狭軌

提供: miniwiki
移動先:案内検索
軌間
軌間の一覧
Graphic list of track gauges

最小軌間
  15インチ 381 mm (15 in)

狭軌
  2フィート、600 mm 597 mm
600 mm
603 mm
610 mm
(1 ft 11 12 in)
(1 ft 11 58 in)
(1 ft 11 34 in)
(2 ft)
  750 mm,
ボスニア,
2フィート6インチ,
800 mm
750 mm
760 mm
762 mm
800 mm
(2 ft 5 12 in)
(2 ft 5 1516 in)
(2 ft 6 in)
(2 ft 7 12 in)
  スウェーデン3フィート
900 mm
3フィート
891 mm
900 mm
914 mm
(2 ft11 332 in)
(2 ft 11 716)
(3 ft)
  1m軌間 1,000 mm (3 ft 3 38 in)
  3フィート6インチ 1,067 mm (3 ft 6 in)
  4フィート6インチ 1,372 mm (4 ft 6 in)

  標準軌 1,435 mm (4 ft 8 12 in)

広軌
  ロシア軌間 1,520 mm
1,524 mm
(4 ft 11 2732 in)
(5 ft)
  アイルランド軌間 1,600 mm (5 ft 3 in)
  イベリア軌間 1,668 mm (5 ft 5 2132 in)
  インド軌間 1,676 mm (5 ft 6 in)
  ブルネル軌間 2,140 mm (7 ft 14 in)
軌間の差異
軌間不連続点 · 三線軌条 · 改軌 ·
台車交換 · 軌間可変
地域別
軌間の分布を示した地図
このテンプレートを: 表示ノート[ 編集][ 履歴]

狭軌(きょうき、Narrow gauge)は、鉄道線路のレール間隔をあらわす軌間標準軌の1,435mm(4フィート8.5インチ)未満のものを指す。

概要

ファイル:CombinedTrack.jpg
標準軌(青)と狭軌(赤)の幅の比較

元々「狭軌」は相対的な言い方であり、4ft8in(1435mm)軌間もイギリスで1846年に勅裁された「鉄道のゲージ規制に関する法律」ができる前は(2m以上あるブルネルの軌間に比べれば狭いので)「標準」ではなく、決められた後も1850年代までは「狭軌」と普通に呼ばれており1870年ごろまでもこの呼称が使われていた。 [1]

日本の場合も、国鉄標準が1067mm軌間であるため、これを特に狭軌と呼ばずに1435mm軌間の方を「広軌」と呼ぶケースがあり[注釈 1]、逆にさらに狭いところ(主に762mm軌間)は国鉄では「特殊狭軌」と呼び、例として日本国有鉄道(国鉄)の中で国有化買収路線のなかに存在した762mm軌間の路線については特殊狭軌線と呼ばれ、私鉄でも三岐鉄道北勢線や四日市あすなろう鉄道内部線などの現存する該当路線に対してこの呼称がある。
(なお、特殊狭軌線と軽便鉄道は混同されやすいが、軽便鉄道は規格がゆるい軽便鉄道法で設立された鉄道で軌間とは直接関係ない[注釈 2]。)

性質

意図的に狭い軌間を選択する鉄道は元々機関車さえもない時代の人力や家畜動力のトロッコのような路線から生まれ、こうして鉱山などで使う小さな車両はホイールベースや軌間が小さくても不安定ではないし、むしろ急カーブ(障害物をよけれるのでトンネルなどの施設費用を抑えられる)を曲がりやすくなって好都合であったため、機関車が開発されてからも鉱山鉄道[2]線路施設が簡易的なもので済むことから、木材の伐採が終わったら線路は移動しなくてはならない森林鉄道に採用例が多い。

また、枕木・砂利などの道床にかかるコストも最低限軌間分の幅は必要なので、標準軌なら「1435mm+レールの厚みや余裕分」の枕木が必要でも狭軌ならそれだけ短縮できる(逆に狭軌で広い道床を使うことは可能)ため、より低規格・低コストの路線を作ることが可能であるため、第一次世界大戦時には、同盟国と連合国の双方とも前線での輸送用に狭軌の鉄道を盛んに建設した。戦後のヨーロッパでは、その資材を流用した狭軌鉄道が一時流行した。

主な狭軌

  • 381mm(15インチ)
  • 508mm(20インチ)
  • 597mm
  • 600mm
  • 610mm(24インチ=2フィート)
  • 750mm
  • 762mm(30インチ=2フィート6インチ)「ニブロク」、「特殊狭軌」
  • 800mm
  • 914mm(3フィート)
  • 1000mm「メーターゲージ」
  • 1067mm(3フィート6インチ)「三六軌間」「サブロク」
  • 1372mm(4フィート6インチ)「馬車軌間」

このうち幹線鉄道に用いられるのは914mm以上のもので、英語では「medium gauge」とも呼ばれる。日本などイギリスから鉄道技術を導入した国では1067mmが主に用いられ、フランスなどのヨーロッパ大陸諸国の影響下の国では1000mmが、アメリカ合衆国の影響下にあった国では914mmが用いられる傾向にある。

なお、営業用として運行される鉄道で最も狭いゲージは381mm(15インチ)で、イギリスのロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道が有名である。日本の静岡県伊豆市修善寺にある虹の郷には、この鉄道と同規格の車両による園内路線が敷設・運行されている。

三六軌間(1067mm(3フィート6インチ))

後述するように、日本で多く用いられている軌間は1,067mmであり、一般に「三六軌間」と呼ばれている。3フィート6インチから来たものである。

ドイツでは、この軌間を最初に用いたノルウェー人カール・アブラハム・ピルのイニシャルにちなみ、Kapspur(ドイツ語:CがKに書き換えられている)と呼ばれている。

また、英語ではケープ植民地(後の南アフリカ)で用いられたことから「Cape gauge」と呼ばれるほか、カール・アブラハム・ピルのあだ名にちなんで「CAP gauge」とも呼ばれる。イギリス帝国の植民地で広く持ちいられたことから、「イギリス帝国軌間」 (British imperial gauge) という呼称も存在した。

日本の三六軌間

日本で3ft6in軌間を選択した理由について「イギリスから植民地扱いされていた」や「山が多いから急曲線に強い」という説がしばしばいわれるが両説とも穴があり、前者は1860年代後半から1870年代初頭までイギリス本土でも新規路線に限らず既存路線も狭軌化した方が経済的(既存の客車や貨車は大きすぎ重量過多で小型化した方がよい。技術革新で狭軌でもこれに十分な機関車は製造できるなど。)という説が提唱されており、フェアリー式関節式機関車の開発者であるロバート・フランシス・フェアリーは1870年9月の英国学術協会の会合で「西海岸本線のLNWRの路線を4ft8in軌間から3ft軌間にしても同じ貨物輸送が可能で車両を小型化できる分コストは半分に抑えられる。」という説を上げている[3]

後者についても、日本の路線は急曲線・急勾配どころかむしろ緩やかで、昭和4年の線路等級制定以前は本線は一律半径300m以上・勾配は25‰以下[注釈 3](等級制定後の甲線と同じ)であり、同じ軌間の(あるいは軌間だった)ノルウェーと南アフリカの最小半径が150mと100mだが、日本の場合はこれはのちに制定された線路等級で認められた一番程度が低い簡易線(本線半径160m以上)以下になる[注釈 4]、また、当初導入された機関車もノルウェー・クイーンズランド(オーストラリア)・ニュージーランド・インドの3ft6in軌間の路線では動輪直径が3ftほどなのに対し、日本は4ftから4ft6inと大きく(機関車自体も大きい)、先従輪が付いていても固定でホイールベースが長いことからも急曲線通過のために狭軌採用ではないことが読み取れる[4]

イギリスもゲージ法で1435mmが「標準」になり一時他の軌間施設が認められなくなったが、日本では明治33年の私設鉄道法第40条に「軌間は特例を除き三尺六寸に限る」と明記されていた[注釈 5]ため国鉄だけではなく私鉄を含めてこれに定められた1067mm軌間が日本の標準になったが、軌道法は軌間制限が特になかったため特に近畿地方の私鉄ではこれを拡大解釈して標準軌の専用軌道を敷設した路線がいくつもある他、東京でも馬車鉄道から開業した東京馬車鉄道(現在の東京都電車)などは1372mm軌間(後述)であった。 その後、軌間以外も規制が厳しすぎたことで私鉄が作られなくなったため、1910年に基準の緩い軽便鉄道法が施行され、これやこの後継に当たる地方鉄道法(1919年)では異なる軌間を認めていたので下限の762mm軌間(多数)から標準軌の1435mm軌間(新宮軽便鉄道や塩江温泉鉄道など)までのさまざまな軌間が建設されている。

なお、国有鉄道では鉄道院時代に総裁後藤新平の指示で島安次郎らによって標準軌への改軌の技術的な検討もされたりしたが、改軌は狭くする方が容易だが広くするのは難しく(短期間で広げた例としては満鉄の最初期に1年間で3ft6inを4ft8inにした事はあるが、これは元々ロシアが5ft軌間で敷いた広軌を日露戦争中に日本の機関車を使えるように軌間が3ft6inになるようにレールを中央にずらして敷きなおしたのをまたずらしたものであり、元を手繰るとむしろ狭軌化である。)、島自身もなるべく改軌中のゲージ分断による悪影響が出ないように配慮するなどの具体案を研究したものの、膨大な経費の壁は政党間の政争の具となり、1919年に原内閣によって路線網を広げる方を優先(建主改従)、幹線の輸送力増大は狭軌のまま補強(強度狭軌)するとされ、ここで改軌の根を完全にたたれた[5]。(日本の改軌論争も参照。)

その後、未完に終わったが既存路線と無関係に施設される弾丸列車計画においては車両限界や軸重などしがらみもなく[注釈 6][6]、満鉄などのような大きな車両限界をもった標準軌で建設される予定で、戦後の新幹線計画はこれの流れを組むため国鉄で初めて標準軌で建設された。

1,067mm軌間を採用する主な路線は次の通り。

日本以外の三六軌間

1,067mmの軌間を採用する国・地域の例は次の通り。

アメリカ合衆国では、サンフランシスコのケーブルカーがこの軌間で現存している他、1963年まで存在したロサンゼルスの市街電車や、1950年まで運行されていたデンバーの市街電車の軌間が1,067mmであった。

ノルウェースウェーデンでは19世紀に1,067mm軌間の鉄道網が作られたが、後に改軌された。カナダニューファンドランド島には1988年まで1,067mm軌間の鉄道が存在した。

馬車軌間(1372mm(4フィート6インチ))

この他の日本の狭軌線には1,372 mm(4フィート6インチ)軌間がある。その出自から馬車軌間とも呼ばれ、標準軌・旧国鉄採用軌間とも違うことや使用線区の特殊性から偏軌変則軌道とも言われる。東京とその周辺では一時広く採用されたのに対し、日本国内のみならず世界的に見ても、東京以外での使用例がきわめて少ないことから、これを東京ゲージと呼ぶ鉄道史家もいる[7][8]。かつてスコットランドの一部で採用されていた[注釈 7]ため、英語ではスコッチ・ゲージScotch gauge)と呼ばれる。

日本国内では東京馬車鉄道1882年(明治15年)の開業時から使用した[9][注釈 8]。東京電車鉄道と改称して動力を電気に改めたが軌間はそのまま引き継ぎ、同じ東京市内で開業した東京市街鉄道と東京電気鉄道も1,372 mm軌間であった。三社を合併して東京鉄道と改称した後、東京市に買収されて東京市電気局の運営による東京市電(のちの東京都電)に引き継がれ、東京市電への乗り入れや中古車両の購入を視野に入れた同業他社も1,372 mm軌間を採用した。

2017年(平成29年)現在、日本国内で1,372 mm軌間を採用している鉄道及び軌道事業者によって運営する路線には次のようなものがある。

都市高速鉄道としては京王電鉄、都営地下鉄新宿線のみ採用している。特に京王電鉄については、その創業期に東京市電への乗り入れを計画したことや、軌道法により敷設を始めたことなどから1,372 mmを採用し、地方鉄道として開通させた旧玉南電気鉄道区間(府中駅 - 東八王子駅間)では京王電気軌道への合併後に1,067 mmから1,372 mmへの改軌も行ったが、東京市電乗り入れは実現しなかった。1945年(昭和20年)、京王線が軌道法から地方鉄道法による鉄道に変更してからも馬車軌をあたため続けた。後に都営新宿線を建設する際、都が相互乗り入れを予定している京王帝都電鉄(当時)に対して1,435 mmへの改軌を迫ったが、営業運転を継続しながら改軌に成功した1950年代の京成に比べ、1970年代の京王線のダイヤと車両数では営業を続けながらの改軌工事が不可能であったことなどから京王帝都の言い分が関係各所に受け入れられ、都営新宿線の方が京王に合わせて1,372 mm軌間を採用したという経緯がある。これで都営地下鉄は乗り入れ先の都合で三種類の軌間を有することとなり、三路線全てが異なる軌間となった[注釈 9]日本の改軌論争も参照のこと。

過去の例としては以下の鉄道事業者・路線がある。

  • 京浜急行電鉄は、その前身である京浜電気鉄道時代の一時期(1904年〈明治37年〉 - 1933年〈昭和8年〉)に、1,372 mm軌間へと改軌し、東京市電に乗り入れていた。
  • 京成電鉄では都営地下鉄1号線(現浅草線)乗り入れ前の1959年(昭和34年)に、標準軌へ改修するまで採用していた。王子電気軌道(現在の都電荒川線)への乗り入れを構想していたためである。
  • 京成の子会社の新京成電鉄は、1947年(昭和22年)に1,067 mmで開業した後の1953年(昭和28年)に京成と合わせて1,372 mmに改軌し、さらに京成と同じく1959年(昭和34年)には標準軌に改軌している。開業時に1,067 mmを採用した経緯については、新京成電鉄新京成線を参照。
  • 現在の東急世田谷線の本線に当たり、1969年(昭和44年)に廃止された東急玉川線は、多摩川の河川敷から都心に砂利を輸送する目的も持っており、渋谷から東京市電に乗り入れるためこの軌間とされた。
  • 横浜市交通局横浜市電)、1972年(昭和47年)廃止。
  • 西武鉄道(旧)大宮線。東京市電の払い下げ車を使用していた。並行して省線川越線が開通したため、1941年(昭和16年)に廃止。

その他の馬車軌間

特殊狭軌

日本で1,067mm未満の軌間を採用している路線で、現存するものには次のものがある。

かつて存在した路線は非常に多く、第二次世界大戦中に不要不急路線として廃止されたもの、1960年代前後に道路交通の整備により役目を終えて廃止されたものがあった。なお、国有鉄道に存在した特殊狭軌線については国鉄の特殊狭軌線を参照。

日本国内の鉱山では610mm軌間のものが多い。坑内では508mmを採用していた所もあるようである。工事現場で使用された手押しトロッコの軌間には主に610mmと508mmであり、機関車を用いた工事用軌道は610mmと762mmが多い。

日本における狭軌の保存鉄道

注釈

  1. 弾丸鉄道計画など
  2. 軽便鉄道法は762mm以上軌間があればよいため、下限であるこの軌間の鉄道も多いが、西大寺鉄道(914mm)や新宮軽便鉄道(1435mm)などの例もある。
  3. 国有鉄道建設規定(大正十年十月十四日)には、第十三条「本線における曲線の最小半径は三百メートル以上たることを要す」、同じく第十四条「本線路における勾配は千分の二十五より急ならざることを要す」とある。(『官報1921年10月14日』P.2)国立国会図書館デジタルコレクションより
  4. 『蒸気機関車200年史』P148では「簡易線の最小半径が300m」とあるが「甲線」の誤記か直径と半径の誤りと判断。
  5. この制限は、後で政府が私鉄を買い上げて国有鉄道に一体化することを前提としていたからである。また、国有鉄道が狭軌であることから、貨物輸送を行う場合は貨車の直通が不可能になることを避ける目的もある。
    この法律そのものは明治33年施行だが、明治20年の私設鉄道条例にすでに私鉄の軌間も三尺六寸規定の説明がある
  6. 島が改軌論争の頃に描いた標準軌機関車の計画はイギリスの車両限界を参考にしていたらしくアメリカどころかヨーロッパ大陸の機関車と比べても一回り小さく、軸重に至っては14.37tと強度狭軌後の日本の機関車と比べても低い。
  7. 1846年の法整備によってブリテン島の軌間が標準軌に統一されたため、スコットランドに1,372mm軌間の実用鉄道は現存していない。
  8. 1897年(明治30年)開業の品川馬車鉄道は767 mmあるいは737 mmとされる。1899年(明治32年)に東京馬車鉄道は品川馬車鉄道を合併し、動力を電気に改めるにあたり1,372 mmに改軌した。
  9. 後に開通した大江戸線は浅草線と同じ標準軌であるが、リニアモーター駆動によるミニ地下鉄であるため、浅草線と車両の互換性はない。

出典

  1. 齋藤(2007) p.70・117
  2. 齋藤(2007) p.118
  3. 齋藤(2007) p.142-144
  4. 齋藤(2007) p.148
  5. 齋藤(2007) p.247-248
  6. 齋藤(2007) p.248-249
  7. 加藤新一「『東京ゲージ』をめぐる鉄道史」、『地理』第41巻11号(通巻491号)、古今書院1996年11月、 48-53頁、 NAID 40002447064
  8. 宮田道一、広岡友紀 『東急電鉄まるごと探見 歴史・路線・運転・ステンレスカーJTBパブリッシング、2014年3月。ISBN 978-4-533-09630-3。
  9. 和久田康雄『日本の市内電車 -1895-1945-』成山堂書店、2009年、29頁。

参考文献

  • 齋藤晃 『蒸気機関車200年史』 NTT出版、2007年。ISBN 978-4-7571-4151-3。

関連項目

外部リンク