日本銀行券
日本銀行券(にほんぎんこうけん、にっぽんぎんこうけん)は、日本の中央銀行である日本銀行が発行する紙幣である。日本の法定通貨(円)である。
概説
概説
日本銀行は、日本銀行法を根拠に、日本銀行券を発行し(市中に払い出し)通貨として流通させている。日本銀行券には日本国内で法定通貨として無制限に通用する強制通用力が付与されている。過去に発行されていた日本銀行券の中には各種法令により既に失効しているものがある。これら失効券以外は、既に発行が停止された古い日本銀行券であっても現在発行中の券と同様に法定通貨として有効である。
現在発行中の日本銀行券は、独立行政法人国立印刷局によって製造され、日本銀行に納入されている。納入価格は明らかにされていないが、券1枚あたり、一万円紙幣なら40円程度といわれている(週刊しゃかぽん第一号より)。2009年(平成21年)度の計33億枚の日本銀行券製造費は約509億円であり、1枚当たり15.4円となる[1][2]。
現在、主に流通しているのは2004年発行開始のE券(一万円券、五千円券、千円券)および2000年発行開始のD二千円券である。現在では(記念硬貨を除いた)硬貨よりも日本銀行券のほうが高額面だが、兌換制度下の頃は、材料不足などを解消するための補助的なものであった。そのため以前は一円券と一円銀貨などが併用された。近年は同一額面の硬貨と日本銀行券の並行発行を避けるのが政府および日本銀行の方針とされている為か、現在ではそうしたケースはほとんど見られない。最近にして最初の事例としては、五百円硬貨の発行(1982年)に伴い、C五百円券は遅くとも1985年には製造が中止された。各D券、各C券、B100円券などは発行停止から久しいが、市中流通しているのがごく稀に見られることがある。
材料
日本銀行券の原材料には、和紙と同じく三椏(ミツマタ)と、耐久性向上のためマニラ麻が使用されている。これは、繊維が頑丈で独特の手触りがあるために、偽造の防止にも効果があるためである。第二次世界大戦後のインフレ時には、三椏の生産が追いつかないため、通常のパルプを使用していたこともあったが、大量の偽札が出回り、経済や社会の混乱を招いたために、「粗悪な紙は通貨の信用を落とす」として取りやめとなった。
国内産の「局納みつまた」は、2000年代までは国内での自給自足を維持しており、2005年の時点で島根県、岡山県、高知県、徳島県、愛媛県、山口県の6県が国立印刷局と生産契約を結んでいた。各県に「局納みつまた生産協力会」といった生産者団体が組織されており、局納価格は山口県を除く5県が毎年輪番で印刷局長と交渉して決定された[3]。しかし、生産地の過疎化や農家の高齢化、後継者不足により、2005年度以降は生産量が激減し[4]、2016年では岡山県、徳島県、島根県の3県だけで生産されており、出荷もこの3県の農協に限られる。
これに対応するために、2010年度以降は中国・ネパール産の三椏の輸入で不足分を補うようになっており、その結果、2016年度に使った三椏の白皮のうち約9割が外国産となった。外国産三椏は国内産と比べて調達価格が25%程度と安く、経費節減につながる利点がある。その反面、輸入先の災害などによる調達のリスクもある。ネパールにおいて三椏の生産地が2015年の大地震で大きな被害を受けた実例もあり、三椏の安定供給を保つために、国立印刷局は国内で新たな出荷元を探している[5]。
記番号
B券以降
B券以降の場合、記番号の形式は、ラテン文字(アルファベット)と算用数字の組み合わせによる通し番号という形式である。各券種の日本銀行券1枚ずつ固有のものである。ただし、記番号の組み合わせを全て使い切ってしまった場合、あるいは紙幣の仕様をマイナーチェンジする場合、印刷色を変えて再度同じ記番号が使われている。C千円券(伊藤)では、黒色と青色、D一万円券(福澤)とD五千円券(新渡戸)では黒色と褐色が、またD千円券(夏目)では、黒色、青色、褐色、暗緑色、がそれぞれその順で使用された。アルファベットのうち、「I」(アイ)と「O」(オー)は、数字の「1」「0」と紛らわしいため使用されない。
- 左端のアルファベットは1文字または2文字であり、概ね2文字のものより1文字のものが製造時期が早い。1文字のものについては、概ね A, B, C ... Z の順番で製造される。2文字である場合、額面五千円以上の券は概ね AA, AB, AC ... BA, BB, BC ... ZX, ZY, ZZ の順に製造され、額面二千円以下の券は概ね AA, BA, CA ... AB, BB, CB ... XZ, YZ, ZZ の順に製造される。なぜ「概ね」なのかというと、印刷局の工場が4か所あり、各工場間の券製造のスケジュール調整がいかになされているかは当局者しか知り得ないからである。しかし製造時期の早晩を判断する大体の目安にはなる。
- アルファベットに挟まれた数字6桁については、000001から900000までの90万通りである。
- 右端のアルファベット1文字を「末尾記号」といい、製造した工場を表すが、例外も有り得る。なお、現在発行されているD二千円券、およびE券については概ね以下の通りになっている。
結局、同一印刷色の記番号で (24x900,000x24)+(24x24x900,000x24) = 12,960,000,000 (129億6千万)枚まで製造・発行できることになる。記番号を数字に例えるなら、上記 1. 2. 3. のうち、最も上位の桁は 1. で、次が 3. 最下位の桁が 2. である。同一デザインの紙幣の製造中に、記番号の組み合わせの枯渇により記番号の色が変わる場合、記番号の色はその 1. より更に上位の桁と見ることもできる。例えば、E千円券を小田原工場で製造する場合、「AA900000H」の次に製造すべきは「AA000001J」であり、「AA900000N」の次は「BA000001H」である。
E一万円券とE千円券について、黒色で印刷されている記号と番号の組合せが枯渇する予定となったため、日本銀行と財務省は、2011年(平成23年)7月19日より、記番号が褐色の券を発行すると発表した[7][8]。C千円券・D千円券では、黒色記番号の次は青色記番号であったが、E一万円券・E千円券では黒色記番号の次は褐色記番号となった。
旧形式
B券より前の日本銀行券の記番号は基本的に「組番号(記号)・通し番号」という形式であった。この場合も通し番号は基本的に、B券以降のアルファベットに挟まれた数字6桁と同様、000001から900000までの90万通りであったが、一部の券種では不良券との差し替え用に900001以降の通し番号が印刷されることがあった(補刷券)。
- A号券
- A号券の記号は4桁以上の数字で構成され、先頭の桁は常に「1」となっており、日本銀行券であることを表している。末尾の2桁は製造工場を表しており、先頭1桁と末尾2桁を除いた部分が組番号となる。なお通し番号は100円券のみに印刷されている。通し番号のない10円以下の券種については、1組につき500万枚製造されている。ちなみに、日本銀行券ではないが、小額政府紙幣の板垣50銭の記号は、先頭の桁が政府紙幣を表す「2」となっている以外はA号券と同様の形式である。
- 更に過去の日本銀行券
- 記号は組番号に波括弧をつけたものとなっており、記番号の進行はまず{1}から始まり、通し番号が900000まで(補刷券がある場合はこの限りではない)いくと次は{2}となり、以下通し番号を使い切るごとに{3}、{4}と次へ移っていくという単純なものであった。戦時中などの一部の券種については、通し番号が印刷されておらず記号のみの表記となっており、1組あたりの製造枚数も90万枚ではなく、券種によってさまざまに設定されていた。また明治期の日本銀行兌換銀券や日本銀行兌換券の場合は、記号番号とも漢数字のものや、記号がいろは順の変体仮名で通し番号が漢数字のものなどが存在した。漢数字は「〇壹貳叄四五六七八九」を使い、記号は「第壹號」のように前後に「第」と「號」を付けて表示された(変体仮名の場合は後ろに「號」を付けるのみ)。漢数字記番号の紙幣については、券種によって通し番号の桁数や1組あたりの製造枚数(最大通し番号)が異なっている。
デザインの変更
偽造防止の為、B券発行以降は約20年に一度、デザインが変更されている。変更の際には常に最新技術を導入し、偽札対策を施している。デザインの変更がなくても、あとから偽造防止策が導入されることもある。1993年12月1日以降改刷発行されたD一万円券、D五千円券およびD千円券(記番号が褐色、暗緑色であるD券)は、従前のD券とデザインは同じであるが、後述する通り「マイクロ文字」「特殊発光インキ」などの偽造防止策が新規に導入(ミニ改刷)された。
A百円券やB券、C券では聖徳太子と近代政治家の肖像が採用された。聖徳太子は高額券に採用されたため、「高額券=聖徳太子」のイメージは昭和生まれ世代にはなじみ深いものである(近年でも、2009年3月4日に当時74歳の衆議院議員石井一が政治献金について触れた演説の中で「1票くらい、聖徳太子1枚くらい出せば十分取れる」といった発言を行った、と同日付の産経新聞に報道されている)。1984年のD券以降は、D二千円券を除きいわゆる文化人が肖像に採用されている。D二千円券は表が人物の肖像ではなく、建築物を像としている点で特異である[9]。
印章
B券以降の日本銀行券には、全て表側に「総裁之印」、裏側に「発券局長」という印章が印刷されている。1993年12月1日改刷のD券以降では、表の「総裁之印」については特殊発光インキが採用されている。「総裁之印」は流通印、「発券局長」は歯止印と呼ばれる。B券より前の日本銀行券では、現在発行中の紙幣と同じ表側「総裁之印」裏側「発券局長」のもののほか、「総裁之印」「発券局長」両方が表側に印刷されているもの、表側の「総裁之印」のみ印刷されているもの、裏側が「発券局長」ではなく「文書局長」(種類によっては「発行局長」あるいは「金庫局長」が合わせて印刷されている)となっているものなどが存在し、日本銀行券のうち最初に発行された日本銀行兌換銀券の旧券(大黒札)では表側が日銀マークの周囲に「日本銀行総裁之章」の文字のあるものと「文書局長」の印、裏側が「金庫局長」となっていた。
D二千円券およびE券の発行
2000年には二千円券が新たに発行された。しかしこの二千円券は結局普及しないまま現在に至っている。理由としては以下のような事情が考えられる。
- 現代の日本では硬貨と紙幣は「1」と「5」のつく単位であるという認識が一般消費者に浸透しており、そのため、二千円券は使い慣れない券種であった。
- 店側が二千円券を受け取っても、一万円券同様レジの下段に入れられてしまうなど、お釣りとして二千円券が供給されることなく銀行に還流してしまうことが多かった。発行当初から、お釣りとして客に出さないことを方針とする店が多かった。
- 乗車券類の自動販売機、食券販売機、遊技場・パチンコ店・公営競技場等の両替機・自動販売機等の一部では比較的早期に二千円券の入金対応がなされ、主に銀行の両替機では出金対応もなされた。一方、自動販売機の過半数を占めている飲料やたばこを中心とした100円〜400円程度の商品を販売する自動販売機の二千円券入金対応は、あまり進まなかった。
- 発行開始当時、ATM・両替機・自動販売機等の各種機器の入れ替えが必要となることから、二千円券の新規発行は機器製造業の需要を促し景気回復の起爆剤になると期待する向きもあった。しかしこのような出納機器を導入する企業の立場からすれば、これまでになかった額面券ゆえ、機器更新のみならず保守・運用にも新たなコスト負担が必要な(かつ、普及するか否か先行き不透明な)二千円券の入出金対応については、発行開始当時の沈滞した景気の中では慎重にならざるをえなかった。
- 一方でコンビニATMでは積極的に導入が進められた。筐体が小さく札を入れる箱の容量が限られる中で千円券に対して同額で半分の容量で済む二千円券は好都合であった。
- しかし、上述のような各種機器が二千円券対応であった場合も耐用年数を迎え、更新されるにあたって二千円券非対応になることも多い。
- 「二千円券は珍しい」という消費者心理で、消費者から二千円券が流通しにくかったため。
日本銀行は「二千円券の利便性」を主張している、あるいは "していた" が、上述のように、二千円券を普及流通させることは2017年現在できないでいる。日本銀行からの発券枚数自体は、五千円券のそれを超えていることも一時期あったが、各地の銀行の金庫で眠っているのが実情であり、市中流通枚数は少ない。二千円券にゆかりの深い沖縄県においては、盛んに普及キャンペーンが行われたことと、本土復帰以前は20ドル札を含む米ドル紙幣が法定通貨であったこともあり、流通量は他都道府県に比べて高い時期があった[10]。政府・日銀・沖縄と無関係の著名人でも、音楽評論家・指揮者の宇野功芳や新聞記者・政治評論家の橋本五郎のように「むしろ五千円札のほうが不便であり、二千円札は使いやすく美しい」(宇野)[11]・「二千円札に込められた思いやデザインの美しさ、便利さは評価できる。普及しないのは普及施策の不十分さ故」(橋本)[12]と主張している例もある。 D二千円券は、現在発行中の紙幣であるので、金融機関の窓口で出金・両替する時は、在庫があれば、二千円券にして欲しい旨申請すれば供給される。また金融機関の両替機でも二千円券の出金を選択できる機種があり、ATMでも一部の機種(主に沖縄県のもの)では二千円券を出金できる。
2004年11月には20年ぶりに一万円券、五千円券、千円券が新しいデザイン(E券)に更新された。こちらは二千円券とは異なり、従来からあった券種であり心理的に受け入れやすかったこと、ATMや自動販売機では識別装置のプログラムの更新だけで済むため入出金対応が迅速になされたこと、またD券(二千円券を除く)の偽造が社会問題となっていたことなどにより、急速に普及した。
日本銀行兌換銀券・日本銀行兌換券の文言
かつて発行された日本銀行兌換銀券(現在有効な旧一円券・改造一円券含む)及び日本銀行兌換券には、それぞれ「此券引かへ尓銀貨~圓相渡可申候也」、「此券引換ニ金貨~圓相渡可申候(也)」という兌換文言が記されていた。このほか明治期にデザインされた紙幣では、英語の兌換文言として「Promises to Pay the Bearer on Demand ~ Yen in Silver/Gold」、「明治十七年五月廿六日太政官布告第十八號兌換銀行券條例ヲ遵奉シテ發行スルモノ也」、更に偽造変造罰則文言として「兌換銀行券條例第十二條 兌換銀行券ノ偽造變造ニ係ル罪ハ刑法偽造紙幣ノ各本條ニ照シテ處断ス」という文言が記されていた。
日本銀行券の偽造防止技術
初期のD券(1984年11月1日発行開始)以前から採用されているもの
- すき入れ(透かし)
- 日本銀行券には、一部の券種を除き、「黒透かし」という特殊なすき入れがされている。政府、国立印刷局、および政府の許可を受けた者以外による黒透かしを施した紙の製造は「すき入紙製造取締法」により禁止されている。二千円券を除くD券では、視覚障害者が触覚で容易に券種を識別できるよう券の右下に各券種固有のパターンとしてもすき入れされている。
- 凹版印刷
- 微細線を印刷するための印刷手法。
ミニ改刷されたD券(1993年12月1日発行開始)から採用されたもの
以下の偽造防止技術は、ミニ改刷以降のD券(D千円券・D五千円券・D一万円券のうち記番号が褐色・暗緑色のもの、およびD二千円券すべて)、および各E券で採用されている。
- マイクロ文字
- 肉眼では認識できないか、かろうじて認識できる程度の微小な文字を、文様に紛れさせている。ただし、微細の程度を問題にしないならば、これより前の日本銀行券(明治期を含む)にもマイクロ文字は採用されている。
- 特殊発光インキ
- 紫外線や近紫外線だけのブラックライトを照射すると、蛍光を発するインクによる印刷。インク自ら発光するわけではない。表面の印影部分(オレンジ色蛍光)と地紋の一部(黄緑色蛍光)。
D二千円券から採用されたもの
- 深凹版印刷
- 凹版印刷刷版の凹部をさらに深くし、結果として券に転写されたインクが触ってわかるほどに盛り上がっている印刷である。おもて面の漢数字とアラビア数字による額面表示、「日本銀行」「日本銀行券」の文字、後述の「潜像模様」、等として印刷されている。視覚障害者が触覚で容易に券種を識別できるよう券の左右下端に配置された各券種固有のパターン(識別マーク、たとえば二千円券では「●」が3つ(点字の「に」))としても印刷されている。
- 潜像模様
- 深凹版印刷技術の応用であり、印刷されたインクの縞状凹凸により表現される模様。券を傾け入射角を大きくして見るとより明瞭にその模様が目視できるもの。表面では券の左下部(E五千円券は下部)に額面金額として印刷されている。また裏面には「NIPPON」の文字の潜像がある。
- パールインク
- 見る角度によってピンク色の真珠様光沢が目視できるインクによる印刷。券の左右両端に配置されている。E千円券ではさらに、左下の潜像模様に重ねて「千円」の文字として印刷されている。
- ユーリオン
- 銀行券のデジタルデータ画像を画像処理ソフトウェアやカラー複写機が検出しやすくするために描かれたシンボル。
- 光学的変化インク(D二千円券のみ)
- D二千円券の表面右上にある額面表示 "2000" は、券を見る角度によって紫色、青緑色等に色が変化して見える。
E券から採用されたもの
- すき入れバーパターン
- 縦棒形状のすき入れ。券の右側に配置されている。
- ホログラム(E五千円券、E一万円券のみ)
- ホログラム参照。
日本銀行券一覧
券名の最初の文字は発行された時期によって紙幣を分類する記号で、A券、B券等と呼ばれる。概ね、昭和初期までは「甲乙丙丁」、戦時中は「いろ」、戦後はアルファベット「ABCDE」である。
現在発行中の券
券種 | 額面 (円) |
表の図案 | 裏の図案 | サイズ(mm) | 発行日 |
---|---|---|---|---|---|
E一万円券 | 10000 | 福澤諭吉 | 平等院鳳凰堂の鳳凰像 | 76×160 | 2004年(平成16年)11月1日 |
E五千円券 | 5000 | 樋口一葉 | 尾形光琳筆「燕子花図」 | 76×156 | |
D二千円券 | 2000 | 首里城守礼門 | 紫式部、源氏物語絵巻(光源氏、冷泉帝) | 76×154 | 2000年(平成12年)7月19日 |
E千円券 | 1000 | 野口英世 | 富士山、サクラ | 76×150 | 2004年(平成16年)11月1日 |
- この表の「券種」表記は、最近の日本銀行と財務省の文書の表記に従っている。実際の券面の表記では、「一」は「壱」、「二」は「弐」となっている。券の名称は全て「日本銀行券」。
- D券の製造中に、2回製造者の名称が変わっている。大蔵省印刷局→財務省印刷局(2001年1月)→国立印刷局(2003年4月)。従って(二千円券を除く)D券は日本銀行券で唯一の「財務省印刷局製造」となった。D二千円券については、前述のとおり普及しなかったこともあり、2000年と2003年に「大蔵省印刷局製造」銘板として製造されたのみで、その後は製造されていない。
現在発行されていないが有効な券
券種 | 名称 | 通称 | 額面(円) | 発行日 | 支払 停止日 |
表の図案 | 裏の図案 | サイズ (mm) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
D一万円券 | 日本銀行券 | 福沢旧10000円 | 10000 | 1984年 11月1日 |
2007年 4月2日 |
福澤諭吉 | キジ | 76×160 |
D五千円券 | 新渡戸5000円 | 5000 | 新渡戸稲造 | 富士山 | 76×155 | |||
D千円券 | 夏目1000円 | 1000 | 夏目漱石 | タンチョウ | 76×150 | |||
C五百円券 | 岩倉新500円 | 500 | 1969年 11月1日 |
1994年 4月1日 |
岩倉具視 | 富士山 | 72×159 | |
C千円券 | 伊藤1000円 | 1000 | 1963年 11月1日 |
1986年 1月4日 |
伊藤博文 | 日本銀行 本店 | 76×164 | |
C一万円券 | 聖徳10000円 | 10000 | 1958年 12月1日 |
聖徳太子 | 彩紋 | 84×174 | ||
C五千円券 | 聖徳5000円 | 5000 | 1957年 10月1日 |
聖徳太子 | 日本銀行 本店 | 80×169 | ||
B百円券 | 板垣100円 | 100 | 1953年 12月1日 |
1974年 8月1日 |
板垣退助 | 国会議事堂 | 76×148 | |
B五拾円券 | 高橋50円 | 50 | 1951年 12月1日 |
1958年 10月1日 |
高橋是清 | 日本銀行 本店 | 68×144 | |
B五百円券 | 岩倉旧500円 | 500 | 1951年 4月2日 |
1971年 1月4日 |
岩倉具視 | 富士山 | 76×156 | |
B千円券 | 聖徳1000円 | 1000 | 1950年 1月7日 |
1965年 1月4日 |
聖徳太子 | 法隆寺夢殿 | 76×164 | |
A一円券 | 二宮1円 | 1 | 1946年 3月19日 |
1958年 10月1日 |
二宮尊徳 ニワトリ |
彩紋 | 68×124 | |
A五円券 | 彩紋(文様)5円 | 5 | 1946年 3月5日 |
1955年 4月1日 |
彩紋 | 彩紋 | 68×132 | |
A百円券 | 4次100円 | 100 | 1946年 3月1日 |
1956年 6月5日 |
聖徳太子 法隆寺夢殿 新円標識(天平雲) |
法隆寺 | 93×162 | |
A十円券 | 議事堂10円 | 10 | 1946年 2月25日 |
1955年 4月1日 |
国会議事堂 鳳凰 |
彩紋 | 76×140 | |
い一円券 | 中央武内1円 | 1 | 1943年 12月15日 |
1958年 10月1日 |
武内宿禰 | 宇倍神社 | 70×122 | |
改造一円券 | 日本銀行兌換銀券 | 漢数字1円 アラビア数字1円 |
1 | 1889年 5月1日 |
武内宿禰 兌換文言(日本語) 偽造変造罰則文言 |
彩紋 一円銀貨 兌換文言(英語) |
85×145 | |
旧一円券 | 大黒1円 | 1 | 1885年 9月8日 |
大黒像 兌換文言(日本語、英語) |
彩紋 偽造変造罰則文言 |
78×135 |
- この表の「券種」表記は、最近の日本銀行と財務省の文書の表記に従っている。実際の券面の表記では、「一」は「壹」または「壱」、「十」は「拾」、「円」は「圓」または「円」となっている。
- 「支払停止日」は、日本銀行から市中銀行へ当該券種の支払いを停止した日のことを指す。
- 戦前に流通した日本銀行券の中で1円の額面のもののみが残されたのは、1円が日本における基本通貨単位であることへの配慮に基づくとされている。
- これらの紙幣のうち日本銀行兌換銀券は、現在法的には不換紙幣の扱いで使用できることになっており、銀貨と交換することはできない。
- これらの紙幣は現在も法的には有効であるが、実際には既に回収が進み、現在市中ではほとんど、あるいはまったく流通していない。旧一円券などは古銭的価値が評価され取引されている。B五拾円券は戦後の紙幣であるが発行枚数がやや少ない(約3.6億枚)ので数千円の値が付くことがある。一方各C券、各D券、B100円券等は大量に現存していることもあり、古銭ショップで額面を上回るような付加的価値(プレミアム)を付けて販売されることはあっても、業者に買い取ってもらおうとする場合、未使用であってもプレミアムは皆無で取引対象とされないあるいは額面通りとされ、ネットオークション等に出品する際に額面あるいはそれに近い値段からスタートさせて入札があった際にわずかにプラスアルファが付くかどうかというレベルである。ただし、未使用でかつ珍番号あるいはエラー等の場合はこの限りではない。
失効した券
券種 | 名称 | 通称 | 額面 (円) |
発行日 | 失効日 (根拠法令) |
表の 図案 |
裏の 図案 |
サイズ (mm) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
A五銭券 | 日本銀行券 | 梅5銭 | 0.05 | 1948年 5月25日 |
1953年 12月31日 (a) |
梅 | 彩紋 | 48×94 |
A拾錢券 | 鳩10銭 | 0.1 | 1947年 9月5日 |
鳩 | 国会議事堂 | 52×100 | ||
ろ百圓券 | 3次100円 | 100 | 1945年 8月17日 |
1946年 3月2日 (b) |
聖徳太子 | 法隆寺 | 93×162 | |
ろ拾圓券 | 4次10円 | 10 | 和気清麻呂 | 護王神社 | 81×142 | |||
甲千圓券 | 日本銀行兌換券 | 日本武尊1000円 | 1000 | 1945年 8月17日* |
日本武尊 建部神社 |
彩紋 | 100×172 | |
丙貳百圓券 | 裏赤200円 | 200 | 1945年 8月16日** |
武内宿禰 | 彩紋 | 97×188 | ||
丁貳百圓券 | 藤原200円 | 200 | 1945年 4月16日*** |
藤原鎌足 談山神社拝殿 |
談山神社十三重塔 | 97×165 | ||
い拾錢券 | 日本銀行券 | 八紘一宇10銭 | 0.1 | 1944年 11月1日 |
1953年 12月31日 (a) |
八紘一宇塔 | 彩紋 | 51×106 |
い五錢券 | 楠公5銭 | 0.05 | 楠木正成 | 彩紋 | 48×100 | |||
い百圓券 | 2次100円 | 100 | 1944年 3月20日 |
1946年 3月2日 (b) |
聖徳太子 法隆寺夢殿 |
法隆寺 | 93×163 | |
い拾圓券 | 2次10円 (通し番号有)
3次10円 (通し番号無) |
10 | 1943年 12月15日 |
和気清麻呂 | 護王神社 | 81×142 | ||
ろ五圓券 | 3次5円 (通し番号有)
4次5円 (通し番号無) |
5 | 菅原道真 北野神社 |
彩紋 | 76×132 | |||
い五圓券 | 日本銀行兌換券 | 2次5円 | 5 | 1942年 1月6日 |
菅原道真 北野神社 |
彩紋 | 76×132 | |
乙貳拾圓券 | タテ書き20円 | 20 | 1931年 7月21日 |
藤原鎌足 談山神社十三重塔 |
談山神社拝殿 | 87×152 | ||
丙拾圓券 | 1次10円 | 10 | 1930年 5月21日 |
和気清麻呂 | 護王神社 | 81×142 | ||
丁五圓券 | 1次5円 | 5 | 1930年 3月1日 |
菅原道真 北野神社 |
彩紋 | 76×132 | ||
乙百圓券 | 1次100円 | 100 | 1930年 1月11日 |
聖徳太子 法隆寺夢殿 |
法隆寺 | 93×162 | ||
乙貳百圓券 | 裏白200円 | 200 | 1927年 4月25日 |
彩紋 | 印刷なし | 73×123 | ||
甲貳拾圓券 | 横書き20円 | 20 | 1917年 11月20日 |
1939年 3月31日 (c) |
菅原道真 | 北野神社 | 86×149 | |
丙五圓券 | 大正武内5円 | 5 | 1916年 12月15日 |
武内宿禰 宇倍神社 |
彩紋 | 73×130 | ||
乙拾圓券 | 左和気10円 | 10 | 1915年 5月1日 |
和気清麻呂 護王神社 |
彩紋 | 89×139 | ||
乙五圓券 | 透し大黒5円 | 5 | 1910年 9月1日 |
菅原道真 | 北野神社 | 78×136 | ||
甲百圓券 | 裏紫100円 | 100 | 1900年 12月25日 |
藤原鎌足 談山神社 |
日本銀行 | 104×180 | ||
甲拾圓券 | 裏猪10円 | 10 | 1899年 10月1日 |
和気清麻呂 護王神社 |
猪 | 96×159 | ||
甲五圓券 | 中央武内5円 | 5 | 1899年 4月1日 |
武内宿禰 宇倍神社 |
彩紋 | 85×146 | ||
改造百圓券 | 日本銀行兌換銀券 | めがね100円 | 100 | 1891年 11月15日 |
藤原鎌足 | 彩紋 | 130×210 | |
改造拾圓券 | 表猪10円 | 10 | 1890年 9月12日 |
和気清麻呂 猪 |
彩紋 | 100×169 | ||
改造五圓券 | 分銅5円 | 5 | 1888年 12月3日 |
菅原道真 分銅 |
彩紋 | 95×159 | ||
旧五圓券 | 裏大黒5円 | 5 | 1886年 1月4日 |
彩紋 | 大黒像 | 87×152 | ||
旧百圓券 | 大黒100円 | 100 | 1885年 9月8日 |
大黒像 | 彩紋 | 116×186 | ||
旧拾圓券 | 大黒10円 | 10 | 1885年 5月9日 |
大黒像 | 彩紋 | 93×156 |
- * 大蔵省告示(昭和17年第178号)では、1942年(昭和17年)4月20日発行開始となっていた。印刷局から日本銀行への引き渡し期間は1941年(昭和16年)12月〜1943年(昭和18年)9月。製造枚数は810万枚。実際の発行(使用開始)までの間、日本銀行に死蔵されていた。
- ** 大蔵省告示(昭和2年第85号)では、1927年(昭和2年)5月12日発行開始となっていた。印刷局から日本銀行への引き渡し期間は1927年(昭和2年)4月〜同年同月。製造枚数は750万枚。実際の発行(使用開始)までの間、日本銀行に死蔵されていた。
- *** 大蔵省告示(昭和17年第1号)では、1942年(昭和17年)1月6日発行開始となっていた。印刷局から日本銀行への引き渡し期間は1938年(昭和13年)4月〜同年10月。製造枚数は4410万枚。実際の発行(使用開始)までの間、日本銀行に死蔵されていた。
- a 小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律(昭和28年7月15日 法律第60号)
- b 日本銀行券預入令(昭和21年2月17日 勅令第84号)
- c 兌換銀行券整理法(昭和2年4月1日 法律第46号)
- この表の「券種」表記は、当該券面の表記を尊重した。「壹」は「一(壱)」、「貳」は「二(弐)」、「拾」は「十」、「錢」は「銭」、「圓」は「円」にそれぞれ相当する。
- このうち、明治・大正時代の紙幣や、昭和戦前・戦時中の高額券などは、古銭的価値が評価され取引されている。旧百圓券や改造百圓券は現存数が数枚ほどしかないと推測されており、少なすぎて取引例はほぼ皆無である(よって相場価格がない)。乙貳百圓券なども現存数が非常に少ないといわれる。
参考:未発行券
ここでは、発行されたものと呼称は同一だがデザインが異なるもの(不採用となったデザイン)についても扱う。
- 甲貳百圓券(武内宿禰)は、1923年の関東大震災の直後に、甚大な被害を受けた印刷局から依頼を受け、急遽大阪の昌栄堂で横浜正金銀行券のデザインを参考に作成を行い印刷されたものであるが、懸念された紙幣の不足はなく、印刷局も復旧したため、結局発行されずに処分された。のちに発行された丙貳百圓券に類似したデザインとなっている。
- 乙百圓券(A案)は1923年に印刷されたものの、その印刷済紙幣は関東大震災の影響で全て焼失してしまい発行されず、結局1930年にB案のデザインの乙百圓券が発行された。
- 甲五拾圓券は昭和金融恐慌の際に取り付け騒ぎの沈静化のため必要とされ、急遽大蔵省告示で制定され製造もされた(1927年)が、騒ぎが鎮静化したため結局発行されなかった。これは裏面が無印刷といういかにも急ごしらえの紙幣であった。なお、同時期の乙貳百圓券も同様に裏面が無印刷であったがこちらは実際に発行された。
- は拾圓券(和気清麻呂)・い千圓券(日本武尊)・い五百圓券(武内宿禰)は、1945年の戦時中に製造されたがあまりにも作りが貧弱で、大蔵省告示もないまま結局発行されなかった。
- 戦後1945年から、他のA券と同様にA千圓券(1次案)・A五百圓券の発行の準備が進められていた。このときの図案原案は、伐折羅大将像(千圓券)、弥勒菩薩像(五百圓券)というものであった。しかしGHQから、これら高額券はインフレーション助長の可能性があると指摘され、さらに肖像にもクレームがつき、告示も製造もされなかった。なお、このときの千圓券の(肖像以外の)図案はA拾圓券に流用された。
- A千圓券(2次案)については、その後再度発行が企画され製造もされた(1946年)。しかし、甲千圓券の図案・原版を再利用したものであったため、既に兌換制度が廃止されていたにもかかわらず「日本銀行兌換券」の文字と兌換文言(此券引換に金貨千圓相渡可申候)が残っているという不都合があった。また依然インフレーション助長の懸念もあったため、結局告示もされず発行されなかった。
- B号券は、当初B拾円券(大久保利通)、B五円券(福沢諭吉)およびB壱円券(二宮尊徳)のデザインが用意されていたが、十円青銅貨・五円黄銅貨・一円アルミ貨発行のためこれらは発行されず、結局更に高額の千円券から五十円券までの4券種が発行された。
- B壱万円券(A案)(法隆寺西院伽藍全景、笏なしの聖徳太子)は、1953年に考案されたが採用されず、そのB案(笏持ちの聖徳太子)がC壱万円券として1958年に発行された。透かしのA案はC五千円券に採用された。
- C千円券(A案は聖徳太子続投、B案は渋沢栄一)については、A案は聖徳太子の続投はおかしいとの理由で不採用、B案の渋沢栄一も最終選考に残ったものの、当時は偽造防止に、主に肖像にヒゲがある人物が用いられていたため不採用となり、最終的にC案の伊藤博文が採用された。採用を見送られたデザインはお札と切手の博物館の展示物で確認することが可能である。
- D号券には、発行された3種類の他に、D拾万円券およびD五万円券の発行が検討されていた。それぞれ聖徳太子と野口英世のデザインだったが、これも結局発行が中止された。
- これら日本の未発行紙幣は、発行を前提として製造された分は全て廃棄処分されて現存しておらず、見本券が少数現存するのみとなっている。
日本銀行券の肖像になった人物(現在有効な券)
- 二宮尊徳(A一円券)
- 武内宿禰(改造一円券など)
- 高橋是清(B五十円券)
- 板垣退助(B百円券)
- 伊藤博文(C千円券)
- 聖徳太子(A百円券、B千円券、C五千円券、C一万円券)
- 岩倉具視(B五百円券、C五百円券)
- 福澤諭吉(D一万円券、E一万円券)
- 新渡戸稲造(D五千円券)
- 夏目漱石(D千円券)
- 紫式部(D二千円券 ※ただし、肖像としてではなく裏面の図柄として)
- 樋口一葉(E五千円券)
- 野口英世(E千円券)
損傷時の交換
日本銀行の本支店において、破損(破れ等の損傷や、汚染など)や磨損(すり減りなど)により通用や使用に支障が出た日本銀行券(紙幣)について交換業務(引換え)を行っている。[13]損傷していなくても、現在発行されていない旧紙幣は同様にこの交換業務(引換え)の対象となる。
破損等の事由には故意、過失など理由を問わない[14]。震災、災害等の発生時は、焼損、汚損等した紙幣等の交換業務が集中することがある。なお、有害物質(放射能、毒劇物、化学兵器や生物兵器その他)により汚染された紙幣については、日本銀行への届け出前に、当該有害物質の所管官庁等に相談する必要がある。
窓口に出向き届け出る事が必要であり、郵送などの対応は行わない。また、日本銀行本支店では、引き換えに要する時間その他の事務上の理由から[15]、来店前に事前に電話等をする事を推奨している。
これらの業務は、少量であれば銀行法上の銀行(普通銀行)窓口においても対応する場合がある。なお、ゆうちょ銀行窓口においては両替業務を行っていない関係上、損傷紙幣の交換も行っていない。
損傷銀行券の引換え基準
紙幣の滅消した部分を除いた残存部分の面積により、引換え価額が異なる。単純に2枚に破れたような場合は、破れ目が合うことが確認できれば全額(100%)交換となる。
なお、残存部分は裏・表両面が分離していないことが要件であり、仮に紙幣を漉いて裏と表の2枚に分離した場合などは、全面積が滅消したものとして扱う(全額失効)。焼損や汚染、細片化などがあっても、紙幣の一部と確認できる部分については残存部分として扱う。また、2片以上に細片化されていても模様の一致や記番号の確認により同一紙幣の一部であると確認できる場合は、一紙幣の残存部分として扱う[16][17]。
また、例えば1000円札4枚を破損した場合、全額交換が認められたとしても、交換されて返されるのは2000円札2枚となる。これは、日本銀行のルールで最小枚数で返すのが決まりとなっているため[18]。また1000円未満の紙幣は新たに発行されていないため、例えば1000円札1枚を破損して半額交換となった場合、交換されて返されるのは500円硬貨1枚となる。
- 残存面積3分の2以上の場合
- 全額(100%)の円貨と交換
- 残存面積5分の2以上3分の2未満の場合
- 半額(50%)の円貨と交換[19]
- 残存面積5分の2未満の場合
- 全額失効
関連項目
脚注・出典
- ↑ 第125回事業年度財務諸表等(日本銀行)p4 (PDF)
- ↑ 平成27年度の銀行券発注高(日本銀行) - 平成16年度までの発注高を閲覧可能 (PDF)
- ↑ “和紙原料の生産・流通状況”. 日本特用林産振興会. . 2017閲覧.
- ↑ “特産農産物に関する生産情報調査結果(平成 24 年)”. 公益財団法人日本特産農産物協会. . 2017閲覧.
- ↑ “ミツマタ出荷で集落再生 京都・福知山、紙幣原料に”. 京都新聞社. . 2017閲覧.
- ↑ 記番号の順番(B~E号券:紙幣)((新)近現代・日本のお金(貨幣、紙幣))
- ↑ 日本銀行 (2011年4月26日). “日本銀行券一万円券および千円券の記号および番号の印刷色変更について”. . 2011閲覧.
- ↑ 財務省 (2011年4月26日). “日本銀行券一万円券及び千円券の記号及び番号の印刷色を変更します”. . 2011閲覧.
- ↑ 裏面には源氏物語の登場人物の光源氏、および作者の紫式部の肖像が描かれている。
- ↑ “2千円札流通量 300万枚突破”. 琉球新報. (2007年1月10日)
- ↑ 宇野功芳「宇野功芳 楽に寄す」音楽之友社、2010年、P240~242
- ↑ 橋本五郎「総理の器量」中公新書ラクレ、2012年、P170~171
- ↑ https://www.boj.or.jp/about/services/bn/hikikae.htm/
- ↑ なお、故意の硬貨の損傷は貨幣損傷等取締法により処罰される
- ↑ 届け出当日中に全部を交換できない場合もある
- ↑ 細片をピンセット等により集めて面積を調べると言う事も行われると言う風説もあるが、実際は担当者の裁量による部分も大きい。本支店窓口では、なるべく届出者により破片の収集整理、乾燥、保全を求めている。
- ↑ https://www.boj.or.jp/about/services/bn/sonsyo.htm/
- ↑ 探偵!ナイトスクープ - gooテレビ番組(関西版),2017年1月6日
- ↑ この場合、1円未満の端数は切り捨てとなる。すなわち、五円紙幣(A五円券)は2円となり、一円紙幣は失効となる。
外部リンク
- 銀行券・貨幣(日本銀行)
- 国立印刷局
- お札に登場する動物たち(2)(man@bow)