モロゾフ
モロゾフ株式会社(英: Morozoff Limited)は、兵庫県神戸市東灘区に本社を置く洋菓子メーカーである。
ドイツ菓子メーカーユーハイムと並び、神戸二大ブランドの一つとして有名。白系ロシア人であるフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ一家が神戸で経営していたチョコレート店を起源とし、社名はその姓に由来する。
概要
神戸市の六甲アイランドに本社を構え、菓子販売店舗を中心に、カフェやレストランを全国に展開している。店舗数は1102店[1](併設店を含む・2015年現在)。代表的な商品は、チーズケーキやプリンなど。バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を始めた一社としても知られる。
ガラスの器(1973年までは陶器であった)に入ったプリンは高級品として知られ、食べ終わった後の空き瓶がガラスコップの代用品として再利用されることが多い[2]。また、吉本新喜劇の小籔千豊が、ネタで「そんなに使わないのについつい取って置いてしまう」物の代名詞として、しばしばギャグのネタにしている。当のモロゾフ社自身も、食べた後の容器はリサイクルするか何かの容器に再利用することを紹介している[3]。なお、試験的に一時プラスチック製の容器に変更したこともあったが、売り上げが落ちたため、ガラス製容器に戻したという[2]。
笛吹市の洋酒メーカー「モンデ酒造」の前身に当たる「モロゾフ酒造」とは、無関係である。
モロゾフ家との関係
ロシア革命を逃れて日本に来て、その後神戸でチョコレート店を経営していた白系ロシア人フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ一家は、神戸の材木商から出資を受けて、1931年に神戸モロゾフ製菓を設立した。
経営は順調に推移したが、出資経営者側が会社の会計帳簿をモロゾフ親子側に見せなかった為、モロゾフ家は不審を抱くようになり、最終的に1941年に両者の問題は裁判まで持ち込まれた。
モロゾフ側は日本語が不自由だったため、結果的に裁判で追い出された形となった。モロゾフ一家は神戸モロゾフ製菓から去るだけではなく、「モロゾフ」や類似した商号を使用しての菓子販売や同様の事業をすることを禁じられた。厳しい条件であったが、飲まなければロシアを継いだ共産主義国家であるソビエト連邦へ強制送還すると言われたため、判決をのまざるを得なかった。(但し相当の名義料と複数店舗土地などは譲渡されていた模様。)
ちなみに、モロゾフを離れたモロゾフ家は、フョードルの子のヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフが「バレンタイン製菓店」を立ち上げたが、第二次世界大戦終結直前の1945年に、連合国軍による空襲で店が壊滅し、戦後に「コスモポリタン製菓」を再度設立している。
沿革
- 1931年(昭和6年)8月8日 - 神戸モロゾフ製菓株式会社設立。
- 1936年(昭和11年)8月 - モロゾフ製菓株式会社に商号変更。
- 1972年(昭和47年)8月 - モロゾフ株式会社に商号変更。
- 1974年(昭和49年)9月 - 大阪証券取引所(現在は市場統合)第二部上場。
- 1983年(昭和58年)8月 - 東京証券取引所第二部上場。
- 1984年(昭和59年)7月 - 大阪証券取引所・東京証券取引所第一部指定。
- 2011年(平成23年) - 3月11日の東日本大震災にて仙台工場(仙台市若林区)が被災。5月末での工場閉鎖と仙台営業所の移転を決定。
株主優待
- 毎年1月31日付及び7月31日付の株主名簿に記載・記録されている1000株以上保有の株主に優待券1冊(10枚綴)を進呈。優待券1枚につき1050円(税込)までの現金購入及び飲食に対して20%割引を実施
- 毎年7月31日現在で、1000株以上を3年以上継続保有の株主に対して、年1回2000円相当の自社商品を進呈
脚注
- ↑ 直営店12店 百貨店・専門店内店舗1057店、喫茶店30店・レストラン3店。島根県と沖縄県には1店舗も無い。
- ↑ 2.0 2.1 “デカくて、重くて…!? モロゾフのプリンが愛される理由”. 産経新聞. . 2013閲覧.
- ↑ “ガラス容器へのこだわり”. モロゾフ株式会社. . 2018閲覧.