フィルム・ノワール
フィルム・ノワール (film noir) は、虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画 を指した総称である。
狭義には、1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にアメリカで製作された犯罪映画を指す。
Contents
起源と定義
Film noirはフランス語で「暗い映画」を意味する。(なお、noirとはフランス語で"黒い"(英語でいえばBlack)という意味の形容詞である)
1946年、フランスの映画批評家・脚本家のニーノ・フランクが、アメリカで第二次世界大戦中に製作された『マルタの鷹』『飾窓の女』などの犯罪映画の一群を指して、この呼称を与えた[1]のが起源と言われる[2]。以後フランスの映画評論界における用語として定着し、後にはアメリカにも用語・定義として逆輸入された。
フランス語であるため、一部にはフランス製ギャング映画を指してフィルム・ノワールと表現する例がみられる(後述フレンチ・フィルム・ノワール参照のこと)が、本来は上記のような経緯からハリウッドで製作された犯罪映画を指し、1941年製作の『マルタの鷹』(監督:ジョン・ヒューストン、主演:ハンフリー・ボガート)をそのはしりとする。一部にはそれに先立つ1940年製作の『三階の他人』Stranger on the Third Floor(監督:ボリス・イングスター)を最初のフィルム・ノワールと定義する評論家もある。一般的な定義では、1941年製作の『マルタの鷹』から、1958年製作の『黒い罠』(監督:オーソン・ウェルズ、主演:チャールトン・ヘストン)に至る時期の作品群を指すものとされている。
もっとも更に遡る1932年公開(製作は1930年)の『暗黒街の顔役』(監督:ハワード・ホークス、主演:ポール・ムニ)を、その当時のギャング映画としては突出した(倫理コードの極限の[3])凶暴性と破滅・退廃性から、フィルム・ノワールの源流と考える見方もある。
なお、このジャンルの期間や含まれる作品は確固たるものではなく、上記のごとく評論家個々によって相当に異なる。
フィルム・ノワールの特徴
犯罪に題材を得ていれば総てフィルム・ノワールと呼ぶわけではない。ジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソンらが主演した1930年代のギャング映画一般は、フィルム・ノワールとは呼ばれない。
フィルム・ノワールとされる映画には、ドイツ表現主義にも通じる、影やコントラストを多用した色調やセットで撮影され、行き場のない閉塞感が作品全体を覆っている。夜間のロケーション撮影が多いのも特徴といえる。その全盛期における多くの作品はコストの制約もあってモノクロームで制作され、カラーの事例は少ない。
多くのフィルム・ノワールには、男を堕落させる「ファム・ファタール」(運命の女、危険な女)が登場する。また、登場人物の主な種別として、私立探偵、警官、判事、富裕層の市民、弁護士、ギャング、無法者などがあげられる。フィルム・ノワール以前の映画と大きく異なる点は、これらの登場人物が、職業倫理、もしくは人格面で、堕落または破綻を来しており(もしくはそれを悪化させて行く)、一筋縄ではいかないキャラクターとして描かれている点である。彼らは、シニカルな人生観や、閉塞感、悲観的な世界観に支配されている。登場人物相互間での裏切りや、無慈悲な仕打ち、支配欲などが描かれ、それに伴う殺人、主人公の破滅が、しばしば映画のストーリーの核となる。
ストーリーの展開としては、完全に直線的な時系列で物語が語られることはまれであり、モノローグや回想などを使用して、物語が進行することが多い。モノローグと回想で進行する『深夜の告白』はその典型と言え、時系列錯綜を徹底させた例では『現金に体を張れ』などがあげられる。
低予算のB級映画として製作された作品が多く、予算や撮影日数、上映時間(B級作品は70分~80分の短尺作品が多かった)の制約は厳しかった。コストダウンのために既存セットの流用やロケーション撮影が多用された。主役にはしばしば二流もしくは無名俳優が起用されることもあった。映画会社と契約した専属シナリオライターたちは、限られた時間内で新味のあるB級映画向けシナリオの量産を強いられ、ストーリーの大胆な省略や風変わりな設定がよく用いられた(コメディやメロドラマに比しても、フィルム・ノワールではその傾向が顕著である)[4]。
当時の映画技術的進歩として、コーティングされた明るいレンズ、小型化され同時録音が可能になったシネカメラ、照明機材の小型化などがある。第二次世界大戦直前から戦時中にかけ、軍事・報道記録用のシネカメラが機能的に発達した影響であるが、これはスタジオを飛び出してのロケ撮影や夜間撮影を容易とし、撮影コストの抑制とリアリズムの追求に資することになった。
フレンチ・フィルム・ノワールと香港ノワール
一方で、ジャン=ピエール・メルヴィルやジョゼ・ジョヴァンニなどの作品を含むフランス製ギャング映画を、フレンチ・フィルム・ノワール(フランス製フィルム・ノワール)と呼んで分類する場合がある。ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1954年)およびジュールズ・ダッシン監督の『男の争い』(1955年)をそのはしりとし、このジャンルの映画の系譜はおおむね1970年代まで盛んに続いた。
根元的には、第二次世界大戦後にフランスで興隆してきた「セリ・ノワール」(暗黒小説)と呼ばれるギャング物の犯罪小説を起源としており(前述2作も、アルベール・シモナンと、オーギュスト・ル・ブルトンの、それぞれ共に1953年発表の小説を映画化したものである)、更にそのセリ・ノワールもまた、戦後流入したアメリカのハードボイルド小説とフィルム・ノワールの影響を多かれ少なかれ受けていた。
アメリカン・フィルム・ノワールとの最も大きな違いは、「男同士の友情と裏切り」を多く主題としている点である。フレンチ・フィルム・ノワールには、アメリカン・フィルムノワールにおける「ファム・ファタール」としての強いキャラクターを備えた「悪女」はあまり登場せず、場合によっては女性が一人も登場しない作品もある。従ってアメリカン・フィルム・ノワールのようなニューロティックな傾向は希薄であり、むしろ情念の濃厚なギャング映画という性格が強い(ジャン・ピエール・メルヴィルの作品の一部のような例外もある)。
このような性質上、フレンチ・フィルム・ノワール作品の多くは、暗黒街におけるギャングと警察、もしくはギャング同士の対立を軸に構成されている。
これは1980年代以降、ジョン・ウーなどが監督・製作した香港製犯罪映画(日本では、香港ノワール等とも言われる)にも通じる傾向である。香港ノワールは、アクション性の強さでは(アメリカン・フィルム・ノワール以外の)ハリウッド製アクション映画との親和性・近似性を備えるが、ギャング映画としての基本的ベクトルはフレンチ・フィルム・ノワールに近い。
フィルム・ノワールの代表的作品
狭義の「フィルム・ノワールの代表例」とされる事の多い作品を、そのモチーフと共に挙げるが、主演女優の多くははっきりとした悪女(ファム・ファタール)役であり、そうでない場合でも、結果的に主人公の男を破滅させる原因を作ることの多い役柄である。
また以下の作品に関係する多くの監督・俳優は、フィルム・ノワール的な作品・役柄を得意としている。
- 『拳銃貸します』 This Gun for Hire (1942)
- 監督:フランク・タトル、主演:アラン・ラッド、ヴェロニカ・レイク。裏切りによって追い詰められた殺し屋の孤独な復讐と破滅。
- 『深夜の告白』 Double Indemnity (1944)
- 監督:ビリー・ワイルダー、主演:フレッド・マクマレイ、バーバラ・スタンウィック。欲望に囚われた不倫の男女による保険金目的の完全犯罪とその破綻。
- 『ローラ殺人事件』 Laura (1944)
- 監督:オットー・プレミンジャー、主演:ジーン・ティアニー、ダナ・アンドリュース) 虚栄に満ちた文化人たち同士の歪んだ愛憎関係。
- 『飾窓の女』 The Woman in the Window (1944)
- 監督:フリッツ・ラング、主演:エドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ベネット) 悪女に誘惑された、凡庸な常識人の破滅。
- 『ギルダ』 Gilda (1946)
- 監督:チャールズ・ヴィダー、主演:リタ・ヘイワース、グレン・フォード) 犯罪組織の内紛、悪女との愛憎。
- 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 The Postman Always Rings Twice (1946)
- 監督:テイ・ガーネット、主演:ラナ・ターナー、ジョン・ガーフィールド) 欲望に憑かれたアウトロー・カップルの破滅。
- 『殺人者』 The Killers (1946)
- 監督:ロバート・シオドマク、主演:エヴァ・ガードナー、バート・ランカスター) 悪女の裏切りによるボクサーの転落・破滅。
- 『三つ数えろ』 The Big Sleep (1946)
- 監督:ハワード・ホークス、主演:ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール)原作はレイモンド・チャンドラーの大いなる眠り。虚実入り乱れる錯綜した状況の中での真相追求(その混乱は最終的に収拾されない)。
- 『過去を逃れて』 Out of the Past (1947)
- 監督:ジャック・ターナー、主演:ロバート・ミッチャム、ジェーン・グリア) 悪女の裏切りによる私立探偵の破滅。
- 『上海から来た女』 The Lady from Shanghai (1948)
- 監督兼主演:オーソン・ウェルズ、主演:リタ・ヘイワース) 謎めいた女に翻弄され、殺人の冤罪に問われる主人公。最終的なカタストロフの到来。
- 『白熱』 White Heat (1949)
- 監督:ラオール・ウォルシュ、主演:ジェームズ・キャグニー、ヴァージニア・メイヨ) 精神に異常を来した凶悪ギャングの暴走的破滅と、その妻である悪女の裏切り。
- 『夜の人々』 They Live by Night (1949)
- 監督:ニコラス・レイ、主演:キャシー・オドンネル、ファーリー・グレンジャー) 若く純粋な若者達がアウトローに堕し、破滅。
- 『アスファルト・ジャングル』 The Asphalt Jungle (1950)
- 監督:ジョン・ヒューストン、主演:スターリング・ヘイドン)
- 『現金に体を張れ』 The Killing (1956)
- 監督:スタンリー・キューブリック、主演:スターリング・ヘイドン) いずれも大筋は、集団による周到な犯罪計画と、僅かな齟齬の連鎖が招くその破綻。前者はこの種の「ケイパードラマ」と言われるジャンルの祖型であり、後者はそのエピゴーネンの中でも時制の錯綜を巧みに用いて突出した傑作である。
- 『狩人の夜』 The Night of the Hunter (1955)
- 監督:チャールズ・ロートン、主演:ロバート・ミッチャム) 異常性格者の伝道師が引き起こす偏執的凶悪行為。
- 『キッスで殺せ!』 Kiss Me Deadly (1955)
- 監督:ロバート・アルドリッチ、主演:ラルフ・ミーカー) 錯綜した状況下での、暴力の応酬による真相追求と、それらのあらゆる暴力をも超越する「圧倒的な力」がもたらす破滅。
- 『めまい』 Vertigo (1958)
- 監督:アルフレッド・ヒッチコック、主演:ジェームズ・ステュアート、キム・ノヴァク) 謎めいた女に翻弄される主人公。追いつめられて行く両者の心理と、最終的な破滅の到来。
「広義」のフィルム・ノワール
フィルム・ノワール最盛期は同時にハリウッドの全盛時代であり、1950年代以降のハリウッドがB級プログラム・ピクチャーを量産しうるだけの勢いを失ったことは、フィルム・ノワール製作の拠り所をも失うことを意味した。
以後も往年のフィルム・ノワールの影響を強く受けた犯罪映画・異常心理映画は多く作られているが、時代に応じて1960年代以降の映像はカラーフィルムが標準となっている。またかつてのフィルム・ノワールでは、台詞や態度に婉曲な性的隠喩を込めたり、暴力シーン直接描写の省略による凶行の暗示などで、厳しい倫理コードを回避しながら観客に対する間接的な事象の示唆を図っていたが、1960年代以降の倫理コードの緩和によって、直截的なベッドシーン・暴虐描写や、タブーであった卑語の多用が行われるようになり、その趣は大いに変化した。1946年製作の『三つ数えろ』と、その1978年のリメイク版である『大いなる眠り』を(完成度の優劣は度外視して)表面的に比較するだけでも、時代の変化は容易に理解し得る。
1960年代以降の映画では、『ブレードランナー』のように別ジャンル作品でありながらフィルム・ノワールタイプのモチーフを備えた作品が現れ、また『チャイナタウン』(1974年。舞台設定は1937年)、『L.A.コンフィデンシャル』(1997年。舞台設定は1950年代)のように、第二次大戦前後のフィルム・ノワール全盛時代を舞台としてフィルム・ノワール型のストーリーを展開しながら、現代的な解釈を加えたA級相当の映画として製作される事例も見られる。
更に、フィルム・ノワールと半ば不可分である「モノクローム」のイメージから、カラー製作、ハイビジョンデジタルビデオ製作が当たり前になった現代においても、あえてモノクロフイルムで製作される事例があり、カラーの場合でも、色彩効果を暗めに調整したり、闇や夜間のシーンを多用することで暗い画面を演出する事が多い。
- 『ロリータ』 Lolita (1962)
- 監督:スタンリー・キューブリック、主演:ジェームズ・メイソン) ロリータは、おそらく最年少のファム・ファタールと言える存在であろう。
- 『ブレードランナー』 Blade Runner (1982)
- 監督:リドリー・スコット、主演:ハリソン・フォード) 未来世界を舞台とした斬新なSF映画としてカルトな評価を得ている作品であるが、単なるSFではなく、フィルム・ノワールの要素も併せ持つことが、しばしば評論家の間で指摘されている。
- 『さらば、ベルリン』 The Good German (2006)
- 監督:スティーブン・ソダーバーグ、主演:ジョージ・クルーニー、ケイト・ブランシェット) 終戦直後のベルリンを舞台にした、上記と同様の手法で作られた現代版フィルム・ノワール。モノクロフィルムで製作。
日本のフィルム・ノワール
日本映画でフィルム・ノワール的な作品を手がけている監督としては、黒澤明、鈴木清順、篠田正浩、岡本喜八、深作欣二、石井輝男、鈴木英夫、北野武、石井隆、野村芳太郎、森一生、川尻善昭、三池崇史、押井守などが挙げられる。
- 『ならず者』(1964)
- 監督:石井輝男、主演:高倉健 仕事で訪れた香港で謀略にはめられた殺し屋の攻防を描く。
- 『殺しの烙印』(1967)
- 監督:鈴木清順、主演:宍戸錠 殺し屋組織に属する主人公を描いたカルト的作品。
- 『ある殺し屋』(1967)
- 監督:森一生、主演:市川雷蔵 周到な計画と正確無比なテクニックで依頼を成功させる殺し屋を描いた作品。
- 『キリマンジャロは遠く』(2016)
- 監督:柏原寛司、主演:片桐竜次
関連項目
註
- ↑ レクラン・フランセ (L'Écran Français)、1946年8月、英語版WikipediaNino Frank参照。
- ↑ ただし、暗いモチーフを用いたフランス映画について1930年代末期に Film noir とフランスで呼んだ事例はあるが、単発的なものであり、戦後に至って、アメリカ映画の傾向について定義する用語として定着した。
- ↑ いわゆるヘイズ・コードと呼ばれるものの実施は1934年からである。
- ↑ 『深夜の告白』『ローラ殺人事件』など、このジャンルで名作とされる作品でも、警察の遺体検視が適切に為されていれば成立し得ないようなストーリーが展開されている。それらは当時の法医学水準でも異常事態であることが十分に判定可能な事象であり、ご都合主義的な杜撰さは免れない。しかしそれは反面で、これらの作品がミステリーとしての完全性よりも、登場人物の心理や行動から来るサスペンス性に重点を置いて作られていたことを示しているとも言える。