伊藤隼太
伊藤 隼太(いとう はやた、1989年5月8日 - )は、阪神タイガースに所属する愛知県瀬戸市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
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経歴
プロ入り前
小学1年時から野球を始め、投手・遊撃手としてプレー。中学時代から外野手を務める。
中京大中京高への進学後は、1年秋からレギュラーに定着すると、2年時の秋から4番を務めた。3年生夏の全国大会には、愛知県予選決勝で愛工大名電高に敗れた。高校通算で29本塁打を記録した。野球部の2年後輩に堂林翔太がいた。
慶應義塾大学環境情報学部に進学後は、1年春から東京六大学野球のリーグ戦に出場する。2年時には、春のリーグ戦からレギュラーに定着。規定打席不足ながら、打率.345を記録した。秋のリーグ戦で4番に抜擢されると、リーグ5位の打率.326をマーク。3年春のリーグ戦では、早稲田大学1回戦で斎藤佑樹から三塁打、2回戦では福井優也から本塁打を放った。さらに、リーグトップの12打点を挙げて、チームを11季振りの優勝に導いた。4年時に主将へ任命。春のリーグ戦では、打率.405・4本塁打・17打点という好成績で、2季連続の優勝に貢献した。
その一方で、大学3年の夏には、第5回世界大学野球選手権大会の日本代表に選出。全試合で4番打者を任されるとともに、3本塁打を放った。
2011年のドラフト会議で、阪神タイガースから1巡目で指名。契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は51[1]。
プロ入り後
春季キャンプのスタートを一軍で迎えた。右手首痛を発症し、右手首のガングリオン(良性腫瘍)の穿刺(せんし)処置を受けたが、軽症であった。オープン戦では、16試合の出場で打率.154、0本塁打、1打点と不振だった。しかし、レギュラー右翼手のマット・マートンが、公式戦の開幕直前に故障で戦線を離脱[2]。 伊藤自身も、開幕直前にシアトル・マリナーズおよびオークランド・アスレチックスとの日米親善試合で2試合連続安打を記録するほどにまで復調した[3]ことから、開幕も一軍で迎えた[4]。 横浜DeNAベイスターズとの開幕戦(3月30日・京セラドーム大阪)では、「8番・右翼手」としてスタメンに起用された。阪神の新人外野手が一軍の開幕戦でスタメンに起用された事例は、1972年の望月充以来40年振りであった。もっとも、開幕カード2試合に6打席で5打数無安打3三振という結果に終わったため、マートンの復帰に伴う格好で4月2日に出場選手登録を抹消された[5]。 7月15日に再び出場選手登録。同月17日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(阪神甲子園球場)では、「7番・中堅手」としてスタメンで出場すると、5回表の打席で一軍初安打を放った[6]。 同月19日に開催のフレッシュオールスターゲームにも、ウエスタン・リーグ選抜の一員として出場した[7]。さらに、9月27日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、5回表2死満塁で迎えた打席で松井光介から満塁本塁打。一軍公式戦35打席目で、初本塁打・初打点を同時に記録した[8]。 一軍公式戦の初本塁打を満塁本塁打で記録した阪神の新人選手は、プロ野球創設年(1936年)の伊賀上良平に次いで2人目である。ただし、一軍公式戦では通算22試合の出場で打率.148、1本塁打、5打点という成績にとどまったため、11月30日には推定年俸1,400万円(100万円減)で契約を更改した。阪神にドラフト1位で入団した新人野手が、1年目に球団からの減俸提示を受けて契約を更改した事例は、球団史上初めてであった[9]。
2月26日に京セラドーム大阪で開かれたWBC日本代表との強化試合に、阪神の9番・左翼手として先発出場。5回裏の第2打席では、涌井秀章から決勝点となる先制の適時打を放った。しかし、6回表の守備で坂本勇人の打球を追って前進した際に、遊撃を守っていた上本博紀と交錯。伊藤は打球を捕球したものの、左顎部を打撲した[10]。軽症であったため離脱はしなかった。
オープン戦で好調を維持したため、公式戦では2年続けて、開幕を一軍で迎えた。4月3日にいったん登録を抹消されたが、開幕からレギュラー右翼手として出場していた福留孝介の故障・戦線離脱を機に、主に右投手が先発する試合で「8番・右翼手」としてスタメンに起用。24歳の誕生日に当たる5月8日には、東京ドームの巨人戦で、8回表に澤村拓一から0-0の均衡を破る2点本塁打を放った(試合は延長12回の末に阪神が勝利)[11]。同月後半以降は、一軍と二軍を何度も往復。7月にウエスタン・リーグの月間MVPを獲得した[12]が、一軍では2年連続で打率1割台・1本塁打に終わった。しかし、秋季キャンプでは、新任の掛布雅之ゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(2016年以降は二軍監督)からの直接指導によって打撃開眼の兆しを見せた[13]。
春季キャンプからオープン戦の序盤までは好調だった[14]が、不振に陥り3月中旬に二軍へ降格。降格直後には、教育リーグの試合中に右手の甲へ死球を受けて[15]、この影響で公式戦の開幕を二軍で迎えた。ウエスタン・リーグの公式戦では、57試合の出場でチームトップの打撃成績[15](打率.283、6本塁打、30打点)を記録。7月1日にシーズン初の出場選手登録を果たした。レギュラー中堅手の大和が故障で戦線を離脱した同月下旬からは、右投手の先発が予告されている試合を中心に、中堅手として連日スタメンに起用[16]。8月8日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)では、一軍公式戦で自身初の盗塁と猛打賞(1試合3安打)を記録した。結局、一軍公式戦では52試合に出場。打率.294、2本塁打、12打点という成績を残した。シーズン終了後には、11月11日に甲子園で開かれた「日本プロ野球80周年記念試合」に、阪神・巨人連合チームの「6番・左翼手」としてスタメンで4打数1安打を記録[17]。同月22日の契約交渉では、2年連続の減俸提示から一転して、推定年俸1,500万円(300万円増)で契約を更改した[18]。
オープン戦では、2月21日の対DeNA戦9回表に、代打でこの年のチーム第1号本塁打を記録[19]。公式戦では、開幕直後の4月14日にシーズン初の出場選手登録を果たした。登録後は、右投手相手の代打[20]や、右投手の先発が予告されている試合のスタメン(主に中堅手)として一軍公式戦で活躍。6月3日の対千葉ロッテマリーンズ戦でのヘッドスライディングで左手の親指を痛めた(診断は左手親指亜脱臼)ため、翌4日に登録を抹消された[21]が、8月14日の再登録[22]以降はシーズン終了まで一軍に帯同した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で自己最多の63試合に出場するとともに、前年と同じ本塁打数と打点数を記録。通算打率は.252ながら、代打ではチームトップの打率(.316)を残した。シーズン終了後の11月21日には、推定年俸1,700万円(200万円増)で契約を更改している[23]。
春季キャンプでは、主力選手中心の「沖縄組」に選ばれていた。しかし、キャンプインの前日(1月31日)に、現地での自主トレーニングで右肩を負傷。翌2月1日に大阪府内の病院で精密検査を受けたところ、右肩関節唇の損傷と診断された[24]。5月中旬に実戦復帰を果たす[25]と、6月15日にシーズン初の出場選手登録[26]。一軍公式戦全体では、29試合の出場で本塁打と三塁打を1本ずつ放ったものの、打率が.245にとどまった。
春季キャンプを若手選手主体の「安芸組」で過ごすと、オープン戦にも出場の機会がないまま、公式戦の開幕を二軍で迎えた。しかし、ウエスタン・リーグ公式戦では、開幕から17試合へ出場した時点で打率.356(リーグ1位)、2本塁打、10打点(いずれもチームトップ)を記録するなど打撃が好調。後に代打要員として一軍に昇格すると、昇格初日(4月15日)の対広島戦(甲子園)5回裏に代打でシーズン初安打[27]、5月19日の対ヤクルト戦(神宮)6回表に代打で石山泰稚からシーズン初本塁打を放った[28]。以降のシーズンには、一軍と二軍を往復しながらも、一軍公式戦で主に代打へ起用。8月6日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)では、1点ビハインドの7回裏に、シーズン2本目の代打本塁打を石山からの3点本塁打で記録した[29]。8月下旬から代打で(2四球を含む)11打席連続無安打に陥っていたが、9月10日の対DeNA戦(甲子園)で、6-6で迎えた9回裏2死満塁から代打に起用。プロ入り後初めてのサヨナラ安打を三上朋也から放つとともに、チームを前日の同カードに続くサヨナラ勝利に導いた[30][31]。
選手としての特徴
鋭いスイングスピードと長打力[32]に加え、遠投110メートルの強肩に50メートル走6.0秒台、一塁到達4.0秒台の俊足を備える[33]。 高校時代は『走力のある巧打の外野手』という評価だったが、大学進学後に長打力を開花させた[34]。 プロのスカウトからは「高橋由伸のタイプに近い、技術の高さが飛距離を生むタイプの打者」と評され[35]、大学時代の監督でプロ野球経験者の江藤省三[33]や、現役時代伊藤と同じ左打ちだった掛布からは、広島東洋カープから阪神へ移籍した当初の金本知憲に例えられている[13]。
打席での集中力の高さが特徴。伊藤自身は、「どの打席でも無心でいること」を理想に挙げている[34]。特に、大学3年秋のリーグ戦優勝決定戦で迎えた打席では、「完全に集中していました。独特な雰囲気の中で冷静に球種を感じ取ることができた」という[33]。ちなみに、阪神入団後の一軍公式戦でも、2014年・2015年・2017年に代打で本塁打を放っている。
黒田博樹や前田健太が広島に在籍していた時期には、2人との相性が良く、どちらかの投手が先発する試合にスタメンで起用されることも多かった。2015年4月25日の対広島戦(マツダスタジアム)では、自身のシーズン初本塁打となる2点本塁打を放つ[36]など、黒田から3打席連続で安打を記録[37]。 シーズン通算でも、7打数4安打(打率.571)という成績を残した。前田に対しても、2014年に7打数5安打(打率.714)[38]、2015年に11打数3安打(打率.273)を記録している。
課題は外野の守備とされる。2014年WBC日本代表の強化試合で浅いフライを追って上本と激突。一軍の公式戦での出場機会が増えるにつれて、打球に対する反応や判断の遅れが目立つようになった[39]。 24歳のバースデーアーチを放った試合(東京ドームでの巨人戦)でも、アーチを放った直後の9回裏に2度のミス(記録はファウルと坂本の三塁打)で同点に追い付かれることもあった。試合後には「(自分の守備が)下手くそなだけです。ああいうこと(右翼守備でのミス)をしていたら試合に出るチャンスがなくなる」という自責のコメントを残した[40]。しかし、阪神への入団以降、一軍公式戦での失策は同年に記録した1のみにとどまっている(2016年終了時点)。
人物
高校時代には評定平均4.8を残すなど学業でも優秀な成績を修めた[33]。
阪神への入団1年目から3年続けて、ライバルチーム・巨人の外野手だった高橋由伸(2016年から一軍監督)の自主トレーニングへ参加していた[23]。
大学時代にチアリーダーとして活躍していた同級生の女性と、在学中から6年間交際した末に、阪神入団後の2015年12月23日付で結婚を発表した[42]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | 阪神 | 22 | 56 | 54 | 2 | 8 | 1 | 0 | 1 | 12 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 18 | 0 | .148 | .179 | .222 | .401 |
2013 | 30 | 71 | 62 | 8 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 4 | 0 | 2 | 2 | 0 | 6 | 0 | 1 | 19 | 0 | .145 | .232 | .210 | .442 | |
2014 | 52 | 131 | 119 | 13 | 35 | 6 | 1 | 2 | 49 | 12 | 1 | 0 | 1 | 3 | 7 | 0 | 1 | 26 | 1 | .294 | .331 | .412 | .743 | |
2015 | 63 | 150 | 135 | 10 | 34 | 7 | 0 | 2 | 47 | 12 | 0 | 1 | 1 | 3 | 11 | 0 | 0 | 31 | 0 | .252 | .302 | .348 | .650 | |
2016 | 29 | 54 | 53 | 2 | 13 | 0 | 1 | 1 | 18 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | .245 | .259 | .340 | .599 | |
2017 | 73 | 73 | 69 | 9 | 18 | 2 | 0 | 2 | 26 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 16 | 1 | .261 | .301 | .377 | .678 | |
NPB:6年 | 269 | 535 | 492 | 44 | 117 | 17 | 2 | 9 | 165 | 46 | 1 | 6 | 4 | 6 | 31 | 0 | 2 | 121 | 2 | .238 | .282 | .335 | .618 |
- 2017年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2012 | 阪神 | 17 | 24 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 25 | 45 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 33 | 57 | 2 | 1 | 0 | .983 | |
2015 | 50 | 52 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 15 | 19 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 145 | 200 | 4 | 1 | 0 | .995 |
- 2017年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初先発出場:2012年3月30日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(京セラドーム大阪)、8番・右翼手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に高崎健太郎から空振り三振
- 初安打:2012年7月17日、対読売ジャイアンツ14回戦(阪神甲子園球場)、5回裏にディッキー・ゴンザレスから右前安打
- 初本塁打・初打点:2012年9月27日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、5回表に松井光介から右越満塁本塁打
- 初盗塁:2014年8月8日、対広島東洋カープ14回戦(京セラドーム大阪)、4回裏に二盗(投手:前田健太、捕手:石原慶幸)
背番号
- 51 (2012年 - )
登場曲
- 「Born to Be Wild」 - Steppenwolf (2012年)
- 「Troublemaker」 - 嵐 (2013年 - 2014年)
- 「Immortals」 - Fall Out Boy(2015年)
- 「1sec.」 - 10-FEET (2016年)
- 「Tonight The World Is Mine.」 - Herman (2017年 - )
代表歴
関連情報
出演
- CM
脚注
- ↑ “虎のイチロー誕生!伊藤隼、背番「51」”. SANSPO.COM (2011年11月23日). . 2011閲覧.
- ↑ “マートン開幕アウト…長期離脱も”. 日刊スポーツ. (2012年3月21日) . 2016閲覧.
- ↑ “隼太、40年ぶり新人外野手開幕スタメン”. 日刊スポーツ. (2012年3月27日) . 2016閲覧.
- ↑ “出場選手登録について”. 阪神タイガース (2012年3月28日). . 2012閲覧.
- ↑ “隼太2軍降格 和田監督「頑張ってこい」”. 日刊スポーツ. (2012年4月2日) . 2016閲覧.
- ↑ “【阪神】ドラフト1位隼太プロ初安打!”. 日刊スポーツ. (2012年7月17日) . 2016閲覧.
- ↑ “フレッシュオールスターMVPに中谷選手”. 阪神タイガース (2012年7月20日). . 2016閲覧.
- ↑ “隼太プロ1号 満塁で決めた”. 日刊スポーツ. (2012年9月28日) . 2016閲覧.
- ↑ “隼太100万減、虎ドラフト1位初の1年目ダウン”. 日刊スポーツ. (2012年12月1日) . 2016閲覧.
- ↑ “上本、左足首の靱帯損傷…和田監督は「時間がかかりそう」”. スポーツニッポン. (2013年2月28日) . 2013閲覧.
- ↑ “阪神伊藤隼、先制1発のち拙守2連発”. 日刊スポーツ. (2013年5月9日) . 2013閲覧.
- ↑ “富田、伊藤隼がファーム月間MVP”. 日刊スポーツ. (2013年8月7日) . 2013閲覧.
- ↑ 13.0 13.1 “阪神掛布DC 伊藤隼は金本になれる”. 日刊スポーツ. (2013年11月21日) . 2014閲覧.
- ↑ “【阪神】隼太“覚醒”マルチ!師匠・掛布DCも太鼓判”. スポーツ報知. (2014年3月2日) . 2014閲覧.
- ↑ 15.0 15.1 “阪神伊藤隼初昇格「やってやるぞ、と…」”. 日刊スポーツ. (2014年7月1日) . 2014閲覧.
- ↑ “ウル“虎”の夏や!今こそ変身!!隼太、レギュラー「放さない」”. サンケイスポーツ. (2014年7月29日) . 2014閲覧.
- ↑ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 日本プロ野球80周年記念試合 打席結果・投打成績 野球日本代表公式サイト
- ↑ “虎伊藤隼ぶちまけ100分交渉、300万増更改”. 日刊スポーツ. (2014年11月22日) . 2016閲覧.
- ↑ “虎オープン戦1号は伊藤隼 代打で2ラン”. 日刊スポーツ. (2015年2月22日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神伊藤隼、満を持して今季初1軍 左の切り札だ”. 日刊スポーツ. (2015年2月22日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神伊藤隼が左手親指亜脱臼「治療に専念する」”. 日刊スポーツ. (2015年6月5日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神が梅野、伊藤隼を一軍登録、秋山、中谷を抹消”. 日刊スポーツ. (2015年8月14日) . 2016閲覧.
- ↑ 23.0 23.1 “阪神伊藤隼、慶大先輩の巨人高橋監督が嫌がる選手に”. 日刊スポーツ. (2015年11月21日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神伊藤隼は右肩関節唇損傷 長期離脱も”. 日刊スポーツ. (2016年2月1日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神・隼太、復帰即ダ~ン!高山ら若手外野争いに殴り込みや”. サンケイスポーツ. (2016年5月18日) . 2016閲覧.
- ↑ “オリックス・クラークら登録/15日プロ野球公示”. 日刊スポーツ. (2016年6月15日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神・伊藤隼太が昇格即結果打 能見の気迫「意気に」”. 日刊スポーツ. (2017年4月16日) . 2017閲覧.
- ↑ “阪神 代打・伊藤隼が反撃の1号ソロ「初球から思い切って」”. デイリースポーツ. (2017年5月19日) . 2017閲覧.
- ↑ “阪神・伊藤隼太が代打逆転3ラン 一振りで存在感”. デイリースポーツ. (2017年8月6日) . 2017閲覧.
- ↑ “阪神2試合連続サヨナラ勝ち、9回伊藤隼太V打”. 日刊スポーツ. (2017年9月10日) . 2017閲覧.
- ↑ “隼太 プロ初サヨナラ打! 連夜の劇勝でCSへ収穫”. 日刊スポーツ. (2017年9月11日) . 2017閲覧.
- ↑ ドラフト候補プロフィール スポーツナビ
- ↑ 33.0 33.1 33.2 33.3 ドラフト候補&監督直撃インタビュー『野球小僧』2011年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、174-175頁。
- ↑ 34.0 34.1 34.2 『アマチュア野球 vol.30』 日刊スポーツ出版社、2010年、18-19頁。ISBN 978-4-8172-5509-9。
- ↑ 『野球小僧』2011年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、59頁。
- ↑ “阪神伊藤隼、黒田から今季1号”. 日刊スポーツ. (2015年4月25日) . 2016閲覧.
- ↑ “伊藤隼 黒田から3連続ヒット「いきなり結果ビックリ」”. 日刊スポーツ. (2015年4月26日) . 2016閲覧.
- ↑ “阪神伊藤隼キラーぶり発揮、広島前田から右前打2本”. 日刊スポーツ. (2015年8月27日) . 2016閲覧.
- ↑ “隼太、24歳バースデー弾もホロ苦拙守”. デイリースポーツ. (2013年5月9日) . 2013閲覧.
- ↑ “伊藤隼 複雑な24歳誕生日、先制2ラン放つも拙守にがっくり”. スポーツニッポン. (2013年5月8日) . 2016閲覧.
- ↑ 『アマチュア野球 vol.31』 日刊スポーツ出版社、2011年、1100 -101頁。ISBN 978-4-8172-5513-6。
- ↑ “阪神伊藤隼が元慶大チアと結婚発表「守るべき存在」”. 日刊スポーツ. (2016年1月17日) . 2016閲覧.
関連項目
外部リンク
- 伊藤 隼太 - 阪神タイガース公式サイト