池田厚子
池田 厚子(いけだ あつこ、1931年(昭和6年)3月7日 - )は、日本の元皇族。昭和天皇と香淳皇后の第四皇女。旧名、順宮 厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)。旧岡山藩藩主・池田氏、第16代当主池田隆政夫人。今上天皇と常陸宮正仁親王は弟にあたる。1988年から2017年まで、伊勢神宮神職である神宮祭主を務めた。勲等は勲一等。
略歴
生い立ち
1936年(昭和11年)より、両親の元を離れ呉竹寮で姉妹と共に養育される。学習院初等科・女子学習院(在学中に新学制により学習院女子中等科・学習院女子高等科となる)を経て、学習院女子短期大学文科に入学。2年次に家庭生活科に転科し、同科を卒業。
1951年(昭和26年)5月2日、中国・四国地方を訪問した際に岡山市の後楽園荒手茶寮にて池田隆政と面会。その後、6月末に正式に見合いの場が設けられて婚約が内定。仲人にあたったのは松平康昌。
同年5月17日に貞明皇后が崩御してから2か月足らずの時期であったが、昭和天皇は、第1期の服喪期間の50日間が過ぎた7月10日、田島道治・宮内庁長官に命じて順宮厚子内親王と隆政との婚約が内定した旨を公式に発表させた。なお、1947年(昭和22年)に廃止された皇室服喪令をその後も踏襲しているとすれば、祖母である貞明皇后に対する厚子内親王の服喪期間は150日であった(最長は昭和天皇などで1年間となる)。服喪期間中に、さらには皇族会議も経ず、昭和天皇自らの裁可による婚約発表は異例であった。
皇族全員の喪が明けた1952年(昭和27年)10月10日に隆政との結婚により皇籍離脱した。元華族とはいえ内親王の結婚相手が、首都から遠く離れた岡山県、しかも農場主というのは極めて異例なことであった。
隆政と厚子は、1953年(昭和28年)2月に有限会社池田産業を設立。1960年(昭和35年)5月には株式会社池田動物園となり、隆政は園長に就任している。
降嫁後
1964年(昭和39年)4月29日には勲一等宝冠章受章。日本赤十字社岡山県支部有功会名誉会長などを務める。
1965年(昭和40年)頃、敗血症を患い、岡山大学医学部附属病院に長期入院。すでに長姉の東久邇成子が癌で死去しており、身を案じた昭和天皇・香淳皇后は頻繁に岡山へ見舞いのため行幸啓した。天皇・皇后の他、弟である皇太子明仁親王・同妃美智子夫妻ら皇族が岡山を訪問した際には、厚子が案内役を務めることもあった[1]。
姉の鷹司和子の退任を受け、1988年(昭和63年)より伊勢神宮祭主を務める。2012年(平成24年)4月26日、補佐役に姪の黒田清子が臨時祭主に就任した[2]。同年7月、隆政と死別。
2017年(平成29年)6月19日付で、伊勢神宮祭主を退任し、神宮祭主には黒田清子が就任したことが公表された[3]。
その他
著書
系譜
厚子内親王 | 父: 昭和天皇 |
祖父: 大正天皇 |
曾祖父: 明治天皇 |
曾祖母: 柳原愛子 | |||
祖母: 貞明皇后 |
曾祖父: 九条道孝 | ||
曾祖母: 野間幾子 | |||
母: 香淳皇后 |
祖父: 邦彦王(久邇宮) |
曾祖父: 朝彦親王(久邇宮) | |
曾祖母: 泉萬喜子 | |||
祖母: 俔子 |
曾祖父: 島津忠義 | ||
曾祖母: 山崎寿満子 |
脚注
注釈・出典
- ↑ 池田動物園をおうえんする会>池田動物園の誕生
- ↑ : “中日新聞臨時神宮祭主に黒田清子さん三重(CHUNICHI Web)” (2012年5月8日). . 2012閲覧.
- “天皇家長女、黒田清子さんが就任 「伊勢神宮の臨時祭主」 どんな役職なのか J-CASTニュース” (2012年5月8日). . 2012閲覧.
- ↑ 伊勢神宮祭主に黒田清子さん共同通信(2017年6月20日), 2017年6月20日閲覧。
外部リンク