感謝祭
感謝祭(かんしゃさい、英語: Thanksgiving Day)とは、アメリカ合衆国とカナダの祝日のひとつ。Thanksgiving と略称されたり、あるいは七面鳥の日(Turkey Day)と呼んだりもする。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日になっている。日本のプロテスタントでは収穫感謝日と呼ぶ。
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感謝祭の由来
感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている。ピルグリムがプリマスに到着した1620年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、翌年、近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族からトウモロコシなどの新大陸での作物の栽培知識の教授を得て生き延びられた。1621年の秋は、特に収穫が多かったので、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。イギリス人の入植者もワンパノアグ族も秋の収穫を祝う伝統を持っていて、この年のこの出来事は特に感謝祭と位置づけられてはいなかった。プリマス植民地で最初に祝われた1623年の感謝祭は食事会というよりもどちらかというと教会で礼拝を行って、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強かった。
アメリカ合衆国の感謝祭
感謝祭は、祝日となるアメリカ合衆国の祝祭日(国家の日 National Holiday)のひとつである。
現代の感謝祭では、宗教的な意味合いはかなり弱くなっており、現代アメリカ人の意識の中では、たくさんの親族や友人が集まる大規模な食事会であり、大切な家族行事のひとつと位置づけられている。特に感謝祭前日と感謝祭休日最後となる日曜日は、空港、高速道路、鉄道などの交通機関が1年の中でも有数の大混雑・大渋滞となる。一方、感謝祭当日の空港などは対照的に非常に閑散としており、感謝祭が行楽のための休日ではなく家族や親戚が集うためのものであることを物語っている。
感謝祭の朝には、大統領が二羽の七面鳥を屠殺される運命から恩赦する(Turkey Pardon)という行事が、ホワイトハウスで行われる[1]。ニューヨーク市の百貨店メイシーズでは、1924年から毎年(第二次世界大戦のために1942年から1944年まで中断されたことを除き)巨大な風船を用いたパレード「メイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレード」が恒例行事となっている.また、通常は日曜日と月曜の夜しか行われないNFLの試合が3試合(1970年以降、ダラス・カウボーイズとデトロイト・ライオンズのホームゲーム2試合が行われるのが通例だったが、2006年以降、それ以外のチームのホームゲームが持ち回りで開催)行われる。
また感謝祭は季節的に本格的な冬の入りであり、各地の集会場などでは慈善団体などがホームレスなど「あまり幸運ではなかった(less lucky)」人々に温かい七面鳥料理をふるまうのも恒例である。
ニューヨーク州のように全米祝祭日の感謝祭当日のみを祭日とする所もあるが(学校や商店は休日とするところが多い)、多くの州は感謝祭の翌日の金曜日も祝日扱いとして4連休の感謝祭休日(Day After Thanksgiving)とし、中には感謝祭の前の水曜日から5連休とする州もある。感謝祭が過ぎるとクリスマスまで約ひと月となり、クリスマスプレゼントの購入に向けて消費が動くため、各小売店では感謝祭をクリスマス・セールの前哨戦と位置づけ、客足をあてこんで金曜日から特別セールを行う。
金曜日の大売り出しを境に、小売店の年間通算収支が黒字に転換するといわれていることから、感謝祭の翌日を「ブラック・フライデー」、週明けの月曜日にインターネットを利用してECサイトでプレゼントを購入する人が多いことから、感謝祭休み明けの月曜日を「サイバー・マンデー」と呼ぶ。
感謝祭からクリスマスまでのひと月は、小売店の年間の総売上で重要な期間となり、通説では小売業の年間売り上げの半分がこの一ヶ月に集中する。消費者向け製品を作る各社も、この「年末商戦」に間に合うように新製品を発売するのが通例である。
アメリカ合衆国における感謝祭の起源説
もともと、ニューイングランドを開拓したピューリタンの間には、共同体の節目節目に聖職者の宣言によって不定期に感謝祭を開く習慣があった。一部のピューリタンの教義の中に、クリスマスや復活祭を含む、ローマ教会の祝日を全て廃止しようとする考え方があったからである。現在の感謝祭の起源として一般に信じられているのは、イギリスから現在のマサチューセッツ州のプリマスに宗教的自由を求めて移住して来たピルグリム・ファーザーズと呼ばれる入植者の一団が、本国から持ってきた種子などで農耕を始めたところ、現地の土壌に合わず飢饉による餓死者まで出したところ、アメリカ先住民の助けにより危機を脱したので、その感謝を表す目的で1621年に先住民を招いて収穫を祝う宴会を開いたことである。現場にいたウィリアム・ブラッドフォードやエドワード・ウィンズロー(Edward Winslow)らの私記によれば、宴会は3日間続き、入植者53人と先住民90人が参加したとある。1623年7月30日には、最初の正式な感謝祭が開かれた。
1620年に彼らがアメリカ大陸に来た時点で、ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は病気により死亡していた。その理由としては、1492年にコロンブスがアメリカにやってきた際に、当時アメリカ大陸内では存在しなかったヨーロッパから運ばれたインフルエンザ菌、その他の病原体に対する抵抗力が無かったということがある。
その結果、1620年にピルグリムファーザーズがプリマス植民地にやってきた際には、無人状態となったインディアン達の住居や日用品を使うことで厳しい冬を過ごす事ができたという。インディアン達が彼らに食料や毛皮のジャケットなどを提供、両者の間に友好関係があったとされるという事実は確認されているとは言いがたい。
この異説によると、事実とは異なった話が一般になっている背景には、マサチューセッツ植民地の統治者ウィンスロップがアメリカにはインディアンとの間の戦争や虐殺、略奪という暗い歴史しか無いので、「明るい話を広めよう」と使われたとも言われている。白人の間で現在広く伝えられている“感謝祭”の歴史は史実とするには議論の余地がある。
その後、ジョージ・ワシントン、ジョン・アダムズ、ジェームズ・マディソンら初期の大統領の時代には、感謝祭は大統領宣言の形で不定期に祝われた。19世紀の初頭になると、感謝祭は州知事の権限で宣言され、州によって祝われる日が異なるという状態が続いた。これを連邦国家の祝日として定着させたのは、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンであった。父と息子が南軍・北軍に別れて互いに戦うほど悲惨であった南北戦争の終結後、彼は国内の融和を図り国家としての団結を取り戻すために感謝祭を連邦休日と定め、家族の集いを奨励した。この試みは成功し、感謝祭は単なる「大型連休」以上に、遠く離れた家族・親戚が再会して絆を深め合うアメリカの伝統として根付いている。とくに20世紀になって、先住民の歴史問題が意識されるようになると、子供たちも小学校低学年から、建国以前の入植者たちの困難とそれを助けた先住民の逸話に基づく感謝祭の意義を学ぶようになった。
インディアンにとっての感謝祭
一方、インディアン達は「感謝祭」は、この日を境に先祖達の知識や土地がヨーロッパからの移民達に奪われた、「大量虐殺の始まりの日」としている。
1969年のアルカトラズ島占拠事件では、これに賛同したインディアンたちは「感謝祭の日」に合わせて数百人がアルカトラズ島に上陸した。
ワンパノアグ族を中心に、ニューイングランドのインディアン部族が結成する「ニューイングランド・アメリカインディアン連合」は、「ピルグリムファーザーズ」のこの「感謝祭」にぶつけて同じ日に、「全米哀悼の日 (en)」としてデモ抗議を毎年行い、喪服を着て虐殺された先祖達に祈りを捧げている。
また、感謝祭の翌日の金曜日は「アメリカインディアン遺産記念日」(American Indian Heritage Day)として、合衆国におけるアメリカ先住民の位置を認識し高めるための祝祭行事を行い、かれらの伝統文化や言語の遺産を再認識するための日になっている。
カナダの感謝祭
カナダの感謝祭も、プリマス植民地での出来事を記念するものと考えられており、独立戦争後にアメリカ合衆国から英領カナダに移住した王党派(ロイヤリスト)が持ち込んだ習慣である。カナダの感謝祭は10月の第2月曜日なので通常3連休だが、金曜日も休日として4連休とする州もある。
その他の感謝祭
リベリア
アメリカの黒人解放奴隷(アメリコ・ライベリアン)により建国されたアフリカのリベリアでも感謝祭が行われており、リベリアでは11月の最初の木曜日に祝う。
シエラレオネ
アフリカにあるシエラレオネの首都フリータウンではコットン・ツリーと呼ばれる伝説の木があり、1792年カナダとアメリカからの黒人解放奴隷がフリータウンに入植しに辿り着いた時、自由の土地に救済された事に神に感謝する為、この木の下で感謝祭が行われ、神への感謝の祈りと讃美歌が歌われたと言う。
グレナダ
西インド諸島のグレナダでは1983年10月25日にアメリカ軍のグレナダ侵攻があり、アメリカの軍事介入による共産主義からの解放を記念日として10月25日に感謝祭として祝っている。
ノーフォーク島
オーストラリア領のノーフォーク島では11月の最後の水曜日に感謝祭を祝っている。ノーフォーク島の感謝祭はアメリカの捕鯨船によりもたらされ、ノーフォーク島民の先祖である、ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫や捕鯨船の先祖を家族で祝う。
ドイツ
ドイツの収穫感謝祭は紀元300年のローマ人由来の宗教で、ドイツの旧来の祝日の一つである。昔ドイツ人の約80パーセントは農民であった。寒い冬の食糧保存量は秋の収穫量に依存した。収穫の労働が終わると家主がすべての家政婦や工夫全人を収穫の実を楽しむために宴会にまねいた。
現代では収穫感謝祭はキリスト教の祝日だが、元々はキリスト教と係らない祝日であった。プロテスタント教の収穫感謝祭は9月29日であるが、カトリック教の収穫感謝祭は10月の最初の日曜日である。収穫感謝礼拝式の為に教会の聖壇を果物や野菜や花で飾る。教区民が麦の穂を使って冠を作る。その冠の下でワイン、小麦粉、蜂蜜、果物を供える。教区民は歌を歌ったり、祈ったり神様への感謝を表す。このような時、自然と人間の密接な関係を思い出す。そして来年も植物がいっぱい実るように祈る。祭りの後で神様へ供えた物を恵まれない人やホームレスにあげることになる。現在のドイツには環境保護、遺伝子操作作品、世界の食料危機や食べ物を粗末にすることは収穫感謝祭では重要なテーマになっている。
ドイツの農民は田畑で麦藁を使って人形を作る。昔は藁人形に火をつけて神様へ生贄ともあった。藁人形は農民の喜びの象徴である。そして畑に立って野原を守るのである。
感謝祭の食事
伝統的な正餐のメインディッシュとなるのは、角切りにしたパンを用いた詰め物(「スタッフィング(stuffing)」または「ドレッシング(dressing)」と呼ばれる)をした大きな七面鳥の丸焼きである。そのため、感謝祭の日は「七面鳥の日」(Turkey Day)と口語的に呼ばれることもある。切り分けた七面鳥にグレービーソースとクランベリーソースを添えて供する。ベジタリアン向けには、七面鳥を模し豆腐や麩で作った食品(トーファーキーなど)も市販されている。
副菜には、マッシュポテトとグレービーソース、オレンジ色のサツマイモの料理、さやいんげんのキャセロールなどが一般的である。デザートには、アップルパイやパンプキンパイが供されることが多い。
感謝祭の伝統的な食事をいつ摂るかは、昼食、夕食、午後4時ごろなど、家庭によって異なる。また、ほとんど同じ献立をクリスマスの正餐に用いる家庭が多い。
出典
- ↑ “オバマ氏「大統領令」発表、「恩赦」の対象は…”. 読売新聞社. (2014年11月27日) . 2014閲覧.