和三盆
和三盆(わさんぼん)は、主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種である。黒砂糖をまろやかにしたような独特の風味を持ち、淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴である。三盆の名は、「盆の上で砂糖を三度「研ぐ」」という日本で工夫された独自の精糖工程から来たもので、高級砂糖を意味する。
歴史
日本では江戸時代に砂糖の存在が既に知られていたが、サトウキビの栽培地は南西諸島に限られており、作られる砂糖も黒砂糖が一般的であった。
やがて徳川吉宗が享保の改革において全国にサトウキビの栽培を奨励すると、高松藩が特産物創生と財源確保を目的としてこれに呼応した。その経緯については高松藩の項が詳しい。
その後、徳島藩でもサトウキビが育てられるようになり、領内各地で栽培できるまでなった。しかし精糖の方法については不明だったため、他国における秘伝扱いの情報を収集し、高松藩とほぼ同時期の1700年代末に精糖方法を確立させた。徳島県で生産されている和三盆を阿波和三盆糖、香川県で生産されている和三盆を讃岐和三盆糖と呼ぶ。
和三盆は貴重な特産品として諸国へ売りに出され、全国の和菓子や郷土菓子の発展に大いなる貢献を果たした。
製法
近代的な精糖ではなく、伝統的な製法で製造されている。
和三盆の原料となるサトウキビは、地元産の在来品種「竹糖(ちくとう・たけとう)」という品種が用いられる。地元では細黍(ほそきび)と呼ばれる温帯での生育に適した竹糖は、イネ科「シネンセ種(S.sinense)」に属し、熱帯地方で一般的に栽培されるサトウキビのオフィシナルム種(S.officinarum)とは異なる栽培種である。晩秋に収穫した茎を搾って汁を出した後、石灰で中和を行い、ある程度まで精製濾過したのち結晶化させる。この結晶化させた原料糖は白下糖といい、成分的には黒砂糖とほぼ同じ「含蜜糖」である。
そして白下糖を盆の上で適量の水を加えて練り上げて、砂糖の粒子を細かくする「研ぎ」という作業を行った後、研いだ砂糖を麻の布に詰め「押し舟」という箱の中に入れて重石をかけ圧搾し、黒い糖蜜を抜いていく。この作業を数度繰り返し、最後に1週間ほどかけて乾燥させ完成となる。
盆の上で砂糖を3度ほど「研ぐ」ことが「和三盆」の名の由来になっているが、最近では製品の白さを求めて5回以上「研ぎ」と「押し舟」を行うことが多い。
こうして出来あがった和三盆は、粉砂糖に近いきめ細やかさを持ち、微量の糖蜜が残っていることから淡く黄色がかった白さとなる。甘さがくどくなく後味がよいため、和菓子の高級材料として使用される。また、口溶けのよさと風味のよい甘さから、和三盆そのものを固めただけの菓子が存在し、干菓子の代表格となるほどである。代表的なものとしては、落雁と似た製法による打ちもの、半球状に押し固めた二つ一組を和紙に包んでひねり羽根つきの羽根に似せたもの、懐紙に包んで懐に入れて持ち歩けるものがある。
和三盆と加工糖
和三盆は精糖の作業が複雑な上、寒冷時にしか作ることが出来ず、白下糖から和三盆を作ると全量の4割程度に目減りし、途中で原料の追加もできないため、砂糖としては最も高価である。
このため現在は、和三盆の代わりとして、白下糖に成分の似た粗糖などを使って類似の砂糖を工業的に製造した、和菓子用の加工糖も販売されている。
代表的産地
- 香川県東かがわ市引田 - 讃岐和三盆の三谷製糖、ばいこう堂本店などがある。和三盆に発音が似た「和三宝(わさんぼう)」という名称が引田で見られるが、これは、ばいこう堂による商標名である。関連人物として向山周慶がいる。
- 徳島県板野郡 - 阿波の和三盆として岡田製糖所のものが有名である。徳島県内の土産物店にも100gの小袋で売られている。地元の人間が土産として使うものとしてはピンクと白の半球を合わせ和紙で包んだものの詰め合わせなどが有名。
参考文献
- 伊藤汎監修『砂糖の文化誌 ―日本人と砂糖』 八坂書房 2008年 ISBN 9784896949223
- 暮しの設計No127『城下町のお菓子 郷土菓子に残る日本の味と形』中央公論社 1979年 雑誌63223-27