金貨
金貨(きんか)とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。
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特徴・変遷
金は、
- 美しい黄色の光沢を放ち、見栄えがいいこと
- 希少性があり偽造が難しいこと
- 柔らかく加工しやすいこと
- 化学的に極めて安定しており、日常的な環境では錆びたり腐食したりしないこと
などの理由で、古来、世界各地で貨幣の材料として使用されてきた。例えば古代ローマのソリドゥス金貨などである。
ただし、純粋な金は、流通を前提とした硬貨として使用するには柔らかすぎるため、通常は、銀や銅などの他の金属との合金が用いられる。古代社会においては、エレクトラムと言われる、金、銀、白金などの自然合金が用いられた。近代社会では、日本やアメリカ合衆国を始め、一般的には90%の金と10%の銀または銅の合金が用いられた。イギリスでは、22カラット(金91.67%)の標準金と呼ばれる合金でソブリン金貨が、1817年から本位金貨として鋳造された。また、流通を目的としない近年の地金型金貨、収集型金貨には純金製の物も存在する。
中世の西欧では長らく銀本位制で銀貨が鋳造されていたので金貨が鋳造されず、東方との貿易などで得られる東ローマ帝国(ビザンツ)のノミスマ金貨(ビザント)やイスラム圏のディナール金貨が使用されるのみだった。ところが十字軍を契機に金貨への関心を強め、ラテン帝国で金貨を鋳造し始めたのを皮切り1252年のフィレンツェ共和国でフローリン金貨を、ジェノヴァ共和国がジェノヴァ金貨(Genovino)を、ヴェネツィア共和国で1284年にゼッキーノ金貨(ドゥカートまたはダカット:Ducat)と呼ばれる金貨が鋳造された。フローリン金貨とゼッキーノ金貨この2つの金貨が優劣を競った。これらの金貨はともに品位は.875で、56グレーン(54トロイグレーン)の量目を有していた。ドゥカート金貨はその後も現在に至るまで発行が続けられ(もちろん現在は収集用であるが)、近代になってからは、より純度の高い.986という品位で鋳造されている。
金貨の世界的な流通は、やがて「金製の貨幣」としての貨幣価値にとどまらず、金という物質そのものと経済を連動させる金本位制に発展した。この金本位制は1816年にイギリスで世界最初に確立された。
金本位制が崩れた現在、法定の平価に相当する額面価値分の金を含有した本位金貨は発行されていない。
現在発行されている金貨は、以下のいずれかに分類される[1]。
- 通貨型金貨
- 金融機関において額面で両替により発売される。額面は金地金の価格より高く設定され、補助貨幣的な性格を有する。日本では10万円の記念金貨(天皇陛下御在位60年記念10万円金貨)がこの形式で発売されたが、世界的にはほとんど例を見ない。
- 地金型金貨
- 含有する金地金の市場価格に若干プレミアムをつけて発売され、市場価格に連動して時価取引される。額面は金地金の価格より低く設定される。南アフリカ、カナダ、中国およびアメリカなど主要な産金国を中心に発売されている。
- 収集型金貨
- 金地金の価格および額面を超える固定価格で発売される。額面は金地金の価格より低く設定される場合が多い。市場における取引価格は収集家、あるいは貨幣商の間の市場価格により決まる。オリンピック大会など国家的な行事を記念して発売されることが多い。
世界でかつて発行された金貨の金品位はさまざまであるが、中には金品位が50%を下回るものも存在する。日本で江戸時代に発行された万延二分金、明治二分金、天保二朱金、万延二朱金、文政一朱金など、特に金品位が低く、金よりも銀の方が含有率の高いものは、現代の海外の貨幣市場では銀貨扱いとされることも多い。
日本における変遷
前近代
日本では、淳仁天皇の天平宝字4年(760年)に開基勝宝(かいきしょうほう)という金銭が発行されている。1枚で、銀銭10枚に相当させている(『続日本紀』)。しかし金銀銭は実際には殆ど流通せず、中世まで金銀は秤量貨幣として通用しており、砂金のままで使用されることも多かった。産地の偏在から、銀が西日本中心に使用されたのに対し、金は東日本中心に使用された。
金は銀に先駆けて定位貨幣として整備されていった。戦国時代には、甲州金が発行された。流通貨幣ではないが、豊臣秀吉が作った天正大判は、表面積が世界最大級の金貨である(2004年10月に1000トロイオンスのウィーン金貨が発売されるまでは世界一だった)。
江戸時代に入ると本格的な全国流通を前提とした小判、一分判など定位金貨の発行が幕末期まで継続し、当初は秤量貨幣として発足し江戸時代末期になってようやく定位銀貨が受け入れられてきた銀貨とは対照的である。
近代の本位貨幣
明治時代に導入された通貨単位の圓(円)は金の量目をもって規定され、1871年から1・2・5・10・20円金貨が発行された。国立銀行券や日本銀行券などの紙幣は兌換紙幣として、金貨との引換保証によって価値を担保した。ただし実際には引当金貨が充分でなかったり、あるいは法令で金兌換が停止されたりすることが多く、必ずしも実質的に兌換が保証されていたわけではない。その後1897年の貨幣法による新金貨は、金重量を半減した5・10・20円金貨のみとなり、旧金貨は倍額面での通用とされた。新金貨は昭和初期の金解禁停止に伴う兌換停止まで製造発行された。以後、本位金貨の発行はない。これらの新旧の本位金貨は1987年制定、1988年4月施行の通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律によって正式に廃止された。(一円硬貨、五円硬貨、十円硬貨を参照)
記念金貨
1986年に発行された「天皇陛下御在位60年記念」10万円金貨は、久し振りに発行された金貨であったが、強制通用力は他の貨幣同様20枚(200万円分)までしか有していない。この金貨は収集型金貨を前提としているにも関わらず、10万円もの高額な額面の上に1000万枚という大量の発行枚数が額面販売され、さらには翌年に同デザインで年銘のみを変えて追加発行されるなど、この種の貨幣では世界的にも他に例を見ない異例ずくめの硬貨であった。一時は金貨引換権抽選券が高額で取引されるほどの人気を見せたが、実際の引換は低調であり、未引換のまま鋳潰されるものが発生した。また、後にその額面と使用地金の少なさ (20g) に付け込んだ偽造金貨などの問題(天皇陛下御在位60年記念金貨大量偽造事件)が発生した。
1991年に発行された「天皇陛下御即位記念」10万円金貨では、重量が30gに増量され、発行枚数は200万枚とされた。1993年の「皇太子殿下御成婚記念」金貨では、額面5万円に対して重量が18gとされる。発行枚数は同じく200万枚。
以上の金貨は額面価格で引き換えられたが、1997年の「長野オリンピック記念」金貨以降、額面は1万円とされ、額面を上回る価格の地金が用いられ、さらに地金価格を上回る価格で発売されるという、一般的な収集型金貨の形態を取るようになった。それ以前からプルーフ加工を施した貨幣を額面を上回る価格で販売することは行われていたが、長野オリンピック記念金貨以降は発行金貨の全てがプルーフ貨としてプレミアム販売されている。発行枚数も1999年発行の「天皇陛下御在位10年記念」金貨の20万枚を例外として、他は1種10万枚以下の発行枚数である(ただし長野オリンピック記念金貨は3種を5万5千枚ずつ発行)。
参考文献
- ↑ 『日本貨幣収集事典』 、原点社、2003年