等々力 (川崎市)
等々力 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度39分4.66秒北緯35.5848528度 東経139.6512944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 川崎市 |
区 | 中原区 |
面積[1] | |
- 計 | 0.759km2 (0.3mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2] | |
- 計 | 396人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 211-0052[3] |
市外局番 | 044 (川崎MA)[4] |
ナンバープレート | 川崎 |
※座標は等々力緑地付近[5] |
等々力(とどろき)は、神奈川県川崎市中原区の町名。1994年(平成6年)10月17日に住居表示が施行されている[6]。丁番の設定されていない単独町名である。郵便番号は211-0052[3]。
多摩川を挟んで対岸の東京都世田谷区にも等々力という地名が現存し、両者は明治末期までひとつの大字であった(後述)。
Contents
地理
中原区の北部に位置し、多摩川に面している。域内には等々力緑地が広がっており、その中には、川崎フロンターレのホームスタジアムとなっている等々力陸上競技場や川崎市とどろきアリーナなどの施設が所在している。
等々力は北端で多摩川を挟んで東京都の世田谷区玉堤・大田区田園調布と、南東端で小杉陣屋町・小杉御殿町と、西端で宮内と接している(特記のない町域は神奈川県川崎市中原区)。
歴史
当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった[7]。江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている[8]。明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された[8]。
大正末期、多摩川に堤防が築かれた後には酪農なども行われたが、当地が旧河道であり、大量の砂利が埋もれていたこと、また河川保護のため多摩川の河川敷から砂利を掘ることが禁止されたことから、東京横浜電鉄によって陸地からの採掘が行われ、「七つが池」と呼ばれる池ができた[8]。昭和30年代にはその七つが池も埋め立てられ住宅地となっていったが、それと並行する形で等々力緑地の整備も進んでいき[8]、現在見るような都市公園となっていった。なお、等々力緑地内に現在も残る釣池[9]は、「七つが池」のうちの五号池が残ったものである[8]。
地名の由来
対岸にある谷沢川が多摩川と合流する地点、あるいは谷沢川の途中にある不動の滝での水の轟音が由来と考えられている[7]。戦国時代の文献には「とどろ木」や「兎々呂城」の形で残り、江戸時代に「等々力」の字が当てられた[7]。
沿革
- 1551年(天文20年) - 吉良頼康判物に「とどろ木」の形で見える。
- 1717年(享保2年) - 小杉村との間に境界争いが起き、宮内村の立ち会いで解決させる。
- 1725年(享保10年) - 田中休愚により多摩川の瀬替えが行われ[7]、当地は多摩川の対岸にある飛び地となった。
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により玉川村が成立。当地は東京府荏原郡玉川村大字等々力字向河原、字立返となる[7]。
- 1912年(明治45年) - 府県境が多摩川で引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村大字等々力字向河原、字立返となった。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災が発生。復興の建設ラッシュに合わせ、多摩川の砂利が採掘されていった。
- 1925年(大正14年) - 中原村と住吉村の大半が合併して、中原町を新設。当地は中原町大字等々力字向河原、字立返となった。
- 1932年(昭和7年) - 中原町が川崎市に編入される。当地は川崎市大字等々力字向河原、字立返となる。
- 1936年(昭和11年) - 二子橋以南(当地を含む)の河原からの砂利採掘が禁止される。当地では陸掘が行われ、「七つが池」ができた。
- 1959年(昭和34年) - 当地に水道が開通する。また、等々力町内会が成立する。
- 1966年(昭和41年) - 等々力陸上競技場が開場。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市中原区大字等々力字向河原、字立返となる。
- 1988年(昭和63年) - 川崎市市民ミュージアムがオープン。
- 1992年(平成4年) - Jリーグが開幕。ヴェルディ川崎が等々力陸上競技場をホームスタジアムとして参入(2001年に東京都へ移転)。
- 1994年(平成6年)10月17日 - 住居表示が施行され、川崎市中原区等々力となる。[6]
- 1995年(平成7年) - 川崎市とどろきアリーナがオープン。
- 1999年(平成11年) - 等々力陸上競技場をホームスタジアムとして川崎フロンターレがJ2に参入。
町域の新旧対照
等々力は、1994年10月17日に住居表示が施行されているが、その際に宮内字中河原耕地・字下河原耕地、小杉字堤外も等々力に編入されている[10]。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
等々力 | 202世帯 | 396人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11][12]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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1番1号 19番~20番1号 |
川崎市立西丸子小学校 | 川崎市立中原中学校 |
4〜5番 | 川崎市立宮内小学校 | 川崎市立宮内中学校 |
その他 | 川崎市立中原小学校 |
交通
鉄道
2018年現在、当地に鉄道は存在しない。川崎縦貫高速鉄道が当地を通る計画があったが、2015年度を持って計画が休止となっている。
バス
東急バス、川崎市交通局の2事業者が、川崎駅、武蔵小杉駅、武蔵中原駅、武蔵溝ノ口駅などの各方面へバスを運行している。
道路
施設
- 等々力緑地
- 等々力陸上競技場 - 川崎フロンターレがホームスタジアムとしている。
- 川崎市等々力球場
- 川崎市とどろきアリーナ
- 川崎市市民ミュージアム
- 等々力緑地釣池
おもな出身者
- 松島勇気 - ミュージカル俳優
関連項目
脚注
- ↑ “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
- ↑ Google Earthより
- ↑ 6.0 6.1 川崎市:区別町名一覧表(中原区) 2014年8月23日閲覧。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 日本地名研究所編「川崎地名辞典(上)」川崎市、2004年、P258~261。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 日本地名研究所編「川崎の町名」川崎市発行、1991年、P121~122。
- ↑ 等々力緑地釣池(フィッシングセンター) 川崎市観光協会、2011年10月9日閲覧。
- ↑ 住居表示新旧対照案内図 No.64 等々力 川崎市、1996年。
- ↑ “川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). . 2018閲覧.
- ↑ “川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). . 2018閲覧.