ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)
ジャニーズJr.解散グループ(ジャニーズジュニアかいさんグループ)では、ジャニーズ事務所に所属するジャニーズJr.内に過去に存在したグループを取り挙げる。この記事では1990年代のグループを取り挙げる。他の年代についてはジャニーズJr.解散グループ (1990年以前)、ジャニーズJr.解散グループ (2000年以降)を参照。
なお、主だったグループや個人については「過去のジャニーズ所属者」、バックバンドグループは「ジャニーズ事務所 過去のバックバンド」、その他関連グループは「ジャニーズ関連企画ユニット」・「ジャニーズ関連OBユニット」の項目をそれぞれ参照。
グループ結成順
Contents
- 1 SMAP学園
- 2 J-Eleven
- 3 Kinki Jr.
- 4 サカモト&ナガノーズ
- 5 剛健コンビ
- 6 ジャニーズSr.
- 7 プリッツジュニア
- 8 ハラハラコンビ
- 9 金八トリオ
- 10 怪談トリオ
- 11 W高橋
- 12 それ行けトリオ
- 13 ミラクルスリー
- 14 ヤラえもんず
- 15 川野バンド
- 16 B.O.Y.S.
- 17 B.B.B.
- 18 Jr.Kids
- 19 J-Boys
- 20 少年新撰組
- 21 Hi! See Me IN KYOTO
- 22 MASK
- 23 TOKYO
- 24 TOKYO浜松町
- 25 翼翔組
- 26 MAIN
- 27 小トキオ
- 28 チーム未満都市
- 29 MAIKO&お国
- 30 T.O.P-J
- 31 ヤングアイドル
- 32 ヤングジャニーズ
- 33 B.I.G. West
- 34 B.I.G. East
- 35 KYOTO大原村
- 36 小キンキ
- 37 B.I.G.
- 38 B.B.A.
- 39 B.A.D.
- 40 Musical Academy WEST
- 41 FiVe
- 42 脚注
- 43 関連項目
SMAP学園
1990年にテレビ朝日『アイドル共和国』の中から生まれたグループ。SMAPのバックダンサーを務めた[1]。
- メンバー
J-Eleven
Jリーグによるサッカーブームに合わせ、1993年末に結成。しかし翌1994年いっぱいで自然消滅した。主にサッカーが得意なJr.が参加していたが、メンバーの入れ替わりは非常に流動的で、雑誌に登場する度に構成が違っていた。延べ35名(関西Jr.からは4名)が参加した。
- メンバー
-
- 佐野瑞樹、長野博、井ノ原快彦、森田剛、三宅健、大野智、町田慎吾、原知宏、国分博、小原裕貴、古屋暢一、榎本雄太、高木誠一郎、大坂俊介、秋山純、喜多見英明、中野俊介、儘田修司、小林勇太、小川直希、三山耕平、十倉太一、真庭力也、木下健明、田島俊明、金子圭悟、佐野恭平、小山雄治、梁田秀一、河内章吾、猪熊務、松田真弥、佐々木大地、山浦豊、中辻宏之、松井宏次、稲光一哉(関西Jr.)、松尾祐樹(関西Jr.)、宮本正寛(関西Jr.)、北川功一郎(関西Jr.)安田麻人
- 大谷幸生
- 三浦勉
- 5歳から児童劇団に入っていた元・子役タレント。「トップアーツプロダクト」へ移籍しバンドミュージシャンに。
- 近岡健司
- 荒畑良
- 兄はモデル兼スケートボーダーの荒畑潤一。
- 鈴木淳也
- タップダンス担当。1993年2月、ミュージカル『ギャング』出演時にスカウトされた。
- 星英徳
- 後に太田プロダクションに移籍し、「夏芽海」に改名。
Kinki Jr.
1994年結成、当時はまだ「KinKi」の表記ではない。堂本光一の歌う「HOLIDAY」でのバックダンス&コーラスグループ。交替制での4人編成グループ。
サカモト&ナガノーズ
1994年の少年隊ミュージカル『MOON』に出演した2名のJr.に対し、東山紀之が命名したコンビ。
剛健コンビ
1995年当時、人気のあった2名のJr.に対して使われた“俗称”[2][3]。「ゴーケン」と略された。
ジャニーズSr.
1995年より、ジャニーズJr.の年長組だった坂本と長野をメインボーカルに置き、サポートメンバーとして佐野・井ノ原・喜多見・原といった、Jr.内でも長身な6人で結成された。その後、徐々に代理メンバーが混ざるようになったり、新たな二代目Sr.が誕生した。
- 初代メンバー
- 初代サポートメンバー
- 初代サポートメンバーの代理メンバー
- 二代目メンバー
- 出演番組
-
- アイドルオンステージ(1995年 - 1996年、NHK BS2)[5]
プリッツジュニア
雑誌『Myojo』の1995年7月 - 9月号にかけて、以下の3名で江崎グリコのお菓子「プリッツ」の宣伝をしたことが名前の由来。
- メンバー
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- 原知宏
- 小原裕貴
- 女寺豊(関西Jr.)
ハラハラコンビ
1995年から2名のJr.に対して使われた“俗称”。別名「ハラハラブラザーズ」。
- メンバー
-
- 原知宏
- 小原裕貴
金八トリオ
実際に活動をしたのは初代と第二期のみ。それ以降はTBS系ドラマ『3年B組金八先生 』出演Jr.の総称。なお第1シリーズはたのきんトリオと呼ばれ、第2・3シリーズは人数が足りないためトリオにならなかった。
- 第五期メンバー(2007年10月 - 2008年3月、第8シリーズ)
怪談トリオ
1995年にフジテレビ系ドラマ『木曜の怪談』に出演した3人[7][8]。
W高橋
1996年、中居正広主演フジテレビ系ドラマ『勝利の女神』に出演した2人で結成。二人とも苗字が同じだったためこのように呼ばれた。
- メンバー
-
- 髙橋譲
- 高橋直気
それ行けトリオ
1996年、日本テレビ系『それ行けKinKi大冒険』で結成。後番組の『それ行けKinKi大放送』にも出演。当初は「はてなトリオ」や「冒険トリオ」という名で呼ばれていた。
ミラクルスリー
1996年夏に放送されたジャニーズJr.のスペシャル番組内で披露された。
ヤラえもんず
1996年の KinKi Kidsのコンサートにて披露された[9]、屋良朝幸をリーダーとするユニット。堂本剛ソロ曲「ラップ版ドラえもん」でのバックとして[9]ドラえもんの格好をして踊った。
川野バンド
1997年に川野・山本・小場・森近の4名で結成。メンバーの入れ替えが多く、また一人当たりの担当楽器も多岐に渡っていた。
- サポートメンバー
-
- 秋山純(キーボード、アコギ、ドラム)、尾身和樹(ギター、ベース)、鎌田淳(ベース)
B.O.Y.S.
1997年結成。「BOYS・大阪・ヤンキー・少年」の略。BOYSの前身ユニット。
- 第一期メンバー
-
- 横山裕
- 野中和久
B.B.B.
1997年結成。2000年6月には「B.B.A.(第三期)」の弟分として第二期グループが新たに作られた。正式名称は「Best Beat Boys」。
- 第一期サブメンバー
-
- 野田優也、矢代徳久、山崎哲寛、二本樹顕理、宮城智之丈
Jr.Kids
1997年結成。当時、このJr.Kidsの他に「Jr.Boya」というグループも作られる予定だったが、結局誕生しなかった。
- メンバー
-
- 野田優也、小場賢、山本真暢、岩本弘志、相沢祐輝、猪狩裕一、森近政司、二本樹顕理、矢代徳久、伴貴将、ダサリア麻巳、宮城智之丈
J-Boys
1997年結成。グループ名は「Johnny's Boys」の略。
- メンバー
少年新撰組
1997年、舞台『KYO TO KYO』('97年夏公演)の出演者として結成。
Hi! See Me IN KYOTO
1997年、舞台『KYO TO KYO』('97年夏公演)の出演者として結成。グループ名を和訳すると「京都で僕たちに会いに来て!」という意味。上記「少年新撰組」と、既存だった関西Jr.によるユニット「B.O.Y.S」の主なメンバーが合体したユニット。 原と大野以外は全員関西Jr.だった。
MASK
1997年結成。
TOKYO
1997年結成。「TOKYO浜松町」の兄貴分。舞台『KYO TO KYO』('97年秋公演)の出演者として結成。
TOKYO浜松町
1997年結成。舞台『KYO TO KYO』('97年秋公演)の出演者として。
翼翔組
1997年結成[11]。略称は「翼翔(つばしょう)」。ジャニー喜多川の「YOUたち、2人とも飛んでいきそうな名前だからいいじゃない」という提案からこのユニット名になった[11]。当時小柄だったメンバーで結成されたため、「Littleチーム」という別名でも呼ばれていた[11]。
MAIN
1997年結成[12]。。ミュージカル『Stand By Me』の出演者で結成され[11]、。ミュージカルのテーマ曲でもあった「Midnight Train」(男闘呼組のカヴァー)を劇中で揃って歌っていた[11]。
小トキオ
TOKIOの弟分でバックダンスユニット。1997年10月、フジテレビ『ねばぎば!TOKIO』内にて、8名の小学生で初代「小トキオ」を結成。その後、1998年4月には二代目も作られた。なお「小TOKIO」は誤表記。
- 初代メンバー
-
- 服部将也
- 後町優太
- 相川勇気
- 事務所部外者(一般人)
- ライモンド・アンドレア(後にスカウトされて正式に事務所入り)
- 佐々木朝、渡部祐希、北見和浩、本間健大
チーム未満都市
読み方は「チームみまんシティ」。1998年、ジャニーズJr.のコンサートにて、KinKi Kidsの楽曲「愛されるより 愛したい」を歌うために結成された。4人とも日本テレビ系ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』に出演していた。
MAIKO&お国
1998年4月に舞台『KYO TO KYO』('98年春公演・4月18日- 7月12日)の出演者として結成。グループ名はそれぞれの頭文字からとられた。国分・鎌田・尾身以外のメンバーが、当時関西Jr.。なお、女寺・清水が追加招集された。清水はそれまで下記の「T.O.P-J」のメンバーだったが、レッスン中の怪我で1998年4月〜6月にかけて療養していたため、新たにこのMAIKOチームでの復帰となった。牧山は9月6日から始まった秋公演で「T.O.P-J」へ移ったが、その後すぐに事務所を退社した。
T.O.P-J
1998年4月、原・大野・田中の3人を主要メンバーとして、舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者として結成(夏公演からサポートメンバーだった北山が加入して4人に)。なお、大野・原以外のメンバーは全員関西Jr.(当時)である。
- サポートメンバー
-
- 福原一哉、高黒徹、小川修平、武藤雅博、後藤大祐、木村廣太郎、清水大輔(レッスン中の怪我により脱退)、中嶋慶介(1998年の夏公演のみ参加)、牧山雄亮(1998年9月6日からの秋公演のみ参加)
ヤングアイドル
1998年4月に舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者として、当時の関西Jr.のメンバーによって結成(石田のみ名古屋Jr.)。「ヤングジャニーズ」と「B.I.G. West」の前身グループ。
- メンバー
ヤングジャニーズ
1998年6月5日、舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者として初お披露目された。前身グループ「ヤングアイドル」から選び抜かれた4名で結成。愛称・ヤンジャニ。2002年結成の「ヤンジャニ」とは別で、先に存在した。
B.I.G. West
1998年6月5日、舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者として初お披露目された。前身グループ「ヤングアイドル」を母体に、当時の関西Jr.のメンバーによって結成(石田のみ名古屋Jr.)。
- メンバー
B.I.G. East
1998年6月、舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者で結成された2人組ユニット[11]。B.I.G.の前身。
KYOTO大原村
1998年7月に、舞台『KYO TO KYO』('98年夏公演・7月19日 - 8月30日)の限定ユニットとして結成された。大野・原・尾身以外は当時関西Jr.。
小キンキ
1998年7月結成。KinKi Kidsのコンサートでのバックダンサーグループ。
- メンバー
-
- 福田悠太
- 宮城俊太
B.I.G.
「B.I.G. East」に新たに5人が加わり、1998年9月に7名で結成[11]。その後、B.I.G.のバックとして結成された「B.B.A.」の中から、メンバーが加入した[11]。。グループ名は「Bad Image Generation」の略[11]で、「わんぱく少年」の意味。
B.B.A.
、上記「B.I.G.」のバックとして結成[11]。。正式名称は「Boys Be Ambitious」[11]。
- 第一期追加メンバー
- 第二期結成メンバー(1999年3月 - 1999年9月)
-
- 長谷川純(リーダー、メインボーカル)
- 上田竜也
- 伊藤政氏(関西Jr.)
- 伊藤達哉
- 長谷部隼
- 高梨秀輔
- 三宅将馬
- 第三期追加メンバー
オリジナル曲
- 第二期メンバー
-
- 「この星で生まれて」
B.A.D.
1998年結成、2004年再結成、
Musical Academy WEST
1999年8月にMusical Academyのサポートチームとして結成された。1999年11月に大堀がMusical Academyに加入したため消滅。「MAO」の前身的グループ。
- メンバー
-
- 大堀治樹
- 福原一哉
FiVe
1999年5月結成。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “V6井ノ原 初雑誌撮影の全力笑顔で社長が怒「ユー!ひどいよ」”. デイリースポーツオンライン. (2017年1月12日) . 2017-5-20閲覧.
- ↑ 高橋梓 (2015年12月17日). “V6森田&三宅、NEWS手越&増田、セクゾ菊池&中島……“シンメ”の関係性にはどんな物語がある?”. Real Sound. . 2017-5-20閲覧.
- ↑ “V6三宅健 結成時に森田剛入らないならV6やらないと抗議した”. NEWSポストセブン (2014年12月1日). . 2017-5-20閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 平本淳也 (2013年9月30日). “「40歳のジャニーズJr.」佐野瑞樹が存在する理由...を平本淳也が解説”. 東京BREAKING NEWS. . 2017-5-20閲覧.
- ↑ “番組表検索結果”. NHKクロニクル. NHK. . 2018閲覧.
- ↑ “金八トリオ 麻薬・自殺未遂 重いテーマに10代が体当たり”. nikkansports.com. (2005年). オリジナルの2005年12月19日時点によるアーカイブ。
- ↑ 竹上尋子 (2016年7月16日). “嵐の活躍にタッキーは不可欠だった?櫻井翔と滝沢秀明13年ぶりの共演で見えた新たな関係性”. Real Sound. . 2017-5-20閲覧.
- ↑ こじへい (2017年5月16日). “タッキーの『怪奇倶楽部』が大人気だったあの頃……ドラマ『木曜の怪談』を振り返る (2/3)”. エキレビ. . 2017-5-20閲覧.
- ↑ 9.0 9.1 “放送内容”. 嵐にしやがれ. 日本テレビ (2014年12月13日). . 2018閲覧.
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 “ジャニーズ「翼翔組」「TOKYO浜松町」…今井翼が明かすデビュー前のJr.ユニットに「懐かしさが爆発」と話題”. モデルプレス (2017年2月16日). . 2017-5-20閲覧.
- ↑ 向原康太 (2018年5月31日). “生田斗真、TOKIOも驚愕のエリート経歴を披露 「“第2のキムタク”って書かれたんですよ」”. Real Sound. . 2018閲覧.
- ↑ “生田斗真は“旧”嵐? ジュニア時代の幻ユニットの存在を告白”. モデルプレス (2015年11月5日). . 2015閲覧.