瀬田 (世田谷区・川崎市)
瀬田 | |
---|---|
— 町丁 — | |
座標: 東経139度37分33.56秒北緯35.6226361度 東経139.6259889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 25px 世田谷区 |
地域 | 玉川地域 |
面積[1] | |
- 計 | 1.101km2 (0.4mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1] | |
- 計 | 15,068人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 158-0095[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 世田谷 |
瀬田 | |
---|---|
— 町丁 — | |
座標: 東経139度37分26.78秒北緯35.6070167度 東経139.6241056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 川崎市 |
区 | 高津区 |
面積[4] | |
- 計 | 0.19km2 (0.1mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[5] | |
- 計 | 887人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 213-0003[6] |
市外局番 | 044[3] |
ナンバープレート | 川崎 |
瀬田(せた)は、東京都世田谷区及び神奈川県川崎市高津区の地名。両地域は多摩川を挟んだ両岸に位置する。
Contents
東京都世田谷区瀬田
昭和30年代の住居表示実施前の玉川瀬田町にあたる地域がほぼ含まれている。南部は、街として二子玉川と呼称される地域の一部にあたる。北部は環八通りに面す。
地理
国分寺崖線沿いにあり、崖線の上からは多摩川や富士山まで見渡せる場所がある。丸子川沿いなどに自然が程よく残されている閑静な地域である。戦前より多摩川や富士山を見晴らす景勝地のひとつとして知られ、玉川遊園などの園地が設けられていた。かつて首相の大平正芳が居を構えるほか、現在でも多くの財界人・政界人等が暮らすなど、世田谷区内の高級住宅街として知られる。
地価
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、瀬田1-8-14地点で64万5,000円/m2となっている。[7]
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
瀬田一丁目 | 1,212世帯 | 2,852人 |
瀬田二丁目 | 1,557世帯 | 3,234人 |
瀬田三丁目 | 1,130世帯 | 2,245人 |
瀬田四丁目 | 1,716世帯 | 3,686人 |
瀬田五丁目 | 1,336世帯 | 3,051人 |
計 | 6,951世帯 | 15,068人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
瀬田一丁目 | 全域 | 世田谷区立瀬田小学校 | 世田谷区立瀬田中学校 |
瀬田二丁目 | 全域 | ||
瀬田三丁目 | 全域 | ||
瀬田四丁目 | 1~14番 16番 36~41番 |
世田谷区立二子玉川小学校 | |
その他 | 世田谷区立瀬田小学校 | ||
瀬田五丁目 | 全域 |
交通
瀬田交差点は、環八通りと国道246号の交点である。また、東名高速道路東京ICと首都高速3号線用賀出入口は瀬田、砧公園、玉川台、上用賀の境界に存在する。
瀬田温泉
瀬田交差点近くに位置する瀬田温泉(山河の湯)は、天然温泉であった。1997年(平成9年)に開業、2013年(平成25年)に閉業した。薄いコーラ色の湯で、弱アルカリ性のナトリウム塩化物温泉であった。二子玉川から機関車を模した外観のシャトルバスが運行していた。国分寺崖線上にあり、多摩川の眺めや緑を満喫でき。また、都内で富士山が見える唯一の露天風呂であった。
川崎市高津区瀬田
二子橋(旧大山街道)の右岸側に位置し(二子橋右岸はかつては瀬田の一部であったが、1997年(平成9年)に二子一丁目となった)、すぐ側に東急田園都市線二子新地駅がある。多摩川堤防に近接するが、瀬田一帯は周囲より一段低くなっている。現在は、多摩川河川敷および多摩川沿いの閑静な住宅街になっている。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
瀬田 | 553世帯 | 887人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9][10]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 川崎市立東高津小学校 | 川崎市立高津中学校 |
周辺
歴史
かつて多摩川は頻繁に洪水を起こし、流路も度々変わっていたため、村が多摩川で分断されることが度々あり、ここ瀬田も多摩川により分断されていた。
かつては全域が武蔵国荏原郡に属していたが、1912年(明治45年)に郡境が多摩川上に設定され、以降右岸地域は橘樹郡(後に川崎市)に属すこととなり、以降現在まで両岸に地名が残っている。
明治以降の行政区画
左岸地域
- 1932年(昭和7年)
- 1943年(昭和18年)
- 東京都制施行、東京都世田谷区玉川瀬田町、玉川町になる。
- 19xx年
- 玉川町が鎌田町、岡本町各町域と境界変更を行い、大蔵町飛地を編入し、東部(旧高津村大字諏訪河原の一部)を残した上で住居表示を実施(その残った地域は数年後の住居表示実施時に上野毛となる)。玉川一丁目~四丁目が設置される。
- 19xx年
- 玉川瀬田町の一部が玉川台に編入される。
- 1971年(昭和46年)
- 玉川瀬田町が岡本町の一部(元・字下山)を編入し、東名高速道路以北を砧公園と大蔵一丁目に編入するなど隣接各町域と町域整理を行った上で住居表示を実施。瀬田一丁目 - 五丁目が設置される。
右岸地域
- 1927年(昭和3年)
- 町制施行、神奈川県橘樹郡高津町大字瀬田になる。
- 1937年(昭和12年)
- 川崎市に編入、神奈川県川崎市大字瀬田になる。
- 1972年(昭和47年)
- 政令指定に伴い行政区が設置され、神奈川県川崎市高津区大字瀬田になる。
- 1997年度(平成9年度)
多摩川両岸に点在する同地名
多摩川を挟んで同じ地名があるのは、もともとこれらの一帯が同じ村域であったこと名残りである。多摩川の氾濫等で流路は頻繁に変わったが、川を挟んだ両岸が一つの村であり、渡し舟等で往来した。この様な事例は他に、高津区下野毛(旧荏原郡下野毛村の大部分が移管)、等々力(世田谷区等々力と川崎市中原区等々力)、宇奈根(世田谷区と川崎市高津区)、押立(町)(府中市と稲城市)などにも見られる。
なお、かつて橘樹郡から荏原郡・北多摩郡に移管した地域は全て他の町域に編入されるなどしており、現在は地名が残っていない。その例として以下のものがあげられる。
- 橘樹郡稲田村大字宿河原→狛江村大字宿河原(→狛江市駒井町の一部)
- 橘樹郡高津村大字諏訪河原→北多摩郡砧村大字諏訪(→世田谷区諏訪町→世田谷区鎌田町→世田谷区鎌田)
- 橘樹郡高津村大字諏訪河原→荏原郡玉川村大字諏訪河原(→世田谷区玉川町→世田谷区玉川・上野毛)(明治以降の行政区画にて既述)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “世田谷区の町丁別人口と世帯数”. 世田谷区 (2017年12月4日). . 2017閲覧.
- ↑ “郵便番号”. 日本郵便. . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “市外局番の一覧”. 総務省. . 2017閲覧.
- ↑ “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2017年10月26日). . 2017閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 “町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). . 2018閲覧.
- ↑ “郵便番号”. 日本郵便. . 2017閲覧.
- ↑ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ↑ “通学区域”. 世田谷区 (2017年4月1日). . 2017閲覧.
- ↑ “川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). . 2017閲覧.
- ↑ “川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). . 2017閲覧.