斉藤滋与史
斉藤 滋与史(さいとう しげよし、1918年(大正7年)8月9日 - 2018年(平成30年)8月9日)、日本の実業家、政治家。富士市名誉市民[1]。
静岡県知事(第47・48代)、建設大臣(第44代)、衆議院議員(6期)、富士市長、吉原市長、大昭和製紙社長などを歴任した[2]。
大昭和製紙の創業者、斉藤知一郎の次男。防衛庁長官を務めた元衆議院議員の斉藤斗志二は甥で養子。
人物
静岡県出身。五年制男子校・静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校 共学)を経て、早稲田大学商学部卒業[2]。大学卒業後、父・斉藤知一郎が創業した大昭和製紙に入社した。1961年より大昭和製紙副社長。
1964年、吉原市長に初当選し、1966年の市町村合併により初代富士市長[2]。1969年、第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧静岡2区(定数5)に立候補し、トップ当選。以後、6期連続で当選し、うち4回はトップ当選だった。1980年、鈴木善幸内閣で建設大臣に任命され、初入閣した。また田中派に所属し、同派の若手議員で結成された「七日会」の会長も務めていた[2]。1982年、大昭和製紙社長に就任し、経営危機に瀕した同社の再建に尽力した後、1983年11月に辞任[2]。
1986年、山本敬三郎の引退に伴い静岡県知事選挙に自民党公認(公明党支持)で立候補し、当選。1990年の静岡県知事選挙では自民・公明・民社3党の推薦及び日本社会党の支持を受け、与野党の相乗りで再選。知事在任中は静岡空港、富士山こどもの国、小笠山総合運動公園の建設等、21世紀に向けた県土の発展に寄与したが[1]、1993年、病気を理由に任期を1年残して静岡県知事を辞任した[2]。
2018年8月9日7時15分、心不全のため、静岡県富士市の病院で死去[3][4]。100歳没。生没同日であった。