ユーハイム
株式会社ユーハイム(英語: Juchheim Co., Ltd.)は、兵庫県神戸市中央区港島中町に本社を置く製菓会社である。
概要
神戸から全国百貨店等に展開する洋菓子メーカーとしてモロゾフと双璧的存在であり、引き出物として根強い人気を誇るバウムクーヘンをはじめ、クッキー、ケーキ類を主力商品とする。
バウムクーヘン、クッキーなど焼き菓子は愛知県の中央工場などで一括製造、鮮度が求められるケーキなど生菓子、半生菓子は船橋、神戸、名古屋の各工場や営業所付属の小工場で地区別に製造し近距離出荷する体制となっている。原則として問屋流通は行わず、直営店、百貨店直納(多くは納品だけでなく専従販売員を派遣する)を主軸とし、バウムクーヘンが婚礼引出物として定番であることから、ホテル、式場への納品も多い。かつてはFC展開も行っていたが、現在はほぼ撤退している。また、別会社ブランドとしてウィーン菓子のローゼンハイム、フランス菓子のペルティエも展開している。東京ディズニーランドおよび東京ディズニーシーのオフィシャルスポンサーを、それぞれ開業以来つとめている。
沿革
ドイツ人菓子職人のカール・ユーハイム夫妻は1919年、第一次世界大戦の青島攻略時に日本軍により占領された青島より、日本(大阪市西区にあった大阪俘虜収容所→広島市南区の似島にあった似島検疫所)へ連行され、広島県物産陳列館(現:原爆ドーム)にて開催された「ドイツ作品展示会」で日本初のバウムクーヘンの製造販売を行った。その後、東京での喫茶店勤務の後に夫妻は横浜へ移り住み、1922年に店を開く。
しかし1923年に発生した関東大震災により店を失い、今度は神戸へと移り再び店を開く。その後繁盛した上に、1930年代に入ると日本とドイツが同盟関係を結ぶなど環境が整ったものの、第二次世界大戦勃発後の1944年頃になると、戦局の悪化で原材料の入手が困難になり営業が難しくなった。カールは第二次世界大戦終結直前の1945年に他界。そして日本、ドイツ共々敗戦し連合国の占領下におかれたことにより、カールの妻のエリーゼは国外退去処分になる。
日本とドイツが占領を脱した後に再来日したエリーゼを社長に迎えて会社組織化し、再出発するが一時経営が悪化。バターを納品していた河本春男らの出資により、再興した。河本は再建の際に専務取締役として経営参加し、エリーゼの死後に社長に就任する。1985年に社長職を長男の武に譲り、自身は会長となった。ユーハイム夫妻に跡継ぎがいなかったこともあり、武の長男・英雄もふくめ、経営権は河本家に引き継がれる形となっている。
- 2001年 - ドイツ ペーター・シュミット・グループにより、ブランドを一新。翌年に竣工した丸ビルの地下にディー・マイスターブランドの1号店をオープンさせる。
- 2010年 - 3月4日をバウムクーヘンの日に制定(日本記念日協会に登録)。
- 2012年 - 10月、キッザニア甲子園に「バウムクーヘンショップ」を出展。
グループの展開ブランド
- JUCHHEIM(ユーハイム)
- Meister JUCHHEIM(マイスターユーハイム)
- JUCHHEIM DIE MEISTER(ユーハイム・ディー・マイスター)
- KARL JUCHHEIM(カールユーハイム)
- BOBBY JUCHHEIM(ボビーユーハイム)
- ROSENHEIM(ローゼンハイム)
- Peltier(ペルティエ)
備考
- NHKで1977年から1978年にかけて放映された連続テレビ小説「風見鶏」から起こった「異人館ブーム」の追い風に乗り、1970年代から1980年代にかけて全国各地に出店し、一時は逆上陸の形でドイツに多店舗展開していたこともある。
- ユーハイム夫妻の戦前の弟子たちによって設立された株式会社であるユーハイムコンフェクトとは、長年商標を巡って争ってきたが、1955年にいったん共存の形で和解、2004年にはコンフェクト社の親会社が商標を1億4000万円でユーハイム社に譲渡、神戸スイーツポートに社名変更することで「二つのユーハイム」状態に幕が引かれた(2004年6月2日神戸新聞)。
関連項目
- カール・ユーハイム - 創業者
- 東京ディズニーリゾート(オフィシャルスポンサー)
- 広島県似島 - ユーハイム夫妻が初めて日本でバウムクーヘンを焼いたとされている島
外部リンク