俳優
俳優(はいゆう、英: actor)は、演劇、映画等において、その人物に扮して台詞、身振り、表情などで演じる人のこと[1]。またその職業。役者(やくしゃ)とも呼ばれる。
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概説
俳優とは、役を演ずる人のことである。演劇、映画、テレビドラマなどで、そこに登場する人物に扮して、台詞・身振り・表情などでその人物を演じる人のことである。
俳優の「優」には「芝居を職業とする人」という意味がある。
日本語の「俳優」という語は坪内逍遥によるものとされている[2]。
「俳優」は広義には演技者全体を指す名称である。ただし現代日本においては、「俳優」が狭義に、能、歌舞伎、新派役者などの伝統的かつ特殊な演技法による者を除外し、新劇およびこれと方法論を共有する演技者を指すことがある。しかし、主として歌舞伎俳優の団体である日本俳優協会(歴代会長は全員歌舞伎俳優である)も俳優の名を団体名に冠しており、団体における会員は自らを単に「俳優」と呼称する例もある。
歴史
ギリシア悲劇ははじめ一人の俳優によって演じられていた。その後アイスキュロスが俳優を二人に増やし、ソフォクレスが三人に増やしたと伝えられている[3]。古代ギリシアの俳優というのはポリスから報酬を得ていた[3]。
古代ローマやヨーロッパの中世では俳優の数は少なかったという[3]。だが、15世紀のフランスおよび周辺国では、聖史劇(神秘劇)が流行しており、旧約聖書・新約聖書に題材を得て、イエス・キリストの生誕・受難・復活の物語が演じられ、街の中心にある聖堂前の広場などで地元の住民などが臨時の俳優となって参加する形で数日間にわたり上演される、ということが各地で行われていた。
16世紀になるとコメディア・デラルテという仮面を用いる、歌・踊りを交えた即興劇が流行するようになり、俳優が職業として成立するようになった[3]。男性の俳優が主に活動していたのであったが、16世紀末の段階でイタリアやフランスで職業的女優も登場するようになった[3]。ただしイギリスに目を向けると16世紀ではまだおらず、例えばエリザベス朝演劇においては女の役は少年が女装して演じていたのであり、職業的女優が登場するのは17世紀後半になってからのことであった[3]。
俳優の社会的地位というのは概してかなり低いものだった[3]。 が、19世紀になると俳優の社会的地位は向上する傾向が生まれ、イギリスではナイトの称号を授けられる者まで現れた[3]。
仕事の内容と流れ
職業俳優の業務は、観客に公開することを目的とした劇作品を製作するために、その脚本(シナリオ)に基づき、プロデューサー、演出家、映画監督などの指導・指示の下、共演者や製作スタッフなどと協力して、その上演や撮影にあたって、与えられたキャスト(配役)を演じることにある。
俳優業は、まず自身の役を得ることが、ひとつの大仕事となる。ハリウッドでは、一般的に、主要な役はすべてオーディションによって選ばれる。まずオーディションで選ばれないことには、俳優としての仕事が始まらない。大物俳優もオーディションに参加し、ひとつの役を巡って数倍から数十倍、数百倍におよぶ厳しい倍率の競争を勝ち抜いて役を得る。大物俳優もそうしたオーディションへの応募を年中繰り返すことでひとつひとつ自分の仕事を得ており、それを止めると仕事がパタリとなくなってしまう。
俳優の中には、ある役で高く評価され人気がでる人も(ごく少数ではあるが)いる。大きく評価を受けた役を「当たり役」と呼ぶ。運よく類似の役が次々と出てくるようなことがあれば、その役をまわしてもらいやすくなり(指名してもらいやすくなり)、そうした"流れ"のようなものができて、役獲得の労苦を免れる日々を人生の一時期過ごす俳優もわずかだがいる。[注 1][注 2][注 3][注 4][注 5]。
役を得た後の俳優の仕事の流れは、国、現場の種類、監督などによって異なっている面がある。香港映画では、しっかりした脚本が存在せず、あくまで監督の心に作品概略やアイディアだけがあり、俳優に事前に脚本が与えられず、主に撮影現場で監督が台詞を(思いつきで)与え俳優の動作を指示しつつ撮影を進めてゆくことが多い。インド・ボリウッドでは、脚本がしばしば存在せず、撮影現場で監督の思いつきでストーリーが作られ台詞が与えられ、しかもボリウッド映画の定番である集団ダンス・シーンでは、ダンス担当監督が現場で自身の身体を使って手本を一度だけ見せ、主演俳優から多数の脇役(エキストラ・ダンサー[注 6])までが、それを見て一発で見事に模倣し撮影する、ということを次々と繰り返しつつ撮影が進む。日本では、上質の演技を行うために、通常は脚本が事前に渡され、俳優はそれを読み込み、役作りの上、打合せ、稽古、リハーサルなどを繰り返すといった膨大な下準備を行い、その上で本番の演技を行う。
舞台や撮影は一般に、きわめて多人数の人々が携わることによって成立している。一般に俳優ひとりが欠ける(「穴をあける」)だけでも舞台や撮影が成立しなくなってしまう。したがって俳優という仕事は、病気や個人的な都合で安易に休むことができない。特に舞台は、観客と生身の俳優が一緒にいる「場」があってはじめて成立する。観客は、例えば早くからチケットを購入し、楽しみに思いつつ、さまざまな困難がある生活の中でスケジュールを調整した上で劇場に足を運んでおり、それを裏切るわけにはいかない。また休演などという事態を引き起こすと、他の俳優にも迷惑をかけ、また観客にチケット代の払い戻しをしなければならなくなり、興行主が莫大な損失を被ることが多い。一般に、俳優は、風邪などでよほどの高熱が出ても、あるいは少々の骨折などしても出演しなければならない。[注 7]
俳優の分類
俳優を、その主な活動範囲に注目して分類することがあり、「舞台俳優」「映画俳優」「テレビ俳優」「ミュージカル俳優」などといった分類が行われることがある。
舞台演劇を中心に活動している俳優が舞台俳優である[注 8]。映画俳優とは、もっぱら映画に出演している俳優のことで、米国・ハリウッドには多数存在する。「テレビ俳優」とはもっぱら劇場公開されないテレビドラマばかりに出演している俳優で、棲みわけのはっきりしている米国では舞台俳優、映画俳優のほかに「テレビ俳優」も区別され成立している。米国では他の職業同様に、俳優業も厳格な契約によって成立しており、映画やテレビの世界では細かな職業分類がなされて法的な権利の確保や職種別の労働組合活動が行われてきた歴史があり、契約書で書かれたこと以外は一切しない、それをさせたら違法とされ裁判沙汰になるのが通例である。米国の映画俳優は原則的にテレビ広告にも出演しない[注 9]。
俳優の性別に着目し「女優」「男優」という分類がされることもある。歌舞伎の場合は「立役」「女形」と呼び分けられる。宝塚歌劇団では「男役」「娘役」がある[注 10]。アダルトビデオでもAV女優、AV男優の区別がある。なお、日本においては「女優」が女性俳優を指す用語として広く用いられているのに対し「男優」という語が用いられることは少なく、単に「俳優」と言った場合は男性俳優を指すことが多い。ただし、NHK(日本放送協会)が言及する際は、性別による分類は禁止されている為、「俳優」とまとめて言及される規定になっている。
また俳優は、それぞれの特色や得意な分野に着目してキャスティングされたり、ジャンル分けされることがある。しかし、このジャンル分けに明確な基準はなく、流動的である。
様々な分類がありうるが、たとえば二枚目俳優[4]、性格俳優、喜劇俳優、悪役俳優、アクション俳優、老け役俳優、個性派俳優(怪優(かいゆう))、子役 脇役俳優、端役俳優(チョイ役俳優)、エキストラ俳優、スーツアクター、プライベートアクター、美人女優、脱ぎ女優、動物俳優など。
日本では名題役者、時代劇俳優、剣劇俳優、大部屋俳優などという分類もある。
また俳優はキャリアの長さに応じて、大御所俳優、中堅俳優、駆け出し俳優、新人などの分類されることもある。
アニメや洋画の吹き替えなどに声だけで出演する俳優は「声優」と称される。ただし、俳優でもナレーションなどで顔を出さない作品も存在する。逆に声優でも舞台やテレビ等で顔を出して出演することもあり、線引きが曖昧になっている。
日本と俳優
歴史
日本では平安時代末期に田楽や猿楽という演劇があり、田楽法師や猿楽法師が演じており、これが日本での職業的俳優のはじまりだと考えられている[3]。
その後、能を演じる能役者が現れた。また江戸時代初期には歌舞伎を演ずる歌舞伎役者が現れた[3]。
明治時代になると、新派や新劇と呼ばれる新しい演劇ジャンルが生まれ、それぞれのジャンルの俳優が活躍するようになった[3]。
昭和 - 平成
1950年代から1960年代にかけて五社協定という取決めがあり、映画会社と専属契約を結んだいわゆる映画俳優は、自社製作の映画以外への出演が制限されるなど、明確に活動範囲を区分されていた。そのため初期の大河ドラマは、歌舞伎界や新劇などの俳優に頼らざるを得なかった事情がある。同時期の民放のテレビドラマも同様で、海外ドラマを輸入して放送したり、テレビ局で制作するドラマには、映画俳優以外の俳優や新人を起用することで対処していた。
1970年代になり、邦画の斜陽化に伴って五社協定が自然崩壊し、さらには映画会社がテレビドラマの外注先になってテレビ映画を制作するなど、映画とテレビとの垣根はほぼ消滅したが、既にテレビドラマの制作現場では映画俳優に頼らないシステムが確立されていたため、別ジャンルから俳優業に参入するケースは以前より増えた。ただし、テレビドラマにおいては俳優の実力よりも、テレビ局と所属事務所、あるいは番組スポンサーとの関係や、俳優個人の人気すなわち視聴率を取れるかどうかを重視してキャスティングすることが多く、視聴者が疑問を感じるキャスティングがされる場合もある。
現在の日本国内においてもっぱら劇場用映画に出演して生活を成り立たせることができる者は皆無に近い。つまり「映画俳優」はほぼいなくなった。
1990年代以降、テレビ局主導で映画製作が行われるケースも一般的になり、テレビドラマの制作スタイル(俳優業を本業としない者が俳優を兼業するスタイル)の領域も拡大傾向にある。一方で、俳優と名乗りながらバラエティ番組などで活動している者も多数おり、職業としての俳優という区分はあいまいになりつつある。これについて、映画俳優の設定が確立しているアメリカと違い、拘束時間が長い割に金銭的に恵まれない日本の俳優の環境が指摘されることもあるが、俳優個人の価値観や所属事務所の方針の問題も大きい。また、それぞれの出身の職業をあくまで本業としつつ、俳優業を含めて様々な活動を行う者もおり、マルチタレントと呼ばれる場合がある。これは評価される場合もあるが、否定的な見方をされることも多い。また、欧米では主にコメディ映画・ドラマに出演する者はコメディアンと呼ばれるが、日本では「コメディアン=お笑い芸人・お笑いタレント」を意味する言葉として定着しており、コメディ映画に多く出演する俳優であっても「俳優」に括られることが通常であって、そのような者が「コメディアン」と呼ばれることはほとんど無い。
俳優業は華やかな一面、厳しい世界だと言われている。俳優として有名になれるのはほんのわずかであり収入も安定していないため、挫折する者が多い。また、ずっと俳優でいられる保証はなく、一時的には第一線で活躍していた俳優でも現在はほとんど仕事がない人もいる。
また、政治活動に参加する俳優も存在するが、伝統的に日本の俳優は将来の仕事の幅や一部の消費者離れを恐れて政治色をあまり出さない傾向にある。
俳優の人の数を性別に分けると男性の方が多い。
日本における女優の歴史
日本では、歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国のように、江戸時代初期には女性が芝居に出演していたが、寛永年間(1624年-1643年)に遊女歌舞伎が禁止されたため、それ以降女性が芝居に出ることは原則として不可能になった。代わって、男性が女形として女性の役を演じ、この伝統が明治に入っても続いていた。1899年、川上音二郎一座に所属する川上貞奴が女形の代役として、サンフランシスコ公演にて急遽出演して成功をおさめ、これによって川上貞奴は、「日本初の女優」と呼ばれるようになった。
川上貞奴は、1908年、渋沢栄一などの後援をえて、東京・芝に「帝国女優養成所」を開所し、本格的に女優育成の事業を開始した。一期生には、森律子、村田嘉久子などがいた。
1914年、小林一三が宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)を設立し、女性が男性役も演じる、女性による歌劇・芝居の形式も誕生した。宝塚歌劇団に所属する女優(女性団員)は「タカラジェンヌ」(宝塚とパリジェンヌの合成語)と呼ばれている。
出身
俳優は同じ舞台や映画、テレビドラマなどで共演するが、それぞれの出身は様々である。劇団員、歌舞伎役者、モデル、歌手、タレント、アイドル、ミュージシャン、AV女優、スポーツ選手など、様々な職種から俳優業に参入する場合がある。傾向として、近年においては男女ともにモデル出身者が急増している。特に女性の場合、1980年代後半ごろからモデル出身者が激増している。また、アイドルも冬の時代を迎える直前である1980年代の中盤から増え始め、今やアイドル的な活動はごく初期のうちにとどめ、早々に俳優に転向する者も急増しており、かつては一定数の勢力があった劇団や舞台出身者、子役出身者は特に女優においては主演助演級に限定すれば相当の減少が認められる。
脚注
- 注
- ↑ 流行している俳優ばかりに注目している一般の観客の側の印象としては、こうした幸運な例ばかりがやたらに印象にのこり、まるで全俳優の中でそうした人の割合のほうが多いかのような錯覚をしてしまうわけであるが、実際には、俳優の立場から見ればそうした役に恵まれる幸運な者はごくごく少数である。
- ↑ 似た役の仕事ばかり引き受けていると、イメージが固定してしまって他の役をまわしてもらえなくなる場合もある。マンネリズムに陥ってじきに観客から飽きられてしまうリスクもある。また作品のタイプというのには流行り廃り(はやりすたり)がある場合もあり、そうした役がら(人物)が登場する作品の流行が去ってしまうようなことになると、パタリと仕事が無くなってしまう。例えば時代劇番組が流行っていた時代には特定のタイプの侍ばかり繰り返し演じていれば仕事は続けられたが、時代劇の流行が去り、番組が次々と終了してテレビ番組表から消え去ってしまうと、打てる手がほとんどなくなってしまうのである(時代劇役者の苦境については、2014年NHK BSで放送された『太秦ライムライト』およびそのメイキング番組などで解説された)。 観客は舞台や画面に登場しなくなった俳優のことは忘れてしまい、その時々に画面に登場している俳優にばかり意識を向けるので、舞台や画面に登場しなくなった俳優の苦労にほとんど気付かないが、ひとりひとりの俳優の側からすると、観客から飽きられたり忘れられる状況になった時期に、人知れず苦労(経済的な苦労、仕事がない精神的な苦痛)を味わっているのである。
- ↑ 俳優が自分の生涯のキャリアを考える場合、ひたすら一定のタイプの役を演じることでそのタイプの役を演ずる俳優としては突出した存在になる策をとるのか、あるいはなるべく様々な役・異なった役を演ずることで世の流行の影響を受けすぎないようにして長く役者としてやってゆく策をとるのか、あるいはそれの中間的なところ(得意とする役がらが数種類程度ある俳優)を目指すのか、またその策をどの年齢、どのタイミングで切り替えるのかということは思案のしどころである。状況を総合的に判断したり、劇団(事務所)や先輩俳優のアドヴァイスなどを聞いて、極端にイメージが固定しまわないように、(無難な範囲で)意識的に様々な役、異なった役に挑戦する役者も多い。
- ↑ また、主人公などを苦しめたり、いじめを行う等のネガティブなイメージのキャラクターが当たり役になると、俳優と役の区別がつかない視聴者から、俳優の家族やその親族にいわれの無い誹謗・中傷をされるなどの問題が発生することもある。
- ↑ テレビの子供向けの、いわゆる「ヒーローもの」の主役を演じる場合でも、イメージが良い、というメリットは確かにあるが、視聴者に特定のイメージが強く刷り込まれすぎるので(そしてまた、シリーズは終了してしまい、繰り返しその役はもらえるわけではないので)、「ヒーローもの」に出演(主演)した俳優の多くは番組の終了後に、人々の心に強固にできあがってしまったイメージを払拭するのに(しばしば、かなりの長年月)苦労する、ということは、その業界ではよく知られている。プライバシーにもかかわる面もあるので無難な例として古いほうの例を挙げると『仮面の忍者 赤影』の主演俳優も、同番組の終了後(人々の心に残った凛々しいまでのイメージとはうらはらに)、俳優としては苦労が続いた。また例えば、「ウルトラマンシリーズ」で主役を演じた俳優たちも、その多くがその後様々な苦労を重ねた。
- ↑ ボリウッドでは、こうした集合シーンのダンサーらは、当日の朝、撮影所で、まるで日雇い人夫が集められるようにかき集められ、撮影現場で踊り、日当を得る。だが、彼らは集合ダンスのプロであり、覚えがよく、一発でダンスを覚え模倣することができる
- ↑ 俳優が舞台に穴をあけてしまうようなことをすると、次の仕事が来なくなると言われていたり、俳優を仕事に選んだら「親の死に目にも会えない」と言われていたりする。
- ↑ 当該国で一流の「舞台俳優」と認識されている俳優のことを、たまたま日本人がそれを知らず、映画でしか観たことがなく「映画俳優」と誤解していることがある
- ↑ 日本の俳優が広告にもさかんに出演するのと対照的である。
- ↑ 主演の男役は「トップスター」、主演の娘役は「トップ娘役」と呼ばれる。
- 出典
参考文献
- 戸板康二『物語近代日本女優史』(中公文庫) 中央公論社 1983 ISBN 4122010691(「日本における女優の歴史」参考文献)