマニア国王カロル2世の庶流の孫。叔父ミハイ1世の系統をルーマニア王家の正統として認めず、自身がルーマニア王室の家長であると主張する。 |
ルーマニア王国 | カール・フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン | 150px | ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家の当主。ルーマニア王家の本家筋にあたり、女子であるマルガレータ・ア・ロムニエイによる継承を認めない一部王党派から支持される。ただし本人はルーマニア王位には興味がないと答えている。 |
ロシア帝国 | マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ | 150px | ロマノフ家(ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)の家長を称する。ロシア帝室家憲の男系男子継承の原則ならびに貴賤結婚の解釈の違いから、一族の中にはマリヤが当主を務めることに対する異論もあり、ロマノフ家の分家に属するニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフと競合状態にある。 |
ロシア帝国 | アンドレイ・ロマノフ | 150px | アンドレイ・アレクサンドロヴィチの息子。ニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフの死後、その弟ドミトリー・ロマノヴィチ・ロマノフが家督を継いだが、ドミトリーが没するとロマノフ家協会によって当主とされた。 |
ロシア帝国 | ニコライ・キリロヴィッチ・ライニンゲン=ロマノフ | 150px | ライニンゲン公子カール・エミッヒ。第7代ライニンゲン公エミッヒ・カイル の長男。祖母が皇女マリヤ・キリロヴナで、マリヤ大公女の従甥にあたる。2014年4月よりロシア連邦君主制主義者党 が「ロシア皇帝ニコライ3世」と公称して推戴している。ロマノフ男系ではないものの、マリヤ大公女及びニコライ・ロマノヴィッチ大公は共に貴賤結婚の子孫のため皇位継承権を有していないというのが理由である。父の死後、第8代ライニンゲン公位は弟のアンドレアス が継いでいる。 |
イタリア諸邦
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
イタリア王国 25x20px サルデーニャ王国 |
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア | 150px | 最後のイタリア国王ウンベルト2世の長男で、元王太子。サヴォイア家の家長として、王党派からは「ナポリ公」あるいは「イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世」と呼ばれているとされる。 |
イタリア王国 25x20px サルデーニャ王国 |
アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ | 150px | サヴォイア家の分枝であるサヴォイア=アオスタ家の当主。貴賤結婚を強行した本家当主のヴィットーリオ・エマヌエーレの継承が先代当主ウンベルト2世の同意を得ていないとして、自ら正統の王位請求者として行動している。 |
25x20px トスカーナ大公国 | シギスモンド・ダスブルゴ=ロレーナ・ディ・トスカーナ | 150px | アスブルゴ=ロレーナ・ディ・トスカーナ家の家長。 |
25x20px トスカーナ大公国 | ジュリアーノ・デ・メディチ・ディ・オッタイアーノ | 150px | メディチ家の分家であるメディチ・ディ・オッタイアーノ家(オッタイアーノ公爵家)の家長。 |
25x22px パルマ公国 | カルロ・サヴェリオ・ディ・ボルボーネ=パルマ | 150px | ボルボーネ=パルマ家の家長で、名目上のパルマおよびピアチェンツァ公「カルロ5世(Carlo V)」[7][8]。 |
25px モデナ=レッジョ公国 | ローレンツォ・ダスブルゴ=エステ | 150px | アスブルゴ=エステ家の家長。 |
25px 両シチリア王国 | カルロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ | 150px | カストロ系のボルボーネ・デッレ=ドゥエ・シチリエ家の家長。「カストロ公」を名乗る。カラブリア系と長年争っていたが、2014年に和解文書の署名がなされた。 |
25px 両シチリア王国 | ピエトロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ | 150px | カラブリア系のボルボーネ・デッレ=ドゥエ・シチリエ家の家長。「カラブリア公」および「カゼルタ伯」を名乗る。カストロ系と長年争っていたが、2014年に和解文書の署名がなされた。 |
25px 両シチリア王国 | ジョアッキーノ・ムラト | 150px | ムラト家の当主。フランス皇帝ナポレオン1世の妹婿で、両シチリア王「ジョアッキーノ1世」として即位したジョアシャン・ミュラの子孫。 |
ドイツ諸邦
フランス
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
フランス王国 | ルイ・アルフォンス・ド・ブルボン | 150px | レジティミストの支持する国王として「ルイ20世」と呼ばれている。スペイン・ブルボン家のスペイン国王アルフォンソ13世の曾孫の一人。スペイン・ブルボン家はフランス・ブルボン家から分枝しており、アンリ・ダルトワ死後のフランス王位継承権はスペイン・ブルボン家に継承されたとレジティミストが主張している。 |
フランス王国 | バルタザール4世・ド・ブルボン | 150px | 「ブルボン=ボーパール家」を称する、インドの旧貴族。先祖はインドに土着化したブルボン家の王族だとする。スペイン・ブルボン家はスペイン王位を継承するにあたってフランス王位継承権を放棄したと解釈し、かつオルレアン家に反発する一部レジティミストから支持されるが、ブルボン家の子孫であると科学的に証明されているわけではない。(インドのブルボン家参照) |
フランス王国 | シャルル・ルイ・ド・ブルボン | 150px | 偽ルイ17世ことカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフの子孫(ナウンドルフ家参照)で、「シャルル13世」を称する。ナウンドルフはミトコンドリアDNA調査でルイ17世とは別人であるとの結果が出ているが、一方でナウンドルフの男系玄孫であるユーグ・ド・ブルボンとブルボン家一族の男性3名のY遺伝子が酷似しているという調査結果も出ている[9]。ただし多くの科学者は信頼性に疑問を呈している。 |
フランス王国 | フランソワ・ド・バヴィエール | 150px | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトのフランス王「フランソワ2世(François II)[10]」と見なされているが、本人はフランス王位を請求していない。 |
フランス王国 | ピエール・ド・ブルボン=シシリー | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 | |
フランス王国 | アンリ・ドルレアン | 150px | オルレアニストの支持するオルレアン家の家長。名目上のフランス王として「アンリ7世」を称している。 |
フランス帝国 | シャルル・ナポレオン | 150px | ナポレオン1世の弟ジェローム・ボナパルトの玄孫。対等結婚によって息子を儲けて離婚した後、平民と再婚(貴賤結婚)し、「ナポレオン6世」こと父ルイ・ナポレオンから継承権を剥奪されたが、貴賤結婚によって生まれる子孫はともかく自身の継承権はあるとして、正当なボナパルト家当主であることを主張する。「ナポレオン7世」 |
フランス帝国 | ジャン・クリストフ・ナポレオン | 150px | シャルル・ナポレオンの息子。「ナポレオン6世」として知られた祖父ルイ・ナポレオンの遺言により、母との離婚後に貴賤結婚に走った父を飛ばしてボナパルト家の当主「ナポレオン7世」となった。父シャルルの継承を正当とする立場からは、次期家長として「ナポレオン8世」の予定者とみられている。 |
北アメリカ
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
25px メキシコ帝国 | マクシミリアン・フォン・ゲッツェン=イトゥルビデ | 150px | 第一帝政期の帝室イトゥルビデ家の家長。「マクシミリアーノ2世(Maximiliano II)」を称する。 |
南アメリカ
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
25px アラウカニア・パタゴニア王国 | フレデリック・リュズ | 「アントワーヌ4世」公ことジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラが2017年に没した後、後継者に選出された。「フレデリック1世(Frédéric I)」 | |
25px アラウカニア・パタゴニア王国 | スタニスラス・パルビュレスコ(Stanislas Parvulesco) | 150px | 「フレデリック1世」と対立する王位請求者として、「スタニスラス1世(Stanislas I)」を称する。 |
25x20px ブラジル帝国 | ペドロ・カルルシュ・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ | 150px | ペトロポリス系ブラジル帝位請求者。祖父のペドロ・デ・アルカンタラが貴賤結婚をしたことによる継承権放棄を無効と考える君主制支持者の一部から、正統なブラジル帝位継承者と見なされ、「ペドロ5世(Pedro V)」とされている。 |
25x20px ブラジル帝国 | ルイス・ガスタン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ | 150px | ヴァソウラス系ブラジル帝位請求者。1981年に父の後を継いで名目上のブラジル帝位を継承し、「ルイス1世(Luís I)」となった。 |
オセアニア
国名 | 名前 | 肖像あるいは紋章 | 説明 |
---|---|---|---|
25x20px ハワイ王国 | クエンティン・クヒオ・カワナナコア | 150px | カラカウア朝断絶により王位継承権を承継したカワナナコア家の嫡流。 |
脚注
- ↑ 王党派がみな王位請求者を支持するわけではない。共和国における王位請求者の支持者は文句なしに王党派であるが、君主国における王位請求者の支持者は、王党派である一方で正当とされる君主に対する反逆者の一面も持つ。
- ↑ 覬覦は「(分不相応なことを)うかがい狙う」の意。
- ↑ AL PUEBLO CARLISTA DE S.M.C. DON CARLOS JAVIER I DE BORBÓN, REY DE LAS ESPAÑAS – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
- ↑ El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
- ↑ http://www.borbone-due-sicilie.org/english/genealogy.html
- ↑ Mindaugo II anūkas: jei lietuviai panorės atgaivinti monarchiją, esu pasirengęs priimti šią garbę
- ↑ Mensaje al Pueblo Carlista de S.M.C. Don Carlos Javier II de Borbón, Rey de Las Españas – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
- ↑ El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
- ↑ http://www.ijsciences.com/pub/pdf/V320140219.pdf.
- ↑ 百年戦争以来の伝統として、ジャコバイトはヴァロワ=アングレーム家のフランソワ1世とフランソワ2世をフランス王として認めておらず、したがってフランソワという名のフランス王は「フランソワ1世」ことモデナ公フランチェスコ5世に続いて彼が2人目ということになる。
関連項目
- ジャコバイト王位継承者の一覧
- カルリスタ王位請求者の一覧
- 僭称
- 熊沢寛道 - 通称熊沢天皇。南朝の子孫を称し、自身が正当な天皇であると主張した。