若松町 (新宿区)
若松町 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度43分11.44秒北緯35.7000361度 東経139.7198444度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 25px 新宿区 |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1] | |
- 計 | 5,385人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 162-0056[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
若松町(わかまつちょう)は、東京都新宿区の町名[4]。住居表示実施済み地域。「丁目」の設定がない単独町名である。郵便番号は162-0056[2]。
Contents
地理
新宿区のほぼ中央部に位置する。町域の北は喜久井町及び戸山、東は原町、南は河田町及び余丁町、西は新宿七丁目に接する(地名はいずれも新宿区)。南部を抜弁天通りが、地域北部を大久保通りが通っている。また北東部・原町との境界を夏目坂通りが通っている。地内は住宅地であるが、病院や公的機関も多く立地しているところでもある。
歴史
豊島郡牛込村であったが、江戸時代の1705年に江戸町奉行所の支配になり、牛込若松町が起立。商家のほかに武家屋敷などもあった。明治維新後、武家地等を併合。1876年三十人町・原町・市谷河田町の各一部を併合して町域が確定。大銀杏(寶祥寺一帯)・戸山前(総務省統計局一帯)・川向(東京女子医大一帯)という小字も存在していた。1911年に「牛込」の冠称を外す。新大久保と牛込神楽坂の中間を位置している所から都電が通り、戦後はゴルフ場やパチンコ店などができ周辺の住民にとって昔は比較的便利なところであった。その後都電が廃止された事で一番近くの駅が東西線の早稲田駅となり不便となった。大江戸線の開通によりマクドナルドなど新しい店ができたが、上野や新宿などへのアクセスが便利になると逆にそれが休日など客足が遠に行ってしまう原因となりマクドナルドは閉店してしまった。
地名の由来
かつて当地の若松が江戸城に正月用の門松として献上されていたことからといわれている。
沿革
- 1868年 - 江戸が東亰(とうけい)へ改称、東亰府の管轄となる。
- 1878年(明治11年) - 東京15区の制定で東京府牛込區へ編入。
- 1947年(昭和22年) - 東京23区制定で新宿区へ編入。
- 1982年(昭和57年) - 旧町名を継承する形で住居表示が実施された。住居表示実施時に原町三丁目の一部を編入している。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
若松町 | 3,212世帯 | 5,385人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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5番3~7号 6番12~20号 |
新宿区立牛込仲之小学校 | 新宿区立牛込第二中学校 |
その他 | 新宿区立余丁町小学校 | 新宿区立新宿中学校 |
交通
当地域には都営地下鉄大江戸線の若松河田駅がある。地域北部では、東京メトロ東西線の早稲田駅も利用可能である。また大久保通り沿いや抜弁天通り沿いにはバスの便もあり、これを利用するものもいる。
施設
- 警視庁第八機動隊
- 総務省第二庁舎(統計局や人事・恩給局などが入っている)
- 東京女子医科大学病院(西病棟・糖尿病センターなど。本部所在地は道路を挟んだ河田町になる)
- 東京女子医科大学校舎(病院同様大学の本部は河田町)
- 東京韓国学校
- 新宿区立余丁町小学校
- 公益財団法人合気会・合気道本部道場
- 東京都赤十字血液センター(新宿)
かつて存在した施設
関連項目
脚注
参考文献
- 村山古郷『昭和俳壇史』角川書店、昭和60年10月25日、308pp. ISBN 4-04-884066-5
外部リンク