四日市コンビナート
四日市コンビナート(よっかいちコンビナート)は、三重県四日市市にあるコンビナートである。第1コンビナート(塩浜地区に立地して、磯津地区・塩浜地区・三浜地区・浜田地区・日永地区・三重郡楠町に公害が拡大した塩浜ぜんそくの原因となり)と第2コンビナート(午起地区に立地して四日市港周辺の臨海部の東橋北地区・西橋北地区・海蔵地区・納屋地区・中部東小学校区と中部西小学校区の共同地区・同和地区・中央地区・港地区に被害があった)は四日市ぜんそくによる公害被害を与えた加害企業である。第1コンビナート(塩浜地区)→第2コンビナート(午起地区)→第3コンビナート(富田浜地区の富田浜海水浴場と霞ヶ浦地区の霞ヶ浦海水浴場沖を埋め立てた四日市港の一部である人工島(ポートアイランド))の順番で造成された。
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概要
1960年12月に成立した第2次池田内閣に閣議決定された「所得倍増計画|国民所得倍増計画]」は、[重化学工業]を軸に経済成長を目指す施策であったが 読売新聞・東京朝刊2007年3月13日時代の証言者公害 宮本憲ーバラ色の夢と深刻な現実昭和44年版 公害白書 - 第2節 深刻化する公害問題 ] - [環境白書]、その要締の一つが既存の四大工業地帯の周辺に、鉄鋼・石油精製・石油化学・火力発電所を結ぶコンビナートを造る「太平洋ベルト地帯」構想であった。そのトップを切ったのが四日市コンビナートで、四日市の都市計画を作った東京大学の都市工学科のグループは当時、石炭を使った戦前型の古い工業地帯と違って石油を軸にした最新鋭の設備であるから「太陽と緑の新しい工業空間」になると海外にまで紹介したコンビナートの誘致に成功した四日市は、全国の地方自治体の羨望の的であった。しかし地域開発の旗手だと思われていたコンビナートが後に深刻な公害問題を引き起こし、全国的に大きな問題となったことでも知られる。
歴史
- 初の公選市長の(8代四日市市長・10代四日市市長)の吉田勝太郎及び(9代四日市市長)の吉田千九郎がコンビナートを誘致する計画と四日市空襲で焼失した海軍燃料廠跡地を旧三菱財閥の三菱系の三菱油化・三菱化学工業・三菱モンサント化成などの企業を中心に安い費用で払い下げて、四日市コンビナート施設を建設するための準備をした。
- 日本で最初の石油化学コンビナートを(11代四日市市長)の平田佐矩が誘致した。コンビナートの日本語の意味は結合である。巨大パイプラインで結ばれた各工場の間を原油から分離したナフサなどが回転して、石油化学製品を製造した。
- 第1コンビナートが建設された際の四日市市長は吉田勝太郎であり、第1コンビナートが稼働した際の四日市市長は平田佐矩である。
第1コンビナート(塩浜地区)
- 誘致・建設した四日市市長(吉田千九郎~吉田勝太郎~平田佐矩)
- 塩浜ぜんそく(初期の四日市ぜんそくの要因となり、塩浜地区・三浜地区・浜田地区・日永地区・三重郡楠町に大気汚染による公害被害)を出した企業である。
- 公害対策として初めは高煙突にしたが効果がみられなかった。硫黄酸化物削減方法として、硫黄分の少ない原油の輸入を増加させることと、国と企業によって脱硫装置の研究と開発がなされ、大気汚染が改善された。
- 1972年(昭和47年)に四日市ぜんそくの公害訴訟の判決があり、津地方裁判所四日市支部は被告企業として塩浜地区の第1コンビナートと午起地区の第2コンビナートに立地していた6社(石原産業・中部電力・昭和四日市石油・三菱油化・三菱化成工業・三菱モンサント化成)を加害企業として認定して共同不法行為があったとして賠償を命じた。旧三菱財閥系の化学企業は合併して、三菱化学となった。[1]
工場一覧
- 日本エタノール四日市工場 (住所)大治田三丁目 1972年(昭和47年) 4月設立
- JSR四日市工場 (住所)川尻町 1960年(昭和35年) 4月 設立
- 三菱化学四日市事業所 (住所)東邦町 1959年(昭和34年) 5月設立(旧三菱油化)
- 三菱化学四日市事業所 (住所)川尻町1962年(昭和37年)1月設立(旧三菱油化)
- 三菱化学四日市事業所三田タンクヤード(住所)三田町1967年(昭和42年)設立4月
- 三菱化学四日市事業所 (住所)東邦町 1994年(平成6年)10月設立
- コスモ石油塩浜油槽所 (住所)塩浜町 1958年(昭和33年)6月設立
- 昭和四日市石油四日市製油所 (住所)四日市塩浜町 1958年(昭和33年) 4月設立
- 三菱化学ビーエーエスエフ(住所)川尻町 1963年(昭和38年) 2月設立(社名変更 平成 6年10月)
- 太陽酸素四日市営業所 (住所)六呂見町 1968年(昭和43年) 8月設立
- 四日市合成六呂見分工場(住所)大字六呂見 1968年(昭和43年)11月設立
- 東邦化学工業四日市工場 (住所)小浜町 1967年(昭和42年)10月設立
- 味の素東海工場 (住所)大字日永 1963年(昭和38年)4月 設立
- 三菱瓦斯化学四日市工場 (住所)日永東二丁目 1963年(昭和38年)設立
- パナソニック電工四日市工場 (住所)大字馳出字北新開 1961年(昭和36年) 4月 設立
- 日本トランスシティ東邦町タンクヤード(住所)東邦町 1969年(昭和44年) 8月 設立
- 三菱商事四日市貯蔵所 (住所)東邦町1974年(昭和49年)4月 設立
- 石原産業四日市事業所 (住所)石原町 1941年(昭和16年) 1月 設立
- ライオン・スペシャリティ・ケミカルズ四日市工場 (住所)大治田3丁目 1980年(昭和55年) 7月 設立
- 中部海運東邦町タンクヤード (住所)東邦町1982年(昭和57年)4月 設立
- 四日市合成四日市工場 宮東町 (住所)1959年(昭和34年)10月 設立
- 日本アエロジル四日市工場 (住所)三田町 1968年(昭和43年)11月 設立
- ジャムコ四日市工場 (住所)三田町1970年(昭和45年) 4月 設立
- 高純度シリコン四日市工場 (住所)三田町 1972年(昭和42年)6月 設立
第2コンビナート(午起地区)
- 誘致・建設した四日市市長(平田佐矩~九鬼喜久男)
- 白浜で青松があった午起地区は、四日市北部地域の羽津地区の霞ケ浦(霞ヶ浦駅周辺)の海水浴場と富田地区の(富田浜駅周辺)の富田浜海水浴場と並び、海水浴や観光でにぎわう四日市市民の憩いの場であった。
- 午起地区の砂浜が埋め立てられて四日市市営住宅と分譲住宅が建てられた。三重県と四日市市は、牛起地区は(午起駅が臨時駅として国鉄が設置した)海岸が砂浜の海水浴場であったが、埋め立てて大協石油を中心企業とする第2四日市コンビナート造成を計画した。
- 牛起地区の埋め立て事業は、1957年(昭和32年)田中覚三重県知事によって計画と立案がされた。当時の四日市市長であった吉田千九郎・中部電力の井上五郎・中山善郎の3人の男郎が協力したことが由来で、田中知事が埋め立て地に「三郎町」というユニークな洒落ている地名を命名した。
- 四日市ぜんそくの被害を東橋北地区・西橋北地区・海蔵地区・納屋地区・中部東小学校区と中部西小学校区の共同地区・同和地区・中央地区・港地区・羽津地区に拡大させた。
工場一覧
- コスモ石油 四日市製油所 (住所) 大協町一丁目 1943年(昭和18年) 7月 設立「社名変更 1986年(昭和61年) 4月」
- コスモ石油 第1陸上出荷場 (住所)浜町 1957年(昭和32年)9月 設立
- KHネオケム 四日市工場午起製造所 (住所)大協町2丁目 1963年(昭和38年)10月 設立
- 中部電力 四日市火力発電所 (住所) 三郎町 1963年(昭和38年) 6月設立
- 日本板硝子 四日市工場 (住所)千歳 1936年(昭和11年)12月 設立
- 第一工業製薬 四日市工場 (住所) 千歳町 1939年(昭和14年) 4月 設立
- 昭和炭酸 四日市工場 (住所) 北納屋町 1969年(昭和44年) 4月 設立
第3コンビナート(霞ヶ浦地区)
- 誘致・建設した四日市市長(九鬼喜久男)
- 霞ヶ浦海水浴場を埋め立てた人工島である。八幡製鉄所の誘致計画があった。人工島は北側が富田地区で南側が羽津地区に道路を境界線に区分されており、富田地区が四日市港で羽津地区が第三コンビナートである。
工場一覧
- KHネオケム四日市工場霞ヶ浦製造所 (住所)霞一丁目 1970年(昭和45年) 4月 設立
- 東ソー四日市事業所 (住所)霞一丁目1971年(昭和46年)3月 設立
- 日曹油化工業四日市工場(住所) 霞一丁目1985年(昭和50年) 6月 設立
- 四日市オキシトン四日市工場 (住所)霞一丁目 1972年(昭和47年) 4月 設立
- 四日市エルピージー基地霞事業所(住所) 霞一丁目 1983年(昭和58年)11月 設立
- 大日本インキ化学工業四日市工場 (住所)霞一丁目1974年(昭和49年)7月 設立
- 上野製薬四日市工場 (住所)霞一丁目 1971年(昭和46年)6月 設立
- 霞共同事業(住所)霞一丁目1971年(昭和46年)6月 設立
- 中部電力四日市(住所) 霞一丁目1987年(昭和62年)4月 設立
- BASFジャパン四日市事業所(住所) 霞一丁目 1988年(昭和63年)9月 設立
関連項目
- 四日市ぜんそく(四日市コンビナートから発生した大気汚染による公害)
- 四日市港(稲葉三右衛門によって納屋地区の旧港が建設された。新港として霞ヶ浦地区と千歳地区にコンテナ埠頭が建設された)
- 末広橋梁(潮吹き堤防と並んで重要文化財に指定された、現役唯一の可動鉄道橋。山本卯太郎の設計による。)
- 伊勢湾
- 平田佐矩(四日市コンビナートを誘致した四日市市長)
- 田中覚(三重県知事として四日市コンビナートを誘致する)
- 稲葉三右衛門(最初の四日市港である旧港を建設して、現在の四日市市の住所制度では高砂町・稲葉町となっている。)
- 四日市公害と環境未来館