与那国空港
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与那国空港(よなぐにくうこう、英: Yonaguni Airport)は、沖縄県八重山郡与那国町(与那国島)にある地方管理空港。
概要
日本の空港で最西端に位置する空港である。年間利用客数は、国内83,887人(2014年度)[1]。
チャーター便も何度か実施している。2016年3月22日にはフジドリームエアラインズが静岡空港から飛来した。空港ではチャータ便に対応するため、全日本空輸の協力でタラップやASU(Air Start Unit)を常駐させることを検討している。[2]
歴史
- 1943年 : 旧日本軍により建設される(滑走路延長は800メートル)。
- 1957年 : 民間航空の運航を開始する。
- 1968年 : 滑走路乳剤舗装工事等が完成し、YS-11が就航する。
- 1973年 : 沖縄県の日本復帰に伴い、第三種空港として指定。しかし、日本の航空法を適用すると滑走路近くにある製糖工場の煙突が進入に支障を来すため、滑走路延長は800mとされた(従来は米国法に準拠し、1,232メートルとされていた)ことから、YS-11の就航が不可能となる。
- 1985年 : 滑走路延長を1,500メートルに延伸する。
- 1999年 : 滑走路の舗装を強化し暫定ジェット化供用を開始し、ボーイング737型機が就航する(但し、定員64名のYS-11型機から定員130名のボーイング737型機に変更されたため、従来の1日2往復から1往復に減便となった)。日本トランスオーシャン航空 (JTA) のYS-11型機は、当空港と石垣空港を結ぶ968便を最後に退役した。
- 2000年7月21日 : 琉球エアーコミューター (RAC) が那覇 - 与那国線、石垣 - 与那国線を開設する(いずれもDHC-8で週3日運航。これにより週3日ながら航空機による石垣島との日帰り旅行が再び可能になった[3][4]。後に週4日に増便)。
- 2007年
- 2008年7月4日 : 復興航空による花蓮へのチャーター便が運航される。
- 2013年1月7日 : この日をもってJTAによる定期便の運航が終了する[5]。
JTA撤退に伴う地元への影響と反応
2012年、JTAの構造改革に伴う路線再編として与那国空港からの同社の撤退およびRACによる代替運航が発表されて以降[6]、地元からは供給席数および積載貨物容量の減少に伴う経済への影響を懸念する声があることが報じられた。
供給席数についてはRACが使用する機材の定員が少ないことから、石垣線については1日あたり3便に増便するものの供給座席数が4割程度減少する。また、貨物の輸送力減少の一例として、特産品であるカジキについて従来は1便あたり10本程度積載可能(JTA便によるボーイング737型機の場合)であったものが2本に制限され「すべて運べない」(JTA役員)とされる[7]。また、石垣島から航空機による日帰りが可能となることについて、地元住民の利便性が増す反面、観光客が日帰りすることで宿泊客が減少するのではないかとの懸念も報じられた。与那国町長の外間守吉は、JTA便の復活を求めることをコメントしている。一方、那覇線については従来の週4便運航から毎日運航に変更となった。なお、石垣線の2012年度上半期における搭乗率は44%であった[5]。
2016年、RACは現在使用している機材のカーゴコンビ(客貨混合型)であるQ400CCを4月15日より与那国線へ運用することを発表した。この機材はこれまでの機材と比べ貨物積載量が2.5倍になっており、カジキについても5本まで積むことが可能となった。また、定員もこれまでの39人から11人多い50人となっている[8]。
施設
- 与那国空港.JPG
与那国空港(空撮)
- Runway of YONAGUNI airport (RW26) Ryukyu, JAPAN.jpg
滑走路全景
- Inside in Yonaguni Airport terminal Ryukyu,JAPAN.jpg
ターミナル内部
就航路線
- 琉球エアーコミューター (RAC)
- 那覇空港
- 新石垣空港
- かつては日本トランスオーシャン航空 (JTA) も運航していた。
交通
運行本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイト・町の公式サイトなどを参照。
- 最西端観光(路線バス)
- 久部良発着便、島内一周便
その他
- 与那国VORDME/ILSが整備されているものの、管理官所は、那覇空港事務所システム運用管理センターである。
防空識別圏問題
日本最西端の島である与那国島は、なんらの領土紛争も存在せず、国際的にも明らかな日本の領土である。しかし、沖縄占領時にアメリカ空軍が設定していた防空識別圏を防衛庁(当時)が、1969年(昭和44年)の訓令でそのまま継承した結果、島の上空は日本の領空だが、島の東側3分の1は日本、西側3分の2は中華民国の防空識別圏として扱われるようになった。この領空と防空識別圏の不一致は、長く防衛上の懸案とされていた。
石垣島方面から飛来した旅客機は、与那国島の北を通って一度西側に出る。この段階で旅客機は中華民国の防空識別圏に進入しており、島の西側で進路を180度変え、東向きに滑走路へ降下して着陸する(離着陸は原則として全て東向きである)。防空識別圏が与那国島を分断していた場合、たとえば与那国空港へ向かう日本の民間機が、事前にフライトプランを中華民国空軍に提出しておかないと、島に近づいた途端に未確認飛行物体として同空軍機にスクランブル発進されかねない。
また、逆に台湾の航空管制区域から日本へ入ってくる不審機について日本側への通報が遅れた場合、日本側が認識した時点では、既に与那国島上空に所在するということにもなりかねない。このほか、海上自衛隊の航空哨戒任務や航空自衛隊の航空機は、通常は与那国島上空より西側へ出ることは無いため、島の西側を目視で哨戒する事ができなくなる。
ところが、2005年(平成17年)12月に、与那国町長の外間守吉と衆議院議員の西銘恒三郎が、台湾を訪問した際に中華民国の安全保障機関である国会安全会議から入手した資料によると、中華民国は与那国島から半径12海里(約22キロ)の半月状の地域を、時期は不明だが自国の防空識別圏を与那国島から西側にずらして運用するようになり、与那国島を自国の防空識別圏の範疇から外して運用している事が判明した[9]。
これにより、民間航空における問題が発生する可能性は低いことは判明したが、どのような経緯を経て日台間の認識相違が生じたのかは不明であり、防衛庁長官(当時)の額賀福志郎も国会で「初めて聞いた」と述べて、日本国政府レベルで確認と検討を行うとし[10]、中華民国側からも「国防担当者と検討する」との表明がなされた[11]。西銘は、日本の防空識別圏を西側にずらすよう日本国政府に働きかける事を表明し、2009年(平成21年)7月には、外間が当時の防衛大臣浜田靖一に改善要望を出した[12]。
防空識別圏に端を発するような問題はこれまでに発生していないが、1995年の第三次台湾海峡危機以降、中華民国の軍事訓練が活発化するようになり、漁協などの漁業関係者からは、「怖くて操業できない」「安全のために漁を自粛せざるを得ない」などの苦情がある。特に、2006年(平成20年)8月の射撃訓練の際には、台湾側の当初の訓練区域設定が、過去の防空識別圏のまま、東経123度線に沿って与那国島の西半分をも含んでいた事が判明し[13]、防空識別圏の設定が無茶な軍事訓練の範囲にも繋がっているとの批判がある[14]。こうした事態を踏まえ、与那国町議会や漁協の関係などが、県や国の関係省庁に改善要望の提出を行った。
2010年(平成22年)5月26日、日本国政府は防空識別圏をそれまでの東経123度線から、与那国島の陸地から台湾側洋上へ14海里分西側を半月状に広げる形で設定し直す方針を明らかにし、6月25日付けの防衛省訓令改正により実施された。なお、中華民国には外交ルートを通じて説明がなされた[15]が、中華民国外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明[16]、日本の決定を受け入れないとしている。
脚注
- ↑ “管内空港の利用状況概況集計表(平成26年度速報値)” (PDF) (プレスリリース), 国土交通省大阪航空局
- ↑ “機能強化で就航便増 ANA、支援機材を無償提供”. 八重山毎日新聞. (2016年12月10日) . 2017閲覧.
- ↑ 那覇から週3日運行/RACが与那国直行便 - 琉球新報(2000年5月12日付、2013年3月6日閲覧)
- ↑ 企業情報・社史概要 - 琉球エアコミューター(2013年3月6日閲覧) ※運航機種・ダイヤ詳細(日帰り旅行の可否)については記載なし。
- ↑ 5.0 5.1 JTA、あす与那国路線から撤退 RAC単独運航へ - 八重山毎日新聞(2013年1月6日付、同年3月6日閲覧)
- ↑ JTA与那国〜石垣路線、来年1月8日に撤退 - 八重山毎日新聞(2012年11月10日付、2013年3月6日閲覧)
- ↑ 与那国線撤退、町に説明 RAC増便で対応 カジキ積載に制限 JTA - 八重山日報(2012年9月14日付、2013年3月6日閲覧)
- ↑ 新機材、15日から運航 RAC - 八重山毎日新聞(2016年4月6日付、2016年4月8日閲覧)
- ↑ 与那国島、防空識別圏から外れる 日台間で認識にズレ - 八重山毎日新聞(2005年12月28日付)
- ↑ 第164回国会 予算委員会 第8号
- ↑ 防空識別圏は検討 台湾首脳、そうぞう視察団に説明 - 琉球新報(2006年4月12日付)
- ↑ 浜田防衛相「私の訪問が答え」 与那国島の陸自部隊要望に - イザ!(産経新聞、2009年7月8日付)
- ↑ 後に、日本の外務省が財団法人交流協会を通じて台湾側に抗議した結果、与那国島を半円状に外した設定に修正された。
- ↑ 訓練区域に与那国島 台湾海軍が計画 - 琉球新報
- ↑ 与那国島沖に拡大 防空識別圏、台湾に説明 - 産経新聞(2010年5月26日付)
- ↑ 台湾が「遺憾」 与那国島付近の防空識別圏見直し - 朝日新聞(2010年5月29日付)