和光 (商業施設)

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ファイル:WAKO2011.jpg
夕暮れの和光

和光(わこう、英称:Wako)は、株式会社和光が展開する店舗名であり、日本商業施設である。

概要

本店・本館は東京銀座の中心にあり、「銀座和光」とも呼ばれる。建物の設計は渡辺仁プライベートブランド(セイコー製)の時計や宝飾品に加え、日本国内外の腕時計、宝飾品、陶磁器バッグなど高級装飾品を扱うこと、や著名人が多く訪れる高級専門店として有名である。アートギャラリーの「和光ホール」が6階にあり、様々な催事が常時行われている。

本館の時計塔は、銀座のシンボル的存在である。時計台には鐘楼があり、店舗営業時間中の毎時0分にウェストミンスターの鐘を演奏し時刻数の鐘を鳴らす。

銀座には本館の他には「インテリアショップ」、2011年8月にオープンした「アクリスショップ」また、2012年9月に新たにオープンした「和光アネックス」がある。かつては、「並木館」、「時計サロン」、「ギフトショップ」、「メガネショップ」、「チョコレートサロン」、「ベビーギフトショップ」、「チョコレートショップ」などの店舗が存在したが、2012年9月5日現在では上記の4店舗のみが営業している(並木館は2008年1月にオープンしたが、不採算部門であるレストラン事業からの撤退を決め、9階の「WAKO CAFE」と10階の「レストラン THE WAKO」が2011年2月に閉店。並木館全体も同年9月に閉館した)。

本館は2008年に改装工事を行い、同年11月22日にリニューアルオープンした。

小売業でありながら、かつては日曜日祝日は休館であった。しかし、2010年10月から、本館と並木館では日曜、祝日も営業するようになり、2011年2月のレストラン THE WAKOの閉店で銀座地区の全店舗が無休となった。 2008年にセイコーホールディングス(セイコーHD)から20億5000万円の増資を受ける。セイコーHDによれば、2010年時点において17億円の債務超過の状態にある[1]

歴史

1881年12月、服部金太郎が「服部時計店」(現:セイコーホールディングス)として創業。1947年4月に小売部門が独立し、現在に至る。終戦直後は進駐軍向けのPX(基地内売店)として機能していた。1894年にできた服部時計タワーは現在の和光がある場所に立っていたが、1921年に改築のために取り壊された。

現在の和光本館として使われているネオルネサンス調ビルディング(渡辺仁設計)は、関東大震災後の1932年に「服部時計店ビル」として建てられたものである。時計台はカリヨンを備え、毎正時[2]2012年からは3月11日14時46分に、東日本大震災の犠牲者を悼んで特別に11回、その1分後に2回)、有名な「ウェストミンスターの鐘」と時数分のゴングを鳴らしている[3]

テレビコマーシャルの第1号とされる、精工舎(現・セイコーホールディングス)の午後7時の時報の終わりに、時計台の映像が採用されている。

支店・ブティック

羽田空港大阪西心斎橋ホテル日航大阪1階に支店があり、ブティックもホテルオークラ店(東京)、名古屋観光ホテル店、松坂屋名古屋店、ホテルオークラ新潟店、札幌パークホテル店、大丸福岡天神店などに展開する。

ゴジラ

1954年(昭和29年)公開の『ゴジラ』第1作で、時計塔の鐘の音に怒ったゴジラに叩き壊された。助監督の梶田興治によれば、このシーンはあまりに真に迫っていたので、映画を観たあとで本当にこの時計ビルが壊されているか確かめに来る人々が多かったという。和光は劇中での時計塔破壊に激怒し、「銀座のステータス・シンボルを台無しにされた」として、東宝に猛抗議を入れてきた。梶田は「東宝も日劇をゴジラに壊されておりますので……」となだめにかかったが、和光側は「それは東宝さんのほうの事情でしょう」と納得せず、以後2年間、東宝作品での情景使用を絶対に認めなかったという[4]1995年(平成7年)公開の『ゴジラvsデストロイア』では第1作へのオマージュとして41年ぶりにゴジラと「再会」するイメージシーンが描かれ、2016年(平成28年)公開の『シン・ゴジラ』でもゴジラに破壊された。

ギャラリー

脚注

関連項目

外部リンク

座標: 東経139度45分54秒北緯35.671607度 東経139.765027度35.671607; 139.765027