旧制女子専門学校

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旧制女子専門学校(きゅうせいじょしせんもんがっこう)とは、日本において学校教育法が施行される前の、専門学校令に基づいて女子に対して専門教育を行っていた高等教育機関のことである。

概要

女子専門学校は、高等女学校(5年制)卒業者を対象に、修業年限3年(本科。医科は4年乃至5年、夜間部は修業年限4年)で設置された[1]。高等女学校(4年制)卒業者を対象とした予科(修業年限1年)を設けた学校もある。女子専門学校は高等女学校の専攻科をその前身としているところが多い。

旧制の学制下の女子学生に対する高等教育機関としては、大学令による大学として女子学生を受け入れる女子大学が設置されなかったため、女子高等師範学校および専門学校令による私立女子大学とならび、最も上位の高等教育機関として位置付けられる。なお、旧制大学でも官立では東北帝国大学九州帝国大学北海道帝国大学が女子の入学を認めていたほか、私立では1920年4月の旧制大学設置許可時当初より女子の入学を許可していた日本大学に続き、同志社大学東洋大学早稲田大学が女子学生を受け入れ、女子専門学校から進学する者もいた。

なお、戦後の教育改革の一環として医学教育を大学のみに一本化する改革がなされ、医学専門学校が新制への中継ぎとして、大学令によって旧制医科大学に昇格することになったが、その中に含まれていた東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)・大阪女子高等医学専門学校(大阪女子医科大学を経て現・関西医科大学)・名古屋女子医学専門学校(名古屋女子医科大学を経て現・名古屋市立大学)の3校は、大学令下で初めて認可された女子大学という性格をも帯びている。もっとも、「大学」の名称は先に東京女子大学や日本女子大学校が使用していたが、この2校は学制上は専門学校であったことを念のため記しておく。 ファイル:Zyoshi.jpg

公立

医学

私立

旧制の学制下では、大学令によって設置された女子大学はなく、名称は大学となっている学校も専門学校令により設置された専門学校として分類される。

医・歯・薬学

  • 1912年(明治45年/大正元年)- 東京女子医学専門学校→東京女子医科大学
  • 1922年(大正11年)- 東京女子歯科医学専門学校→日本女子歯科医学専門学校→日本高等学校[3]→日本女子衛生短期大学→神奈川歯科大学
  • 1925年(大正14年)
    • 帝国女子医学専門学校→帝国女子医学薬学専門学校→東邦女子医学薬学専門学校→東邦大学
    • 道修女子薬学専門学校→帝国薬学専門学校→大阪薬科大学
  • 1926年(大正15年)- 東洋女子歯科医学専門学校→東洋高等学校[3]→東洋女子短期大学→東洋学園大学
  • 1928年(昭和3年)- 大阪女子高等医学専門学校→大阪女子医科大学→関西医科大学
  • 1930年(昭和5年)
  • 1931年(昭和6年)- 東京薬学専門学校女子部→東京薬科大学
  • 1932年(昭和7年)- 神戸女子薬学専門学校→神戸女子薬科大学→神戸薬科大学
  • 1938年(昭和13年)- 京城女子医学専門学校→1948年ソウル女子医科大学→1957年首都医科大学→1966年ウソク大学校医科大学→1971年 高麗大学校医科大学

看護

商業

  • 1928年(昭和3年)- 女子経済専門学校→東京女子経済専門学校→東京文化短期大学→新渡戸文化短期大学
  • 1929年(昭和4年)- 日本女子高等商業学校→日本女子経済短期大学→嘉悦女子短期大学→嘉悦大学

農芸

体育

参考文献

  • 文部省大学学術局技術教育課 編(寺崎昌男・久木幸男 監修)『専門学校資料 上・下』(日本教育史基本文献・史料叢書62) 大空社 1998年12月25日発行。ISBN 487236662X

脚注

  1. 戦時中は修業年限が短縮された時期もある。
  2. 戦後、医科大学への昇格が認められなかったため転換。
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 戦後、医科大学・歯科大学への昇格が認められず、在校生収容のための旧制高等学校(いわゆる戦後特設高校)に転換。
  4. 青山学院:青山学院と青山女学院

関連事項