ダライ・ラマ14世

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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1989年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:非暴力によるチベット解放闘争と、チベットの歴史と文化遺産の保存のための、寛容と相互尊重に基づく平和的解決の提唱

ダライ・ラマ14世1935年7月6日チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )

チベット人の精神的指導者。名はテンジン・ギャツォ。1940年第14世としてポタラで即位。中華人民共和国の成立後,中国の一部としてチベット政府が地域自治を行なうべきだとの呼びかけにこたえなかったため,1950年夏中国人民解放軍により昌都を占領され,中国の和平解放を受け入れて 1951年5月チベット協定に調印した。1954年北京に赴き,全国人民代表大会常務委員会副委員長に選出される。1956年4月チベット自治区籌備委員会主任委員に就任。1959年3月ラサで起こった中国政府に対する暴動が鎮圧されたため,インドに亡命(チベット暴動)。以後インドを基盤にチベット独立運動を指導,1960年代初期亡命政府を樹立。1978年12月中国政府はチベットが中国の一部であることを前提としてダライ・ラマの帰国と交渉を歓迎と発表,ダライ・ラマは代表を北京に送ったが合意にいたらなかった。1987年9月アメリカ合衆国議会で「人権5項目」を発表。同 1987年10月ラサで独立を求める暴動が発生。1988年6月ヨーロッパ議会で「ストラスブール提案」を行ない,中国政府から「半独立」,「変相独立」として拒否された。1989年3月ラサで再度暴動が起こり,中国政府は戒厳令を宣言。1989年ノーベル平和賞を受賞。2011年チベット亡命政府代表の座をロブサン・センゲに禅譲した。(チベット問題




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