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{{複数の問題|出典の明記=2012年7月|独自研究=2014年11月}}
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'''宗教法人霊友会'''(しゅうきょうほうじんれいゆうかい)は、[[法華]]系の[[新宗教]]である。信者数は公称4,263,879人<ref>海外含む2013年12月31日時点の公称 [http://reiyukai.jp/profile/ 概要 - 霊友会]</ref>。『宗教年鑑 平成29年版』における国内信者数は、1,272,581人とされている<ref>文化庁『宗教年鑑 平成29年版』 P77</ref>。
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'''宗教法人霊友会'''(しゅうきょうほうじんれいゆうかい)
 
 
== 歴史 ==
 
{{出典の明記|date=2015年4月|section=1}}
 
* [[1920年]] - 創立者の[[久保角太郎]]は[[西田無学]]の思想と行法を知り、それをきっかけとして本格的な法華経研究と在家による実践方法の模索に入る{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}。
 
* [[1924年]] - 若月チセらと第一次「霊友会(南千住霊友会)」結成するが、若月らに菩薩行としての趣旨が理解されず、その後袂を分かつ{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}
 
* [[1927年]] - 兄夫婦の小谷安吉・[[小谷喜美]]らとともに「赤坂霊友会」として活動を開始{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}。
 
* [[1930年]] - [[小谷喜美]]を名誉会長とし、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員・永山武敏[[男爵]]を会長に迎え久保を理事長として「霊友会」として発会式を行う。永山は三ヶ月で辞任し、小谷喜美が会長に復帰する<ref>[[村上重良]] 『日本宗教事典』 [[講談社学術文庫]] 837 ISBN 4061588370、415p</ref>。「在家による法華経の菩薩行を実践する団体」として発展。
 
* [[1936年]] - [[九条日浄]]を総裁に迎える。弾圧への配慮のためである<ref>村上重良 『新宗教 <small>その行動と思想</small>』 [[岩波現代文庫]] G170 ISBN 978-4006001704、204p</ref>。
 
* [[1944年]] - 久保角太郎他界。その後、小谷喜美を中心に戦後大きく教勢を伸ばしていくが、多くの分派を生むに至る<ref>主な分派として、[[立正佼成会]]、[[思親会]]、[[佛所護念会教団]]、[[妙智会教団]]、[[妙道会教団]]、[[大慧會教団]]、[[正義会教団]]、[[法師宗]]などの[[新宗教]]の団体が挙げられる。これらを総称して霊友会系教団と分類することが多い</ref>{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}。
 
* [[1949年]] - 教団本部が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の捜索を受け、金塊と[[コカイン]]が押収される。翌年には小谷喜美が脱税の容疑で捜査を受け、麻薬所持で摘発される<ref>村上 『新宗教』、205p</ref>。この後[[普明会教団]]と[[妙智会教団]]、[[佛所護念会教団]]が分派していく{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}。
 
: [[井上順孝]]は、終戦直後の社会的混乱の中で、脱税を目的とする便乗教団が生まれたことを指摘している<ref>[[井上順孝]] 『新宗教の解読』 [[ちくま学芸文庫]] [イ-12-1] ISBN 4480082735、135p</ref>。
 
* [[1952年]]11月15日 - 宗教法人法による宗教法人となる。
 
* [[1953年]] - 小谷喜美が[[共同募金|赤い羽根共同募金]]110万円の横領、闇ドル入手、贈賄などの容疑で検挙される。顧問弁護士[[木村篤太郎]]らの尽力で釈放される<ref>[[室伏哲郎]] 『<small>実録</small> 日本汚職史』 [[ちくま文庫]] [む-2-1] ISBN 4480022031、272-273p</ref><ref>[[島田裕巳]] 『日本の10大新宗教』 [[幻冬舎新書]] 061 ISBN 978-4344980600、118p</ref>。なおこの闇ドル入手には、[[聖イグナチオ教会]]会計係の神父が関係していた<ref>[[松本清張]] 『黒い手帖』 [[中公文庫]] [ま-12-25] ISBN 4122045177、205p</ref>。
 
* [[1971年]]2月 - 小谷喜美死去後、久保角太郎の子息である[[久保継成]]が会長に就任。
 
* [[1993年]]11月18日 - 久保継成は集団合議制を確立する為に会長職を辞任、理事長に就任。
 
* [[1993年]]6月9日 - 霊友会本部釈迦殿(東京都港区麻布台)で行われている月例行事「在家のつどい」に久保継成が登壇。久保継成は自身が会長職に復帰する旨の宣言を一方的に発表する。これにより、久保継成、及び、久保が会長職への復帰を支持する幹部・役員・会員と、その他の霊友会幹部・役員・会員との内紛状態に入る。以降、久保継成及び久保を支持するグループによる霊友会本部、及び、関連施設への立ち入りが出来なくなる{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}。
 
* [[1996年]]9月4日 - [[濱口八重]](元会長補佐兼第22支部長)が後継会長に就任。[[久保継成]]は、久保継成を支持する第七支部の[[松本廣]]を中心とした独自の別グループを形成し、団体名称「[[Inner Trip REIYUKAI International]]」という国際団体として活動を開始。日本国内においては団体名称を「[[ITRI日本センター]]」とする。
 
* [[2000年]]5月18日 - 濱口八重会長死去により大形市太郎(元理事)が会長に就任。
 
* [[2003年]] - 久保継成は「Inner Trip REIYUKAI International」及び「ITRI日本センター」から離れ、新団体「[[在家仏教こころの会]]」を設立し、以降、分派団体としての活動を行う。以降、「Inner Trip REIYUKAI International」及び「ITRI日本センター」の代表は、[[松本廣]]が担っている{{要出典|date=2017年8月31日 (木) 02:07 (UTC)}}。
 
* [[2013年]]4月8日 -大形市太郎会長死去により末吉将祠が会長に就任。
 
=== 赤い羽根募金業務上横領事件 ===
 
1953年、小谷喜美が赤い羽根共同募金110万円の横領、闇ドル入手、贈賄などの容疑で検挙された。この事件では、次の3件が裁判になった。
 
# 赤い羽根募金業務横領事件―霊友会付属国友婦人会は、小谷を会長、Tを書記として募金の集計・保管などに従事していた。Tは1957年から28年の募金実額を不正に削減し、一部を業務上横領したもの。
 
# 贈収賄事件―宗教法人認証の便宜を図るため、文部省宗務課長・篠原義雄に10万円を贈与したもの。
 
#外国為替および外国貿易管理法違反事件
 
1957年3月5日、東京地方裁判所で第1審の判決が下された。小谷は1で無罪、2・3で懲役1年罰金200万円執行猶予2年の有罪。Tは1で懲役8月執行猶予2年の有罪。篠原義雄は収賄で懲役8月執行猶予2年の有罪。その後、被告弁護側・検察側双方ともに判決を不服として控訴。1959年3月3日、東京高等裁判所は、すべての控訴を棄却する判決を出した<ref>[[井上順孝]]・他/偏「新宗教事典 本文篇」弘文堂(平成6年7月)P510~P511</ref>。
 
 
 
== 教義 ==
 
霊友会では、自分に繋がる父系・母系双系のすべての先祖を象徴した「総戒名」と呼ばれる、一種の時間軸における関係性の象徴を前にして、日々、「青経巻」と呼ばれる、法華三部経からの抜粋を中心に編纂された経巻を読誦する。これを霊友会では「先祖供養」と呼んでいる。この「先祖供養」という用語により、会の外部はもちろん、霊友会の会員自体の中にも大きな誤解が生じ、それが霊友会の本来の趣旨が正確に伝わらなかった大きな要因になったことは否定できない。<ref>『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』238頁</ref>
 
 
 
霊友会の趣旨では、先祖は祟るものでも依存する対象でもなく、父系母系双系のすべての先祖との関係性はDNAの例を見ても分かるとおり、現在の自分自身の中に集約されており、それら先祖の象徴である「総戒名」を前にして法華経を読誦すると言う行為は、広い意味での自分自身の象徴の前で、自身に対して経を聞かせるのと同義である。<ref>『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』239頁</ref>
 
 
 
== 分裂・分派発生 ==
 
{{出典の明記|date=2015年4月|section=1}}
 
創立者の[[久保角太郎]]の子息である[[久保継成]]は、さまざまな改革を断行したが、結局、会内部での改革をあきらめ、改革の趣旨に賛同した会員達とともに、[[在家仏教こころの会]]という別団体を設立する事になる。
 
 
 
== 政治運動 ==
 
これまで[[参議院]]の[[全国区制|全国区]]・[[参議院比例区|比例区]]選挙において[[内田芳郎]]、[[細川護熙]]、[[佐藤信二]]、[[町村金五]]、[[片山正英]]、[[扇千景]]、[[安西愛子]]、[[川上源太郎]]、[[源田実]]、[[田中正巳]]、[[久世公堯]]、[[石井道子]]、[[清水嘉与子]]、[[小野清子]]、[[石田昌宏]]、[[太田房江]]といった候補を支援してきた<ref>[https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=83&item_id=8085&item_no=1 戦後日本国家と民衆宗教の政治参加 : 宗教学的一考察] [[中野毅]]</ref><ref>1965年7月2日付朝日新聞</ref><ref>1974年6月25日付朝日新聞</ref><ref>1980年6月20日付朝日新聞</ref><ref>2001年7月12日付読売新聞</ref><ref>2013年8月16日付朝日新聞</ref>。
 
 
 
過去に実施された日本会議のイベントの受付では、霊友会を含む各種宗教団体別の受付窓口が設けられ、参加者を組織動員したこともあることが指摘されている<ref>上杉聡。「日本における『宗教右翼』の台頭と『つくる会』『日本会議』」戦争責任、39、2003年 53ページ。</ref>。
 
 
 
== その他==
 
*[[中外日報]]によれば、かつて、フランスで十分な確認がされないまま規制すべき団体「[[セクト]]」に一時指定されたが、フランス政府関係者が来日した際に教えや活動内容を説明した結果、指定は解除された<ref>『[[中外日報]]』平成26年7月25日号{{Cite web|url=http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/danmen/003/20140725-005.html|title=<連載・断面>新宗教⑤|publisher=[http://www.chugainippoh.co.jp/index.htm 中外日報]|accessdate=2016年6月21日}}</ref>。
 
 
 
*宗教ジャーナリストの[[藤倉善郎]]は、部外者を旅行等と偽り、伊豆の山中の隔離された研修施設で宗教合宿に参加させる事例が多数あるとして、霊友会を勧誘手法に問題があるカルト教団であるとしている<ref>{{Cite web|url=http://dailycult.blogspot.com/2017/10/2017300.html|title=衆院選2017総力特集!“オカルト候補”300人ぜんぶ載せ!|publisher=やや日刊カルト新聞|accessdate=2018年7月10日}}</ref>。
 
 
 
== 著名な信者 ==
 
*[[石原慎太郎]]
 
*: 霊友会信者であり、政界進出にあたり支持をとりつけて大量の組織票を獲得した<ref>「てっぺん野郎本人も知らなかった石原慎太郎」佐野眞一 ISBN 4062119064</ref><ref>朝倉秀雄、「国会議員リアル白書」、2011年9月11日初版発行、笠倉出版社、168ページ</ref>。霊友会の定期刊行物「あした21」に寄稿するほか、イベントにも参加している<ref>[http://www.reiyukai.or.jp/Back.html あした21 バックナンバー]</ref>。
 
*[[若乃花幹士 (初代)|花田勝治]]<ref>「あの若貴も信者 霊友会お家騒動であぶり出された女とカネ」『週刊朝日』1996-7-5</ref>
 
*: 元横綱。長男を不慮の事故で亡くした後に入会している。他の花田一族も信徒である。実弟に当たる[[貴ノ花利彰|貴ノ花]]は霊友会から[[化粧廻し]]を提供されていたこともある。
 
*[[若嶋津六夫|日高六男]]夫妻<ref>[http://www.fukushokai.or.jp/pdf/magazin/vol169.pdf#search='%E6%9D%BE%E3%83%B6%E6%A0%B9+%E9%9C%8A%E5%8F%8B%E4%BC%9A' 『福商会報』2014年「クロマグロに英気を」のところ]</ref>
 
*: 元大関。現役時代に入会。部屋を興した後も夫妻で活動。
 
  
== 脚注 ==
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法華系の新宗教。 1923年宮内省出入りの建築士,久保角太郎が同じ法華信者で,シャーマン的性格をもった若月チセ,職人戸次貞雄とともにつくった霊友会をもとに,24年久保が実兄の小谷安吉,その妻喜美と発足させたのに始る。 30年小谷喜美が会長,久保が理事長となって布教を進め,37年東京都港区麻布飯倉町に本部をつくり,一般層に進出したが,のち[[立正佼成会]]など4教団が分立し,さらに博愛同志会,妙智会など 11教団に分裂してやや停滞した。その間 46年には宗教法人となり,49年霊友会教団となった。『[[法華経]]』の奥義とする祖先供養を行うことをおもな目的とし,本尊は「南無妙法蓮華経」の曼荼羅を中央にして,過去帳を置き,御題目を唱え,法華三部経を読む。『南無妙法蓮華経-朝夕のおつとめ』を聖典とし,毎月2回本部で読経,供養し,会員の先祖供養の実践から得た体験談や入信の動機などを話合う。機関誌に月刊『霊友会報』『明法』『いんなあ・とりっぷ』がある。
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[霊友会系教団]]
 
*[[ぴいぷる]] - かつて[[テレビ東京]]で放送されていた[[宗教番組]]。
 
*[[ラジオ図書館]] - かつて[[TBSラジオ]]で放送され、番組スポンサーとなっていた[[ラジオドラマ]]番組。
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Reiyukai}}
 
*霊友会
 
 
**[http://reiyukai.jp 日本語公式サイト]
 
**[http://reiyukai.jp 日本語公式サイト]
 
**[http://www.reiyukai.org/ 英語公式サイト]
 
**[http://www.reiyukai.org/ 英語公式サイト]
**[http://reiyukai.jp/ygs.php 青年部サイト]
 
  
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[[Category:霊友会|*]]
 
[[Category:霊友会|*]]

2018/10/14/ (日) 09:34時点における最新版

霊友会
設立年 1920年
設立者 久保角太郎
種類 宗教法人
本部 東京都港区麻布台1-7-8
テンプレートを表示

宗教法人霊友会(しゅうきょうほうじんれいゆうかい)

法華系の新宗教。 1923年宮内省出入りの建築士,久保角太郎が同じ法華信者で,シャーマン的性格をもった若月チセ,職人戸次貞雄とともにつくった霊友会をもとに,24年久保が実兄の小谷安吉,その妻喜美と発足させたのに始る。 30年小谷喜美が会長,久保が理事長となって布教を進め,37年東京都港区麻布飯倉町に本部をつくり,一般層に進出したが,のち立正佼成会など4教団が分立し,さらに博愛同志会,妙智会など 11教団に分裂してやや停滞した。その間 46年には宗教法人となり,49年霊友会教団となった。『法華経』の奥義とする祖先供養を行うことをおもな目的とし,本尊は「南無妙法蓮華経」の曼荼羅を中央にして,過去帳を置き,御題目を唱え,法華三部経を読む。『南無妙法蓮華経-朝夕のおつとめ』を聖典とし,毎月2回本部で読経,供養し,会員の先祖供養の実践から得た体験談や入信の動機などを話合う。機関誌に月刊『霊友会報』『明法』『いんなあ・とりっぷ』がある。

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