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能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、阪神タイガースに所属する兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
Contents
経歴
プロ入り前
鳥取城北高校普通科体育コースに通い、2年夏の鳥取大会で準優勝。その後秋季県大会で優勝し、秋季中国地区大会でも4強入りしたが翌春の第69回選抜高等学校野球大会には選出されなかった。3年時は春季県大会でノーヒットノーランを達成。夏は2回戦で鳥取西高校に敗退。高校時代は川口知哉、井川慶と並んで「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれた。
高校卒業後は大阪ガスに入社して野球部に所属したが、故障が多く、熱心な大阪ガスのファンですらほとんど姿を見ることができず「幻の投手」とまで呼ばれ、本人も「5年目までやってダメだったら引退して社業に就くことを真剣に考えていた」と当時を振り返っている[1]。入社5年目の2003年から少しずつ登板数を増やし、同年11月の社会人野球日本選手権大会では好成績を残し、決勝戦で日産自動車と対戦したが、延長11回に伊藤祐樹にサヨナラ適時打を打たれ準優勝に終わった。2004年は後にプロでチームメイトとなる渡辺亮、久保康友らと共に第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出され、その後の日本選手権では野村克也監督率いるシダックス戦で野間口貴彦と投げ合い勝利、JFE西日本との決勝戦では3番手としてリリーフ登板したが、延長15回に決勝ソロ本塁打を打たれ、2年連続準優勝となった。同年秋のドラフトで阪神に自由枠で入団。
プロ入り後
2005年は開幕一軍入りを果たしたが、6月中旬に二軍降格。7月末に一軍へ再昇格し、9月には好投を続け2連勝を記録したが、シーズン防御率は5点台に終わった。二軍のウエスタン・リーグでは10試合38回を投げて41奪三振、22被安打、15与四球でWHIP0.97, 防御率1.42を記録。
2006年は開幕から交流戦まで膝の手術で離脱したジェフ・ウィリアムスに代わり左の中継ぎとして起用された。開幕10戦中にチームは4敗したが、そのうち3敗は継投失敗により能見が敗戦投手の責任を背負うというケースであった。ウィリアムスが復帰すると二軍へ降格。二軍では6試合に登板して防御率3.60だった。オフにはハワイ・ウィンターリーグに派遣され、十分な成績を残した。
2007年はメジャー移籍で抜けた井川の穴埋めを期待され先発ローテーションとしてスタートしたが、4月が終わるまでに5試合で1勝3敗と結果を出せず中継ぎに配置転換。しかし、中継ぎでもほとんどの登板で被安打を許す不安定な投球が続き、5月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦で1回5失点と炎上してからは二軍降格。この試合では福浦和也にチームとして3個目の死球を与え、その裏にロッテの藤田宗一が金本知憲に与えた死球が報復とされ乱闘となるきっかけを作った。その後、8月中旬に先発ローテーションとして一軍復帰すると4試合でプロ初完封を含む3勝と好投を続けたが、9月11日に4回途中7失点でノックアウトされると、その後2度の先発登板も5回まで投げきることができず、シーズンを終えた。二軍では7試合に登板してチームトップタイ、リーグ2位の6勝を挙げて防御率2.51, 43回で37奪三振を記録、35被安打、15与四球でWHIP1.12と安定した内容だった。
2008年は中継ぎでスタートしたが、5月7日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦でアレックス・ラミレスに本塁打性の当たりを打たれる(外野席の最前列にいた観客が打球を手でブロックしたため審判団が協議の結果二塁打となった)など成績は向上せず、11試合の登板でプロ入り後初の未勝利に終わった。二軍では29試合に登板してリーグ6位の5勝、同2位でチームトップの11セーブ、同5位の52奪三振で防御率0.83, WHIPも0.90を記録し、被安打や与四球の面でも更なる向上が見られた。
2009年は同じ左腕の岩田稔など投手陣に故障者が出た影響もあって開幕から先発ローテーション入り。6月までは打線の援護に恵まれない試合もあって負けが先行し、7月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では5回途中4失点で敗戦投手となり、その後3試合はリリーフでの登板となった。7月19日の対巨人戦で再び先発して9回を2安打無失点12奪三振で勝利投手となった後は登板した11試合全てに先発して9勝2敗と安定した投球を続け、プロ入り後初の規定投球回到達となるリーグ9位の165回を投げ、共に同4位の防御率2.62に13勝、同2位の154奪三振といずれもチームトップの成績を記録した。同年は対巨人戦で内海哲也を相手に4試合連続で投げ勝ち、広島東洋カープに対しても7試合の登板で4勝して防御率1.45と得意にした。
2010年5月2日の対巨人戦で走塁中に右足を痛め途中交代した。怪我の結果右足楔状骨の剥離骨折と診断され、登録抹消。9月9日の対中日ドラゴンズ戦で復帰、7回2失点10奪三振。9月18日の阪神甲子園球場で行われた対巨人戦で7回無失点の快投を見せ、4月24日以来の勝利を挙げた。9月29日の対巨人戦では6回1失点で6勝目を挙げるとともに、前年7月から続く対巨人戦7連勝を達成[2]。阪神投手では1979年の小林繁の8連勝に次ぐ単独2位の記録である[3]。9月に自身初の月間MVPに選ばれた。最終的には8勝無敗の成績を記録。
2011年4月12日の対広島戦で自身初の開幕投手を務め7回途中3失点で勝利投手となった。4月19日の対巨人1回戦では、球団タイ記録となる7者連続三振を挙げた。5月3日の対巨人4回戦では9回を完投し3失点で勝ち投手となり、2009年から継続中の公式戦の対巨人連勝記録を球団1位タイ記録の8に伸ばしたが、6月26日の対巨人9回戦では5回3失点で敗戦投手となり、巨人戦での連勝は8でストップした。最終的には12勝を挙げ、投球回も自身初の200イニングに到達した。
2012年3月30日の開幕戦で2年連続の開幕投手を務めた。シーズン序盤は好調だったものの、中盤は得意としていた巨人相手に3連敗を喫するなどの不振に陥った。シーズン後半から調子を上げ始め、9月は4試合で3勝1敗防御率0.55の成績で球団選定の月間MVPを受賞する活躍を見せ[4]、最終的には2年連続の二桁勝利を収めた[4]。最終戦で初回に登板し、杉内俊哉と並ぶ最多奪三振を挙げた[5]。
オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[6]候補入りした[7]。
2013年2月20日に、第3回WBC日本代表メンバー28人が発表され[8]代表入りした[9][10]。東京ドームで開催された2次ラウンドでは、代表合宿からの好調を買われて、対台湾戦の先発に起用された。2回裏までは好投したものの、3回裏に突如制球を乱すと、2死満塁から押し出し四球で先制点を献上。結局、2回3分の2・自責点1で交代した(試合は延長10回の末に4-3で日本代表が勝利)。その後、日本代表は2次ラウンドを1位で通過し3大会連続で決勝ラウンドに進出。能見は、決勝ラウンド準決勝の対プエルトリコ戦(サンフランシスコ・AT&Tパーク)において、1点ビハインドの6回表から2番手で登板した。しかし、7回表無死1塁から、アレックス・リオスに2点本塁打を許して降板(1回3分の0・自責点2)[11]。日本代表も1-3で敗れた。
レギュラーシーズンは開幕戦を回避。4月に爪が割れるアクシデントがあったが、5月6日の対巨人戦(東京ドーム)で、笠原将生からプロ初本塁打を記録。能見は打撃練習をよく行っており、金本知憲によると、以前に「1本でいいからホームランを打ってみたい」と語っていた。本人も本塁打を放ったことについて「プロで1本は打ちたいなと思っていた」と述べた。また、この試合では完投勝利し、投打での大活躍だった[12][13]。
2014年、3月28日の対巨人戦(東京ドーム)で2年振りに開幕投手を務めたが、序盤での4点リードを守れず、5回途中10被安打10失点(全て自責点)の乱調で大敗を喫した[14]。しかし、5月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)で11奪三振を記録したのを皮切りに、6月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)まで5試合連続で2桁奪三振を記録[15][16]。それまでのセ・リーグ記録であった4試合連続2ケタ奪三振(1971年・江夏豊、1994年・紀藤真琴、1995年・テリー・ブロス)を更新した[15]。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で自己ワーストの13敗を記録。防御率も3.99と4点台に迫り安定感を欠いた。しかし、チームのレギュラーシーズン3位で迎えたクライマックスシリーズ(CS)では、広島とのファーストステージ第1戦(10月12日・甲子園)で先発投手として8回無失点と好投。チームはこの試合を引き分けで終えたものの、シリーズ規定によってファイナルステージ進出が決まった。リーグ優勝の巨人と対戦したファイナルステージでは、10月18日の第4戦(東京ドーム)で先発。5回94球2失点という内容で交代すると、救援陣の逃げ切りによって勝利投手になるとともに、チームも日本シリーズ進出を果たした[17]。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、甲子園での第2戦に先発。6回2失点と好投しながら敗戦投手となった。その後は登板の機会がなく、チームも球団史上2回目のシリーズ制覇を逃した。日本シリーズの終了後は、11月11日に甲子園で催された「日本プロ野球80周年記念試合」で、阪神・巨人連合チームの先発投手としてMLBオールスターチームを2回無失点に抑えた[18]。また、レギュラーシーズン中に取得した国内FA権を行使したうえで、阪神と3年契約を結んだ[19]。
2015年は、レギュラーシーズンで自身2年振りの2桁勝利(11勝)を挙げた。その一方で前年と同じ13敗を記録し、2005年・2006年の福原忍以来となる2年連続でのリーグ最多敗戦を記録。防御率も3.72と、リーグの最終規定投球回を達成した投手では最も悪かった。クローザーの呉昇桓が故障で離脱した終盤には、中継ぎで2試合に登板したが、いずれの試合でも打ち込まれている。チームがレギュラーシーズン3位で迎えた巨人とのクライマックスシリーズでは、ファーストステージの第3戦(東京ドーム)で先発投手として5回1失点と好投。6回裏に2番手の岩田稔が2点を失うと、打線も1点を返しただけで、チームはそのまま日本シリーズ進出を逸した。
2016年は一軍公式戦全体で8勝12敗、防御率3.67をマーク。シーズンを通してローテーションを守ったものの、3年連続でリーグ最多敗戦を記録した。NPBの一軍公式戦において、同じ投手が3年連続でリーグ最多敗戦を記録した事例は、1986年から1988年までの尾花高夫(ヤクルト)以来であり、左腕では1995年から1996年に湯舟敏郎が記録した2年連続を更新、NPBの左腕では歴代最長記録となった。さらに、阪神では2012年にも岩田がリーグ最多敗戦を喫していたため、この年の能見まで4年連続で最多敗戦投手を輩出することとなった。同一チームの投手による4年連続のシーズン最多敗戦は、1995年から1999年までに続いて、球団史上2度目であり、この時に記録した投手は1995年と1996年が藪恵壹と湯舟敏郎の二年連続、1997年が川尻哲郎、1998年が中込伸と左投手の湯舟が挟んでいるが、2014年から2017年までは単独選手及び全員左腕投手での記録は初であった。シーズンの終盤には、自身と同じく先発ローテーションの一角を担っていた岩崎優に続いて中継ぎへ転向[20]。一軍の救援陣に左投手が少なかったことによる措置であったが、中継ぎ登板で1ホールドを挙げるなど好投を続けたことから、シーズン終了後にはセットアッパーへの転向も視野に調整を進めた[21]。
2017年には、岩崎を本格的にセットアッパーへ転向させるチーム方針の下で、先発に再び専念。レギュラーシーズンでは一軍公式戦での救援登板がなく、先発登板23試合で6勝6敗という成績を残した。通算の防御率は3.72ながら、4試合に登板した5月には、防御率0.43を記録するなど好調[22]。逆に、7月に3連敗を喫してからは、2ヶ月にわたって白星から見放された。それでも、レギュラーシーズンの最終登板であった9月28日の対DeNA戦(横浜)では、93球を投げた末にこの年の公式戦唯一の完投勝利を挙げている[23]。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだDeNAとのCSファーストステージ(甲子園)では、1勝1敗で迎えた第3戦(10月17日)の先発を任されたものの、1死しか取れずに3点を失って1回表の途中で降板[24]。チームはこの試合に敗れたことによって、広島とのファイナルステージ進出を逸した。
2018年は、先発投手として開幕を迎えたものの、5月までに登板した3試合で0勝2敗防御率7.53と不調が続いた[25]。また、岩貞祐太の復調、小野泰己、高橋遥人ら若手の台頭による先発投手の充実や、岩崎、高橋聡文、マルコス・マテオら中継ぎ投手陣の不調・戦線離脱などを背景に[26]、二軍での調整を経て6月から本格的にセットアッパーへ転向[27]。6月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、同点の延長11回から救援登板し、チームのサヨナラ勝利によってシーズン初勝利を記録[28]。6月28日の対横浜DeNA戦には同点の8回に登板し1回を無失点で抑えると、直後にチームが勝ち越しそのまま阪神が勝利したため、一軍公式戦通算100勝目となるシーズン2勝目を挙げた。通算100勝達成は、NPB歴代では2016年の岸孝之以来135人目[29]、阪神の生え抜き選手では1985年に山本和行が達成した以来の33年ぶりの出来事[30]。
選手としての特徴
スリークォーターのワインドアップ投法から投げる平均球速140 km/h[31]、最速151 km/h[32]のフォーシーム・スライダー・フォークボールを軸に、チェンジアップも交える[33]。決め球はフォークで、高い精度を誇る[34]。2008年までは力に頼ったフォームで投げていたが、2009年からはしっかりと腕を振ることを意識した打者のタイミングを外すフォームに改良[35]。また、2010年頃までは時折サイドスロー気味のフォームも織り交ぜ[36]、近年はスリークォーターのフォームに落ち着いている。
マウンドでは常にポーカーフェイスを貫いている。
人物
社会人野球時代に映画へ出演
社会人時代の2002年、阪神をテーマにした長嶋一茂主演の映画『ミスター・ルーキー』に、阪神が7連敗中の試合で中継ぎ登板し痛打を浴びる阪神投手という役でエキストラ出演した。その際の背番号は当時大阪ガスで着けていた「14」だったが、プロ入り後もこの番号を着けることになった。ただし、背番号の上のローマ字表記は「NOHMI」ではなく「NOUMI」だった。
「DASH! HANSHIN」の入った野村克也監督時代のユニフォームを所有し、かつ現役の阪神選手になった唯一の選手である。
専用ヒッティングマーチ制作
一軍の先発陣に定着してからは、2009年9月25日の対中日戦(ナゴヤドーム)で、中日の先発投手・吉見一起から2打席連続適時打を放ったり、2013年には前述のプロ初本塁打のほか、7月2日の対巨人戦(甲子園)で菅野智之から先制二塁打、7月27日の対DeNA戦(同)では4回裏2死満塁のチャンスにティム・コーコランから先制打を放つなど、投手として先発したセ・リーグ公式戦で3本の適時打を放っている。
阪神の投手が打席に立つ際、阪神応援団は通常、全投手共通の応援歌「投手汎用ヒッティングマーチ」を演奏しているが、2014年シーズン前に、阪神選手の応援歌を制作・管理・運営を一手に担う「阪神タイガース応援団 ヒッティングマーチ委員会」が能見専用のヒッティングマーチを制作した[37]。これは「打席では打者として評価してほしい」という能見自身から要望があったこと、また上記のような打撃面での活躍がヒッティングマーチ委員会からも評価されたことによる[38]。NPBでは、巨人とソフトバンク、西武が投手ごとに応援歌を設定しているが、球団公認の応援団が特定の投手専用の応援歌を制作するのはDeNAの三浦大輔、日本ハム時代のダルビッシュ有や大谷翔平など限られた例にとどまっている。
詳細情報
年度別投手成績
2005 | 阪神 | 16 | 12 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 1 | .800 | 293 | 64.2 | 78 | 10 | 27 | 0 | 1 | 64 | 3 | 0 | 40 | 40 | 5.57 | 1.62 |
2006 | 38 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 8 | .333 | 210 | 47.0 | 49 | 4 | 16 | 0 | 3 | 46 | 2 | 0 | 27 | 26 | 4.98 | 1.38 | |
2007 | 23 | 12 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 | 0 | 2 | .500 | 330 | 74.0 | 79 | 7 | 30 | 1 | 4 | 51 | 2 | 0 | 39 | 36 | 4.38 | 1.47 | |
2008 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 54 | 11.1 | 15 | 1 | 6 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 6 | 6 | 4.76 | 1.85 | |
2009 | 28 | 25 | 1 | 1 | 0 | 13 | 9 | 0 | 0 | .591 | 675 | 165.0 | 142 | 11 | 44 | 1 | 5 | 154 | 3 | 1 | 61 | 48 | 2.62 | 1.13 | |
2010 | 12 | 10 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 267 | 62.1 | 63 | 3 | 13 | 2 | 5 | 57 | 2 | 0 | 23 | 18 | 2.60 | 1.27 | |
2011 | 29 | 28 | 5 | 1 | 1 | 12 | 9 | 0 | 1 | .571 | 799 | 200.1 | 151 | 8 | 55 | 5 | 6 | 186 | 3 | 0 | 59 | 56 | 2.52 | 1.03 | |
2012 | 29 | 27 | 3 | 2 | 1 | 10 | 10 | 0 | 0 | .500 | 737 | 182.0 | 157 | 14 | 37 | 2 | 3 | 172 | 5 | 0 | 61 | 49 | 2.42 | 1.07 | |
2013 | 25 | 25 | 6 | 2 | 1 | 11 | 7 | 0 | 0 | .611 | 724 | 180.2 | 155 | 18 | 41 | 1 | 0 | 127 | 5 | 0 | 57 | 54 | 2.69 | 1.08 | |
2014 | 26 | 26 | 3 | 1 | 0 | 9 | 13 | 0 | 0 | .409 | 720 | 169.1 | 170 | 16 | 48 | 0 | 3 | 151 | 9 | 0 | 81 | 75 | 3.99 | 1.29 | |
2015 | 27 | 25 | 1 | 1 | 1 | 11 | 13 | 0 | 0 | .458 | 672 | 159.2 | 170 | 13 | 38 | 1 | 2 | 125 | 6 | 0 | 73 | 66 | 3.72 | 1.30 | |
2016 | 26 | 24 | 2 | 1 | 0 | 8 | 12 | 0 | 1 | .400 | 634 | 147.1 | 140 | 17 | 52 | 2 | 6 | 126 | 5 | 1 | 67 | 60 | 3.67 | 1.30 | |
2017 | 23 | 23 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 533 | 128.1 | 117 | 14 | 40 | 0 | 2 | 119 | 2 | 1 | 57 | 53 | 3.72 | 1.22 | |
NPB:13年 | 313 | 240 | 24 | 10 | 5 | 98 | 88 | 0 | 13 | .527 | 6648 | 1592.0 | 1486 | 136 | 447 | 15 | 40 | 1388 | 48 | 3 | 651 | 587 | 3.32 | 1.21 |
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- 2017年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多奪三振:1回 (2012年)
表彰
- 月間MVP:5回 (2010年9月、2011年10月、2013年5月、2013年6月、2014年4月)
- JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:2009年5月)
- オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2012年第1戦)
- セ・パ交流戦優秀選手賞:1回 (2013年)
- 第6回若林忠志賞(2016年)[39]
- サンスポMVP特別賞 (2009年)[40]
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2005年4月3日、対ヤクルトスワローズ3回戦(大阪ドーム)、4回5失点
- 初奪三振:同上、1回表に青木宣親から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2005年4月24日、対横浜ベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、5回2/3を2失点
- 初完投勝利:2005年5月8日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、9回1失点
- 初ホールド:2005年10月1日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、7回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- 初完封勝利:2007年8月18日、対広島東洋カープ16回戦(京セラドーム大阪)
- 打撃記録
- 初打点:2005年9月24日、対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、6回表に佐竹健太から二塁ゴロの間に記録
- 初安打:2009年4月4日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(京セラドーム大阪)、3回裏に由規から左前安打
- 初本塁打:2013年5月6日、対読売ジャイアンツ7回戦(東京ドーム)、6回表に笠原将生から右越ソロ
- 節目の記録
- 1000投球回:2014年4月12日、対読売ジャイアンツ5回戦(阪神甲子園球場)、2回表2死目に橋本到を三ゴロ ※史上337人目
- 1000奪三振:2014年9月5日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤドーム)、4回裏にエクトル・ルナから空振り三振 ※史上140人目
- 1500投球回:2017年5月17日、対中日ドラゴンズ8回戦(阪神甲子園球場)、5回表1死目に平田良介を左飛 ※史上176人目
- 100勝:2018年6月28日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上135人目
- その他記録
- オールスターゲーム出場:2回 (2012年、2013年)
- 7者連続奪三振:2011年4月19日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場) ※セリーグ2位タイ、球団タイ記録[41][42]
- 5試合連続2ケタ奪三振:2014年 ※セ・リーグ記録[15]
登板日 対戦チーム 球場 投球回 奪三振 5月16日 横浜DeNA 阪神甲子園球場 8 11 5月24日 ソフトバンク 福岡 ヤフオク!ドーム 6 13 5月31日 日本ハム 札幌ドーム 8 10 6月6日 オリックス 阪神甲子園球場 7 1/3 10 6月14日 埼玉西武 西武ドーム 6 10
背番号
- 14 (2005年 - )
登場曲
- BRAND NEW WORLD - D-51(2009年 - 2011年)
- 俺たちの明日 - エレファントカシマシ(2012年 - 2013年)
- 刹那 - GReeeeN(2014年 - )
代表歴
関連情報
出演
- CM
漫画
- ドカベン ドリームトーナメント編:第8巻に登場。
脚注
- ↑ 『週刊ベースボール』誌の記事より。
- ↑ 阪神・能見“巨人キラー”ぶり発揮 スポーツニッポン、2010年9月29日。
- ↑ 日刊スポーツ 2010年9月27日付紙面 猛虎データセンター
- ↑ 4.0 4.1 阪神タイガース公式サイト
- ↑ “能見初の奪三振王、阪神では6年ぶり”. 日刊スポーツ. (2012年10月10日) . 2012年10月14日閲覧.
- ↑ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
- ↑ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
- ↑ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
- ↑ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
- ↑ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
- ↑ Classic moment: Rios' homer pushes PR to final
- ↑ “能見大暴れ「高校2年以来」一発&完投2勝目”. スポーツニッポン. (2013年5月7日) . 2013閲覧.
- ↑ “能見「振ったら当たった」初HR”. 日刊スポーツ. (2013年5月6日) . 2013閲覧.
- ↑ “阪神能見まさかの10失点…4点先制守れず”. 日刊スポーツ. (2014年3月28日) . 2014閲覧.
- ↑ 15.0 15.1 15.2 “能見 セ新の5試合連続2ケタ奪三振”. 毎日新聞. (2014年6月14日) . 2014閲覧.
- ↑ “阪神:能見篤史投手 セ新記録の連続試合2桁奪三振”. 日刊スポーツ. (2014年6月14日) . 2014閲覧.
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- ↑ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 日本プロ野球80周年記念試合 打席結果・投打成績野球日本代表公式サイト (2014年11月11日) 2017年2月17日閲覧
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- ↑ [1] 能見、好救援で今季初勝利!100勝あと1も「チームのために好救援を」] スポニチアネックス 2018年6月9日
- ↑ 阪神能見100勝感謝も「あまりピンと来ない」 日刊スポーツ 2018年6月28日
- ↑ 「能見さん」ツイッターでトレンド入り 100勝達成で祝福 デイリースポーツ 2018年月28日
- ↑ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、144頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ↑ 岩貞150キロ左腕へ!台湾で手応えデイリースポーツ
- ↑ 1.02 - Essence of Baseball | DELTA Inc.
- ↑ 能見、横山にフォーク伝授 ドラ1に期待「握りも全部教える」 スポニチ Sponichi Annex、2014年12月11日。
- ↑ 『週刊プロ野球データファイル』20号、ベースボール・マガジン社、雑誌27745-8/31、10頁。
- ↑ 上手&横手、城島が操る変幻・能見 日刊スポーツ、2010年3月1日。
- ↑ 阪神タイガース応援団 ヒッティングマーチ委員会公式サイトおよび阪神タイガース背番号14 能見篤史選手ヒッティングマーチ
- ↑ 能見のマーチできた!自ら要望し実現 デイリースポーツ、2014年2月14日。
- ↑ “阪神 能見に若林賞 14年から児童施設に玩具贈る活動継続”. スポニチアネックス. (2016年11月15日) . 2016閲覧.
- ↑ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2016年11月23日) . 2017閲覧.
- ↑ https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110419-763596.html
- ↑ http://www.sanspo.com/baseball/news/20140802/tig14080205010008-n1.html
関連項目
外部リンク
- 能見 篤史 - 阪神タイガース公式サイト
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