ヨスラン・エレラ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はエレラ第二姓(母方の)はベンクールです。


ヨスラン・エレラ・ベンクールYoslan Herrera Betancourt, 1981年4月28日 - )は、キューバピナール・デル・リオ州ピナール・デル・リオ出身のプロ野球選手投手)。右投右打で、2015年2016年には、NPB横浜DeNAベイスターズに所属していた。

スペイン語圏では頭文字「H」は無声音の傾向にあるが、本項選手は「ヘレアー(発音:hah-RARE-uh)[1]」と読むのが、より近い。

経歴

キューバ時代

1981年4月27日キューバピナール・デル・リオで生まれた。

2005年6月13日亡命し、その後ドミニカ共和国で居住権を確立した[2]

プロ入りとマイナー時代とパイレーツ時代

2006年12月18日ピッツバーグ・パイレーツとメジャー契約を結んだ。

2007年は開幕を、傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。この年は、25試合に先発登板し、6勝9敗、防御率4.69、70奪三振を記録した[1]。また、シーズン中に40人枠に登録された。

2008年は、メジャーのスプリングトレーニングでプレーした。しかし、開幕を前年同様に傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。ここでは、21試合に先発登板し、6勝9敗、防御率3.96、69奪三振を記録した[1]。6月27日に、傘下AAAのインディアナポリス・インディアンズに昇格した。6月29日に、傘下AAに降格した。7月12日にメジャーに昇格し、同日のセントルイス・カージナルス戦でメジャーデビューを果たした。7月24日のサンディエゴ・パドレス戦で、メジャー初勝利を記録した[3]。8月4日に、傘下AAに降格した。

2009年は開幕を、前年同様に傘下AAのアルトゥーナ・カーブで迎えた。ここでは、23試合(15試合で先発)登板し、11勝1敗、防御率3.23、65奪三振を記録した[1]。その後、傘下AAAのインディアナポリス・インディアンスズに昇格した。ここでは、4試合(2試合で先発)登板し、1勝1敗、防御率2.30、7奪三振を記録した[1]。11月に解雇された[4]

ツインズ傘下時代

2010年3月2日ミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。開幕を傘下AAAのロチェスター・レッドウイングスで迎えた。ここでは、6試合に先発登板し、0勝3敗、防御率6.08、14奪三振を記録した[1]5月10日に本人の申し入れで退団した[5]

アメリカ・独立リーグ時代

2013年は、アトランティックリーグランカスター・バーンストーマーズと契約を結んだ。この年は、59試合に登板し、2勝1敗11セーブ、防御率3.74、54奪三振を記録した[1]

エンゼルス時代

2013年12月にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ。

2014年は、6年ぶりにメジャーで登板を果たした。この年は、メジャーでは、20試合に登板し、1勝1敗、防御率2.70、13奪三振を記録している。マイナーでは、傘下AAAのソルトレイク・ビーズで41試合に登板し、4勝4敗5セーブ、防御率2.52、47奪三振を記録している[1]

DeNA時代

2015年

1月19日に、NPBの横浜DeNAベイスターズが、エレラと1年契約を結んだことを発表した[6]。推定年俸は3,000万円で、背番号は53[7]。登録名はエレラで、リリーフでの起用を想定した契約であった。

3月27日に、読売ジャイアンツとの一軍開幕戦(東京ドーム)8回裏に来日初登板。4月までの一軍公式戦では、12試合の登板で防御率が7.59にまで達していた。しかし、5月以降は主にセットアッパーとして成績が安定。公式戦全体では、52試合の登板で、5勝4敗ながら27ホールドポイント、奪三振率9.23という好成績を記録した。通算防御率は2.96で、27試合に登板したビジターゲームでは5.11であったのに対して、25試合に登板した本拠地・横浜スタジアムのホームゲームでは1.00にとどめていた。

夏場から右肩の後部に炎症が繰り返し生じたため、9月中旬から戦線を離脱[8]。そのままシーズンを終えたが、推定年俸5,000万円という条件で、後に1年契約を更新している[9]

2016年

前述した右肩の炎症が春季キャンプ中に再発したため、別メニューでの調整を強いられた[10]。4月にイースタン・リーグ公式戦2試合へ登板するなど、一時は右肩が回復しつつあったものの、その後で炎症が再々発。7月12日には、患部の治療を目的にアメリカへ帰国した[11]

なお、球団はシーズン中の5月15日に、自身と同姓のエリアン・エレラ内野手と契約。ファーストネームのエリアンをユニフォームやスコアボードの表示名に使うことを契約後に決めたため、自身はエレラという登録名の使用を続けていた。

チームは史上初めてクライマックスシリーズへ進出したものの、エレラは一軍への復帰を果たせないまま、レギュラーシーズンを終了。シリーズ終了後の10月17日には、選手契約を更新しないことが球団から発表された[12]

プレースタイル

最速154km/h(日本での最速は153km/h)のストレートSFFツーシームカーブなどを投げる。[13]

詳細情報

年度別投手成績

2001-2002 PRI 6 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 90 17.1 29 1 8 0 2 8 1 -- 20 16 8.31 2.14
2002-2003 29 1 0 0 0 7 2 4 -- .778 346 80.1 92 2 23 2 4 50 6 -- 40 28 3.14 1.43
2003-2004 23 13 1 0 0 5 3 1 -- .625 396 94.0 96 7 27 2 2 49 2 -- 39 36 3.45 1.31
2008 PIT 5 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 100 18.1 35 1 12 0 1 10 1 0 20 20 9.82 2.56
2014 LAA 20 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 77 16.2 22 0 9 3 0 13 0 0 5 5 2.70 1.86
2015 DeNA 52 0 0 0 0 5 4 0 22 .556 211 51.2 44 2 15 2 2 53 0 4 17 17 2.96 1.14
CNS:3年 58 15 1 0 0 12 5 5 -- .706 832 191.2 217 10 58 4 8 107 9 -- 99 80 3.76 1.44
MLB:2年 25 5 0 0 0 2 2 0 1 .500 177 35.0 57 1 21 3 1 23 1 0 25 25 6.43 2.23
NPB:1年 52 0 0 0 0 5 4 0 22 .556 211 51.2 44 2 15 2 2 53 0 4 17 17 2.96 1.14
  • 2016年度シーズン終了時

記録

MLB
NPB

背番号

  • 64 (2008年)
  • 60 (2014年 - 同年途中)
  • 62 (2014年途中 - 同年終了)
  • 53 (2015年 - 2016年)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 Baseball Reference (Minors)
  2. Herrera's next journey daunting, too (2007年1月9日)
  3. Jenifer Langosch With pressure on, Herrera delivers (2008年7月25日) 2015年1月19日閲覧
  4. Pirates release Yoslan Herrera and others (2009年11月11日) 2015年1月10日閲覧
  5. Wings add two pitchers from Double-A (2010年5月10日) 2014年1月10日閲覧
  6. 2015年度選手契約について 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年1月19日) 2015年5月17日閲覧
  7. ヨスラン・エレラ選手 入団記者会見 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年2月7日) 2015年5月17日閲覧
  8. DeNAエレラは登録抹消へ デイリースポーツ(2015年9月8日) 2016年10月17日閲覧
  9. DeNA・エレラが残留 契約1年、年俸5000万円 サンケイスポーツ(2015年10月24日) 2016年10月17日閲覧
  10. 【DeNA】右肩炎症のエレラ、順調に回復「おかげさまで」 スポーツ報知(2016年2月23日) 2016年10月17日閲覧
  11. DeNA・エレラが帰国 右肩炎症の治療へ デイリースポーツ(2016年7月12日) 2016年10月17日閲覧
  12. 2017年度 選手契約について” (日本語). 横浜DeNAベイスターズ (2016年10月17日). . 2016年10月17日閲覧.
  13. DeNAエレラ守護神候補に急浮上”. 日刊スポーツ (2015年2月17日). . 2015閲覧.

関連項目

外部リンク