住田良能
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住田 良能(すみだ ながよし、1944年10月25日 - 2013年6月11日[1])は日本の元新聞記者。産業経済新聞社代表取締役社長などを歴任した。
経歴
産経新聞社
- 1969年3月 サンケイ新聞社に入社、東京本社編集局。
- 1971年12月 東京本社社会部。
- 1974年 台北特派員(蒋介石秘録の編集スタッフ)。
- 1978年 水戸支局(ペリリュー島78を執筆)。
- 1982年8月 ワシントン特派員(レフチェンコ事件の社内調査で重要証言)。
- 1986年7月 東京本社政治部次長(デスク)。
- 1989年7月 外信部長兼論説委員。
- 1993年2月 東京本社編集局次長兼経済部長兼論説委員。
- 1994年5月 東京本社編集局長。
- 1996年6月17日 取締役東京本社編集局長。編集・論説・「正論」欄を担当。
- 1998年6月26日 常務取締役主筆東京編集局長。
- 2000年6月27日 専務取締役主筆大阪代表。
- 2002年6月27日 専務取締役総括・主筆。
- 2004年6月29日 代表取締役社長。
- 2011年6月22日 取締役相談役。
- 2012年6月22日 相談役。
- 2013年6月11日、多発性骨髄腫のため死去[1][2]、68歳没。
住田が編集局長を務めていた1995年に「教科書が教えない歴史」の連載が開始された。この後には「新しい歴史教科書」が扶桑社から出版された。また、国家基本問題研究所の理事も務めている[3]。その一方で、佐藤優に太平洋戦争(大東亜戦争)賛美への危惧を表明したり[4]、政治思想的に対極にある佐高信と長く親交を保つなどした[5][6]。
その他の経歴
- 1998年6月19日 - 2000年6月19日 ポニーキャニオン取締役。
- 2000年6月26日 - 2002年6月24日 大阪新聞社取締役。
- 2000年6月28日 - 2011年6月24日 関西テレビ放送取締役。
- 2002年6月17日 - 2004年6月18日 ポニーキャニオン取締役。
- 2003年6月27日 - 2007年6月28日 サンケイビル取締役。
- 2003年11月11日 - 2004年6月29日 日本工業新聞社取締役会長。
- 2004年6月21日 - 2008年6月17日 サンケイリビング新聞社取締役。
- 2006年6月21日 産経デジタル取締役。
- 2007年6月14日 日本工業新聞社取締役。
- 2008年12月1日 日本ユネスコ国内委員会「教育・科学及び文化の普及に関する諸領域を代表する者」委員[7]。
出演番組
- おはよう!ナイスデイ(フジテレビ、コメンテーター)[8]
- 高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団(ニッポン放送、ニュースゾーンコメンテーター)
映画作品
著書
- 日本政治の過去・現在・未来—慶應義塾大学法学部政治学科開設百年記念講座 (慶應義塾大学法学部政治学科開設百年記念講座) (共著、慶應義塾大学出版会、1999年、 ISBN 978-4766407433)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 産経新聞前社長、住田良能氏が死去 産経新聞 2013年6月11日閲覧
- ↑ “産経新聞前社長、住田良能氏の合同葬、森元首相や福田元首相ら参列”. 産経ニュース. (2013年6月15日) . 2015-7-24閲覧.
- ↑ “役員紹介 « 公益財団法人 国家基本問題研究所”. . 2012閲覧.
- ↑ 佐藤優『日本国家の神髄』(産経新聞社、2009年)、まえがき。
- ↑ 佐高信・佐藤優『世界と闘う「読書術」』(集英社、2013年)
- ↑ 佐高 信 (2015年2月23日). “佐高 信の「一人一話」産経新聞に『護憲』の広告 前社長 住田良能の男気”. ダイヤモンドオンライン . 2015-7-24閲覧.
- ↑ 日本ユネスコ国内委員名簿
- ↑ 吉崎典子のきょうのぬかどこ お別れ(2013.6.12)