伊那郡
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郡域
現在の飯田市、伊那市、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡にあたるが、行政区画として画定されたものではない。 面積は信濃国内の郡で最大であった。
歴史
郡衙の位置は飯田市座光寺(恒川遺跡群)と推定されている。和名類聚抄や諏訪大明神絵詞の記述から、古代においては北部の一部が諏訪郡に含まれていたことが推察される。
764年(天平宝字8年)、藤原仲麻呂の乱が起こると、伊那郡の大領(郡司の長)金刺八麻呂が孝謙上皇方に立って活躍した。
768年(神護景雲2年)、続日本紀の記述に全国から善行のあった9人が朝廷から褒美を得たとあり、その内4人までが信濃の国からである。1人が他田部舎人千代売と言う名の未亡人で節婦が理由とされる伊那郡の人である。
伊那郡に見える「領」
江戸時代以前の伊那郡は在地の中小領主に分割支配されていた。以下は太閤検地時点における伊那郡総検地に見える近世初期の領である。
- 上伊那領 - 12村
- 箕輪領 - 26村
- 高遠領 - 49村
- 赤須領 - 1村
- 上穂領 - 1村
- 飯島領 - 3村
- 片桐領 - 6村
- 大草領 - 5村
- 大島領 - 5村
- 市田領 - 11村
- 知久領 - 14村
- 坂西領 - 2村
- 飯田領 - 2村
- 松尾領 - 22村
- 南山領 - 29村
- 遠山領 - 6村
- 下条領 - 60村
近代以降の沿革
- 所属町村の変遷は上伊那郡#郡発足までの沿革、下伊那郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。下記のほか寺社領、寺社除地[1]が存在。国名のあるものは飛地領。(154村)
- 慶応2年6月19日(1866年7月30日) - 白河藩が棚倉藩に転封。
- 慶応4年
- 明治元年
- 明治2年
- このころ旗本領および幕府領の一部(松本藩預地)が伊那県の管轄となる。
- 9月 - 幕府領(千村氏預地・知久氏預地)が伊那県の管轄となる。
- 明治3年12月23日(1871年2月12日) - 高須藩が廃藩。領地は名古屋藩の管轄となる。
- 明治4年
- 1879年1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、伊那郡のうち、伊那村ほか2町26村の区域に上伊那郡が、飯田町ほか1町31村の区域に下伊那郡がそれぞれ行政区画として発足。同日伊那郡消滅。
脚注
参考文献
- *『角川日本地名大辞典 20 長野県』(角川書店、1990年。ISBN 4040012003)
- 『長野県史 通史編 第4巻 近世1』
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代: ----- |
行政区の変遷 - 1879年 |
次代: 上伊那郡・下伊那郡 |