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ドイツの歴史 | |||||||||||||||
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ドイツ国(ドイツこく、ドイツ語: Deutsches Reich〔ドイチェス・ライヒ〕)は、1871年から1945年まで中央ヨーロッパに存在した国家。現在のドイツ連邦共和国の前身に当たる国家で、ドイツ統一から第二次世界大戦におけるドイツ敗北までの74年間におけるドイツの正式な国名である。
Contents
名称
「ライヒ("Reich") 」というドイツ語は、元来「一人の支配者が治める国家」という意味であった。いわゆる神聖ローマ帝国[1]において初めて用いられ、単に「ライヒ」を用いた場合には「帝国」を意味する「エンパイア」の語源であるラテン語の「imperium」(インペリウム)とほとんど同義であった。王国の場合はプロイセン王国 (Königreich Preußen)やバイエルン王国 (Königreich Bayern) と言ったように「König(王)」をつけた「Königreich」として用いられる。1871年に成立したドイツ帝国は、正式な国号を 「Deutsches Reich」とした。ドイツ革命で成立したヴァイマル共和政では、「Deutsches Reich」の国名を引き継ぎ、この時点でライヒは「ドイツ全国」を意味するという解釈変更が行われた。このためこれ以降は帝政時代については「皇帝」(Kaiser)を加えて「ドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich)」と呼称する用法が生まれた。
変遷
ドイツ国は以下の3つの政治体制に分けられるが、これら3つの政治体制でも正式な国名は "Deutsches Reich" のまま変わっていない。また、共和制移行後も軍事政権だったことは一度もなく、全て文民政権、ヴァイマル共和制時代は自由民主主義体制である。
帝政時代
1871年から1918年までの、ホーエンツォレルン家の皇帝によって統治される国家体制は、日本では教科書等で「ドイツ帝国」という名称で紹介されている場合が多い。
ヴァイマル共和政
1918年から1933年までの、ヴァイマル憲法下の国家体制は日本では教科書等で「ドイツ共和国」「ヴァイマル共和国」という名称で紹介されている場合も多い。ただしヴァイマル憲法自体は「ドイツ国は共和国である」と定めている。
ナチス・ドイツ
1933年から1945年までの、国家社会主義ドイツ労働者党配下の国家体制は、大統領緊急令の活用でヴァイマル憲法を事実上停止したものの、国名自体は変更しなかった。一時期はプロパガンダ上で「第三帝国」 "Drittes Reich"などと喧伝したが、ヨーゼフ・ゲッベルスはこの名称の使用を1939年7月10日から宣伝上の問題点により忌避するように命じた。英米の研究者が "The Third Reich" を使用しており、日本でも「第三帝国」が用いられるようになった。日本語では「ドイツ第三帝国」という呼称もある。その後1943年以降はGroßdeutsches Reich(大ドイツ国)という呼称も用いたが、正式な国号変更宣言は行われていない。現在のドイツではNS-DeutschlandやNazi-Deutschlandなどの名称も用いられる。
ナチス体制の崩壊後、連合国軍は1945年6月5日に「ベルリン宣言」を発してドイツに中央政府が存在しないことを宣言し、ドイツ国は完全に滅亡した。その後成立したドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)はいずれも“Deutsches Reich”という国号を継承しなかったため、ドイツ国の存在は名実ともに過去のものとなった。