ブルマー
ブルマー (bloomers) は、女性が運動などを行う際に下半身に着用する衣類の一種で、ブルマあるいはブルーマ、ブルーマーとも呼ぶ。20世紀に世界的に広く普及した。
学校教育で体育の授業の運動時に着用する体操着や、スポーツ用パンツとしても広く用いられる。女子バレーボールや陸上競技の選手が試合や練習で穿くユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。チアリーダーが穿くコスチュームパンツにもブルマーが用いられる。また、オーバーパンツとしても用いられる。
Contents
起源
ブルマーは、19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーによって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。諸説あるが、有力視されているのはアメリカ合衆国の女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーの発案を、女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーが「リリー」誌上で紹介した事により、ブルマーの名称はアメリア・ジェンクス・ブルーマーの名前(ラストネーム)に由来したとする説である。後にこれが運動着として使えるようなものに改良された。
当時は女性用の適当な運動着はなく、この発明は極めて画期的なものであった。この頃のブルマーはニッカーボッカーズボンのようにだぶつきがあり、膝あたりまで丈があった。また、別の説では乗馬用のズボンが変形したものともいう。
ちょうちんブルマー
1970年前後まで製造されていた伸縮性のない生地を用いたタイプ。腰と裾口にゴムが入っている以外はだぶつきのある作りで、運動時の可動性を確保するためにギャザーあるいはプリーツがつけられていた。これらはニット製ブルマーの誕生以降、その形状的な特徴から「ちょうちんブルマー」と呼んで区別されるようになった。
ショーツ型ブルマー
発生の経緯
化学繊維とニット素材の発達により、ブルマーは臀部にぴったりフィットしたフルバックタイプのショーツ型へと進化した。このタイプのブルマーが日本で普及していくのは、1964年東京オリンピック以降の1960年代後半からである。
ショーツ型ブルマーをオリンピックで最初に採用した国は旧ソビエト連邦で(アメリカでも同時期に採用)[1]、当時の日本でも現代型ブルマーの試作品を女子バレー日本代表に持ち込んだりしたが、日本代表は採用せず特注の改良型ショートパンツを使用した。
特徴
ショーツ型ブルマーの特徴はだぶつきのない形状で、アスレチックブルマー、スポーツブルマー、スクールショーツなどとも呼ばれる。メーカーによってはニットブルマー、スクールブルマーともいう。
名前の通りショーツのような形状をしており、体操着以外では防寒目的や月経などで衣服が汚れるのを防ぐために、ショーツの上から重ね履きする形で(ブルマーの下履き用のショーツもある)着用されていた。また、パンチラを防ぐ目的でスカートの下に着用されていた。
色は濃紺が主流であったが、青、えんじ色、緑ほか様々で、ブルマーの側面には白などのラインが入るデザインなど、ジャージー同様に様々なバリエーションが存在する。学校では「スクールカラー」として色やラインの有無を指定する他、学年ごとに色を変えて区別できるようにしている場合もあった。
裾はゴム仕様が多く、オペロンゴムやスパンゴムと呼ばれ、ウエストや脚口にフィットさせる平ゴムタイプ、運動時に腹部にくい込みにくい2重または3重ゴムタイプのものとに大別できる。
主に、前身頃と後身頃というシンプルな構成になっている。製造元によっては一枚布で縫製されたものもある。
ショーツとほぼ同一の丈で、脚ぐりの位置は通常、ラインがウエストラインとヒップラインの中間あたりまで切り込まれ、ハイレグはヒップラインよりやや上まで、ローレグはヒップラインの少し下くらいまでカットされている。ショーツで言うとローレグカットかレギュラーカットとほぼ同じである。
ショーツとの相違点
ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。
- 素材はナイロンやポリエステル等の厚地で伸縮性がある。
- 色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。
- 腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。
- 内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。
- クロッチが必要ないため、二枚布を股の部分で縫製する。
- 股上が下着に比べて深い。
肌着としての活用
体育の授業以外でもショーツのように、下着の上に履くオーバーパンツとして着用されることもある。
スポーツ用
バレーボール
1990年代後半頃までは全日本女子の選手は、バレーブルマーを着用が一般的だった。その後、ユニフォームも大幅に変わり、裾の短いスパッツのようなショートズボンにとって代わった。バレーブルマーは競技の特性上、転がったり滑ったりするのを想定し腰丈(股上)が長く厚手の丈夫な生地が用いられていた。
視聴者参加のスポーツバラエティ番組にも、学校の体育系クラブや会社のスポーツサークルが、練習や試合で着用するバレーブルマーを襟付き長袖シャツとセットで着用して参加することもあった。
近年(2001年から2006年ごろ)、ヨーロッパのクラブチームでは相次いで廃止され、ブルマーを使用しているのはフランス・ギリシャ・スペイン・ポルトガル・スロベニア・ポーランドなど、幾つかを数えるのみである。それらのほとんどは日本のバレーブルマーとは異なり、薄い生地でハイレグタイプになっている。南米のアルゼンチンでは今なお(2014年時点では)ブルマーが主流である。
男子でもミュンヘンオリンピックブラジル代表がブルマーを着用したことがあった[映像 1]。
陸上競技
女子陸上競技の選手、特に激しい動きを要する競走、跳躍の選手においては現在でもブルマーが多用されている。近年は動きやすさを重視し、短距離及び跳躍においていわゆるセパレート型のレーシングショーツの着用が増加している。このレーシングショーツはブルマータイプとボックスタイプが存在し、福島千里のように試合ごとにこれらを使い分ける選手もいる。一方、マラソン、中長距離ではブルマーからランニングパンツ及びスパッツ、被服以上の機能(サーキュレーション、スタビライゼーション、ヒーリング等)も持ち合わせた機能性タイツ(コンプレッションタイツ等)への転換が進んでいる。海外では短距離同様のセパレートも見られる。
投擲ではスパッツが主流で世界的に見てもブルマーは少数派。
その他のスポーツ
1980年代までは女子バスケットボールおよびハンドボール、ボート競技でもブルマーが用いられていた。また、各学校の女子テニス部ではアンダースコートの代わりにブルマーが着用されることもあった。
日本における普及と衰退
東京オリンピックまで
大国化と近代化を目指していた戦前の日本で、ブルマーが普及するまでは教育現場や学校で体操時に女性が着用した運動着は従来からのもんぺぐらいであったため、新しいウェアは非常に斬新に映り、全国の学校の標準運動着として採用された。女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)では、留学先のアメリカから井口阿くりが持ち帰ったブルマーが体操着として1903年に最初に紹介され、大正末期から昭和初期にかけて女学校で採用されるようになった[2][3]。
敗戦後は日本は国力に極めて乏しく、1964年東京オリンピック前後まで文部省や教育現場では、義務教育において体操着を学校標準指定で強制することはなかった。当時、小中学校の女子生徒のブルマーは紺色のちょうちん型が圧倒的に多数を占め、親の手製も見受けられた時代でもあった。ショートパンツ型や現在に近い形の製品も混在していた。なお、ちょうちん型とニット生地ショーツ型の過渡期的なものとして1960年代後半にはサイドファスナーでウエストリアがゴムシャーリングとなり、すそが折り返しになった紺サージ生地のショートパンツ型が一般的で、このタイプは1980年代まで一部の私立校で採用され続けた。このタイプを「ショート」あるいは「短パンブルマー」と呼ぶ場合がある。
学校等の指定体操着としての普及
ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマーの認識が広まり、小学校・中学校・高校・日本人学校・幼稚園・保育園などで、指定体操着として採用されるようになった。
体育の授業や掃除の時間をはじめ運動会(体育祭)、学芸会、マラソン大会など学校行事においても着用され、大学の運動部などでも使用された[4][5]。
中学、高校では、パンチラ、防寒対策等でスカートの下に穿いているショーツの上からブルマーを着用して腰全体を密着。制服の一部として着用されたこともある。
学校以外でも、地域のマラソン大会やテレビの視聴者参加番組、映画やドラマ、テレビ番組等の収録で着用されることもある。
主に「女子限定の体操着」として着用されているが、場所や時期によって「男女共通の体操着」として女子だけでなく男子にも着用されるケースもある。幼稚園、保育園では、男女共用として着用され、田舎の方では男子用の短パンの支給が足りず、女子用と同じタイプのショーツ型ローレグタイプのブルマーを男子にも履かせていた学校もあった[6]。メーカー、ブランドによっては、女子用はもちろんのこと学生販売用に男子女子とも着用できるように、丈や股幅、もも廻り、ウエストの長さを調整し、型番まで付けて生産しているところもあった。
カンコーではウエスト、脚口がオベロンゴムタイプの濃紺無地のブルマーを「日本中学校体育連盟推奨品」として販売されていた。
水着としての着用例
海女が、防寒策として下着の上から着用する場合がある。
小学校などで川遊びや遠足、臨海学校、遭難時の訓練目的で海洋訓練や着衣水泳の授業が行われ、その際に用いられることもあった。
テレビの視聴者参加番組でも着用され、バレーボール部に所属する女子大生が長袖ユニフォームシャツにバレーブルマー、膝サポーター、ハイソックス、運動靴、頭にハチマキをきちっと締めた恰好で水中に潜り込み、全身びしょ濡れにして泳いだこともある。女子バレーボール選手が練習、試合で使用するバレーユニフォーム一式を「水着」として着用したまま、全身びしょ濡れになって着衣水泳を行った例である。[7]
反対運動と廃止
1970年代以降、ブルマーは従来のもんぺ・ちょうちん型からショーツのように太腿を完全に露出するスタイルに変貌した。当時の人気スポーツであったバレーボールの影響から、スポーティーで格好よく、軽量で動きに対する追従性が良いと好意的に受け止められる向きがあった反面、臀部が大きくなっていく初経前後及び臀部にボリュームが生じるようになる初経の1年後以降[8][9][10]の女子にとってはブルマーの裾から臀部が露出したり、ブルマーの裾からショーツが露出するいわゆる「はみパン」やブルマー越しにショーツの形状が浮き出るなどという問題があり、性的な羞恥心が強くなる思春期の女子の多くが抵抗感を持っていたが、学校指定とされていたために着用せざるを得なかったと言う。
1987年、名古屋西高校で女子生徒の体操着として新たにブルマーを導入したところ、生徒による反対運動が起こった[11]。1988年、朝日新聞で女子中高生がブルマーに反対する投書が掲載された。
1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。ブルマーが性的好奇心の対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事でブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーを窃盗し逮捕されるなど不審者による事件が相次ぎ、社会問題として取り上げられるようになっていった。
1993年にJリーグが開始される前後より始まったサッカーブームから、プロサッカー選手のユニフォームとして着用されていたハーフパンツが注目されるようになった[12]。
こうした時代背景の中、ブルマー着用の必然性に対して疑問の声が上がり始め、新聞にブルマー廃止を訴える女子中高生の投書が掲載されるようになった。1995年には東京都小金井市議会で若竹綾子市議が問題提起を行い、それが朝日新聞に掲載されると、学校や保護者も含めたブルマ―廃止機運が高まった。また男女同権論者・ジェンダーフリー教育論者の中からは、「通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育の観点に照らして男子・女子とも同じ運動着を着るべきである」と主張する人々も現れた。また、「太ももが冷えて血行に悪い」というデメリットも挙げられた。
これらの動きにマスコミも追従し、追放運動は1990年代中盤にピークを迎えた。1994年にいくつかの県で廃止が決定されると、ブルマーの指定廃止は数年のうちに全国に広がった。こうして公立校は2004年、私立校でも2005年を最後に、女子の体操着としてブルマーを指定する学校は日本から消滅した。多くの学校では、ブルマーの代わりに膝上までのハーフパンツまたはクォーターパンツが採用されることとなった。
現在では、主にコスプレ用やオーバーパンツ(見せパン)、ベビー服(ベビーブルマ)などの用途での需要で生産されている。また、一部の陸上競技用としてブルマー型のレーシングショーツ(レーシングブルマー)が使用されている。
性的フェティシズムの対象として
前述の経緯から現実の校庭からは消え失せたブルマーだが、性的興味の対象として熱狂的なマニアが存在するほか、男性向け作品のフィクションの中では人気があり、萌え属性の一つとして定着している[13]。
学園物の成年コミックやアダルトゲームの大半や、場合によっては全年齢対象の作品においても、女性キャラクターにブルマーを着用させているケースが見られ、ブルマーに対するフェティシズムを前面に押し出した「ブルマー物」と呼ばれる作品ジャンルも存在する。
「ブルマー物」の場合、ブルマーを知らずに育った世代が増えた現代では、初めてブルマーを知ったという人間も多いと言う。こうしたフィクションでは当然のように使われていたため、現在でもブルマーが学校の体操着として使用されていると勘違いしたままの人間もいた。
現在もコスチュームショップやブルセラショップ、体操着を取り扱っているオンラインショップでは購入可能であり、日本におけるブルセラショップで取り扱われるフェティシズム対象物として、制服と並べて取り上げられる代表格に挙げられるものである[14]。また、収集するマニア(自らが穿くことも兼ねて収集する者もいる)がいるほか、コスプレ物AVやイメクラ、性的ロールプレイなどにおいても散見される。ただし、ネット販売でブルマーを扱っていた業者でも、ブルマーの販売を打ち切ったところがある。
メーカー・ブランド
日本国内では、スポーツウェア・スポーツ用品メーカー(アシックス、ミズノなど)や、繊維製品メーカー(東レ、ユニチカなど)、繊維製品メーカーのなかでも学生衣料に特化したメーカー(カンコー、トンボなど)が、自社の取り扱う体操服やスクール水着などといったスポーツウェア、学生衣料のひとつとしてブルマーを生産していた。衣料品卸問屋が自社ブランドで生産していた例もあった。
2000年代後半あたりまで9割以上が生産を打ち切っており、現在は店頭をはじめネット通販でさえ入手困難な状態となっている。
製造メーカーについては以下を参照のこと。
脚注
- ↑ 日本テレビ伊東家の食卓内「教科書にのらないウラ昭和史」
- ↑ Allen Guttmann and Lee Thompson, Japanese Sports: a History, University of Hawaii Press, 2001, pp. 93ff. ISBN 0824824148.
- ↑ 興水はる海、外山友子、萩原美代子「女子の運動服の変遷: 東京女子高等師範学校に関して」『日本体育学会大会号』No. 30, p. 116, 1979.
- ↑ 『学研 学習百科大辞典 12 保健体育 技術 家庭 音楽』、1975年。ブルマー着用の筑波大学ダンス部女子部員の模範演技掲載。
- ↑ 『写真と図解による最新バレーボール9人制』(大修館書店)、1978年4月1日。ブルマー着用の東京女子体育大学女子バレーボール部員掲載。
- ↑ メディアに取り上げられた事例としては、1988年の月刊『明星』(集英社)5月号に掲載された、内海光司の幼少時代のブルマー姿の写真がある
- ↑ 2003年9月24日放送(18:55 - 21:09)『第3回大会 KUNOICHI2003秋』
- ↑ バストと初経のヒミツの関係
- ↑ 『初経』をキーにした現代ティーンの成長と体型変化について
- ↑ パンツサイズ(ショーツサイズ)のはかり方|小学生・中学生女の子下着の悩み解決|ガールズばでなび
- ↑ 中嶋聡『ブルマーはなぜ消えたのか - セクハラと心の傷の文化を問う』P40~43
- ↑ ブルマーの現状と来歴
- ↑ 『萌え大全〈Vol.2〉すぽーつうぇあ大全』 すぽーつうぇあ大全制作委員会、秀和システム、2009-04、p.82。ISBN 978-4798022277。アクセス日 2011-03-20。
- ↑ Ryang, Sonia (2006-10-18). Love in modern Japan: its estrangement from self, sex, and society, p.99. ISBN 978-0415770057. Retrieved on 2011-03-20.
資料映像
- ↑ OG 1972 Men GDR vs BRA. 国際オリンピック委員会.. (2015年5月27日). 該当時間: 1:55 . 2013年11月23日閲覧.
関連項目
- 教育関係記事一覧
- 体育
- 体操着
- ジャージ
- ハーフパンツ
- スパッツ
- 短パン
- 紅白帽
- 運動靴
- 日本の学校制服
- エリザベス・スミス・ミラー
- 懐古趣味
- ロリータ・コンプレックス
- パンティー
- セクシャル・ハラスメント
- 体操_(YMOの曲)