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{{Infobox 組織
 
| 名称 = 宗教法人創価学会
 
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| 画像説明 = 創価学会旗<br>八葉蓮華入り三色旗
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| 目的 = [[日蓮|日蓮大聖人]]の仏法の本義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかることにより、各人が[[人間革命]]を成就するとともに、日蓮大聖人の仏法を世界に[[広宣流布]]し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献すること<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html#no02 創価学会会則 第1章 総則]</ref>
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| 本部 = {{JPN}}<br/>{{color|red|〒}}160-8583<br/>[[東京都]][[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]32<br>広宣流布大誓堂<br/><small>{{coord|35|40|52.85|N|139|43|14.47|E|region:JP|display=inline}}</small>
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| ウェブサイト = [http://www.sokanet.jp/ SOKAnet(創価学会 公式ウェブサイト)] {{ja icon}}
 
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[[File:創価学会広宣流布大誓堂.jpg|thumb|創価学会常住御本尊を安置する<br>広宣流布大誓堂<br>(創立83周年にあたる[[2013年]][[11月18日]]竣工、<br>所在地:[[東京都]][[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]])]]
 
'''創価学会'''(そうかがっかい)は、[[日本]]の[[宗教法人]]である。
 
 
[[法華経]]系の[[在家]][[仏教]]の団体<ref name="watanabe"/>で、国内に公称827万世帯を擁する、「日本最大の宗教団体」とも言われている<ref>{{Cite web|url=https://socra.net/politics/【ポスト池田探る創価学会①】壊れた「全員当選/?r=1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171223102305/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171222-00010002-socra-pol|archivedate=2017-12-23|title=【ポスト池田探る創価学会(1)】 「自民党にすり寄りすぎた」--組織衰弱が如実な公明党の衆院選|date=2017-12-15|publisher=株式会社ソクラ|accessdate=2018-04-05}}</ref>。
 
 
「創価」とは「価値創造」の意味。創価学会は価値の中心に「生命の尊厳」の確立を置き、それに基づいた「万人の幸福」と「世界の平和」の実現を目標としている。
 
 
1930年(昭和5年)に創立し、1952年(昭和27年)に[[宗教法人]]の資格を取得。
 
 
1975年(昭和50年)には[[創価学会インタナショナル]](SGI)を発足させ、日本を含む世界192カ国・地域に1,200万人を超える会員を擁している。
 
 
1964年(昭和39年)に日本初の[[宗教政党]]、[[公明党]]を結成した<ref name="watanabe">[[渡辺和子 (宗教学者)|渡辺和子]]『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』2015年7月10日 ISBN 9784791623143、242ページ、「創価学会: わが国ではじめて宗教政党を結成 三代会長のもとで大教団に発展した法華経系の在家仏教」</ref>。
 
 
『[[聖教新聞]]』(日刊)、『[[創価新報]]』(月2回)、『[[大白蓮華]]』(月刊)、『グラフSGI』(月刊)など複数の機関紙誌を発行<ref group="SG">SEIKYO online http://www.seikyoonline.com/intro/seikyo/publication.html</ref>している。
 
 
== 概要 ==
 
[[ファイル:Sanshokuki.svg|220px|thumb|創価学会の三色旗<br>青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。]]
 
 
[[1930年]](昭和5年)[[11月18日]]に、『創価教育学体系』が発刊され、[[尋常小学校]]の[[校長]]であった[[牧口常三郎]]と、[[戸田城聖]]ら当時の教育者などが集い、[[日蓮]]の[[法 (仏教)|仏法]]精神に基づく教育者の育成と雑誌の発行を目的とする「[[創価教育学会]]」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。[[1937年]](昭和12年)に、創価教育学会は[[日蓮正宗]]の[[講]]の1つとして位置付けられた{{sfn|塚田穂高|2015|pp=114-117}}。この組織が創価学会の前身となる。
 
 
しかし、[[第二次世界大戦]]中の[[1943年]](昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が[[治安維持法]]並びに[[不敬罪]]で[[逮捕]]され、牧口は[[1944年]](昭和19年)11月18日に獄死。[[1945年]](昭和20年)7月3日、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を整備、[[1952年]](昭和27年)、[[宗教法人]]の認証を得る。
 
 
[[1951年]](昭和26年)[[5月3日]]に第2代会長に就任した[[戸田城聖]]の下で、75万世帯を目標にした「[[折伏大行進]]」という名の大規模な布教運動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大したが、強引な勧誘の手法は批判を呼び、社会問題化した{{sfn|塚田穂高|2015|pp=117-120}}。[[1958年]](昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、[[1960年]](昭和35年)5月3日に[[池田大作]]が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。[[1991年]](平成3年)11月に日蓮正宗宗門から破門される。
 
 
教義的には[[日蓮]]を[[末法]]時代の[[本仏]]と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「[[南無妙法蓮華経]]」の[[題目|唱題]]を実践し、「[[法華経]]」思想の布教を宣言([[広宣流布]])し、[[平和]]な[[世界]]の実現を目標とするとしている<ref name="daihyakka">[https://kotobank.jp/word/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A-89159 『日本大百科全書(小学館)【創価学会】』]</ref>。
 
 
1964年(昭和39年)には、「公明政治連盟」を創設し、[[日本の政党]]の要件を満たしている唯一の[[宗教政党]]として「[[公明党]]」を結成し、[[日本の政治|日本政治]]にも関わっている<ref name="sg">島田裕巳 『創価学会』([[新潮社]] 2004年6月20日) ISBN 978-4106100727 {{要ページ番号|date=2016年11月}}</ref>。
 
 
== 沿革 ==
 
=== 1930年 - 1949年 ===
 
*東京市立白金尋常小学校(現・[[港区立白金小学校]])校長だった[[牧口常三郎]]が「[[日蓮正宗]]」に入信。ほぼ同時期に戸田甚一(後の[[戸田城聖]])も入信。
 
* [[1930年]](昭和5年)
 
** 11月18日 - 牧口の『創価教育学体系』第1巻が発行される。戸田は「戸田城外」を名乗る。創価学会ではこの日を創立記念日としている。また「創価教育学支援会」も結成された<ref>美坂房洋 編集兼発行者『牧口常三郎』 聖教新聞社 1972年11月18日刊</ref>
 
* [[1937年]](昭和12年)
 
** 12月 - 「[[創価教育学会]]」発会式<ref name="genseisyukyo">大島宏之 『日本の現世宗教』([[自由国民社]] 2002年1月10日)ISBN 978-4426619008</ref>。
 
* [[1939年]](昭和14年)
 
** 12月 - 「創価教育学会」第1回総会。
 
* [[1940年]](昭和15年)
 
** 5月 - 金融業「日本商手」を設立、創価教育学会事務所を現在の[[東京都]][[千代田区]][[神田錦町]]に置かれた同社内に移転。
 
** 10月 - 東京・[[九段下]]の軍人会館(現・「[[九段会館]]」)において「創価教育学会」第2回総会。
 
* [[1941年]](昭和16年)
 
** 7月 - 機関紙「価値創造」創刊
 
** 11月 - 創価教育学会第3回総会。
 
* [[1942年]](昭和17年)
 
** 11月 - 東京・[[一ツ橋]]の[[日本教育会館]]において「創価教育学会」第5回総会。支部の数が東京に16、地方に12となる<ref name="sg"/>。
 
* [[1943年]](昭和18年)
 
** 5月 - 創価教育学会第6回総会。直後に[[国家神道|神社神道]]を批判したことで機関誌『新教』が廃刊命令を受ける。
 
** 7月 - 「[[治安維持法]]」違反並びに「[[不敬罪]]」の容疑で牧口、戸田の他、21名の幹部が[[逮捕]]される。
 
* [[1944年]](昭和19年)
 
** 11月18日 - 牧口が[[巣鴨拘置所|東京拘置所]]内で死去。
 
* [[1945年]](昭和20年)
 
** 7月 - 戸田が[[豊多摩刑務所]]から出獄。
 
** 9月 - 東京都千代田区[[西神田]]にビルを取得。創価教育学会本部を再建。
 
* [[1946年]](昭和21年)
 
** 3月 - 「創価教育学会」を「創価学会」に改称し、組織整備を始める。
 
** 11月17日 - 牧口の三[[命日|回忌]][[法要]]および「創価学会」第1回総会を開催。戸田が理事長に就任。
 
* [[1949年]](昭和24年)
 
** 7月 - 機関誌『[[大白蓮華]]』創刊。
 
 
=== 1950年代 ===
 
* [[1951年]](昭和26年)
 
** 4月20日 - 機関紙『聖教新聞』創刊<ref group="注">当時は1か月に3回の「旬刊」からスタートした。</ref>。
 
** 5月3日 - 戸田が「創価学会」会長に就任。小泉隆が理事長に就任。戸田は就任演説において、自らが生きている間に75万世帯を折伏することを目標に掲げる<ref name="systemtositeno">古川利明 『システムとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年10月25日) ISBN 978-4807499229 </ref>。
 
** 7月 - 男子部・女子部など現在のスタイルに近いものを結成<ref name="genseisyukyo"/>。
 
** 11月
 
*** 4日 - 第6回総会にて戸田は「学会精神と目的」について「弘安2年10月12日図顕の一閻浮提総与御本尊の日本流布、東洋広布、日蓮正宗宗門の顕揚」の3ヶ条遂行を大誓願とする旨発表<ref group="SG">『聖教新聞』第21号「学会精神と大誓願」</ref>。
 
*** 18日 - 『折伏教典』を発刊<ref name="genseisyukyo"/>。
 
** 12月18日 - 戸田が宗務院の命により登山し、「宗教法人創価学会」設立に際して、宗門から要望のあった3ヶ条の遵守を約束<ref group="SG">『聖教新聞』第26号</ref><ref group="SG">民衆勝利の凱歌II破邪顕正の広布史p125</ref><ref group="注">3ヶ条とは、
 
#折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
 
#当山の教義を守ること
 
#[[三宝]](仏・法・僧)を守ること
 
である。</ref>。
 
{{main|#日蓮正宗との関係と対立}}
 
* [[1952年]](昭和27年)
 
** 4月 - 「[[狸祭り事件]]」<ref name="sg"/>。
 
** 4月28日 - 『新編日蓮大聖人御書全集』(通称・御書全集、御書)を発刊<ref name="gosyo65" group="SG">[http://www.sokanet.jp/pr/recommend/about-gosho/ 勇気と希望の源泉 御書 御書発刊65周年企画] - 創価学会公式ホームページ 2017年5月14日閲覧。</ref>。
 
** 8月27日 - [[東京都知事]]より[[宗教法人]]の認証を得て9月8日「宗教法人創価学会」が正式に発足する。
 
** 11月 - 『御書十大部講義』を発刊<ref name="genseisyukyo"/>。
 
** 12月 - 教学部の任用試験を開始<ref name="sg"/>。
 
** 年末 - 男子部の人材育成グループ「水滸会」を発足{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=114-115}}。
 
* [[1953年]](昭和28年)
 
** 10月 - 東京都[[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]に本部が完成<ref name="sgkaibou">[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』([[朝日新聞社]] 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861 {{要ページ番号|date=2016年6月}}</ref>。
 
** 11月 - 本部を信濃町に移転<ref name="sg"/>。
 
* [[1954年]](昭和29年)
 
** 3月 - 参謀室設置
 
** 10月 - 大石寺に青年部1万人が登山し、出陣式<ref name="sg"/>。
 
** 11月 - 文化部設置
 
** 12月 - 渉外部設置
 
* [[1955年]](昭和30年)
 
** 3月 - [[北海道]][[小樽市]]において、[[日蓮宗]]と創価学会との[[法論]]が行われる。{{see also|#小樽問答}}
 
** 4月 - 政界進出を目指し、第3回[[統一地方選挙]]に文化部員を出馬<ref name="systemtositeno"/>。当時はまだ政党組織がなかったため、無所属で創価学会が推薦するという形を取った。
 
* [[1956年]](昭和31年)
 
** 1月 - 戸田が宗門64世法主[[日昇|水谷日昇]]の隠退表明を拝して「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に[[除名]]する」との談話を発表<ref group="SG">1956年1月29日付聖教新聞</ref>。同日の寸鉄では「(創価学会は日蓮正宗の)法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。」と評した<ref group="SG">1956年1月29日付聖教新聞</ref>。{{see also|日昇#略歴}}
 
** 7月 - [[第4回参議院議員通常選挙]]に6名の候補者を擁立。大阪支部長の[[白木義一郎]]ら3名が当選。
 
* [[1957年]](昭和32年)
 
** 4月 - 参議院[[大阪府選挙区]]の[[補欠選挙]]で一部の会員が[[選挙違反]]を起こす。会員の供述から小泉理事長、池田渉外部長ら合わせて47人が逮捕される。のち裁判で池田の無罪が確定。{{main|大阪事件_(創価学会)}}
 
** 9月 - 横浜市・三ツ沢グラウンドで戸田が「[[原水爆禁止宣言]]」を発表。
 
** 12月 - 本部幹部会で75万世帯の折伏達成を発表。また、戸田会長は欠席したものの、「永遠の三指針」を発表<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/shinkaiin/keyword.html 新入会員のために:キーワード(語句の説明集) 永遠の5指針] - 創価学会公式ホームページ 2017年5月14日閲覧。</ref><ref group="注">当時は
 
#一家和楽の信心
 
#各人が幸福をつかむ信心
 
#難を乗り越える信心
 
の3つからなる「永遠の三指針」として発表。2003年には「各人が幸福をつかむ信心」が「幸福をつかむ信心」に変わり、名誉会長の池田が新たに2項目を追加し、
 
#一家和楽の信心
 
#幸福をつかむ信心
 
#難を乗り越える信心
 
#健康長寿の信心
 
#絶対勝利の信心
 
からなる「永遠の五指針」となった。</ref>。
 
* [[1958年]](昭和33年)
 
** 3月 - 日蓮正宗の総本山[[大講堂 (大石寺)|大石寺の大講堂]]が完成。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼んだ。延べ20万人余の会員が参加。{{main|戸田城聖#大講堂と突然の死}}また、同月16日には「広宣流布の模擬試験」を大石寺大講堂で行い、青年部員6,000人が参加<ref group="注">{{要出典範囲|date=2018-04|当初は戸田会長と親交があった[[内閣総理大臣]][[岸信介]]の参列も予定されたが、学会に批判的な自民党議員の反対を受けて見送られ、名代として娘婿の[[安倍晋太郎]]・[[安倍洋子|洋子]]夫妻、[[建設大臣|前建設大臣]]の[[南条徳男]]が出席した}}。</ref>、戸田が広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/kaiin/kofushi/03.html#no01 会員サポート:3月の広布史 広宣流布記念の日] - 創価学会公式ホームページ 2017年5月14日閲覧。</ref>。{{see also|大講堂 (大石寺)#概要}}
 
** 4月 - 1日に戸田が体調を崩し[[駿河台日本大学病院]]に緊急入院<ref group="SG">大白蓮華2010年4月号P21「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」</ref>。2日に死去<ref group="SG">大白蓮華2010年4月号P28「会長就任50周年記念企画 永遠に師と勝利を共に」</ref>。
 
** 5月 - 戸田の四十九日法要を機に開かれた臨時幹部会において戸田の七回忌まで後継者となる新会長を立てないことを決定、戸田幾、細井日達立会いの下、池田、石田、和泉、柏原らが誓約書に署名<ref group="SG">『大日蓮 1958年6月 臨時発行号』</ref>。
 
** 6月 - 池田が「総務」のポストを新設し、自ら就任。
 
* [[1959年]](昭和34年)
 
** 6月 - 池田が青年部参謀室長を辞任し、総務職に専念。
 
 
=== 1960年代 ===
 
* [[1960年]](昭和35年)
 
** 5月3日 - 戸田の没後2年(三回忌)を経て、池田大作が創価学会第3代会長に就任。理事長に原島が就任。
 
** 7月 - 創価学会海外本部を設置<ref group="SG">大白蓮華2010年8月号P19「世界広布50周年記念企画 師恩の地から世界へ」</ref>。
 
* [[1961年]](昭和36年)
 
** 11月27日 - 「公明政治連盟」(後の公明党)を発足。
 
** [[大石寺]]大客殿の[[寄付|寄進]]として32億円を集める{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=215}}。
 
* [[1962年]](昭和37年)
 
** 1月25日 - 大阪事件で起訴されていた小泉と池田が[[無罪]][[判決 (日本法)|判決]]を受ける。
 
* [[1963年]](昭和38年)
 
** 10月 - 「[[民主音楽協会]]」を設立。
 
 
* [[1964年]](昭和39年)
 
** 5月3日 - 池田が[[政党]]の創設と[[衆議院]]への進出を表明{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=180-190}}。
 
** 6月30日 - 第7回学生部総会にて、池田が「創価大学設立構想」を発表<ref group="SG">[[池田大作]] 『新・人間革命 第15巻』([[聖教新聞社]] [[2006年]][[2月11日]]) ISBN 4-412-01326-X</ref>。
 
** 11月17日 - 「公明政治連盟」を改組して政党、「[[公明党]]」を結成。結党宣言で、日蓮の『[[立正安国論]]』を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳う。
 
* [[1965年]](昭和40年)
 
** 1月 - 池田が「法悟空」(ほうごくう)のペンネームで『聖教新聞』紙上で小説『[[人間革命]]』の連載を始める。
 
** 7月 - 『聖教新聞』が日刊化。
 
** 10月9日〜12日 - 正本堂建立のため4日間の供養が行われ355億円が集まる。{{main|正本堂 (大石寺)#概要}}
 
* [[1968年]](昭和43年)
 
** 4月1日 -「[[学校法人創価学園|創価学園]]」設立。{{main|[[学校法人創価学園]]}}
 
** 7月 - 参議院選挙で不正投票を行ったとして学会員34人が検挙される<ref>毎日新聞 1968年8月1日付15面</ref>。{{main|新宿替え玉事件}}
 
* [[1969年]](昭和44年)
 
** 12月2日 - [[言論出版妨害事件]]が表面化。
 
 
=== 1970年代 ===
 
* [[1970年]](昭和45年)
 
** 1月 - 総務会の決定で副会長職を設置。[[秋谷栄之助]]、[[北条浩]]、[[森田一哉]]の3人が就任{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=67-68}}。同時に[[公明党代表|公明党中央執行委員長]]、書記長が学会職務を離れることも決定。
 
** 5月3日 - 池田が「言論出版妨害事件」について、公式に謝罪。創価学会と公明党を組織的に分離することなど組織改革を表明し即日実行。{{main|言論出版妨害事件#池田会長の公式謝罪|公明党#創価学会との関係、政教分離問題}}
 
*: [[日本共産党中央委員会幹部会委員長|日本共産党委員長]][[宮本顕治]]の自宅の[[電話]]に[[盗聴]]器を仕掛ける。{{main|宮本顕治宅盗聴事件}}
 
* [[1971年]](昭和46年)
 
** 4月2日 - 「[[創価大学]]」開学(学部・学科の沿革は創価大学を参照)。
 
* [[1972年]](昭和47年)
 
** 10月 - [[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成。
 
* [[1973年]](昭和48年)
 
** 5月3日 - [[静岡県]][[富士宮市]]・大石寺境内地に[[富士美術館]]が開館。
 
* [[1974年]](昭和49年)
 
** 10月 - [[冨士大石寺顕正会|妙信講]]男子部が創価文化会館を襲撃し、牙城会メンバーと乱闘騒ぎを起こす。{{main|和泉覚#妙信講学会本部襲撃事件}}
 
** 12月 - [[日本共産党]]との間で、向こう10年間の「相互不干渉」、「共存」をうたった「創共協定」を締結<ref name="syndicatetositeno">古川利明『シンジケートとしての創価学会=公明党』([[第三書館]] 1999年11月20日) ISBN 978-4807499243</ref>。{{main|日本共産党と創価学会との合意についての協定}}
 
* [[1975年]](昭和50年)
 
** 1月 - [[グアム]]島において、創価学会の世界的組織、「[[創価学会インタナショナル]]」(SGI)が設立される。池田が会長に就任。
 
* [[1976年]](昭和51年)
 
*: [[月刊誌]]『月刊ペン』(1976年3月号・4月号)に中傷記事を掲載した同紙編集長隈部大蔵を[[名誉毀損罪]]容疑で[[告訴・告発|刑事告訴]]。{{main|月刊ペン事件}}
 
* [[1977年]](昭和52年)
 
** 1月 - 池田が第9回教学部大会における「仏教史観を語る」と題する講演で「[[出家]]も[[在家]]も同格」と発言。反学会派僧侶からの批判が強まる{{main|#昭和52年路線}}
 
** 5月 - [[民社党#歴代民社党委員長一覧|民社党中央執行委員長]][[春日一幸]]から公明党中央執行委員長[[竹入義勝]]宛に国会で池田の豪華専用施設等について調査し、質問する旨を知らせる手紙が届く<ref name="sgkaibou"/>。
 
** 7月 - 池田が大石寺への参詣を一時的に禁止される<ref>[[梁取三義]] 「創価学会」 (1977年) 115ページ 『その事実については、「週刊新潮」がすでに七月に、「メッカ大石寺が、創価学会と喧嘩して参詣者ただ今ゼロ」という記事を掲げている。』 120ページ『「二年前にも、池田会長と日達猊下(と呼ぶそうだ)の仲がおかしくなって、登山禁止令が出た」(学会青年部幹部)』</ref>。
 
* [[1978年]](昭和53年)
 
** 6月 - 『聖教新聞』紙上で「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを表明。
 
** 11月 - 創立48周年記念登山代表幹部会に幹部、全国の教師2,000人らが[[大石寺]]に出向く。創価学会が宗門の許可を得ないまま、本部常住御本尊など8体を模刻して会員に礼拝させていたとされる件について<ref group="注">なお、学会側は事前に日達法主の許可を得て、本部常住御本尊など8体を模刻していた。</ref>、学会側は「不用意に御本尊8体を模刻してしまい、行き過ぎの点があった」として謝罪。本部常住御本尊以外の御本尊7体を大石寺に納めることで事態の解決を図った<ref group="SG">聖教新聞 1978年11月8日付・要旨</ref>。
 
* [[1979年]](昭和54年)
 
** 4月24日 - 池田が会長職を辞任し、名誉会長に就任。北条が第4代会長に就任。理事長には森田が就いた。会長の任期を終身から5年に変更{{see also|#名誉会長と歴代会長}}
 
** 4月26日 - 池田が法華講総講頭を辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日達は池田を法華講名誉総講頭に任ずる。
 
** 5月3日 - 日達が創価学会第40回本部総会において問題の収束を宣言。ここに第一次宗創問題が終結する。{{see also|日達#日達と創価学会の軋轢}}
 
** 7月22日 - 日達が遷化(死去)({{没年齢|1902|4|15|1979|7|22}})。
 
** 8月6日 - [[日顕 (日蓮正宗)|阿部日顕]]が宗門第67世法主に登座し、御座替りの儀式、および御盃の儀を行う<ref group="SG"> 大日蓮1979年9月号P20 </ref>。
 
 
=== 1980年代 ===
 
* [[1980年]](昭和55年)
 
** 7月4日 - 反学会急進派の僧侶、当時は学会に融和的とされた日顕を批判し独立、[[正信会]]を結成。
 
** 10月 - [[静岡県]][[富士宮市]]に「[[富士桜自然墓地公園]]」が完成<ref name="syndicatetositeno"/>。
 
* [[1981年]](昭和56年)
 
** 7月 - 北条が死去。副会長だった秋谷が第5代会長に就任。以後、2006年(平成18年)に辞任するまで秋谷は6選を果たす。
 
* [[1983年]](昭和58年)
 
** 1月 - 『[[創価新報]]』創刊。
 
** 11月-[[東京富士美術館]](東京都八王子市)が開館。
 
* [[1984年]](昭和59年)
 
** 1月 - 池田が「法華講総講頭」に再任{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。
 
* [[1985年]](昭和60年)
 
** 4月2日 - 「[[創価女子短期大学]]」開学。{{main|創価女子短期大学}}
 
* [[1989年]](平成元年)
 
** 7月16日 -、横浜市旭区の産業廃棄物処分場に現金約1億7000万円の入った金庫が捨てられていたがこれが創価学会幹部によるものと判明。批判を受ける<ref>[[矢野絢也]]『乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント』[[講談社]]pp.17-25</ref>。
 
 
=== 1990年代 ===
 
* [[1990年]](平成2年)
 
** 7月16日 - 日顕ら宗門上層部が創価学会破門に向けた「C作戦(創価学会分離作戦)」を謀議{{Refnest|group="注"|学会側の主張<ref name="C" group="SG">日蓮正宗青年僧侶改革同盟 「[http://www.nichiren.com/jp/organ/organ01/org01_1.html 日蓮正宗問題研究 第1号:法主の謀略『C作戦』‐『C作戦』とは何か]」 </ref>。日蓮正宗を離脱した僧侶からなる青年僧侶改革同盟は、宗門上層部がC作戦の謀議を行っていたとしている<ref group="SG" name="c20th">[http://www.nichiren.com/jp/special_topic/special_topic06/c20th.pdf 「日顕の完全敗北宣言」] - 青年僧侶改革同盟</ref><ref group="SG" name="nenpyo">[http://www.nichiren.com/jp/special_topic/special_topic06/nenpyo.pdf 「C作戦」関連年表] - 青年僧侶改革同盟</ref>。}}
 
** 11月16日 - 本部幹部会で池田が[[日蓮正宗]]宗門および日顕への批判を行う{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。
 
** 12月16日 - 宗門が前月の池田の発言内容について文書で質問{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。
 
** 12月27日 - C作戦発動。宗門は法華講総講頭に任期制を導入、これにより1990年(平成2年)末の任期終了と共に池田は法華講総講頭の資格を自動的に失い、ここに第二次宗門問題が勃発する。{{main|日顕 (日蓮正宗)#創価学会破門}}
 
* [[1991年]](平成3年)
 
** 5月 - 国税局から一部事業における税金の申告漏れを指摘され修正申告及び不足分の納税を行う<ref>朝日新聞1991年5月8日号31面</ref>
 
** 11月7日 - 日蓮正宗(宗門)から創価学会に対し『解散勧告』がなされる{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。学会はこれに対し「日顕の退座」を要求する文書を郵送して反論{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。
 
** 11月28日 - 日蓮正宗(宗門)が創価学会および創価学会インタナショナル(SGI)を『破門』する{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=202}}。
 
* [[1992年]](平成4年)
 
** 7月 - 全国の地区幹部の中から「[[友人葬]]」などの冠婚葬祭を執り行う導師を任命{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|p=204}}。
 
** 8月 - 池田が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。{{see also|除名#宗門の除名}}
 
** 11月 - 青年部機関紙『[[創価新報]]』が捏造した宴席写真を掲載し日顕を批判、日蓮正宗との訴訟に発展。地裁判決では学会側が写真の捏造を行ったことを認定し、学会側が敗訴、原告が求めた賠償請求も認められた。<ref>平成五年(ワ)第七九七七号 99年12月6日、東京地裁判決</ref>その後学会が控訴した高裁において名誉毀損は認定したが損害賠償は認められなかった。日蓮正宗側は損害賠償を求め上告するも棄却された。
 
{{main|偽造写真事件#訴訟へ|日顕 (日蓮正宗)#創価学会による偽造写真事件}}。
 
* [[1993年]](平成5年)
 
** 10月 - [[栃木県]][[小山市]]・[[浄圓寺 (小山市)|淨圓寺]]所蔵の享保5年([[1720年]])の[[日寛]]書写の[[曼荼羅]]御本尊を御形木御本尊として、日本全国および世界の会員に授与することを制定。
 
** 11月 - 第一次[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]。[[オウム真理教]]が池田殺害を計画。東京都[[八王子市]]の東京牧口記念会館周辺で[[サリン]]を噴霧。
 
** 11月18日 - 池田が聖教新聞に連載していた小説『人間革命』(全12巻)が完結。『新・人間革命』の連載開始。
 
** 12月18日 - 第二次[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]。[[オウム真理教]]が東京都[[八王子市]]の東京牧口記念会館周辺で[[サリン]]を噴霧し[[牙城会|牙城会員]]数人と実行犯の[[新実智光]]が被爆。この後、信濃町の本部、全国各地の会館、創価大学、[[創価学園]]など学会関連施設での[[警備]]が厳重になる。
 
* [[1995年]](平成7年)
 
** 9月 - 東京都・[[東村山市]]議会議員[[朝木明代]]の死に関連して市議が自殺前に創価学会を批判していたことから、創価学会による謀殺とのデマが広まる。{{main|朝木明代市議転落死事件}}
 
* [[1996年]](平成8年)
 
** 2月 - 「戸田記念国際平和研究所」を創設<ref name="sgkaibou"/>。
 
** 6月 - 元女性会員が池田から過去数回にわたり[[強姦|レイプ]]されたと主張し、[[裁判]]を起こす。{{main|池田大作に対する訴権の濫用}}
 
** 9月 - [[宗教法人法]]の改正が施行され、所轄省庁が[[東京都]]から[[文部省]](現:[[文部科学省]])に変わる。
 
* [[1997年]](平成9年)
 
** 1月 - 公式[[ウェブサイト|サイト]]「SOKAnet」を開設。
 
**11月30日をもって[[日蓮正宗]]の信徒資格を喪失。
 
 
=== 2000年代 ===
 
* [[2002年]](平成14年)
 
**3月- 創価学会会則を改定。初代牧口、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる<ref name=":1" group="批">{{Cite news|date = 2002-03-30|newspaper = [[しんぶん赤旗]]|title = 池田氏は「永遠の指導者」 創価学会が「会則」を改定|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-03-30/11_0403.html|accessdate = 2016-01-31}}</ref>。
 
* [[2003年]](平成15年)
 
** 9月 - 教学部員の任用試験が全国一斉に開始される<ref name="sg"/>。
 
** 11月 - 創価学会現役会員ら数名が池田大作の秘書を騙りみずほ銀行から巨額の融資[[詐欺罪|詐欺]]事件を起こす。
 
{{main|創価学会を騙った巨額融資詐欺事件}}
 
* [[2004年]](平成16年)
 
**9月10日- 勤行様式を改変
 
* [[2005年]](平成17年)
 
** 8月 - 創価学会の男子部本部長が学会内で複数の女性に[[セクハラ]][[パワハラ]]を起こしたとして役職を解任される。会長の池田はこの出来事を「創価学会始まって以来の不祥事」と激怒。
 
* [[2006年]](平成18年)
 
** 11月 - 秋谷が会長を辞任し最高指導会議議長に。会長には副理事長の[[原田稔]]が就任。同月、原田の会長就任披露を兼ねた、新時代第1回本部幹部会開催。幹部会の回数がリセットされ「学会新時代」の開始が宣言される
 
* [[2007年]](平成19年)
 
** 9月22日 - 「広布第二幕」第1回青年部幹部会。以後、各部幹部会会合の回数がすべてリセットされる。
 
* [[2008年]](平成20年)
 
** 5月 - [[富士美術館]](静岡県富士宮市)閉館。収蔵品は[[東京富士美術館]](東京都八王子市)に移動。
 
 
=== 2010年代 ===
 
* [[2010年]](平成22年)
 
** 6月3日 – 新時代第41回本部幹部会で名誉会長の池田が第一線から退くことが発表された<ref group="SG">聖教新聞2010年6月4日付</ref><ref group="SG">[[大白蓮華]]2018年2月号p20</ref>。
 
** 11月18日 - 創立80周年。老朽化した本部ビル・創価文化会館を建て替え「創価学会総本部会館」を建設すると発表<ref group="SG">[http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2010/11/1193258_2459.html 全世界の同志と創立80周年を祝賀 広宣勝利の本陣・総本部を建設 2013年秋に完成] - 聖教新聞 2010年11月19日付</ref>。
 
* [[2013年]](平成25年)
 
** 11月5日 - 創価学会総本部会館(仮称)の大礼拝室で落慶入仏式が執り行われた。8日に行われた落成記念勤行会の席上、総本部会館は広宣流布の大願を誓う殿堂であるとして「広宣流布大誓堂」と命名され、信濃町に所在する学会関連施設全体の呼称が「創価学会総本部」となる<ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/topics/jakhcj000000asat.html 創価学会総本部「広宣流布大誓堂」落慶記念勤行会] - SOKANet 2013年11月9日</ref>。
 
* [[2014年]](平成26年)
 
** 11月7日 - 総務会で創価学会会則第2条・教義条項の改正を決議。「一閻浮提総与」や「一閻浮提広宣流布」など、日蓮正宗由来の用語を一掃し、「[[人間革命]]」や「世界広宣流布」などといった、創価学会色の強い表現に変更。[[本尊 (日蓮正宗)|弘安2年の御本尊]]を受持の対象としないことを表明し、教義条項における「御本尊」の位置付けも変更。「御本尊」は「創価学会が受持の対象として認定した御本尊」とした<ref group="SG">[[大白蓮華]]2015年4月号「創価学会会則 教義条項」の改正について 世界宗教の基盤を確立 p84-97</ref>。全国総県長会議で教義条項の改正を発表<ref group="SG">「創価学会会則 教義条項」の改正について - 聖教新聞 2014年11月8日付3面</ref>。
 
* [[2015年]](平成27年)
 
** [[11月17日]] - 勤行要典の一部改正が発表され、名称を「創価学会 勤行要典」として翌[[2016年]](平成28年)に発売すると発表される<ref group="SG">[http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2015/11/1220488_5065.html 世界の平和と人類の幸福を192カ国・地域の友と誓願 創価学会「勤行要典」を新たに制定] - 聖教新聞 2015年11月17日付</ref>。<br>また、総務会では会則改正で会長任期を5年から4年(再任は妨げない)に変更し、引き続き開催された会長選出委員会で任期満了の原田会長を再任し(3期目)、[[正木正明]]理事長の後任に副理事長の[[長谷川重夫]]が昇格する人事を発表した<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/topics/kmav7s0000003rgc.html 会則を整備、新理事長が誕生] - SOKANet 2015年11月18日</ref>。
 
* [[2016年]](平成28年)
 
** 11月7日 - 創価学会会則の一部改正を決議。第2代会長・[[戸田城聖]]の指導を引用し、前文に「創価学会仏」の文言を追加。「三代会長」の条文(会則第3条)に、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」という文言を追加<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/topics/sr1s9k00000028k0.html 会則を改正 総務会で議決] - SOKANet 2016年11月5日</ref>。
 
* [[2017年]](平成29年)
 
** 9月1日 - 総務会およびSGI常任理事会・SGI理事会で「創価学会会憲」の制定を決議。会則の上位に位置づけられ、最高法規と規定される<ref>[https://www.jiji.com/sp/article?k=2017090100950&g=soc 「創価学会会憲」を制定=全団体・会員の最高法規] - 時事通信 2017年9月1日付</ref>。11月10日には会憲署名式が行われ<ref group="SG">[https://www.sokanet.jp/topics/sr1s9k0000006l3c.html 70ヵ国・地域の代表が「創価学会会憲」署名式] - SOKANet 2017年11月13日</ref>、会憲制定に合わせて改正された会則とともに11月18日(創立記念日)に施行された<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/kaiken.html 会憲] - SOKANet 2017年9月1日</ref>。
 
*[[2018年]](平成30年)
 
** 2月11日 – 聖教新聞紙上にて、『[[人間革命|新・人間革命]]』最終巻となる第30巻<ref group="注">著者の池田は『新・人間革命』第1巻のあとがきで「完結までに三十巻を予定している。」としていた。</ref>の出版計画を発表。分量の都合上から上・下2分冊に分け、6月に上巻<ref group="注">「大山」、「雌伏」、「雄飛」、「暁鐘」の一部</ref>を、11月に下巻<ref group="注">「暁鐘」の一部、「勝ち鬨」、「誓願」</ref>を出版する<ref group="SG">きょう「2・11」 戸田城聖先生生誕の日 小説「新・人間革命」第30巻を発刊 上・下2分冊 – 聖教新聞 2018年2月11日付け</ref>。
 
** 3月11日 - 同年3月16日に「広宣流布記念の日」から60周年を迎えることを記念し、「世界青年部総会」が[[創価大学]]記念講堂を主会場に開催された。創価学会の公式発表によると、全国約1200の会場と世界10ヶ国、計1500の会場に合わせて75万人の青年部員が集結して開催されたイベントとなった。この総会では、名誉会長の池田からのメッセージも発表された<ref name=Sokanet20180312 group="SG">[https://www.sokanet.jp/topics/sr1s9k0000008ab4.html 3・16「広宣流布記念の日」60周年 世界青年部総会] - SOKANet 創価学会公式サイト、2018年3月12日配信</ref>。
 
 
== 教勢 ==
 
[[2007年]](平成19年)時点での、日本国外の[[創価学会インタナショナル|SGI]]の会員数は除いた、創価学会公称の日本における会員世帯数は827万世帯となっており[[神社本庁]](およそ9,000万人)に次ぐ勢力となっている。
 
 
会員数については、
 
* 1,200万人<ref name="tonarino">[[米本和広]]『となりの創価学会 - 内側から見た学会員という幸せ』 [[宝島社]]、1995年7月12日</ref>
 
* 1,721万人<ref name="numata">沼田健哉 『現代日本の新宗教 - 情報化社会における神々の再生』 [[創元社]]、1988年1月</ref>
 
* 2,000万人<ref name="jitsuryoku">島田裕巳『創価学会の実力』([[朝日新聞社]]、2006年8月30日) ISBN 978-4023303720 </ref>
 
* 250万人<ref>[[村上重良]] 『新宗教その行動と思想』 ([[岩波書店]] 2007年2月) ISBN 978-4006001704 </ref>
 
* 250万世帯<ref>島田裕巳『日本の10大新宗教』[[幻冬舎]]、2007年11月 ISBN 978-4344980600 </ref>
 
* 500万人前後<ref name="numata"/>
 
* およそ576万人<ref name="bunka1" group="他">{{cite web|url=http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-1.htm|title=わが国における主な宗教団体名|publisher=株式会社レルネット|date=2000-12-31|accessdate=2013-11-01}}</ref>
 
* およそ542万人<ref name="bunka2" group="他">{{cite web|url=http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-01.htm|title=わが国における主な宗教団体名|publisher=株式会社レルネット|date=1995-12-31|accessdate=2013-11-01}}</ref>
 
と資料によってばらつきがある。
 
 
宗教学者の[[島田裕巳]]は創価学会がこのような大勢力となった要因について2つの点を指摘している。
 
 
*1つ目は、「[[霊]]に対する信仰の有無」である。創価学会以外の新宗教は「不幸の原因は十分に供養されていない先祖の霊である」とする所が多いが、創価学会は「[[霊魂]]は存在しない」と断言している。戦後、新宗教に入信した人々は農村部から都市部に働きに出てきた農家の次男、三男などが多かったが、彼らは都市部に就職・移住していく時に[[仏壇]]を持参することもなく、先祖の供養に対する意識が希薄であったため、先祖供養信仰の新宗教に関心が無かったとしている{{sfn|島田裕巳|2004|pp=64-67}}。
 
 
*2つ目は、「[[葬儀]]」である。創価学会は教勢を伸ばしていた頃は出家した[[僧侶]]集団である「[[日蓮正宗]]」と密接な関係を持っており、創価学会の会員になることは同時に日蓮正宗の信徒にもなったため、葬儀も日蓮正宗の形式で行われていた。しかし、他の新宗教は会員やその家族が死去した場合の葬儀という儀式がある所はほとんど無く、実家の仏教宗派の形式で葬儀が行われた為、その際、入会した新宗教の信仰を捨てて実家で入信している既成の宗教に逆戻りするきっかけとなっていた、と指摘している{{sfn|島田裕巳|2004|pp=64-67}}。
 
 
[[米本和広]]は「[[核家族]]化が創価学会の会員数増大に寄与した」と主張している。かつては、祖父母や曽祖父母、孫やひ孫までいる大家族が主流だったが、戦後の[[高度経済成長]]に伴い、大家族は減少し核家族化が進行したが、そこに新宗教が活路を見出し入信させた。創価学会も、そのひとつであるとしている。
 
 
創価学会は「[[文部科学大臣]]所轄[[宗教法人#単位宗教法人と包括宗教法人|単位宗教法人]](仏教系)」に分類される[[単立]]宗教法人である([[文化庁]][http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/h29nenkan.pdf 『宗教年鑑』平成29年版]、139頁)。文化庁『宗教年鑑』に創価学会単独の信者数は記載されていないが、文部科学大臣所轄単位宗教法人(仏教系)全体の信者数は3471万4707人である(文化庁『宗教年鑑』平成29年版、52頁から53頁)ので、創価学会の信者数はこの中に含まれている。
 
 
=== 海外への広がり ===
 
海外においては[[創価学会インタナショナル]](SGI)として、公称、日本を含む世界192カ国・地域に広がり、日本国外全体で約150万人のメンバーを擁しているとされる<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/sgi/gaiyo.html]</ref><ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/sgi/link.html]</ref>。
 
 
== 活動 ==
 
=== 年間主要行事 ===
 
2017年時点の年間主要行事は以下の通りである<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/nenkan_event.html 年間主要行事]</ref>。
 
* 1月1日、2日 新年勤行会
 
* [[成人の日]] 「[[成人の日]]」記念勤行会
 
* 2月16日 「日蓮大聖人御聖誕の日」記念勤行会
 
* 3月    春季彼岸勤行法要
 
* 4月2日 第2代会長・戸田城聖追善勤行会
 
* 4月28日 「立宗の日」記念勤行会
 
* 5月3日 「創価学会の日」記念勤行会
 
* 5月19日 「創価学会常住御本尊記念日」記念勤行会
 
* 7月15日 諸精霊追善勤行法要(8月15日に行われる地域もある)
 
* 8月15日 世界平和祈念戦没者追善勤行法要
 
* 9月12日 「[[龍ノ口法難|竜の口の法難]]の日」の意義をとどめた勤行会
 
* [[敬老の日]] 「[[敬老の日]]」の記念勤行会
 
* 9月    秋季彼岸勤行法要
 
* 10月13日「日蓮大聖人御入滅の日」の意義をとどめた勤行会
 
* 11月15日「[[七五三]]」の記念勤行会
 
* 11月18日 学会創立記念日記念・初代会長・牧口常三郎追善勤行会
 
 
=== 勤行 ===
 
創価学会勤行要典(2015年制定)に基づき、仏壇に御安置してある御本尊に向かい『[[法華経#妙法蓮華経二十八品一覧|法華経ニ十八品]]』のうち、「法華経方便品第二」の冒頭から[[十如是]]まで(十如是は三回唱える)、続いて「法華経如来寿量品第十六」の自我偈を[[読誦]]ののち、各御記念文を御祈念し、「[[南無妙法蓮華経]]」と[[題目]]を三回唱えた後、勤行を終える。日々、朝と夕(夜)の2回行う。{{main|勤行 (日蓮正宗)#創価学会の勤行}}
 
 
=== 組織活動 ===
 
[[央忠邦]]の1968年(昭和43年)の著書によれば、創価学会の会合には、本部総会(5月)、男子部総会(11月)、女子部総会(11月)、学生部総会(7月)、夏期講習会(8月)などがある{{sfn|央忠邦|1968|p=223}}。央氏によれば、創価教育学会時代(牧口の時代)から、会員同志が「それぞれの悩みや克服した信仰体験などを話り合い、信仰の結びつきを確認し合った」(央忠邦の1968年の著書より引用)場である座談会が伝統となっていた{{sfn|央忠邦|1968|pp=216-219}}。座談会は班や地区の単位で行われ、央忠邦の1968年の著書によれば座談会の拠点は日本に二十万か所以上あった{{sfn|央忠邦|1968|pp=216-219}}。
 
 
=== 『聖教新聞』の購読者の開拓 ===
 
{{Main|聖教新聞#購読について}}
 
 
=== 財務 ===
 
創価学会では年1回、会員宅に銀行振り込みの用紙が郵送で送られる。[[1970年代]]中頃以前は財務部員と呼ばれ、現在は広布部員。以前は年間3000円程度であったが、現在は1口1万円からとなっている。生活保護者など一部を除き財務の対象者となっている。
 
[[島田裕巳]]によると財務の一か月程前には決起大会が開かれ、「100万円出したら息子がいい企業に就職できた。」「保険を解約して学会のために捧げたら幸せになりました。」などの発言が相次ぎ、他の会員にプレッシャーをかけるという{{sfn|島田裕巳|2004|p=163}}。
 
 
=== 教学の研鑽 ===
 
創価学会が編さんし出版している『日蓮大聖人御書全集』(にちれんだいしょうにんごしょぜんしゅう)を基に行われる。その資料として月刊機関誌『[[大白蓮華]]』(だいびゃくれんげ)が使われ、会員には「教学試験」の受験が奨励されている。
 
{{Main|大白蓮華#教学試験}}
 
 
=== 葬儀 ===
 
地域の儀典長を中心に読経の中心者とする「[[友人葬]](ゆうじんそう)」の形式で執り行われている。原則として友人葬への参列では香典は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事、遺族が参列者が持参した香典を受け取る事は各位の自由である。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と違い、友人葬の中心者の儀典長は、謝礼を一切受け取らないものと定められている<ref group="SG">[http://www2.sokanet.jp/html/yujinsou/index_s.html/ 創価学会公式サイト]</ref>。
 
 
==== 友人葬の料金 ====
 
友人葬を取り扱っている[[葬儀]]社や在住している地域によって若干の差は存在するが、[[東京都|東京]]の場合では友人葬の基本料金は概ね35万円位から50万円位である<ref group="他">{{cite web|url=http://www.11ban.jp/plan_gakkaisou_a.html|title=学会友人葬プラン/有限会社十一番・メモリーズ/秦野市の葬儀社|accessdate=2013-11-01}}</ref><ref group="他">{{cite web|url=http://t-ceremony.com/friend.html|title=友人葬 - 大真葬祭セレモニー|accessdate=2013-11-01}}</ref>。
 
友人葬を取り扱う葬儀社によっては、一式で基本料金に含まれているケースとオプション料金として別料金になる場合がある。
 
 
詳細は葬儀社への確認が必要である。
 
*[[納骨]]は、地区部長を通じて申し込むと、全国にある創価学会[[墓園|墓地公園]]が利用出来る。
 
*[[儀典長]]を中心に、生前の名前で葬儀を行うため、戒名料・読経料はかからない。
 
 
=== 布教活動 ===
 
[[無宗教]]あるいは他の[[宗教]]を信仰する者を改宗させる事を「[[折伏]](しゃくぶく、しゃくふく)」という。
 
 
[[1951年]](昭和26年)に戸田が「青年訓」を発表し、青年部を中心に[[折伏大行進]]と呼ばれる大々的な布教が行われた。布教活動は多くの会員を増やすことになった反面、その強引な手法から[[社会問題]]になった。{{main|折伏大行進#歴史}}
 
 
==== 入退会の手続き ====
 
{{main|信者#創価学会|折伏大行進#統監}}
 
 
==== 地域貢献活動 ====
 
創価学会では、個々の会員および団体レベルの双方で、近隣友好や地域貢献を推奨している。具体的には、祭りなどの行事への協力がある<ref group="SG">『新会員の友のために 創価学会入門』(聖教新聞社 ISBN 978-4-412-01610-1)p129-130</ref>。創価学会本部および聖教新聞社本社がある新宿区信濃町では、町内会の[[盆踊り]]大会や[[防災]]イベントに会場を提供するなどしている。
 
 
また、音楽隊が地域行事に際し演奏を行うケースもある。地域貢献の体験談集が過去に発刊されている<ref>[http://www.u-bunkyo.ac.jp/center/library/hum2012_227-244.pdf/ 小堀真、文京学院大学人間学部研究紀要 Vol.14]</ref>。
 
 
宗教学者の[[島田裕巳]]は、「創価学会員が『広布即地域貢献』として団地自治会長や学校PTA、商店街役員などに積極的に就任し、それらの組織を『折伏の足場』にしようとしていると述べている{{sfn|島田裕巳|2004|p=172}}。一般の人は仕事などに追われてそれらの役員には就きたがらないが{{sfn|島田裕巳|2004|p=172}}、創価学会はそうした状況を利用して地域で主導権を握ろうとしている」と、分析している{{sfn|島田裕巳|2004|p=172}}。
 
 
== 最高幹部 ==
 
=== 主要役員 ===
 
(2018年1月時点)
 
* 名誉会長:[[池田大作]]
 
* 会長:[[原田稔]]
 
* 理事長(宗教法人代表役員):[[長谷川重夫]]
 
* 主任副会長:山本武、大場好孝、[[原田光治]]、[[池田博正]]、[[谷川佳樹]](壮年部長兼任)<ref name=kakububucho group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/kakububucho.html 各部長紹介] - SOKAnet、2018年1月8日閲覧</ref>、金沢敏雄、萩本直樹、石嶋謙二
 
:*歴代の会長、主任副会長、副会長、理事長、副理事長の職に女性の学会員は就任した事が無いが、最高指導会議の議員に就任した[[柏原ヤス]]の例がある。
 
 
=== 各部部長 ===
 
(2018年1月時点)<ref name=kakububucho group="SG" />
 
* 壮年部長:[[谷川佳樹]](主任副会長兼任)<ref name=kakububucho group="SG" /><ref group="SG">谷川壮年部長が誕生 小島文化本部長 山口未来本部長 総東京 第2総東京 関東 九州が新布陣 - 2018年1月7日付け[[聖教新聞]]2面</ref>
 
* 婦人部長:永石貴美子
 
* 青年部長:竹岡光城
 
* 男子部長:志賀昭靖
 
* 女子部長:伊藤樹美
 
 
=== 名誉会長と歴代会長 ===
 
歴代会長の中でも、初代・牧口常三郎、第2代・戸田城聖、第3代・池田大作のいわゆる「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更(同年4月6日、文部科学大臣が認証<ref group="批">『[[しんぶん赤旗]]』 2002年3月30日付</ref>)の際に定められた。
 
 
ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。
 
 
ちなみに[[1960年代]]から[[1970年代]]にかけて、「池田を[[現人神]]とみなす狂信的な会員」が現れたため、池田自身が聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない」と明言したことがある。{{main|池田大作本仏論}}
 
 
また、会長の任期は当初終身制だったが、池田の会長辞任に合わせて制定された創価学会会則で「1期5年で再任を妨げない」と改正された。「会長が任期途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がない」とされる。なお、会長任期は[[2015年]](平成27年)の会則改正で「1期4年」に変更された。
 
 
=== 歴代会長・名誉会長の一覧 ===
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|- style="background:#cccccc"
 
! No. !! colspan=2|指導者 !! 就任日 !! 退任日  !! 備考
 
|-
 
!colspan="6" align="center" |名誉会長(1979 - )
 
|-
 
! 1
 
| '''[[池田大作]]'''<br>(1928 – )
 
|
 
| [[1979年]][[4月24日]]
 
| (現職)
 
| 会長辞任に伴い、昇格
 
|-
 
!colspan="6" align="center" |会長(1930 - )
 
|-
 
! 1
 
| '''[[牧口常三郎]]'''<br>(1871 – 1944)
 
|
 
| [[1930年]][[11月18日]]
 
| [[1944年]][[11月18日]]
 
| 在任中に死去
 
|-
 
! -
 
| colspan=2 | 空席
 
| [[1944年]][[11月18日]]
 
| [[1951年]][[5月3日]]
 
|
 
|-
 
! 2
 
| '''[[戸田城聖]]'''<br>(1900 – 1958)
 
|
 
| [[1951年]][[5月3日]]
 
| [[1958年]][[4月2日]]
 
| 在任中に死去
 
|-
 
! -
 
| colspan=2 | 空席
 
| [[1958年]][[4月2日]]
 
| [[1960年]][[5月3日]]
 
| 理事長の[[小泉隆]]が会長職務を代行<br>[[1958年]][[6月30日]]以降は総務に[[池田大作]]を起用
 
|-
 
! 3
 
| '''[[池田大作]]'''<br>(1928 – )
 
|
 
| [[1960年]][[5月3日]]
 
| [[1979年]][[4月24日]]
 
| 在任中に辞任、名誉会長に昇格
 
|-
 
! 4
 
| [[北条浩]]<br>(1923 – 1981)
 
|
 
| [[1979年]][[4月24日]]
 
| [[1981年]][[7月18日]]
 
| 池田会長の辞任に伴い、昇格。<br>在任中に死去
 
|-
 
! 5
 
| [[秋谷栄之助]]<br>(1930 – )
 
|
 
| [[1981年]][[7月18日]]
 
| [[2006年]][[11月9日]]
 
| 北条会長の死去に伴い、昇格。<br>任期途中で辞任
 
|-
 
! 6
 
| [[原田稔]]<br>(1941 – )
 
|
 
| [[2006年]][[11月9日]]
 
| (現職)
 
| 秋谷会長の辞任に伴い、昇格。<br>
 
|-
 
|}
 
 
なお、歴代会長の中で名誉会長となっているのは池田のみであり、任期は定められていない。
 
 
== 組織 ==
 
=== 組織体制 ===
 
創価学会では世代、地域、職業分野などの形で会員を結びつける体制を採っている。各世帯ごとに作成された「会員カード」によって会員や家族の移動などを把握する。{{main|折伏大行進#統監}}
 
 
==== 年齢別組織 ====
 
* 多宝会 - 60歳以上の男女が所属。東京では「宝寿会」、関西では「錦宝会」と呼ばれる。
 
* 壮年部 - 基本は40歳以上60歳未満の男性が所属。
 
* 婦人部 - 基本は既婚者または40歳以上60歳未満の独身女性が所属。香城会、白樺会などがある。なお、年齢によって15 - 20代の・女子高等部・女子学生部・女子部が結婚した場合は、年齢問わず婦人部の所属になる。
 
* 男子部 - 15歳から39歳までの男性が所属(独身・既婚は問わない)。人材育成グループとして[[創価班]]、[[金城会]]、[[牙城会]]、文化班、サテライトグループ、設営グループ、鉄人会(関西のみ)がある。
 
* 女子部 - 未婚の39歳までの独身女性が所属。人材グループに白蓮グループ、白樺グループがある。結婚後は年齢問わず婦人部員になる。
 
* 学生部 - 男子の大学(院)生・専門学校生で構成。人材グループ21世紀伸一会もこの中のひとつ。
 
* 女子学生部 - 女子の大学(院)生・専門学生で構成。女子学生部は女子部同様、学生結婚でも創価学会に於いては結婚後は年齢問わず婦人部員になる。
 
* [[未来部]]- 18歳未満(未就学児、小学生、中学生・高校生)を対象とした組織。中等部・全日制高等部(男子・女子)、夜間高等部・通信制高等部(男子は北斗会・女子は南斗会)、少年少女部(未就学児、小学生男子・女子を対象)がある。
 
 
==== 地域別 ====
 
上から、中央(学会本部) - 方面 - (小)総県 - (分)県 - 圏(地域によっては無し) - 本部 - 支部- 地区 - ブロック となる。
 
* 「方面」は[[北海道]]・[[東北地方|東北]]([[青森県]]・[[岩手県]]・[[秋田県]]・[[山形県]]・[[宮城県]]・[[福島県]])・[[東京]]([[東京都]]・[[山梨県]])・[[関東地方|関東]]([[千葉県]]・[[埼玉県]]・[[茨城県]]・[[栃木県]]・[[群馬県]])・[[東海道]]([[神奈川県]]・[[静岡県]])・[[信越地方|信越]]([[新潟県]]・[[長野県]])・[[中部地方|中部]]([[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]])・[[北陸地方|北陸]]([[富山県]]・[[石川県]])・[[近畿地方|関西]]([[福井県]]・[[滋賀県]]・[[京都府]]・[[大阪府]]・[[兵庫県]]・[[奈良県]]・[[和歌山県]])・[[中国地方|中国]]([[広島県]]・[[岡山県]]・[[山口県]]・[[島根県]]・[[鳥取県]])・[[四国]]([[香川県]]・[[高知県]]・[[愛媛県]]・[[徳島県]])・[[九州]]([[福岡県]]・[[佐賀県]]・[[長崎県]]・[[大分県]]・[[熊本県]]・[[宮崎県]]・[[鹿児島県]])・[[沖縄県|沖縄]]([[沖縄県]])の13に区分されている。一般的な[[日本の地域|地方の区分け]]と一部異なる。括弧書きがない「方面」は一般的な区分けと同じ。また、東京・関東・東海道は同会における「首都圏」とされる(法律上の[[首都圏 (日本)|首都圏]]と異なる)。
 
 
==== 分野別組織 ====
 
文芸部、ドクター部、白樺グループ 教育本部、学校教育部、幼児・家庭教育部、社会教育・教育相談部、国際本部 通訳・翻訳部国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部、社会本部、社会部専門部、地域本部、農村部、離島部・桂冠会・華冠会・星辰会
 
 
==== 大鳳会という組織 ====
 
「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。
 
# [[週刊文春]]が『[[皇太子徳仁親王妃雅子|雅子妃]]が外務の創価シンパ「大鳳会」とディナーをした』という記事を掲載したこと<ref>週刊文春2005年2月10日号159ページ</ref>。
 
# 創価学会が[[外務省]]幹部に「外遊特別待遇」要請書を送ったとされる問題<ref>『週刊新潮』1996年5月16日号45ページ</ref>
 
# 外務省が、池田大作の海外訪問に特別の便宜を図っている内容が[[国会 (日本)|国会]]で審議されたこと<ref group="他">参議院 宗教法人等に関する特別委員会 - 3号 平成07年11月27日</ref>。
 
 
== 所有する施設 ==
 
[[ファイル:Kosenrufu-daiseido.jpeg|サムネイル|広宣流布大誓堂]]
 
 
=== 創価学会総本部 ===
 
*広宣流布大誓堂
 
*創価文化センター
 
*本部別館
 
*本部第2別館
 
*創価世界女性会館
 
*戸田記念国際会館
 
*創価女子会館
 
*信濃平和会館
 
*世界青年会館
 
*信濃文化会館
 
*聖教新聞社<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/pr/sohonbu/創価学会公式サイト 総本部]</ref>
 
 
=== 日本国内の方面中心会館 ===
 
*[[北海道]] 北海道文化会館([[北海道]][[札幌市]][[厚別区]])
 
*[[東北地方|東北]]  東北文化会館([[宮城県]][[仙台市]][[宮城野区]])
 
*[[東海道]] 神奈川文化会館([[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]])
 
*[[中部地方|中部]]  中部池田記念会館([[愛知県]][[名古屋市]][[西区 (名古屋市)|西区]])
 
*[[信越地方|信越]]  松本平和会館([[長野県]][[松本市]])
 
*[[北陸地方|北陸]]  石川文化会館([[石川県]][[金沢市]])
 
*[[近畿地方|関西]]  関西池田記念会館([[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]])
 
*[[中国地方|中国]]  広島池田平和記念会館([[広島県]][[広島市]][[東区 (広島市)|東区]])
 
*[[四国]]  四国池田文化会館([[香川県]][[高松市]])
 
*[[九州]]  九州文化会館([[福岡県]][[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]])
 
*[[沖縄県|沖縄]]  沖縄国際平和会館([[沖縄県]][[那覇市]])<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/kaikan.html/ 創価学会公式サイト]</ref>
 
 
=== 保有する不動産資産 ===
 
創価学会の施設は全国に約1200箇所存在する。[[宗教学|宗教学者]]・[[島田裕巳]]は本部がある[[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]の施設の[[不動産]]合計は[[地価]]約479億2412万9千円と試算している<ref name="shimada">島田裕巳著「新宗教ビジネスモデル」pp.70-80</ref>。
 
 
== 教義関連 ==
 
=== 教義・理念 ===
 
* 仏法が説く生命尊厳の思想を根本に、人類の幸福と社会の繁栄、世界平和の実現を目指す「[[広宣流布]]」という運動を実践する<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/kmav7s0000006es7.html 創価学会公式サイト]</ref>。{{main|広宣流布#解釈}}
 
* 万人の生命に等しく内在する、智慧と慈悲と勇気に満ちた仏の生命を最大に発揮する「人間革命」を信仰の指標とする<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/kmav7s0000006es7.html 創価学会公式サイト]</ref>。
 
* かつては日蓮正宗以外は、すべて邪宗教であり害毒を流すものとして、他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っていた<ref name="gendai shimada">島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09)  P127</ref>。また、島田裕巳によると、創価学会員の子弟は、修学旅行などで神社仏閣を訪れた場合には、神社の鳥居や寺院の山門はくぐろうとしない、という。{{sfn|島田裕巳|2004|p=148}}。
 
 
=== 経典 ===
 
『[[法華経]]』、『新編日蓮大聖人御書全集』(創価学会版)
 
==== 勤行 ====
 
仏壇の前で経典を読誦する行為。法華経の一節「方便品第二」と「如来寿量品第十六」を読み上げる。法華経の漢訳文を声に出して読む。会員は朝と夕、一日に二回「勤行」を行う<ref>「創価学会の研究」[[玉野和志]]著、講談社現代新書</ref>。
 
 
==== 唱題 ====
 
「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」(「なむみょうほうれんげきょう」ではない)という題目を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。「勤行」を行わずに、「題目」を唱えてもよいとされる<ref>「創価学会の研究」[[玉野和志]]著、講談社現代新書</ref>。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は[[経典]]の表題を唱えることに由来する。
 
 
=== 本尊・本仏 ===
 
==== 本尊 ====
 
* 入会の条件が整った場合に[[日寛]]上人書写の本尊が会員に授与される<ref group="注">破門以前は宗門から下付されていたが、破門に伴って下付停止となったため、1993年(平成5年)10月からは[[日寛]]上人書写の本尊を御形木御本尊として授与している。</ref>。
 
{{main|法華曼荼羅#日蓮の法華曼荼羅}}
 
* 諸事情で自宅に[[仏壇]]を安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれる小型の御本尊を授与する。この本尊も日寛上人書写のものである。
 
* 「広宣流布大誓堂」に安置されている「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書が記された創価学会常住御本尊は、第2代会長戸田城聖が発願し、当時の日蓮正宗法主・[[日昇]]上人によって書写、授与された紙幅の本尊を1970年代に板に彫刻したものである。
 
* 破門以前は“日蓮正宗総本山[[大石寺]]に安置されている「[[本尊 (日蓮正宗)|本門戒壇の大御本尊]]」”とされて来たが、2002年(平成14年)の会則変更により表記が変更された。さらに2014年(平成26年)の会則改正により、「[[弘安]]2年([[1279年]])の本門戒壇の大御本尊は受持の対象とはしない」と聖教新聞上で公式発表された。
 
* 一時期、「[[謗法]]払い」といって以前信仰していた時の仏壇や[[神棚]]を焼却させることもあったが<ref name="sg"/>、創価学会は新入会希望者に対して、
 
*# 入会希望者自身が、かつての信仰対象の処分・返却を行うこと。
 
*# 本人が承諾しても他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと。
 
*# 謗法払いは入会する会員自身が自から自分自身で行う。
 
*# 同居家族や所有関係者の事前了解を得ること。
 
:を指導として徹底している<ref group="SG">1994年8月24日付「聖教新聞」4面</ref>。{{main|信者#創価学会}}{{see also|折伏大行進#歴史|}}
 
 
==== 本仏 ====
 
* [[日蓮]]を[[末法]]の[[本仏]]と仰ぐ。{{main|本仏#日蓮本仏論}}
 
* 名誉会長の池田大作を本仏と仰ぐ幹部の言動に対して、池田自身が否定している<ref group="SG">「所感恩師の二十三回忌に思う」(『聖教新聞』昭和55年(1980年)4月2日付)</ref>。{{main|池田大作本仏論}}
 
 
== 社会貢献活動 ==
 
===災害時の救援・復興活動===
 
大規模[[災害]]の発生時には、地域の会館で被災者を受け入れ、救援活動にあたっている。宗教専門紙の[[中外日報]]は、「[[阪神・淡路大震災]]では、創価学会の迅速な救援活動に対し[[兵庫県]]などから感謝状が贈られ、[[フランス]]・[[オーストラリア]]・[[香港]]・[[シンガポール]]など海外の[[新聞]]でも活動が報じられた」ことを報道した<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/serial/chugai/html/0801/0120/08-01-20_02_06.html 『中外日報』平成8年1月20日付(25410号)6面 - 中外日報社(デジタル化:神戸大学附属図書館)]</ref>。[[東日本大震災]]に際しては、42の会館で約5千人を一時[[避難所]]として受け入れたほか、義捐金を拠出した<ref>稲場圭信 『利他主義と宗教』 弘文堂、2011年、12 - 13頁。</ref>。避難所はおおむね、地元会員組織の責任者と、他地域から派遣された専従職員を中心に運営され、[[医師]]や[[看護師]]が健康相談を実施した。発災翌日には[[山形県]]・[[新潟県]]などから支援物資が到着している<ref group="他">[http://www.iisr.jp/publish/tatiyomi/2013/yamane.pdf 公益財団法人国際宗教研究所]</ref>。一部の会館は[[行政]]の指定避難所となっている<ref group="他">[http://www.city.uto.kumamoto.jp/q/aview/64/4871.html 熊本県宇土市]</ref>。また、創価学会による東北被災地への救援活動は、アメリカの[[CNN]]のブログにも取り上げられた<ref>[http://religion.blogs.cnn.com/2011/03/22/my-take-japanese-new-religions-big-role-in-disaster-response/ My Take: Japanese new religions' big role in disaster response - CNN Belief Blog - CNN.com Blogs  March 22nd, 2011]</ref>。そして、東日本大震災からの[[復興]]にあたっては、「心の福光(復興)プロジェクト」を展開。創価学会しなの合唱団は「希望の絆」コンサート開催し、仮設住宅で[[合唱]]を披露している<ref>石巻日日新聞2015年3月5日付4面</ref>。2015年(平成27年)3月に[[宮城県]][[仙台市]]で開幕された[[国連防災世界会議]]と、2016年(平成28年)5月に[[トルコ]]・[[イスタンブール]]で開催された世界人道サミット([[:en:World Humanitarian Summit|en]])では、一連の復興支援活動を報告している<ref group="他">[http://www.city.sendai.jp/soumu/bosai-kankyou/report_09.pdf 国連防災世界会議] - 仙台市</ref><ref group="他">[https://consultations2.worldhumanitariansummit.org/bitcache/8ff0c0a06ce6c811821338bebbbb38c53ebafa74?vid=578019&disposition=inline&op=view 世界人道サミットのサイドイベントリスト]</ref>。
 
===難民支援活動===
 
大規模災害や[[紛争]]の発生時に、各国[[大使館]]や[[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官事務所]](UNHCR)への寄付を行い、[[難民]]支援にも関与している<ref group="他">[http://www.japanforunhcr.org/assets/docs/downloads/ar2014.pdf UNHCR協会活動報告2014]</ref>。
 
===国連NGOとしての活動===
 
創価学会は[[国際連合広報局|国連広報局]]登録NGO([[非政府組織]])である<ref name="unic" group="他">[http://www.unic.or.jp/links/ngo/ 国際連合広報センター]</ref>。SGI(創価学会インタナショナル)は1983年(昭和58年)に、[[国際連合経済社会理事会|国連経済社会理事会]]との諮問資格を持つNGOとして登録された<ref name="unic" group="他" /><ref group="他">[http://www.un.org/disarmament/update/20140321/ UNODA公式サイト]</ref>。SGI[[ニューヨーク]]国連連絡所は、2009年(平成21年)に、国連の「[[軍縮]]・[[平和]]・[[安全保障]]NGO委員会」において議長を務めた。SGI[[ジュネーヴ|ジュネーブ]]国連連絡所は、特に[[人権教育]]のテーマで活動を展開。2005年(平成17年)からスタートした[[国際連合|国連]]の「人権教育のための世界プログラム」は、[[コスタリカ]]政府とSGIが中核となって実現している<ref name="unic" group="他" /><ref group="他">[http://www.ohchr.org/EN/PublicationsResources/Pages/TrainingEducation.aspx UNHR公式サイト]</ref>。
 
 
===図書贈呈運動===
 
創価学会の図書贈呈運動は、へき地や[[離島]]をはじめ[[教育]]環境に恵まれていない地域や、[[震災]]や[[台風]]などの被害を受けた地域の子どもたちに[[本|書籍]]を贈呈するものである。1974年(昭和49年)にスタートした。東日本大震災以降は特に、被災地の[[日本における学校|学校]]への寄贈が重点的に行われている<ref>[http://www.miyakomainichi.com/2014/02/59585/ 宮古毎日新聞2014年2月5日]</ref><ref group="他">[http://namiejhs.seesaa.net/article/431309191.html 福島県浪江町立浪江中学校公式HP]</ref>。
 
===法華経の原典資料保全・研究活動===
 
[[法華経]]の原典研究に寄与する「法華経写本シリーズ」の出版活動を、公益財団法人・[[東洋哲学研究所]]と協力して推進している。各国に保存されてきた貴重な法華経写本を鮮明なカラー写真で撮影した「写真版」と、写本の“読み”を[[ローマ字]]化した「ローマ字版」を公刊し、世界の研究者に広く提供して『法華経』を中心とした初期[[大乗仏教]]の研究に貢献するためのもの<ref group="他">[http://www.totetu.org/lotus-sutra/1/9.html 東洋哲学研究所「写本の目的」]</ref>。2016年(平成28年)頭時点で16点が刊行され、「インド国立公文書館([[:en:National Archives of India|en]])所蔵ギルギット法華経写本:写真版」「[[ロシア科学アカデミー東洋学研究所|ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所]]所蔵梵文法華経写本:写真版」などが含まれる<ref group="他">[http://www.totetu.org/lotus-sutra/1/4.html 創価学会「法華経写本シリーズ」一覧]</ref>。
 
 
== 創価学会が行なった提言 ==
 
=== 原水爆禁止宣言 ===
 
{{see also|原水爆禁止宣言}}
 
1957年(昭和32年)9月8日、2代会長戸田城聖が創価学会第4回東日本青年部体育大会「若人の祭典」で核兵器の使用禁止を訴える宣言を行った。
 
 
戸田はこの宣言を遺訓として会員たちに託し、以後、創価学会が行っている、戦争体験者の証言を集めて出版する「反戦出版」や、平和運動活動の淵源となったとされている。<ref group="他">http://www.winbell-7.com/makitosiniti/kantyou/todagensuikin.html</ref>
 
 
=== 日中国交正常化 ===
 
{{see also|日中国交正常化}}
 
1968年(昭和43年)9月8日、池田大作は、東京・[[両国]]の[[両国国技館#日本大学講堂|日大講堂]]で行われた学生部幹部会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p28(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>。同提言では、日中首脳会談の開催や国交回復の必要性を強調した<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p28 - p31(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>。
 
背景には、中国側が日本における創価学会の存在に注目していたことがあげられる<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p38(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>。池田の「日中国交正常化提言」は中国で報道されたが<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p42(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>、池田提言以前も中国側は、作家の[[有吉佐和子]]を通じて創価学会と接触していた<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p39(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>。
 
松村謙三は、池田の「日中国交正常化提言」を高く評価した一人であり池田を訪問した際に「ぜひとも、あなたを周恩来総理に紹介したい。」と語ったとされている<ref>『扉はふたたび開かれる 検証 日中友好と創価学会』p45-p46(時事通信出版局編 監修・編著 信太謙三 時事通信社刊)</ref>。
 
 
== 創価学会へのデマ ==
 
=== 池田大作に対する狂言訴訟 ===
 
{{main|池田大作に対する訴権の濫用}}
 
1996年(平成8年)、自らの金銭借款が原因で北海道創価学会の幹部を解任された女性が池田大作に[[強姦|レイプ]]されたとの告発手記を『週刊新潮』に掲載。女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。判決は「訴権の濫用による却下」という判決が下った。『週刊新潮』誌上においても、[[山田直樹 (ジャーナリスト)|山田直樹]]は「およそ5年に及んだ裁判は、なんと実質審理に入らないまま終結」と訴訟を振り返り<ref>『週刊新潮』2002年11月27日号 新・創価学会を斬る 第4回</ref>、「裁判を傍聴し続けた」という[[乙骨正生]]も「女性の訴えは時効であるとし、女性の夫の損害部分についても実質的な事実審理に入ることなく訴えを退けた」と記述している<ref>『週刊新潮』2005年12月1日号</ref>。
 
 
=== 映画監督伊丹十三の転落死 ===
 
1997年(平成9年)に自殺([[転落死]])した[[伊丹十三]]の死が自殺ではなく他殺であるとした説(創価学会が関与したと断定する内容)が2ちゃんねるに掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、訴訟を起こした。[[東京地方裁判所]]は2009年(平成21年)2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref group="他">東京地方裁判所判決<平成19年(ワ)第35314号>2009年2月5日</ref>。
 
 
=== 朝木明代市議転落死 ===
 
{{main|朝木明代市議転落死事件}}
 
1995年(平成7年)9月、[[東京都]]・[[東村山市]]議会議員[[朝木明代]]が[[マンション]]から転落死し、後に警察が自殺と断定。朝木が創価学会と公明党の批判活動をしていたことから、他殺説や学会の陰謀説が浮上した。『週刊現代』・『週刊新潮』・『東村山市民新聞』の記事に対して、創価学会は名誉毀損で提訴し、3つとも学会側が勝訴した。
 
 
=== 日蓮正宗住職交通事故死 ===
 
{{main|日蓮正宗住職交通事故死事件}}
 
1994年(平成6年)7月、北海道内で日蓮正宗住職の運転する自動車と学会員の運転する自動車が正面衝突する[[交通事故]]が起き、住職が死亡、学会員が重傷を負った。現場検証で住職の全面[[過失相殺|過失]]と認定されたが、週刊新潮など一部週刊誌が交通事故は創価学会によって仕組まれたものとする内容を掲載。後に事故の当事者である学会員が週刊新潮を提訴、最高裁は週刊新潮の敗訴を言い渡した。
 
 
=== 月刊ペンに掲載された名誉毀損 ===
 
{{main|月刊ペン事件}}
 
雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった。
 
 
=== 茨城新聞による「香典泥棒」報道 ===
 
[[茨城新聞]]は創価学会信者宅からの取材をもとに昭和37年4月1日号において「創価学会は信徒の家に[[葬式]]があると、親戚、知己から集まる[[香典]]はすべて創価学会支部が持ち去ることになっている」と報道した。創価学会側は記事の内容は事実無根と茨城新聞社へ抗議した。その後、確証が取れないと判断した同社は4月17日、茨城新聞に訂正記事を掲載した。
 
 
=== 週刊文春による「池田大作重病説」報道 ===
 
『[[週刊文春]]』が2011年(平成23年)、10月27日号(176ページから179ページ)で池田大作の[[看護師]]からの情報をもとに『衝撃スクープ 池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状』と池田大作名誉会長の重病説を掲載、「私がお側で世話をした数か月前には、歩くこともままならず、[[読み書き]]や他人と話すことも難しい状態」「先生が車椅子に乗ってらっしゃったとき、突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げ始めた」「幹部の方々は、心配する我々学会員に対して『先生は元気です』とアピールするばかりです。しかし、それは学会員を欺(あざむ)き、池田先生を冒瀆(ぼうとく)している」「末端の学会員にも先生の現状をお知らせして、先生のために大勤行(ごんぎょう)会を開いたほうがいいと思うのです。」などとの内容が掲載された。週刊文春の記事を受け花田紀凱は産経新聞2011年10月22日付のコラム「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」で「まさに衝撃スクープ」とコメント。創価学会は週刊文春や発行元の文藝春秋社に「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後の12月29日号で当時の編集長が「小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。」と謝罪した。
 
 
 
== 創価学会に関する疑惑 ==
 
===P献金===
 
創価学会には[[P献金]]と呼ばれる献金が存在しているという疑惑。P献金のPとは「プレジデント」の略で公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員[[福本潤一]]が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の[[石井一]]が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した<ref group="他">第168回国会 参議院予算委員会 第2号 参議院、2007年10月16日議事録、2012年11月7日閲覧</ref>。{{see also|P献金#週刊新潮での掲載}}
 
 
=== 暴力団への暗殺依頼疑惑 ===
 
創価学会に反抗・批判する人間の[[暗殺]]を[[暴力団]]へ依頼したとされる疑惑。後藤組の元組長後藤忠政によれば元公明党最高顧問藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作名誉会長の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画伯A(仮名)や[[亀井静香]]ら4名の暗殺を依頼されたという<ref>『憚りながら』P.107</ref>。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している<ref>『月刊現代』2004年2月号</ref>。暗殺リストに名前があった亀井静香は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる<ref>『憚りながら』P.107 - p.108</ref>。後藤は著書の中で池田が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。と批判した。
 
 
=== 財務私的流用疑惑 ===
 
下記のような例がある。
 
* 1977年(昭和52年)に 民社党の春日一幸が国会で池田専用の豪華施設等について調査したところ、会員の財務が私的流用されていたのではという疑惑を持ち、当時の公明党委員長委員長竹入義勝宛に質問する旨の手紙を送った<ref>『革新』1977年11月号</ref>。春日は1970年(昭和45年)12月の衆議院予算委員会で池田の証人喚問を求めたが、自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた。また春日は創価学会が起こした言論出版妨害事件でも、国会で池田大作の証人喚問を求めた。
 
* 1989年、神奈川県横浜市のゴミ処理施設に廃棄された金庫から1億円もの現金が発見された。当初創価学会は、この問題を第三者の視点から批判したが、<ref>矢野絢也  『乱脈経理創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント』講談社刊</ref>数日後、創価学会総務の中西治雄が持ち主と名乗り出て、「(金庫のお金は)20年以上前に、自分が学会内で不正に蓄財したもので、その存在を忘れているうちに誤って捨てられた」等と述べた。しかし、すべて[[聖徳太子]]像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と印字された帯封で束ねられたものや、一度も市中に出回っていない新札もあった。さらには中西が自宅を担保に借金をしていたことから矛盾点をマスコミから追及された。当時の学会内部は中西に同情的であり大多数の幹部が「この事件は中西が池田と学会のために泥をかぶった。」との見方をしていた<ref name="gendai">[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20791 反学会に転じた池田名誉会長の「金庫番」] [[週刊現代]] 2011年9月27日</ref>。
 
 
=== 創価学会との裁判沙汰 ===
 
元公明党委員長[[矢野絢也]]との裁判で、学会側の敗訴が確定<ref>毎日新聞 2009年3月28日付、asahi.com 2009年3月27日、東京新聞 2009年3月27日付、手帳持ち去りで矢野氏の勝訴確定 元公明議員に賠償命令東京新聞2009年9月1日付等</ref>したほか、同[[竹入義勝]]との裁判では裁判所の勧告により和解が成立している<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008120401000826.html | title = 公明党が竹入氏と和解 「互いに誹謗中傷せず」 | agency = 共同通信社 | publisher = 47NEWS | date = 2008-12-04 | accessdate = 2013-11-01 }}</ref>。また1996年には名誉会長の池田大作が幹部だった女性から裁判を起こされたが、訴権を濫用したとして訴えそのものが退けられた<ref group="他">平成12年(ネ)第3364号 損害賠償請求控訴事件 東京高裁判決(2001年1月31日)</ref>。{{see also|池田大作に対する訴権の濫用}}
 
 
=== 欧州のセクト問題 ===
 
欧州各国でのセクト批判の例をあげる。
 
==== フランス ====
 
1995年12月にフランスの下院([[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]])で採択された「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針は調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』と呼ばれる。
 
「①精神の不安定化②法外な金銭的要求③住み慣れた生活環境からの断絶④肉体的保全の損傷⑤子供の囲い込み⑥反社会的な言説⑦公秩序の攪乱⑧裁判沙汰の多さ⑨従来の経済回路からの逸脱⑩公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている<ref>[[古川利明]] 『カルトとしての創価学会=[[池田大作]]』([[第三書館]] 2000年11月) ISBN 978-4807400171 </ref>。
 
リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。
 
* [[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]]カルトに関する議会委員会(1995年)<ref group="他">[http://www.assemblee-nationale.fr/rap-enq/r2468.asp  フランス語の報告1995年] ([http://cftf.com/french/Les_Sectes_en_France/cults.html 英語の翻訳]), [[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]], 議会委員会報告</ref>
 
:[[フランス国家警察]]の[[情報機関]]総合情報局が、UNADFI(カルトの被害者と家族を守る協会の全国連合)など、複数のカルト監視グループと編集
 
* [[国民議会 (フランス)|フランス国民議会]]カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴委員会報告(1999年)<ref name="france1999" group="他">{{cite web|url= http://www.assemblee-nationale.fr/dossiers/sectes/sommaire.asp|title= Les sectes et l'argent|accessdate= 2009-04-20|author= フランス国民議会|authorlink= フランス国民議会|coauthors= |date= 1999-06-10|publisher= フランス共和国|language= フランス語|quote= enquête sur la situation financière, patrimoniale et fiscale des sectes, ainsi que sur leurs activités économiques et leurs relations avec les milieux économiques et financiers[(和訳)カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴]}}</ref>
 
:カルトと金銭に関するフランス議会報告、30数団体に注意を集中させ調査した。
 
==== ベルギー ====
 
ベルギーでは創価学会(SGI)が複数の未成年者を勧誘したことが発覚し社会問題となる、1997年、ベルギー議会調査委員会は未成年者保護のため創価学会(SGI)をセクト的な活動を行う団体にリストアップし未成年者への勧誘、入会を禁止した。<ref name="belgium1997">''Enquête Parlementaire visant à élaborer une politique en vue de lutter contre les practiques illégales des sectes et le danger qu'elles représentent pour la société et pour les personnes, particulièrement les mineurs d'âge. Rapport fait au nom de la Commission d'enquête par MM. Duquesne et Willems. Partie II.''[(和訳)[[カルト]]の不法行為、社会や人々、特に未成年者にとっての危険と戦うことを目的とした政策を説明する議会公聴。ドゥケイン氏、ウィレム氏による委員会での公聴、の名称での報告 パート2] {{PDFlink|[http://www.dekamer.be/FLWB/pdf/49/0313/49K0313008.pdf 報告書]}} -- フランス語と[[フラマン語]]のニ言語報告, retrieved 2007-01-08.</ref>
 
==== ドイツ ====
 
1980年代から90年代にかけて、日本に留学していた複数のドイツ人が創価学会の総会で[[池田大作]]が右手(実際は右の拳)を高くつきだし、それに呼応して参加者たちが一斉に右手を突きだした光景を目撃したことから「創価学会はナチス式敬礼を行う危険な団体」<ref>Frankfurter Allgemeine Zeitung 1992年7月16日号</ref>などといった誤った風潮がドイツ国内に伝わる。その後1996年、創価学会インタナショナル(SGI)等を新宗教と精神世界グループの一団体としてリストアップした。<ref>[http://www.agpf.de/Bundestags-Drucksache-13-4132.htm  Bundestags-Drucksache 13/4132: Antwort der Bundesregierung auf die Kleine Anfrage Drucksache 13/3712 (1.Welche Gruppierungen zählt die Bundesregierung zu den sog. Jugendsekten oder Psychogruppen, und welche dieser Gruppierungen treten z.Z. verstärkt in Deutschland in Erscheinung?)] AGPF(Aktion für Geistige und Psychische Freiheit; 精神的・心理的自由のためのアクション) 1996年3月15日 2009-9-19閲覧 "ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"'''ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ'''"を作成した。以下のグループ、団体を含む:"(''Die Bundesregierung hat in Kooperation mit allen Bundesländern den Entwurf einer Informationsbroschüre '''»Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland«''' erarbeitet, in den u. a. die nachfolgenden Gruppierungen und Organisationen aufgenommen wurden:''" "...'''サイエントロジー団体'''(創設者ロン・ハバートが純粋な経済志向と共に精神カルト性を少なくした), '''創価学会''' (仏教 »改革運動«),'''[[セレマ]]団''' (新[[悪魔崇拝]]協会), ..."(''...'''Scientology-Organisation''' (auf ihren Gründer L. Ron Hubbard zurückgehender Psychokult mit ausschließlich wirtschaftlicher Orientierung), '''Soka Gakkai''' (Buddhistische »Reformbewegung«), '''Thelema-Orden''' (Neosatanistische Vereinigung),...'')</ref>
 
 
== 創価学会が起こした社会問題 ==
 
=== 入信強要 ===
 
==== 未成年者への入信強要 ====
 
学会員が主導した入信強要によって自殺者が出た事例がある。1959年(昭和34年)6月、[[長崎県]]に住んでいた当時19歳の少年Aは創価学会員から度重なり入信を強要された。入信を拒むAに対し学会員は自宅で座り込みをしたためAは根負けし入信。入信から20日後Aは「創価学会への入会は誤っていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ。」という[[遺書]]を残し[[自殺]]、Aの自殺を知った母親も後追い自殺をした。[[中国新聞]]は「創価学会に入会を強要されたばかりに、2人ともこんなことになって」という長女の談話を掲載した<ref>『中国新聞』1959年6月17日付朝刊11面</ref>。その後週刊新潮がこの事件を報道。その中でAの自殺は創価学会への信仰の薄さが原因とする学会員から匿名の手紙が届き、それを見てショックを受けた母親が後追い自殺をしたとしている<ref>『週刊新潮』1959年7月6日号「この不幸な一家の十四年―原爆から創価学会まで」</ref>。上記のほかにも両親が物心つく前の子供(未成年者)を入信させるケースがある。弁護士の滝本太郎によればこういった入信強要は後を絶たず、創価学会以外にも[[顕正会]]、[[オウム真理教]]、[[統一教会]]など日本国内にあるほとんどの宗教団体で行われ、トラブルも起きている。外国では国が未成年者の入会を禁止している国もあるが、日本ではそのような法令がなく、事実上国が未成年者の入会を野放しにしているという。
 
 
==== 会社における入信強要 ====
 
[[日本共産党]]の機関紙「[[しんぶん赤旗]]」によれば、創価学会に入会しないことと、同機関紙「[[聖教新聞]]」を購読しないことを理由に昇給できなかった事例が掲載された。一方で、その会社では、入信して昇給した人もいたようで、[[差別]]を受けた社員の憤りも紹介されている。[[自由法曹団]]団長の[[松井繁明]]弁護士は、従業員に特定の信仰を事実上強制することは、[[日本国憲法第19条|憲法19条]]([[思想・良心の自由]])、同[[日本国憲法第20条|20条]]([[信教の自由]])に反する。また[[労働基準法|労基法]]3条は、[[労働者]]の信条を理由に[[賃金]]などについて差別的な取り扱いをすることを禁じており、これにも違反しているとコメントした。また同会社では月に1回の割合で、全員参加による「座談会」が開かれ、その日、会社にいる人間は社長から「全員集合」がかけられ、「人間主義」などのテーマで議論させられている。ある月には、[[山口那津男]](現・公明党代表)が訪れ、支持を訴えたという<ref group="批" name="akahata20070823">[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-23/2007082315_01_0.html 『しんぶん赤旗』創価学会入らぬなら昇給差別朝礼で聖教新聞読み合わせ40人突然解雇の内装会社]</ref>。
 
 
=== 言論出版妨害事件 ===
 
{{main|言論出版妨害事件}}
 
1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。
 
 
これらの行為が、日本国憲法に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。
 
 
1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載<ref group="SG">『新・人間革命』(第14巻「烈風」の章)</ref>。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した<ref>「歴史改竄で故人藤原弘達まで鞭打つ創価学会」(『[[週刊新潮]]』 2006年4月13日号)</ref><ref name="red20010722" group="批">「[http://www.jcp.or.jp/tokusyu/enzetu-fuwa-shii/2001_7_22fuwa_souka_ikeda.html 創価学会・池田大作氏に問う31年前の「猛省」は世をあざむく虚言だったのか]」[[不破哲三]](『しんぶん赤旗』 [[2001年]]7月22日付)</ref>。
 
 
=== 選挙における不正投票、不正行為、問題行動===
 
{{See also|大阪事件 (創価学会)|新宿替え玉事件}}
 
* 1957年(昭和32年)4月に[[参議院]][[大阪府選挙区|大阪地方区]]の[[補欠選挙]]が施行された際、創価学会員が大阪[[あいりん地区]]に住む[[日雇い]]労働者達に候補者名の氏名の入った[[たばこ|タバコ]]や[[現金]]を渡したとして創価学会員ら47名が[[公職選挙法]]違反で逮捕された。[[裁判#日本における裁判|裁判]]では組織的指示はなかったとして小泉隆、池田大作は無罪、45名に有罪判決が下され、有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。
 
* 1968年(昭和43年)に行われた[[第8回参議院議員通常選挙]]で不正行為(投票所入場券の窃盗、替え玉投票など)を行い、創価学会員34名が[[逮捕|検挙]]された。
 
* 2001年(平成13年)の参議院選挙で逮捕者が出て、地方新聞に掲載された<ref>『千葉日報』(2001年8月2日付)『埼玉新聞』(2001年8月4日付)『北日本新聞』(2001年7月31日付) 『徳島新聞』(2001年7月31日付)『佐賀新聞』(2001年7月31日付)</ref>。[[佐賀新聞]]が報じたケースでは、逮捕された学会員が不在者投票所の入り口で『公明党の候補者名を書くように言ってある。メモを持たせてある』などと佐賀市選挙管理委員会職員に直接話したのを[[佐賀警察署]]の署員が聞いていた事も明らかになっている。ただし、同容疑で[[自由民主党 (日本)|自民党]]や[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の支援者も同様の行為を行い逮捕者も出ている<ref>自民党、毎日新聞、産経新聞、読売新聞2009年9月1日付他、民主党2011年7月12日付毎日新聞、産経新聞、読売新聞など</ref>。
 
* 2003年(平成15年)に実施された衆議院選挙において神奈川県内に住む創価学会の女性幹部3名が重度の知的障害をもつ女性とともに投票所に現れ、あたかも知的障害をもつ女性が公明党に投票意思があるように見せかけ投票しようとしたとして公職選挙法違反で逮捕された。<ref>産経新聞2003年11月20日付 27面</ref><ref>山田直樹 創価学会とは何か p131〜p134</ref>
 
* 2003年(平成15年)3月、[[兵庫県]][[神戸市]][[兵庫区]]で[[日本共産党]]の後援会員が政党カーから支持を訴えていたところ、男が近づいてきて怒鳴った。男は、創価学会員を自称し、後援会員に[[暴行罪|暴行]]を加えたため[[日本の警察|警察]]に[[現行犯]]逮捕された。<ref>{{Cite news|date = 2003-04-08|newspaper = [[しんぶん赤旗]]|title = 創価学会員らが暴行 伝活動妨害し逮捕|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-04-08/15_02.html|accessdate = 2016-01-31}}</ref>。
 
* 2003年(平成15年)4月11日、[[埼玉県]][[所沢市]]で日本共産党の後援会員がビラを配布中、「選管(選挙管理委員会)」を名乗る女性に「このビラは違反だ」と指摘される。後援会員が女性に氏名と聞くと、女性は立ち去るも再度「このビラは違反」と妨害。その後の後援会員の追及に女性は「創価学会員」と認めた。後援会員が、選管に確認したところ、「選管」と名乗った女性の該当者はいないことが判明。選管事務局は「悪質な行為で[[選挙管理委員会]]に報告し、検討したい。」と赤旗の取材に回答した<ref >{{Cite news|date = 2003-04-13|newspaper = [[しんぶん赤旗]]|title = 公明名乗る男が暴行 共産党の法定ビラ強奪|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-04-13/15_03.html|accessdate = 2016-01-31}}</ref>。
 
* 2010年(平成22年)の参議院選挙で宮崎県で検挙されたケースにおいては、知人の複数の高齢者の手の平に「選挙区の自民候補と比例代表の公明候補の名前をペンで書き投票を誘導した疑いが持たれている<ref>高齢者の手に候補者名書く 投票干渉容疑で3人逮捕”. 共同通信社. 47NEWS. (2010年7月13日)</ref>。
 
* [[2012年]](平成24年)の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、[[愛媛県]]で「比例代表は公明党、選挙区は[[塩崎恭久]]氏(愛媛1区、自民党)」というメモを判断能力に欠けた高齢女性(認知症患者)に持たせて投票させた容疑<ref>{{Cite news|title=投票干渉容疑で公明2支持者書類送検 松山東署 |url=http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20130116/news20130116454.html |newspaper=愛媛新聞|date=2013-01-16|accessdate=2015年12月3日}}</ref>で検挙者を出している。
 
 
=== 学会員が起こした犯罪、問題行動===
 
学会員が起こした犯罪や社会問題で[[日本の裁判所|裁判所]]が創価学会の組織的関与認めた事案として[[大阪事件]]<ref> 山崎正友著『懺悔の告発』より</ref>といった選挙違反、[[偽造写真事件]]<ref>山田直樹著『創価学会を斬る』</ref>、[[コーヒーカップ裁判]]<ref>1998年10月7日、最高裁第3小法廷判決文参照</ref>[[宮本顕治宅盗聴事件]]<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-11/0311faq.html 2004年3月11日(木)「しんぶん赤旗」]</ref>といった反目する団体への誹謗中傷行動、手帳強奪事件<ref>2009年3月27日東京高裁判決文参照</ref><ref>週刊現代 2009年4月18日号『特集・創価学会・公明党が指令した「手帳強奪」事件の真相』</ref>のように学会と袂を分かった元学会幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こし逮捕された学会幹部を除名せず、その幹部が数年後再び刑事事件を起こし学会幹部として逮捕されたこともあり組織として学会の体質が批判されたケースも存在した<ref>『日刊ゲンダイ』2004年2月27日付1面 - 2面</ref>。
 
 
== 日蓮正宗との関係と対立 ==
 
かつて創価学会は[[日蓮正宗]]の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護するため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。そこで日蓮正宗は「新規に入会した会員は信徒として末寺に所属させること」、「(日蓮正宗の)教義を守ること」、「仏・法・僧の[[三宝]]を守ること」を条件に承諾した<ref name="sgkaibou"/>。
 
 
=== 昭和52年路線 ===
 
[[1977年]](昭和52年)1月の第9回教学部大会において、池田は創価学会を在家・出家の両方に通じる存在として位置付け、「創価学会の会館や研修所こそが近代における寺院」(島田裕巳(2004年)による引用)であり、『人間革命』は日蓮の遺文に匹敵する御書であるとした{{sfn|島田裕巳|2004|pp=105-106}}。これに対し、宗門である日蓮正宗側は池田の主張は教義からの逸脱であると批判し、批判を受けて創価学会は謝罪した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=105-106}}。[[山崎正友]]が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。{{see also|日達#日達と創価学会の軋轢}}
 
 
学会幹部が日蓮正宗総本山[[大石寺]]に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。
 
 
[[1979年]](昭和54年)[[7月22日]]に管長[[日達|細井日達]]が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として[[日顕 (日蓮正宗)|阿部日顕]]が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。学会に批判的な僧侶が「[[正信会]]」を結成、山崎も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果、宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。後に池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。{{main|正信会#結成とその後|日顕 (日蓮正宗)#正信会破門}}{{see also|血脈相承_(日蓮正宗)#日蓮正宗教団での位置付け}}
 
 
=== 日蓮正宗との対立・決別 ===
 
[[1990年]]([[平成]]2年)7月17日、[[日蓮正宗]]との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}<ref group="注">学会側の見解によると、連絡会議で学会側は宗門僧侶の綱紀の乱れが深刻であるとして、綱紀粛正を要請した、としている。</ref>。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧を軽視するものだとして学会に説明を求める「お尋ね」文書を送る{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}。これに対し、学会側は日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷していると回答を拒否{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}<ref group="注">学会側の見解によると、学会側は「お尋ね」文書に対する「お伺い」文書を送付し、対話による問題解決を図ったとしている。</ref>。これを受け、[[日蓮正宗]]は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の法華講総講頭の役職を解くことにした{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}。1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}。同年11月、[[日蓮正宗]]は、「創価学会」と「[[創価学会インタナショナル]]」(SGI)を破門した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=112-113}}{{Refnest|group="注"|創価学会の見解によると、この破門事件は後になって、日顕の側近・[[河辺慈篤]]のメモ(河辺メモ)の記述や宗門海外部主任・福田毅道が作成した作戦計画書の記述などから、「創価学会分離作戦(C作戦)」の名の下に、「日蓮正宗が一方的に創価学会を切り捨てることを目的としていた」ことが発覚している<ref group="SG" name="c20th" /><ref group="SG" name="nenpyo" />。}}。
 
 
==== 専門家の評価 ====
 
アメリカの[[宗教学|宗教学者]]フィリップ・ハモンド、デヴィッド・マハチェクは、『アメリカの創価学会 適応と転換をめぐる社会学的考察』(紀伊国屋書店)の中で、「1991年(平成3年)に行われたこの分離が、[[プロテスタント]]の[[宗教改革]]になぞらえられてきたのは当を得たことである」と評している。そして、「今回の一連の動きでもっとも印象的なことは、創価学会が[[塔婆]]――[[死者]]の代わりに[[供養]]される[[追悼]]のための[[銘板]]――を自分たちの[[金儲け]]のために売りつける強欲な[[僧|僧侶]]たちを非難したことと、プロテスタントの宗教改革者たちが、[[贖宥状]]を販売する[[聖職者]]たちに異議を唱えたこととが、酷似している点である。」と述べた<ref>『アメリカの創価学会 適応と転換をめぐる社会学的考察』(紀伊国屋書店)39頁、40頁</ref>。
 
 
=== シアトル事件 ===
 
1992年(平成4年)6月、『[[創価新報]]』・『聖教新聞』に「[[日顕 (日蓮正宗)|日顕]]が1963年(昭和38年)に法務で[[アメリカ合衆国|米国]][[ワシントン州]]・[[シアトル]]に出張した際に、現地の[[娼婦|売春婦]]と料金トラブルを起こして警察に通報され、身柄を拘束された」、「現地在住の学会員、ヒロエ・クロウが保釈手続きを行った」として、日顕を痛烈に批判する記事が掲載された。日蓮正宗側はそのような事実はまったく存在しないと否定し<ref group="注">後に日顕は宿泊先のホテルから外出したことは認めたが、売春婦との料金トラブルなどについては否定している。</ref>、日米両国で訴訟が行われた。また、この報道は創価学会や日顕と敵対する正信会・顕正会の機関紙でも報じられた。
 
 
{{main|日顕 (日蓮正宗)#創価学会との対立}}
 
 
=== 偽造写真事件 ===
 
破門後の[[1992年]](平成4年)11月、学会は機関紙『創価新報』に捏造した宴席写真を掲載し、日顕を批判。日蓮正宗との訴訟に発展。地裁の判決では学会側が写真の捏造を行ったことを認定し、学会側が敗訴し、原告が求めた賠償請求も認められる。その後、学会側が控訴した高裁において名誉毀損を認めつつも原告が求めた損害賠償は認められなかった。日蓮正宗側は上告するも棄却された。
 
{{main|偽造写真事件#訴訟へ|日顕 (日蓮正宗)#創価学会による偽造写真事件}}
 
 
=== コーヒーカップ裁判 ===
 
1992年(平成4年)、[[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れた際、本堂で夫が遺骨を受け取り退出。しかし、5分後に再び本堂を訪れ[[遺骨]]が[[骨壷]]ではなく[[コーヒーカップ]]に入っていたと主張した。その後の裁判では、数々の証言から創価学会員は敗訴し主張は退けられた。
 
{{see also|コーヒーカップ裁判}}
 
 
=== 池田大作本仏論 ===
 
歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更の際に定められた<ref name=":1" group="批" />。さらに、2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章第3条2項として、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と加筆明記された<ref name="Constitution_of_SGI-JAPAN" group="SG">{{cite web|url=http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html|title=会則(1)|創価学会公式サイト|date=2016年11月7日|accessdate=2016年12月26日}}</ref>。それまでは、機関紙『聖教新聞』の紙上でもあくまで中立的に「池田名誉会長」「池田SGI会長」との呼称を用いていたが、この会則改正で同紙上の記事で用いられる呼称も、冒頭は「池田大作先生」とし、それ以降は「池田先生」になった。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。池田は過去に聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない。」と明言している<ref group="SG">「所感恩師の二十三回忌に思う」(『聖教新聞』昭和55年(1980年)4月2日付)</ref>。
 
{{main|池田大作本仏論}}
 
 
== 他の宗教や組織との関係 ==
 
戸田城聖が存命だった1950年代から、教祖・日蓮の教義に従い、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派を一切認めず「邪宗・[[邪教]]」として批判してきた<ref name="gendai shimada"/>。その攻撃の矛先は折伏大行進期には[[立正佼成会]]や[[天理教]]など日蓮・法華系あるいは神道系の新宗教団体、正本堂建立以降は妙信講(現・[[冨士大石寺顕正会]])や[[正信会]]といった日蓮正宗系新宗教団体、そして破門後は日蓮正宗宗門へと向けられた。立正佼成会が[[新日本宗教団体連合会]]と[[日本宗教連盟]]、[[世界基督教統一神霊協会|統一教会]]が傘下の政治組織[[国際勝共連合]]を通じて他教派との交流を取っているのと異なり、2017年(平成29年)現在でも学会本体・公明党共に日本国内の他の[[新宗教]]教団とは協調するまでには至っていない<ref>島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P26</ref>。{{see also|四箇格言|立正佼成会#活動・動向}}
 
 
一方、日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があった[[キリスト教]]や[[イスラム教]]など仏教以外の既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された[[1995年]](平成7年)[[11月23日]]以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、[[創価学会インタナショナル]]は(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されている[[イスラム世界|イスラム圏]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。
 
 
=== 神道との関係 ===
 
島田裕巳によると初代会長の[[牧口常三郎]]は[[皇太神宮]]の神札である[[神宮大麻]]を拝むことを拒否し焼却させたが、国家神道の全てを否定していたわけではないという{{sfn|島田裕巳|2004|pp=37-38}}。第5回総会での全員座談会において牧口は[[靖国神社]]に参拝する意義を説き、靖国神社への参拝はご利益を得るためのものではなく感謝の心を表すものである点を強調した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=37-38}}。さらに牧口は、[[天照大神]]や代々の[[天皇]]に対して「感謝し奉る」と言い、[[昭和天皇]]を[[現人神]]と認め、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」と述べている{{sfn|島田裕巳|2004|pp=37-38}}。
 
 
一方、創価学会の公式見解は上記のものとは異なる。それによると、1943年6月、牧口は戸田とともに日蓮正宗総本山・[[大石寺]]に召喚され、当局による弾圧を懸念した宗門側から「神札を受けるように」と勧められるも、[[日興]]の残した遺戒にある「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」<ref group="SG">新編 日蓮大聖人御書全集p1618</ref>の精神を貫き通し、「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」と言って拒否した<ref group="SG">民衆勝利の凱歌II 破邪顕正の広布史p90-92</ref>。1か月後、その行為が[[不敬罪]]と[[治安維持法]]違反にあたるとして、牧口や戸田、他の幹部ら21人は逮捕・投獄された<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/president/makiguchi.html#no06 初代会長 牧口常三郎 宗教改革と国家権力の弾圧] - SOKAnet</ref>。幹部たちは退転していったが、牧口・戸田の2名だけが最後まで信仰を貫き通した。牧口は[[1944年]][[11月18日]]、学会の創立記念日にあたるこの日に「殉教」し、戸田は終戦1か月前の[[1945年]][[7月3日]]に出獄し、弾圧によって壊滅状態だった学会の再建に挑んだ<ref group="SG">[http://www.sokanet.jp/info/president/toda.html#no05 第2代会長 戸田城聖 学会の再建へ 会長に就任] - SOKAnet</ref>。というものである。
 
 
=== 小樽問答 ===
 
[[1955年]](昭和30年)、[[日蓮宗]][[妙龍寺]]と[[日蓮正宗]][[妙照寺 (小樽市)|妙照寺]]所属の創価学会小樽班の会員との間で論争が起こった。日蓮宗側は宗門幹部を派遣し、小樽市公会堂で公開[[法論]]に臨んだ<ref name="sg"/>。
 
 
=== 冨士大石寺顕正会との関係 ===
 
創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した[[大石寺]][[正本堂 (大石寺)|正本堂]]の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の[[戒壇]]」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。
 
 
妙信講は「非国立」の戒壇を認めない、と言うよりは「国家権力立」ないし「皇室立」でなければならない<ref group="批"> 「第二章 三、「国主立戒壇」の誑惑」 - 浅井昭衛『対決を逃避した阿部日顕管長に「最後に申すべき事」』(冨士大石寺顕正会)P44-53</ref>とする解釈を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は「[[戦後民主主義]]体制の根幹たる[[主権在民]]の下では日蓮の指す国の概念は権力ではなく民衆である」<ref group="SG">「本抄の背景・大意 立正安国について」 - 創価学会教学部編『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために「立正安国論」』(聖教新聞社 ISBN 978-4412016194)P15-16</ref><ref>「第4章 うさんくささと政教分離を巡る攻防 戒壇の建立も自由」 - [[佐藤優 (作家)|佐藤優]]『創価学会と平和主義』(朝日新書 ISBN 978-4022735829)p131-132</ref>という解釈のもと、正本堂落慶をもって御遺命は達成されたと宣言する。{{main|国立戒壇#創価学会|冨士大石寺顕正会#国立戒壇と本門戒壇}}
 
 
その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・[[和泉覚]](当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の[[1972年]](昭和47年)[[10月3日]]付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は[[国家権力]]ないし[[皇室]]による「狭義の」国立戒壇建立という思想を放棄せず、学会中央本部に対するデモなどの実力行使に踏み切る。これを受け日達は[[1974年]](昭和49年)[[8月12日]]付で妙信講を講中解散処分に付した。{{main|日達#妙信講破門|除名#日蓮正宗宗門の除名}}
 
 
=== 日本共産党との関係 ===
 
{{See also|宮本顕治宅盗聴事件|日本共産党と創価学会との合意についての協定}}
 
日本共産党と創価学会は支持層ないし支援対象が重なることなどから、1950年代以降、選挙活動において互いを非難しあうなど対立関係にあった{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000}}。一方、学会に入信しつつ[[日本民主青年同盟]](民青同盟)に入っていた[[瞳みのる]]や、[[日本共産党(左派)]]・[[長周新聞]]・[[劇団はぐるま座]]に関係しながら『少年版[[人間革命]]』を著した[[礒永秀雄]]など、両者に同時に関係する者もいた。
 
 
[[1969年]](昭和44年)12月2日には日本共産党機関紙の『[[しんぶん赤旗]]』が[[藤原弘達]]の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じ[[言論出版妨害事件]]が表面化。1970年(昭和45年)には[[日本共産党中央委員会幹部会委員長|日本共産党委員長]][[宮本顕治]]の自宅の[[電話回線]]を創価学会の学生部幹部数名が盗聴し、逮捕者も出た。
 
 
その後1974年(昭和49年)12月、向こう10年間の「相互不干渉」と「共存」をうたう「創共協定」を両者で締結した<ref name="syndicatetositeno" />が、[[自公連立政権]]の誕生後は対立が再燃し、しんぶん赤旗が「公明党と創価学会 『政教一体』で『悪政戦犯』の役割」と題した記事で、創価学会首脳が選挙戦で陣頭指揮を執り[[聖教新聞]]に会員を鼓舞する記事が掲載されるなどと批判したり<ref group="批" name="akahata20070604">{{Cite news|date = 2007-06-04|newspaper = しんぶん赤旗|title = 公明党と創価学会 「政教一体」で「悪政戦犯」の役割|url = http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-06-04/2007060425_01_0.html|accessdate = 2016-01-31}}</ref>、入信強要問題を取り上げる<ref group="批" name="akahata20070823" />などしている。
 
 
=== 自由民主党との関係 ===
 
{{main|憲法20条を考える会|政教分離を貫く会|反創価学会キャンペーン|}}
 
[[自由民主党 (日本)|自民党]]とは自民党結党以降2代会長戸田城聖と自民党で総裁を務めた[[岸信介]]が友好関係にあり、岸の娘婿[[安倍晋太郎]]が岸の名代として大石寺の大講堂の完成式典に列席し祝辞を述べた。また創価学会が起こした[[言論出版妨害事件]]では公明党中央執行委員長・竹入義勝が自民党幹事長・田中角栄に事態の収拾を依頼、その後自民党[[田中派]][[竹下派]]と公明党創価学会は親密、親交を深めていき田中の愛弟子[[小沢一郎]]が1993年に自民党を離党すると公明党幹部の[[市川雄一]]が小沢に接触、後に「[[ワン・ワン・ライス]]」となぞらえられた連携を見せ公明党が非自民党政権[[細川連立政権]]に参加、創価学会も全面的に協力した。この動きを見た[[自由民主党 (日本)|自民党]]は、1993年(平成5年)に同党所属の有志議員が[[憲法20条を考える会]]を結成(会長は[[亀井静香]])、「公明党と創価学会の政教分離問題を追及する」を旗頭に創価学会・公明党・細川連立政権に攻勢をかけた。
 
 
1994年(平成6年)5月には公明党および創価学会に批判的な[[宗教団体]]や有識者からなる[[四月会]]の結成に同党所属の[[河野洋平]]が参加{{Refnest|group="注"|自民党以外に[[村山富市]]([[日本社会党|社会党]])・[[武村正義]]([[新党さきがけ]])らも参加している。}}、自民党は長年の宿敵であった[[社会党]]と手を組み、政権を奪取すると、同年10月、同党の[[川崎二郎]]が[[衆議院]][[予算委員会]]で[[日蓮正宗住職交通事故死事件]]を取り上げた<ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/131/0380/13110110380001a.html|title=第131回国会 予算委員会 第1号|accessdate=20161001}}</ref>。
 
 
1995年(平成7年)11月の衆議院宗教法人に関する特別委員会では同党所属の衆議院議員[[熊代昭彦]]が創価学会について「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが……」と発言したほか、[[穂積良行]]が[[朝木明代市議転落死事件]]と創価学会の関係について質問した<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/134/0190/13411070190005a.html 衆議院会議録情報 第134回国会 宗教法人に関する特別委員会 第5号]</ref>。
 
 
1996年(平成8年)には党の運動方針に「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」というスローガンが存在したがこれは前年に行われた参議院選挙で自民党が新進党に敗北したことから来る衆議院選挙で勝利し政権維持を目的としたものである。同年週刊誌に掲載された「池田大作レイプ事件」の内容を党の機関紙『自由新報』へ引用、内藤国夫、俵孝太郎が「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」と題し「池田大作と金の問題」や「池田大作レイプ問題」を数回掲載した一方、衆議院選挙で勝利し政権維持を目的を達成した後は自由民主党竹下派を中心に公明党との連立を模索する動きも出ていた。1998年(平成10年)4月、[[自由民主党総裁|自民党総裁]]で[[内閣総理大臣|首相]]の[[橋本龍太郎]]が(創価学会の抗議に応じて)『自由新報』の「池田大作レイプ問題」について事実ではなかったと謝罪した。自由新報は現在廃刊されている。これら一連の動きは自民党による[[反創価学会キャンペーン]]として大々的に行われた。
 
 
島田裕巳は、公明党は自民党と連立与党を組んでから政策面で必ずしも独自性を打ち出すことができず、結局、自民党の政策を追認しているだけに終わっていることが少なくなく、特に安全保障政策で公明党が党是とする平和主義の貫徹が妨げられていることから、創価学会内部で公明党に対する批判が潜在化しているとしている{{sfn|島田裕巳|2004|pp=182}}。
 
 
また、島田は自民党内にも創価学会=公明党の発言力が強まることを警戒する人間はいることから、自民党内部において創価学会=公明党への批判が高まれば創価学会=公明党としては民主党と連立を組む可能性が出てくる{{sfn|島田裕巳|2004|pp=176-177}}。そうなれば創価学会=公明党は動物と鳥の両方に取り入ろうとして結局はどちらからも嫌われ、暗い洞窟に追いやられた[[卑怯なコウモリ|イソップ物語のコウモリ]]になる危険がある、としている{{sfn|島田裕巳|2004|pp=176-177}}。
 
 
== 政治との関係 ==
 
[[創価大学]]の[[中野毅]]によれば、創価学会の政治参加の動機は、[[中小企業]][[労働者]]を中心とする[[民衆]]の代弁、[[政治]]の監視、[[信教の自由]]の確保の三点に集約されるという<ref name="nakano">[[中野毅]]「戦後の政教問題と宗教の政治活動」『日本の宗教と政治 近現代130年の視座から』2001年、pp.171-184 ISBN 4-7923-3162-5</ref>。会長[[秋谷栄之助|秋谷]]の[[日本外国特派員協会]]での1995年(平成7年)の会見でもこの3点が強調された{{sfn|中野毅|2004|pp=185-187}}。
 
 
創価学会インタナショナルの Rie Tsumura によれば、創価学会の政治への関与は[[第二次世界大戦]]時に弾圧された経験をもとにした「主に防御的」("largely defensive")なものであった<ref name="scanlon">Charles Scanlon, [http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/797754.stm Risky alliance for Japan's ruling party]{{En icon}} BBC Thursday, 22 June, 2000, 11:37 GMT 12:37 UK</ref>。
 
 
[[國學院大學]]の[[塚田穂高]]によれば、第二代会長[[戸田城聖]]は「[[国立戒壇]]」の建立を訴え、「[[王法]]と[[仏法]]が冥合すべきである」(「王仏冥合」)として政教一致的な理念を論じた{{sfn|塚田穂高|2015|pp=121-132}}。中野毅によれば、戸田の展開した王仏冥合論・国立戒壇論は[[政教分離原則]]に反するとの疑念を受けやすかったが、戸田に日蓮正宗[[国教]]化を目指す意図はなかったという{{sfn|中野毅|2004|pp=176-179}}{{sfn|中野毅|2004|pp=146-150}}。国立戒壇の建立は創価学会の政治進出における宗教的目的であり、世俗的な目的はあくまで「社会の繁栄と個人の幸福」を一致させることにあったと中野は指摘した{{sfn|中野毅|2004|pp=176-179}}。中野によれば、「[[国立戒壇]]」建立は戸田時代初期の創価学会の政治参加の目標の一つだったが、早い段階でそれは放棄された<ref name="nakano"/>。[[島田裕巳]]は、創価学会の政治への関心について戸田が1956年(昭和31年)に記した中での「本門の戒壇」への言及、池田の1959年(昭和34年)の「国立戒壇の建立と学会員の前途」という講演における「政治上に、本宗の正義を用いる」という発言に注目し{{sfn|島田裕巳|2004|pp=78-81}}、これらの表現は「実質的には日蓮正宗の国教化を意味」{{sfn|島田裕巳|2004|p=80}}{{sfn|島田裕巳|2004|pp=80-81}}していたのではないかと論じた。
 
 
戸田の下、創価学会は1956年(昭和31年)の[[第4回参議院議員通常選挙]]での[[白木義一郎]]・[[北条雋八]]擁立などを通して政治に進出した{{sfn|塚田穂高|2015|pp=121-132}}。第三代会長[[池田大作]]の時代に「国立戒壇」という言葉は「本門の戒壇」「民衆の戒壇」などに言い換えられ{{sfn|塚田穂高|2015|pp=135-141}}、「仏法民主主義」「世界民族主義」など普遍性のある用語が目立つようになり{{sfn|塚田穂高|2015|pp=135-141}}、「国立戒壇」は1964年(昭和39年)の[[公明党]]結党宣言にも盛り込まれなかった{{sfn|塚田穂高|2015|pp=135-141}}。創価学会批判の妨害や[[政教分離]]を巡る[[言論出版妨害事件|言論出版問題]]を受けて1970年(昭和45年)に創価学会は「国立戒壇論」放棄・「政教分離」を宣言し{{sfn|塚田穂高|2015|pp=141-145}}{{sfn|中野毅|2004|pp=150-154}}、公明党綱領から「王仏冥合」などの文言が削除された{{sfn|塚田穂高|2015|pp=141-145}}{{sfn|朝日新聞アエラ編集部|2000|pp=180-190}}。
 
 
創価学会は公明党結成後の1960年代[[靖国神社国家護持法案]]反対・[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約]]改定反対など[[革新主義]]の立場にあった{{sfn|中野毅|2004|pp=150-154}}。中野毅によれば、このことが理由で創価学会は[[保守]]陣営から危険視された{{sfn|中野毅|2004|pp=150-154}}。[[島田裕巳]]は創価学会は「下層階級を組織化」{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}する点で左翼陣営と競合していたと指摘し{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}、創価学会が政界進出を始めた時点で創価学会は[[左翼]]陣営に批判されることはあったが保守陣営に批判されることはなかったと主張する{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}。初期の創価学会は大都市に流入した下層民を中心にしており<ref name="nakano2010"/>、学会員の圧倒的多数が[[社会階層]]の下層から[[中流階級|中間層]]の下に位置することは2010年(平成22年)に至るまで変わりがない<ref name="nakano2010">中野毅「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110009490298 民衆宗教としての創価学会 社会層と国家との関係から]」[[「宗教と社会」学会]] 宗教と社会 (16), 111-142, 2010-06-05</ref>。
 
 
島田裕巳は、創価学会では選挙活動が一種のイベントとしての性格を持っており、選挙活動を共にしたことで親密になり、結婚にいたる創価学会員のカップルも少なくないとしている{{sfn|島田裕巳|2004|p=159}}。
 
 
=== 政教分離の問題 ===
 
{{main|政教分離原則}}
 
 
[[宗教団体]]の[[政治]]活動の自由を制限したり禁止したりすることは、[[日本国憲法|憲法]]に定められた[[表現の自由]]や[[結社の自由]]を侵害するものであり、[[宗教]]を理由にした[[差別]]になる。よって、[[日本国憲法第20条|憲法20条]]に反しないと解釈される<ref>橋本公亘著『日本国憲法』改訂版、有斐閣</ref><ref>芦部信喜著『憲法学』、有斐閣</ref><ref>大阪日日新聞2008年7月8日付「コラム一刀両断 創価学会・公明党問題の真の論点」</ref>。
 
 
1970年(昭和45年)4月24日、[[民社党]]中央執行委員長[[春日一幸]]が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した[[質問主意書]]を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、([[日本国憲法第20条|憲法20条]]が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。
 
 
{{要出典範囲|date=2018-04|[[日本国政府|政府]]の見解は}}
 
* {{要出典範囲|date=2018-04|「宗教団体が政治的活動をすることまで排除するという趣旨ではない。」[[大出峻郎]]・元[[最高裁判所裁判官|最高裁判所判事]]}}
 
* {{要出典範囲|date=2018-04|「宗教団体と非常に密接な関係にある政党に属する公職の候補者が、その宗教団体の推薦、支持を受けて公職に就任し、国政を担当するに至る場合でも、その宗教団体と国政を担当する者とは法律的には別個の存在であります。(中略)宗教団体が政治上の権力を行使しているということにはならない。」[[大森政輔]]・[[裁判官]]、元[[内閣法制局長官]]}}
 
* {{要出典範囲|date=2018-04|「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が政治的活動をすることをも排除する趣旨ではない。」[[宮崎礼壹]]・[[検察官]]、元内閣法制局長官}}
 
* {{要出典範囲|date=2018-04|「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない。」[[佐藤栄作]]・元[[内閣総理大臣|総理大臣]]、[[日本の国会議員|衆議院議員]]}}
 
* {{要出典範囲|date=2018-04|「政教分離は宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でない。」[[麻生太郎]]・元総理、衆議院議員}}
 
となっている。
 
 
その他、一部議員{{誰|date=2018-04}}により「[[政教一致]]」であるとの批判はたびたびなされている。<ref name="san20071016" group="他">第168回国会 参議院 予算委員会 第2号』[[参議院]]、2007年(平成19年)10月16日([http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/168/0014/16810160014002c.html 議事録])</ref>
 
 
また内閣官房参与の飯島勲は2014年(平成26年)6月、「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが,内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」と政府見解を説明したうえで、仮定の話として「法制局の発言,答弁が一気に変われば,『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と発言した<ref>[http://news.yahoo.co.jp/pickup/6119401 公明・学会の「政教分離」見直しも=集団的自衛権でけん制―飯島内閣官房参与]</ref><ref>『朝日新聞』2014年6月12日朝刊</ref>。しかし、直後に政府・与党は飯島の発言を否定。自民党の[[石破茂]][[自由民主党幹事長|幹事長]]は「[[内閣 (日本)|内閣]]を代表した形ではない。」と語り、[[菅義偉]][[内閣官房長官|官房長官]]は政教分離についての政府見解を維持するかと問われ、「まったくその通りだ。」と回答している<ref>『朝日新聞』2014年6月12日朝刊</ref>。宗教社会学者の弓山達也は、著書のなかで創価学会を例にあげながら「日本においては政教分離の原則があるが、宗教教団の政治への関与を禁じているわけではない。 むしろ、宗教教団が現世での幸福を願う限り、政治への関与は不可欠となり、特定の政治家を応援したり、宗教政党を結成して積極的に政界に進出したりすることは自然なことともいえよう。」と述べている<ref> 『宗教社会学を学ぶ人のために』編著 井上順孝、世界思想社。該当箇所は弓山達也 [[東京工業大学]]リベラルアーツ研究教育院教授の執筆。187頁</ref>。
 
 
== 創価学会に対する評価 ==
 
=== 日本以外からの評価 ===
 
*[[ブライアン・R・ウィルソン]](国際宗教社会学会初代会長)、[[カレル・ドベラーレ]](ベルギー・ルーベン大学名誉教授)- 創価学会について社会的考察をし、「創価学会は哲学的には明らかに個人主義と平等主義に立っているにもかかわらず、信仰における古参原理が仲間意識と結びついており、その結合には神秘的な要素がある。」と評している<ref>ブライアン=ウィルソン・カレル=ドベラーレ 『タイム トゥ チャント』 紀伊國屋書店、1997年、61頁。</ref>。
 
 
*[[ダニエル・A・メトロ]](メアリー・ボールドウィン大学教授) - 創価学会の平和運動を分析し、「創価学会が繰り広げている民衆レベルの平和運動は、もちろん、宗教的な使命感にもとづいたものにちがいない。しかし、必ずしも、全人類が創価学会に入会しなくとも仏法を基調にした〝平和のメッセージ〟を送り続けていくことによって、一人一人に〝精神の変革〟をおこさせていくことは可能である。また〝平和のメッセージ〟を全世界の人びとが共有することは、創価学会の使命を果たすことにも通じることだと思う。」と述べている<ref>ダニエル・A・メトロ『人間と平和の大河――創価学会の歴史と理念』泰流社、214頁。</ref>。また、「創価学会は、日本の近代史におけるユニークな現象である。仏法理念を基盤として、これほどまでに広範な社会的運動を成功裏に展開した宗教団体は、かつてなかった」とも述べている<ref>ダニエル・A・メトロ『人間と平和の大河――創価学会の歴史と理念』泰流社、1990年、11頁。</ref>。
 
 
*フィリップ・E・ハモンド(アメリカの宗教社会学者)、デヴィッド・マハチェク(宗教社会学者) - 創価学会を社会学的に研究。学会の歴史と哲学への考察を著書に記し、「創価学会の活動の原動力は、日蓮仏教がそなえている禁欲的な特質であり、あるいは、宗教的信念に照らして社会状況を変革しようとの強い思いである。」と評価した<ref>フィリップ・E・ハモンドとデヴィッド・マハチェク『アメリカの創価学会』紀伊國屋書店2000年、31頁。</ref>。
 
 
=== 日本からの評価 ===
 
*[[鶴見俊輔]](哲学者、評論家、政治運動家) - 創価学会の布教活動が、[[日本の宗教]]の浄化に役立っているとして、「この意味で創価学会は、日本に本当の宗教心をつくるために、その前ぶれとして働く[[バプテスマ]]の[[ヨハネ]]であるかもしれない。」と所感を述べている<ref>鶴見俊輔「創価学会の出現まで」『折伏〜創価学会の思想と行動』 産報ノンフィクション、1963年、267頁。</ref>。
 
 
*[[玉野和志]](社会学者) - 「創価学会は『幸せにするシステム』とでも呼ぶべき組織原理を生み出し、会員たちがあきらめることなく、地道に自らの生活を継続する手助けをしてきたといえる。」と述べている<ref>玉野和志『創価学会の研究』 講談社、2008年、46頁。</ref>。
 
*森秀人(評論家) - 創価学会について「中世以来、日本人が喪失していた信仰主体が現出した」と位置づけており、「創価学会は、人間による人間の回復という課題に、限定付にせよ応えることができたことの意味のほうがはるかに巨きい。」と評論した<ref>森秀人「創価学会の機能について」『折伏〜創価学会の思想と行動』 産報ノンフィクション、1963年、115頁。</ref>。
 
 
*中江克己(歴史作家) - 多くの創価学会員への取材を通して、「創価学会の10年」を編んだ。その中で「生命尊厳の仏教哲学が不動であり、それを社会に生かしていこうという運動が継続されていく限り、やはり創価学会に対する期待は大きいといわなければならない。」と書を結んでいる<ref>中江克己「創価学会の10年」秋田書店、1971年、258頁。</ref>。
 
 
*[[佐木秋夫]](宗教学者)と[[小口偉一]](東京大学名誉教授) - 創価学会の教学運動について「教学の学習の盛んなことは、創価学会の重要な特色になっている。学習が行動の欠くことのできない源泉であることが、会員のあいだに広く理解されている。」と論及した上で「組織、動員、学習がいきいきと結びついていることが、創価学会を強大にしている」と評している<ref>佐木秋夫、小口偉一『創価学会: その思想と行動』青木書店1957年、178、179頁。</ref>。
 
 
*[[宮台真司]](社会学者) - ウェブマガジンのインタビューで、「[[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])の被災地における、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられた」と述べた上で、「創価学会の避難所は物も潤沢だし、[[配給 (物資)|配給物資]]も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。それは[[教会 (キリスト教)|教会]]などのコミュニティと同じで、たとえば[[欧米]]などは[[ハリケーン]]や[[津波]]で被災しても行政や自治体は動かない。救援物資のディストリビューション(配給)をやるのは、教会なんです。」と発言。教会的なコミュニティーが果たす役割に言及し、その例として創価学会をあげた<ref>ウェブマガジン「Salitoté」:http://salitote.jp/people/interview009-1.html</ref>。
 
 
== 創価学会に対する批判 ==
 
政界進出を始めた時期に創価学会は、[[日蓮宗]]系他教団のほか、[[浄土真宗]]系教団、[[左翼]]陣営からの批判を受けることが増えた{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の[[北海道]]での創価学会青年部隊と[[日本炭鉱労働組合]]と間の戦いを一つのきっかけとして{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}、また1960年代の[[公明党]]結成に応じて{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}、左翼陣営からの批判が刊行されるようになった{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}、「下層階級を組織化」{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}する点で創価学会と競合していたと指摘し{{sfn|島田裕巳|2004|pp=18-19}}{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする{{sfn|島田裕巳|2004|pp=86-90}}。
 
 
[[公明党]]が結成され議席を広げていった時期には、創価学会を批判する書物が増えた{{sfn|島田裕巳|2004|pp=95-96}}。1969年、共産党がNHKでの公明党との討論会で[[藤原弘達]]の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対し創価学会が[[著者]]、[[出版社]]、[[書店]]等に圧力をかけるなど出版妨害の事実があったことを告発したり、機関紙『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)紙上で、[[田中角栄]]から介入を受けたという藤原の告発を掲載するなど追及した。共産党の追及を受け、国会でも取り上げられた<ref group="他">第63回国会[[衆議院]] [[予算委員会]] 第17号 [[1970年]](昭和45年)3月20日([http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/063/0380/06303200380017c.html 議事録])</ref>。池田は1970年一連の妨害行為に対し謝罪した{{sfn|島田裕巳|2004|pp=95-96}}。{{see also|言論出版妨害事件}}
 
 
=== 離反者による批判 ===
 
元公明党書記長の[[矢野絢也]]は「学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員として[[エリート]]教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」と指摘している<ref name="yano">矢野絢也 黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録第四章 カルト化する「池田教」</ref>。このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、[[公明党]]議員にも[[学校法人創価学園|創価学園]]・[[創価大学]]出身者がいる。このような教育によって、学会は強固な組織となり、池田の独裁体制も確立されたとしている<ref name="yano"/>。また、「100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だった」としている<ref name="yano"/>。
 
 
=== 他団体による批判 ===
 
{{See also|反創価学会キャンペーン|幸福の科学#社会運動、活動、事件等|日本を護る市民の会}}
 
 
[[オウム真理教]]教祖[[麻原彰晃]]は、[[サンデー毎日]]から始まったオウムバッシングは[[聖教新聞]]を印刷している[[毎日新聞社]]グループと創価学会が結託して行っている、池田大作は[[日本]]を[[侵略]]する[[フリーメーソン]]の手先であり「仏法」を曲げている[[マムシ|まむし]]の一族などと批判<ref>[[江川紹子]] 『魂の虜囚』([[中央公論新社]] [[2000年]]8月)ISBN 978-4120030420</ref><ref>麻原彰晃 『亡国日本の悲しみ』(オウム [[1995年]]4月) ISBN 978-4871421140</ref>。[[池田大作サリン襲撃未遂事件]]をはじめ[[化学兵器]]や[[生物兵器]]を利用した学会に対するテロ攻撃を行った<ref name="wa894" group="他">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所]</ref>。
 
 
[[幸福の科学]]の総裁[[大川隆法]]は自著で「現代社会における二つの悪」として、一つは悪徳マスコミ、もう一つの悪が「邪教・創価学会」であると批判<ref>著書『永遠の挑戦』</ref>。
 
 
[[日本を護る市民の会]]代表の[[黒田大輔 (行政書士・社会保険労務士)|黒田大輔]]は「カルト創価学会撲滅」を掲げ裁判などを起こしている{{要出典|date=2018-04}}。
 
 
=== 著名人による批判 ===
 
* [[内藤国夫]] - 「政界に進出し、[[国家権力]]と結びつく、また結びつこうとする[[権力]]志向、権力依存の宗教団体は[[邪教]]の中の邪教ということだ。[[オウム真理教|オウム]]より、はるかに始末が悪い難問である」<ref>『[[諸君]]』1995年8月号「月報『創価学会問題』第157部 敢えて天に向かってツバ?学会とオウムは違うか」</ref>。
 
* [[浅見定雄]](元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず[[政教分離の原則]]を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」<ref>2001年2月10日発行「宗教と平和」389号より</ref>
 
* [[石原慎太郎]] - 池田名誉会長を「悪しき天才、巨大な俗物」と批判<ref>『週刊文春』 平成11年3月25日号</ref>。
 
* [[俵孝太郎]] - 学会と対抗していた組織[[四月会]]の代表幹事。2005年9月1日の『[[日刊ゲンダイ]]』でも創価学会を批判。
 
* [[徳川義寛]](元[[昭和天皇]][[侍従長]]) - [[皇太子|皇太子徳仁親王]]の親王妃候補について[[新宗教]](創価学会)を信仰する人間は親王妃(未来の皇后)としていかがなものかとの考えを示した。一説では先代の侍従長[[入江相政]]や2代続けて[[平民]]からの[[入内]]は慎むべきと発言し[[旧皇族]][[旧華族]]が賛同したことを受けての発言という説もある。しかし昭和天皇は、1988年4月6日「慎重にすぎて好きな人が居なくなったり、徒に時を過ごしてもよくない。難しいと思うがよろしく頼む」「私は本人同士がよいならそれでよい」、同5月26日「浩宮のこと、その後は?」と当時の宮内庁長官・富田朝彦に繰り返し伝えていたことが明らかとなっている<ref>“昭和天皇の言葉、富田メモから(4)「太く短くか、細く長くか」”. 日本経済新聞朝刊: p. 39. (2006年7月24日)</ref>。
 
* [[テリー伊藤]]・[[佐高信]] - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。
 
* [[杉田かおる]] - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や男性創価学会幹部の堕落ぶりを批判、また杉田自身が学会関係者から受けた[[セクハラ]]についても触れている。
 
* [[大槻義彦]] - ブログ「[https://web.archive.org/web/20100417093710/http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-f3e7.html 大槻義彦のページ]」で池田大作・創価学会・公明党を[[政教分離の原則]]の観点から批判。
 
* [[いしいひさいち]] - 自書『大問題』で創価学会を批判。
 
* フロランスラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。
 
* [[筒井康隆]] - 『[[SFマガジン]]』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法([[中公文庫]]『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『[[政教一致]]体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた<ref group="注">なお、発表後作品を創価学会から猛烈に批判されたため、筒井は短編『末世法華経([[新潮文庫]]『笑うな』収録)』で応酬した。</ref>。また、[[朝日新聞]]で連載していた長編『[[朝のガスパール]]([[朝日新聞社]] のち新潮文庫)』では、信者らしき人物から筒井康隆に対する個人攻撃の投書があったため、筒井康隆は作中で実名を挙げて批判している{{Refnest|group="注"|筒井康隆は『[[噂の眞相]]』連載『笑犬樓よりの眺望』でこの連載を告知した際『レベルの低い意見に対しては登場人物が反撃する』と明言している<ref>筒井康隆『笑犬樓よりの眺望(1994年新潮社 のち文庫化)』収載『新聞小説ははたして必要か(初出:『噂の眞相』1991年11月号)』</ref>。}}。さらに『現代語裏辞典([[文藝春秋]]のち文庫)』では『創価学会。そうか。がっかり』と揶揄する記述が見られる。
 
* [[段勲]] - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。
 
* [[韮沢忠雄]]([[日本共産党]]元[[しんぶん赤旗|赤旗]]編集局長) - 既存マスコミが創価学会批判をタブー視しているとして、赤旗で創価学会批判を展開。
 
* [[後藤忠政]](元[[山口組]]系後藤組組長) - 自書『憚りながら』で創価学会と後藤組(山口組)との関係を記載。
 
* [[蛭子能収]] - 公明党支持者から食事中に強引なサインを要求され、公明党への支援も頼まれたことに立腹。「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持ちを考えない我がままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」と批判<ref>『正直エビス』新宿書房、120-123ページ。公明党とその最大の支持母体創価学会を同一視しているとみられる</ref>。
 
* H・N・マックファーランド(アメリカの学者) - 1963年から64年にかけて日本に滞在して日本の[[PL教]]、[[生長の家]]などの新宗教について調査し、「神々のラッシュアワー」という本にまとめた{{sfn|島田裕巳|2004|pp=21-22}}。その本の中で唯一、創価学会の調査の時だけは不快な思いをしたとして「創価学会の多くの信者の厚かましさや無作法によって何度も何度も気分を害される」と記している{{sfn|島田裕巳|2004|pp=21-22}}。
 
* [[島田裕巳]] - [[モアハウス大学]]キング国際チャペルの主催により世界各地で「ガンジー・キング・イケダ展」が開かれていることに関し、世界的に高く評価されている[[ガンジー]]、[[キング牧師]]に対して[[池田大作|イケダ]]に二人に匹敵するだけの功績があるか疑問に思う人は少なくないであろう、とした{{sfn|島田裕巳|2004|pp=118-119}}。
 
* [[猪口邦子]] - 2000年(平成12年)に創価学会の「宗教的団結心」("religious solidarity")を核とした「巨大な政治的力」("enormous political power")を警戒する人もいると述べた<ref name="scanlon"/>。
 
* [[石井一]] - 国会で創価学会と公明党の関係について質問した。
 
 
=== 創価学会は「池田教」であるという批判 ===
 
{{See also|池田大作本仏論}}
 
創価学会は池田教であると批判される主な要因として以下が挙げられる。
 
* 「池田大作本仏論」の存在および初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田を「三代会長」「創価学会永遠の指導者」とすることを決めた会則の存在に対し[[日本共産党]]が同機関紙『[[しんぶん赤旗]]』で批判している<ref name=":1" group="批" />。
 
* 元公明党委員長矢野氏は指導者としての池田大作名誉会長への[[個人崇拝]]が顕著であると主張をしている<ref name="yano"/>。
 
* 池田個人専用豪華施設の存在を元公明党[[代議士]]が暴露し批判した<ref>週刊新潮2007年11月1日号</ref>。
 
* 創価学会の[[顧問]]を務めていた、戸田城聖の長男は2013年(平成25年)1月に死去したが、生前、「創価学会は今では戸田(父・城聖)が作り上げた団体とは大きく異なり、まるで池田ファンクラブのようだ。」と批判していた。また、「創価学会は戸田(父・城聖)の死後、池田にあげた」とし、「今の創価学会は父、戸田城聖をはじめとした戸田家とは全く無関係である。」という内容が長男の未亡人により明らかにされ「週刊新潮」に掲載された<ref>週刊新潮2013年2月14日号(2月6日発売) 45P - 46P</ref>。ただし、[[新宗教]]教団においては、伝統的な神仏等を[[崇拝]]対象としつつも、事実上は教祖崇拝(教祖個人への[[個人崇拝]])となっていることが日常的である<ref>井上順孝『人はなぜ新宗教に魅かれるのか?』 三笠書房(2009) 43p </ref>ゆえに、新宗教において、決して創価学会のみが特異というわけではない。
 
 
=== 諸外国からの批判 ===
 
[[イギリス]]の経済紙『[[エコノミスト]]』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は[[富裕層|富裕]]になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流[[マスメディア|マスコミ]]を脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。
 
 
[[2011年]]9月、[[フランス]]の新聞『[[ル・モンド]]』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ルポタージュは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会の[[プラグマティズム]]、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による[[教条主義]]的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、過去に[[国会 (フランス)|フランス国会]]に提出された報告書が創価学会を[[セクト]]扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は[[礼拝]]、[[文化]]、[[商業活動]]を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している<ref group="SG">[http://www.d3b.jp/media/296 WEB第三文明:仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景]</ref>。
 
 
=== 韓国に関連する批判 ===
 
[[大韓民国|韓国]]に関連した批判が下記のようにある。
 
*1997年(平成9年)に行われた[[1997年大韓民国大統領選挙|韓国大統領選挙]]で候補者の[[金大中]]が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、日本の公明党の影響下にある韓国SGIから支持を得られるように依頼し公明党幹部の藤井富雄が了承したとされる事実があること<ref>朝鮮日報社「月刊朝鮮」2002年5月号特集記事 「金大中〜藤井富雄ミステリー」</ref>
 
*韓国SGIが平和をテーマに行なった集会で[[竹島 (島根県)|竹島]]の領有権主張や[[歴史教科書問題]]、日本の[[軍国主義]]批判が背景になっていたことを、週刊新潮が「反日集会」と報道する<ref>週刊新潮2005年5月19日号に掲載</ref>。
 
*2002年(平成14年)8月15日、韓国・SGIが池田大作の指示で韓国の政治家へ総額20億ウォンの裏金をばら撒いた不正疑惑が、SGIの内部告発という形で韓国の有力全国紙である『[[中央日報]]』『[[東亜日報]]』『[[朝鮮日報]]』の3紙に掲載され日本では週刊実話が『韓国 三大紙上で暴露 池田大作SGI会長が韓国の政治家にバラまいた20億ウォン裏金疑惑』として掲載されたこと<ref>週刊実話 2002年9月12日号</ref>。
 
 
== 考察 ==
 
*[[島田裕巳]]([[宗教学|宗教学者]]) - 昭和30年代から40年代の高度経済成長期には、仕事を求めて故郷を離れて都会を目指し多数の青年たちが、大企業中心の総評などにすいあげられることもなく、未組織労働者・中小零細業者として孤立無援の生活を送らざるを得なかった人たちが、組織化されて、「民族」とも形容できる濃い人間関係ができあがっていった。この組織化が画期的であり、そこに創価学会の社会的な意義があったと主張する<ref>矢野絢也・島田裕巳『創価学会・もうひとつの日本』、講談社、2010年、54-55ページ</ref>。池田の後継者として長男の池田博正創価学会副会長(当時、現在は副理事長)の氏名を出している<ref>SAPIO 2010年8月25日号. 池田大作名誉会長「Xデー」に向けて動き出す これが長男SGI会長就任の「世襲シナリオ」だ</ref>。
 
 
=== 池田名誉会長に対する考察 ===
 
池田大作名誉会長は当初「学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。」<ref group="SG">『池田大作の軌跡――1』昭和55年4月発行 この当時池田の三人の息子はいずれも創価学会の要職に就いていなかった</ref>と述べていた。一方で、関西創価学会のドンとして知られ、与野党問わず政界とのつながりが深い西口が死去したことを受け、池田から長男・博正への世襲が近くなったと予測する学会関係者もいる<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20150325_311422.html 創価学会 関西のドン死去で大作氏から長男への世襲が話題に]</ref>。
 
 
フリージャーナリスト[[高橋篤史]]によれば池田大作名誉会長が表に出てこなくなってから、一般会員やかつて活動家であったと言えるような方々の間で、今の信濃町の執行部に対して批判や不満が公然と上がるようになったという。批判の声をあげる人の理由は様々で、日蓮正宗から離れたことがけしからんと言う人や、池田大作名誉会長への個人崇拝が強まっていることがいけないと言う人、さらに、池田大作氏が倒れた後の執行部の振る舞いが間違っていると言う人もいる。学会内での選挙一辺倒の活動や、「聖教新聞」の多部数購読の強制、「財務」と呼ぶお金集めで多額の寄付を称揚するような拝金主義的体質に嫌気がさして離れていく人たちも少なからずおり、名簿上、会員ではあるけれど、活動にはまったく参加しない幽霊会員も増えているという<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180530-00010000-socra-pol ]</ref>
 
 
== マスメディアとの関係 ==
 
[[機関紙#宗教団体等|機関紙]]である[[聖教新聞]]などは、「無冠の友」と呼ばれる会員の有志<ref group="注">「無冠の友」への参加は任意。販売店から委託を受けて聖教新聞などの配達を行い、配達実績に応じた手数料が販売店から支払われる。</ref>による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。[[聖教新聞社]]は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の[[地方紙]]に聖教新聞の印刷を委託している。地方紙としては輪転機を遊ばせておく時間を減らしかつ印刷代金を確保できる貴重な収入源、聖教新聞社(=学会)としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。全国紙でも、[[毎日新聞社]]や[[読売新聞社]]は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託している<ref>『[[週刊ダイヤモンド]]』2004年8月9日号</ref>。{{see also|聖教新聞#印刷}}
 
 
創価学会には[[聖教新聞社]](『グラフSGI』)を始め、[[潮出版社]](『潮』、『pumpkin』)・[[第三文明社]](『[[第三文明]]』、『灯台』)などの系列出版社がある。
 
 
また、全国・地方を問わず[[ラジオ局]]への番組提供は複数ある(下記参照)。[[テレビジョン放送局|テレビ局]]では地方局や[[全国独立UHF放送協議会|独立U局]]を中心に池田原作の[[アニメ]]や広報番組が放映されているほか、在京[[キー局]]などで[[聖教新聞#広告出稿|聖教新聞のCMが放送されている]]。
 
  
=== スポンサー提供番組 ===
+
'''創価学会'''(そうかがっかい)
* [[明日へのエール〜ことばにのせて〜]]([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])
 
* [[ココロのオンガク 〜music for you〜]]([[文化放送]])
 
* [[スポーツ伝説]]([[ニッポン放送]])
 
* ヒューマントーク〜あの日あの時([[アール・エフ・ラジオ日本]])
 
* [[世界名曲大全集]]([[ABCラジオ]])
 
* [[ごきげんサンデー・ミュージック]]([[MBSラジオ]])
 
* [[徳川家のセーフティドライブ日記]]([[CBCラジオ]])
 
* ヒューマン ストリート([[エフエム福岡]]・[[エフエム長崎]]・[[エフエム大分]])
 
* [[RADIO BREAKERS]]<ref group="注">月曜 - 木曜の22時台は『[[SCHOOL OF LOCK!]]』([[エフエム東京|TOKYO FM]]をキーステーションに[[全国FM放送協議会|JFN]]系)内で放送している。</ref>([[エフエム大阪]])
 
* ほっとココロ765・ほっとココロSATURDAY・ほっとココロSUNDAY([[FM COCOLO]])
 
* 交通情報([[エフエム山口]])…ただし、半クールごとにスポンサーありとノンスポンサーを繰り返している
 
* ハートフルメッセージ([[エフエム長野]])
 
  
=== 過去にスポンサーとして提供していた番組 ===
+
宗教団体。
* [[あなたへモーニングコール]]([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])
 
  
== 関連する団体・企業 ==
+
1930年牧口常三郎によって創価教育学会が創立されたが,これが創価学会の発祥。
=== 団体 ===
 
* 宗教
 
** [[創価学会インタナショナル]](SGI)
 
* 政党
 
** [[公明党]]
 
* 教育機関:[[幼稚園]]から[[大学院]]までの一貫学校教育システムがあり、日本国外にも存在する。
 
** [[学校法人創価学園]]
 
*** [[創価中学校・高等学校]]
 
*** [[関西創価中学校・高等学校]]
 
*** [[東京創価小学校]]
 
*** [[関西創価小学校]]
 
*** [[札幌創価幼稚園]]
 
** [[学校法人創価大学]]
 
*** [[創価大学]]
 
*** [[創価女子短期大学]]
 
*** [[アメリカ創価大学]](Soka University of America)
 
* 芸能・芸術
 
** [[民主音楽協会]]:世界各国の音楽をはじめとする舞台芸術の公演の紹介や音楽文化交流を行う。
 
** [[富士美術館]](2008年閉館)
 
** [[東京富士美術館]]
 
* 研究機関
 
** [[東洋哲学研究所]]:東洋思想、仏教の学問的研究を行う。
 
  
=== 企業 ===
+
牧口は第2次世界大戦中,捕えられて獄死したが,戦後その跡を継いだ戸田城聖は第2代会長として精力的な布教活動を進め,信徒は飛躍的に増大した。
*[[潮出版社]]
 
*[[第三文明社]]
 
*[[シナノ企画]]
 
*[[聖教新聞社]]
 
*鳳書院(書店・[[不動産]])
 
*東西哲学書院(書店・飲食・グッズ販売)
 
*東弘([[広告代理店]])
 
*さくらサービス([[DM]]・[[包装]])
 
*日本図書輸送(輸送)
 
*ニット保険([[保険代理店]])
 
*富士白蓮社([[葬儀]])
 
*信濃建物総合管理(施設管理)
 
*日光警備保障([[警備]])
 
*創造社(建築設計)
 
  
== 脚注 ==
+
この動きは戸田没後[[池田大作]]が第3代会長となってからも続いた。
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"|2}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
==== 一次資料 ====
 
===== 創価学会・関連団体資料 =====
 
{{Reflist|group="SG"|2}}
 
===== 批判側資料 =====
 
{{Reflist|group="批"|2}}
 
===== その他一次資料 =====
 
{{Reflist|group="他"|2}}
 
  
== 参考文献 ==
+
「美利善」の価値を創造することによって幸福を追求する過程で人間が生きがいを感じられる第三文明の世界の実現に向うというのがその主張のあらましであるが,日本の民衆に既成の宗教では与ええなかった救済感を与えた点が,大きな信徒の結集を呼んだ理由とされている。
{{参照方法|date=2017年8月|section=1}}
 
* [[人間革命]]([[戸田城聖]]著、[[精文館書店]]、1957年)
 
* [[人間革命]](全12巻)([[池田大作]]著、[[聖教新聞社]])
 
* [[人間革命|新・人間革命]](1-28巻、2017年9月現在)(池田大作著、聖教新聞社)
 
* 外から見た創価学会(村尾行一著 [[第三文明社]]、2003年)
 
* 憚りながら([[後藤忠政]]著、[[宝島社]]、2010年)
 
* {{Citation|和書|title=創価学会解剖|author=朝日新聞アエラ編集部|publisher=[[朝日新聞社]]|series=朝日文庫|date=2000-01-01|isbn=4-02-261286-X}}
 
* {{Citation|和書|author=中野毅|author-link=中野毅|date=2004-02-25|title=戦後日本の宗教と政治|publisher=原書房|isbn=4562090103}}
 
* {{Citation|和書|author=塚田穂高|author-link=塚田穂高|title=宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学|chapter=第4章創価学会=公明党|publisher=[[花伝社]]|ISBN=978-4763407313|year=2015|date=2015-03-25}}
 
* {{Citation|和書|author=島田裕巳|author-link=島田裕巳|title=創価学会|publisher=[[新潮社]]|ISBN=4-10-610072-X|year=2004|date=2004-06-20}}
 
*{{citation|和書|author=央忠邦|title=日本の潮流 創価学会発展の歩み|date=1968-01-31}}
 
  
== 関連項目 ==
+
第4代会長北条浩の後継者として 1981年より秋谷栄之助が第5代会長。『聖教新聞』などを刊行。
* [[日本の宗教]]
 
* [[日本の仏教]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Soka_Gakkai}}
 
 
* [http://www.sokanet.jp/ SOKAnet (創価学会 公式ウェブサイト)]
 
* [http://www.sokanet.jp/ SOKAnet (創価学会 公式ウェブサイト)]
* [http://www.seikyoonline.jp/ SEIKYO online(聖教新聞社 公式ウェブサイト)]
 
* [http://www.sgi.org/ 創価学会インタナショナル-SGI 公式ウェブサイト]{{En icon}} {{Es icon}} {{Zh icon}}
 
  
{{公明党}}
 
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[[Category:日本の宗教団体]]
 
[[Category:日本の宗教団体]]
 
[[Category:日本の新宗教]]
 
[[Category:日本の新宗教]]
[[Category:反共団体]]
 
 
[[Category:仏教系新宗教]]
 
[[Category:仏教系新宗教]]
[[Category:政府文書によりセクトと分類された団体]]
 
 
[[Category:仏教に関する論争]]
 
[[Category:仏教に関する論争]]
 
[[Category:新宿区の組織]]
 
[[Category:新宿区の組織]]

2018/8/16/ (木) 09:48時点における最新版

宗教法人創価学会
設立年 1930年(昭和5年)11月18日
設立者 牧口常三郎
(設立時旧団体名:創価教育学会
種類 宗教法人
本部 160-8583
東京都新宿区信濃町32
広宣流布大誓堂
東経139度43分14.47秒北緯35.6813472度 東経139.7206861度35.6813472; 139.7206861
公用語 日本語
会長 名誉会長 池田大作
会長 原田稔
理事長・宗教法人創価学会代表役員 長谷川重夫
ウェブサイト SOKAnet(創価学会 公式ウェブサイト) (日本語)
テンプレートを表示

創価学会(そうかがっかい)

宗教団体。

1930年牧口常三郎によって創価教育学会が創立されたが,これが創価学会の発祥。

牧口は第2次世界大戦中,捕えられて獄死したが,戦後その跡を継いだ戸田城聖は第2代会長として精力的な布教活動を進め,信徒は飛躍的に増大した。

この動きは戸田没後池田大作が第3代会長となってからも続いた。

「美利善」の価値を創造することによって幸福を追求する過程で人間が生きがいを感じられる第三文明の世界の実現に向うというのがその主張のあらましであるが,日本の民衆に既成の宗教では与ええなかった救済感を与えた点が,大きな信徒の結集を呼んだ理由とされている。

第4代会長北条浩の後継者として 1981年より秋谷栄之助が第5代会長。『聖教新聞』などを刊行。

外部リンク