JUDY AND MARY
JUDY AND MARY | |
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出身地 | 日本・東京都[1] |
ジャンル |
ロック オルタナティヴ・ロック ポップ・ロック[1] J-POP[1] パンク・ロック アート・パンク |
活動期間 | 1992年 - 2001年 |
レーベル |
CHAIN SAW RECORDS (1992年) Epic Sony Records →Epic Records (1993年 - 2001年) |
共同作業者 | 佐久間正英 |
JUDY AND MARY (ジュディ・アンド・マリー、略称:ジュディマリ、JAM) は、1992年から2001年まで活動していた日本のロックバンドである。1992年に結成され、1993年にメジャーデビュー。2001年に解散した。
Contents
メンバー
- YUKI(ユキ、1972年2月17日 -、北海道出身、函館大谷短期大学卒業)ボーカル。
- TAKUYA(タクヤ、1971年9月9日 -、京都府出身、京都府立北嵯峨高等学校自主退学)ギター。加入当初は本名の「浅沼拓也」の名前を使用していた。
- 恩田快人(おんだ よしひと、1963年12月13日 -、兵庫県出身、神戸学院大学経済学部中退)ベース、リーダー。
- 五十嵐公太(いがらし こうた、1963年1月17日 -、神奈川県出身、武蔵大学社会学部卒業)ドラムス。
元 メンバー
略歴
1991年6月、ヘヴィメタルバンド「JACKS'N'JOKER」のメンバーとしてメジャーデビューしていた恩田が、映画『いつかギラギラする日』の撮影で北海道を訪れた際、エキストラとして参加していた当時短大生のYUKIと知り合う。映画スタッフ達との飲み会の場で、YUKIが「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と恩田に相談した事がきっかけで[2]、その後YUKIにデモテープを送ってもらった恩田がそれを聴いたところ歌声を気に入りボーカルに抜擢、1992年2月、YUKI、恩田、藤本泰司を中心に結成。“Judy And Mary”というバンド名は快活でポジティヴな女のコ“ジュディ”とすこしひねくれ者のネガティヴな女のコ“マリー”という女の子の二面性を表しており、それがそのままYUKI自身に当てはまることもあって、以前から恩田が構想を練っていた『女のコが歌うポップで切ないサウンドをバンドでやる』というイメージは既に固まっていた[3]。同年4月、インディーズレーベルよりアルバム『BE AMBITIOUS』を発表。11月、サポートメンバーだった五十嵐公太が正式に加入。この頃は、メインのバンドを持つ恩田のサイド・ソロ・プロジェクトに近く、メンバー全員そのつもりでおり、このバンドでのデビューは目指していなかった。そのため、制作やライブの費用は全て恩田が負担し、メンバーにはギャラを支払っていた。恩田も「YUKIちゃんもこのアルバムを名刺代わりに(業界入り)出来れば」と話していた。この時点では一過性のつもりであり、アルバム発表・ライブ後は既に解散状態になっていた[4]。
しかし、恩田はこのバンドへの熱意が解散後に強く湧き上がってきたため、再始動を決意。当時フリーの状態であったYUKIには予め伝え、他のメンバーにはその事を告げず、先にデビューの段取りを行い、JACKS'N'JOKERの脱退〜デビュー契約など全てが整った時点で再始動を伝え、同意を求めた。五十嵐はこれに同意したものの、藤本は既にソロ・アルバムをバンドで作る構想があったため、JUDY AND MARYでのデビューは辞退せざるを得ず、脱退[4]。
1993年2月、前述の理由でメジャーデビューを辞退した藤本泰司に代わる形でオーディションによりTAKUYAが加入[4]。同年9月にエピックソニーよりシングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビュー。
1994年1月、アルバム『J・A・M』発表。12月、佐久間正英プロデュースによるアルバム『ORANGE SUNSHINE』を発表。オリコンチャート初登場5位を記録し。同アルバムを引っ提げて行なわれたツアー『ORANGE SUNSHINE TOUR』では初の渋谷公会堂公演を行なう。この頃、公式ファンクラブ「JAMP」が発足[5]。
1995年5月、初の日比谷野外音楽堂公演を含む『JUST A MAMBO TOUR』開催。6月に発売されたシングル「Over Drive」がオリコンチャート初登場こそ4位だったものの60万枚以上を売上げるヒットを記録。12月には前作と同じく佐久間プロデュースのアルバム『MIRACLE DIVING』を発表。このアルバムも100万枚に迫る売上げを記録した。
1996年、全国ツアー『MIRACLE NIGHT DIVING TOUR 1996』を開催。初の日本武道館、大阪城ホール公演を含む全国19都市23公演を行い、日本武道館公演では2日間に渡り開催。即日完売、満員を記録。2月、シングル「そばかす」がオリコンチャート初登場1位を獲得、100万枚の売上を記録した[6]。この年、同曲で「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場した。
1997年3月、アルバム『THE POWER SOURCE』を発表。オリコンチャート初登場1位を獲得し300万枚に迫る売り上げで、バンド史上最高セールスを記録した[7]。初の国立代々木競技場第一体育館公演にして2日間公演、大阪城ホール2日間を含む全国ツアー『THE POWER SAUCE DELIVERY '97』を開催し、各地で即日完売となる。8月には横浜スタジアム、阪神甲子園球場を含む、初の野外スタジアムコンサートツアー『THE POWER STADIUM DESTROY '97』を開催。同年、YUKIの喉の不調のため一時活動休止。
1998年6月、アルバム『POP LIFE』を発表、100万枚以上を売り上げる。アルバムのレコーディングはロンドンで行われた。7月より初の全国アリーナツアー『POP LIFE TOUR '98』を開催。12月26日には初の東京ドーム公演『POP LIFE IN TOKYO DOME』を開催。2日後にオールスタンディングのシークレットライブ『Secret Live In The Garden Hall』を恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催。「散歩道」で「第49回NHK紅白歌合戦」に2年ぶり、2度目の出場。以降、充電期間に入る。
1999年は初のライブアルバムとライブビデオ2本をリリースした以外はJUDY AND MARYとしての表立った活動は無かった。各メンバーはソロや別ユニットで活動。
約1年間の休止の後、2000年2月、シングル「Brand New Wave Upper Ground」をリリースし、活動再開。3月には初のベストアルバム『FRESH』を発表、200万枚以上を売り上げる[8]。以降も積極的にシングルをリリースし、夏にはイベントライブにも出演。9月、YUKIが結婚を発表。11月に初のアコースティックライブ『ブエナ・ビータローカ・ソシアル・クラブバンドwithジュディ・アンド・マリー2000』をZEPP TOKYOにて開催するなど、精力的に活動。12月、翌年2001年1月にシングル、2月にはアルバムの発売を発表する。
2001年1月9日に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表[9][10]。24日に、オリジナルとしてはラストシングルとなる「ラッキープール」をリリース。2月にワタナベノブタカとの共同プロデュースによる2年8ヶ月ぶりにして最後のオリジナル・アルバム『WARP』が発売され、当日からラストライブツアー『WARP TOUR』をZepp Sapporoより開催し、各地のアリーナ会場・ドーム会場を廻り、3月7日、8日の東京ドーム2Daysライブをもって解散。翌日9日に『WARP』収録曲の「PEACE」にストリングスアレンジを加えた「PEACE -strings version-」を限定生産シングルとして発売。同年5月、ファン投票を元に選曲された2枚組みベスト・アルバム『The Great Escape -COMPLETE BEST-』を発売し100万枚に迫るセールスを記録。また、同月に『WARP TOUR』東京ドーム公演の模様を収めたDVDを発売。6月、最後の新録ミュージック・ビデオを納めたDVD『PEACE』をリリース。監督は、2007年カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した河瀬直美。
解散から5年後の2006年2月、2000年にリリースしたベスト・アルバム『FRESH』に同年から解散までの間にリリースしたシングル楽曲4曲を追加し、ロンドンでTAKUYA立会いの下リマスタリングを施し、追加楽曲4曲のミュージック・ビデオを収録したDVDを同梱したリニューアル盤『COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」』を発売。オリコンチャート初登場2位を獲得し、30万枚以上を売り上げた。『COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」』発売時には、オフィシャルサイト等においてメンバー4人のコメントが発表されるなどしたが、解散以降に4人揃ってメディアに登場した事は一度も無い。
2009年3月、デビュー15周年を記念したトリビュート・アルバム『JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album』がリリース。
楽曲
ほとんどの曲の作詞はYUKIが行い、TAKUYAと共作したものはTack & Yukky(またはTack and Yukky)というクレジットになっている。
ロリータパンクバンドとして出発した初期の頃は恩田快人が書いた曲が多い。やがてバンドがポップ路線へと転換するにつれて、恩田が作る“切なさや女の子らしさ”を感じさせるような楽曲と、TAKUYAが作るより実験的な色合いのポップソングが混在するようになった。「散歩道」「あたしをみつけて」を始め一部楽曲は五十嵐公太作曲。
『ORANGE SUNSHINE』以降の一連のアルバムは佐久間正英プロデュース。
解散の経緯
難産となった『POP LIFE』製作の時点で、アルバムを作り上げるプロセスに無理が生じていることをメンバーが認識するようになった[10]。1999年の活動休止期間中にメンバーそれぞれがバンド外で音楽活動をした上で、『Brand New Wave Upper Ground』リリース後に恩田からメンバーに「このまま続けて行くことはできない」旨の申し出があった[11]。恩田は自分の脱退後も残った3人、もしくは新しいベーシストを加えてJUDY AND MARYを続けてほしい意向を持っていたが、結果として解散を前提に『WARP』製作がなされることになった。
作品
メジャーデビュー後はエピックレコーズ(旧エピックソニー)より発売。
シングル
枚 | リリース日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | オリコンチャート最上位 |
1st | 1993年9月22日 | POWER OF LOVE |
YUKI | 恩田快人 | 95 |
2nd | 1993年11月21日 | BLUE TEARS |
YUKI | 恩田快人 | (オリコン100位圏外) |
3rd | 1994年4月21日 | DAYDREAM/キケンな2人 |
YUKI | 恩田快人 | 58 |
4th | 1994年8月21日 | Hello! Orange Sunshine/RADIO |
YUKI | 恩田快人 | 22 |
5th | 1994年11月2日 | Cheese "PIZZA"/クリスマス |
YUKI | TAKUYA | 15 |
6th | 1995年1月21日 | 小さな頃から/自転車 |
YUKI | 恩田快人 | 37 |
7th | 1995年6月19日 | Over Drive |
YUKI | TAKUYA | 4 |
8th | 1995年10月21日 | ドキドキ |
YUKI | 恩田快人 | 8 |
9th | 1996年2月19日 | そばかす |
YUKI | 恩田快人 | 1 |
10th | 1996年10月28日 | クラシック |
Tack and Yukky | TAKUYA | 3 |
11th | 1997年2月21日 | くじら12号 |
Tack and Yukky | TAKUYA | 5 |
12th | 1997年5月21日 | ラブリーベイベー |
YUKI | TAKUYA | 12 |
13th | 1997年10月15日 | LOVER SOUL |
YUKI | TAKUYA | 5 |
14th | 1998年2月11日 | 散歩道 |
YUKI | 五十嵐公太 | 3 |
15th | 1998年4月1日 | ミュージック ファイター |
Tack and Yukky | TAKUYA | 4 |
16th | 1998年9月9日 | イロトリドリ ノ セカイ |
TAKUYA | TAKUYA | 11 |
17th | 1998年11月11日 | 手紙をかくよ |
YUKI | TAKUYA | 21 |
18th | 2000年2月23日 | Brand New Wave Upper Ground |
YUKI | TAKUYA | 4 |
19th | 2000年7月5日 | ひとつだけ |
YUKI | TAKUYA | 9 |
20th | 2000年11月22日 | mottö |
Tack and Yukky | TAKUYA | 8 |
21st | 2001年1月24日 | ラッキープール |
Tack and Yukky | TAKUYA | 3 |
22nd | 2001年3月9日 | PEACE -strings version- |
Tack and Yukky | TAKUYA | 8 |
アルバム
オリジナルアルバム
枚 | リリース日 | タイトル | 順位 |
1st | 1994年1月21日 | J・A・M |
23 |
2nd | 1994年12月1日 | ORANGE SUNSHINE |
5 |
3rd | 1995年12月4日 | MIRACLE DIVING |
2 |
4th | 1997年3月26日 | THE POWER SOURCE |
1 |
5th | 1998年6月24日 | POP LIFE |
2 |
6th | 2001年2月7日 | WARP |
1 |
ミニアルバム
リリース日 | タイトル |
2000年12月16日 | BE AMBITIOUS |
- 92年のインディーズ時代に発表した唯一の音源を収録した。
ベストアルバム
枚 | リリース日 | タイトル | 順位 |
1st | 2000年3月23日 | FRESH |
1 |
2nd | 2001年5月23日 | The Great Escape -COMPLETE BEST- |
1 |
3rd | 2006年2月8日 | COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」 |
2 |
ライブアルバム
枚 | リリース日 | タイトル | 順位 |
1st | 1999年3月31日 | 44982 VS 1650 |
7 |
企画盤
枚 | リリース日 | タイトル |
1st | 2001年9月19日 | 1992 JUDY AND MARY -BE AMBITIOUS + It's A Gaudy It's A Gross- |
- インディーズCD+インディーズ時代の映像のDVDの2枚組
枚 | リリース日 | タイトル | 順位 |
2nd | 2009年3月18日 | JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album |
9 |
- デビュー15周年記念の一環でリリースされたトリビュートアルバム。
枚 | リリース日 | タイトル | 順位 |
3rd | 2009年8月5日 | 15th Anniversary Complete Single Box |
83 |
- 全シングル22枚(12cm化・紙ジャケット仕様)+15周年記念Tシャツがセットになったボックスセット。デビュー15周年記念の一環でリリースされる。限定盤。
映像作品
ビデオクリップ集
- HYPER 90'S JAM TV (VHS/LD:1994/12/12)
- ミュージック ファイター (VHS:1998/04/01)
- 手紙をかくよ (VHS:1998/11/11)
- Brand New Wave Upper Ground (VHS/DVD:2000/04/19)
- mottö (VHS/DVD:2000/12/06)
- JUDY AND MARY ALL CLIPS -JAM COMPLETE VIDEO COLLECTION- (VHS/DVD:2001/02/21 DVD再発:2003/11/19)
- PEACE (VHS/DVD:2001/06/06)
ライブ
- It's A Gaudy It's A Gross (VHS:1995/02/01)
- MIRACLE NIGHT DIVING TOUR 1996 (VHS/LD:1996/12/09 DVD:2000/04/19)
- THE POWER STADIUM DESTROY '97 (VHS:1997/12/01 DVD:2000/04/19)
- POP LIFE SUICIDE 1 (VHS/DVD:1999/04/21)
- POP LIFE SUICIDE 2 (VHS/DVD:1999/05/21)
- WARP TOUR FINAL (VHS/DVD:2001/05/09 DVD再発:2003/11/19)
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1996年(平成8年)/第47回 | 初 | そばかす | 01/25 | ウルフルズ |
1998年(平成10年)/第49回 | 2 | 散歩道 | 06/25 | 山本譲二 |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 キューブミュージック
- ↑ 『JAM BOOK』参考。
- ↑ “JUDY AND MARY プロフィール”. HMV ONLINE. . 2014閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 J-ROCK MAGAZINE1997年6月号 恩田のインタビュー より(※元サイトリンク切れのためwebキャッシュにリンク)
- ↑ 「JAM」と「JUMP」を合わせた造語。
- ↑ Yahoo!ミュージック アーティスト情報 JUDY AND MARY参考。(2007年3月3日時点でのアーカイブ)
- ↑ Sony Music Online Japan::JUDY AND MARY::Profile参考。
- ↑ Sony Music Online Japan:JUDY AND MARY:COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」参考。
- ↑ 解散後に放送されたNHK特番では、解散経緯として、2000年に恩田から脱退の申し出があった。メンバーはその時点で解散を決めるも、2001年1月まで公式な発表はしなかった
- ↑ 10.0 10.1 YouTube 「JUDY AND MARY ありがとう。バイバイ。」
- ↑ 『YUKI GIRLY★WAVE』ソニー・マガジンズ,佐々木美夏,2004