旭川医科大学
旭川医科大学 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1973年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人旭川医科大学 |
本部所在地 | 北海道旭川市緑が丘東2条1丁目1-1 |
学部 | 医学部 |
研究科 | 医学系研究科 |
ウェブサイト | 旭川医科大学公式サイト |
旭川医科大学(あさひかわいかだいがく、英語: Asahikawa Medical University)
北海道旭川市緑が丘東2条1丁目1-1に本部を置く日本の国立大学。
Contents
概観
- 大学全体
- 大学は、医学部のみの1学部2学科(医学科と看護学科を設置)からなる医学系単科大学。
- 建学の精神(校訓・理念・学是)
- 「豊かな人間性と幅広い学問的視野を有し」「生命の尊厳と高い倫理観を持ち」「高度な知識・技術を身につけた医療人及び研究者の育成」を基本理念としている。また、「地域医療に根ざした医療・福祉の向上に貢献する医療者を育てる」「教育、研究、医療活動を通じて国際社会の発展に寄与する医師及び看護職者の養成に努める」ことを目標とする。
沿革
略歴
- 1960年 釧路市に国立釧路医科大学誘致期成会が設立された。
- 1970年「第三期北海道総合開発計画」では釧路市に医科大学を誘致することが明記された。
- 1972年、医師不足や無医村解消を目的とする新設医科大学の一つとして、旭川医科大学の創設が決定され準備室が設置された。当初、立地場所には釧路市と旭川市で誘致争いになった。道は、釧路市設立、旭川市設立の両方を想定しており、医師不足の深刻な釧路市に設立するという話にもなったが、知事が最終的に旭川市に設立する判断をくだした。
年表
- 1973年 旭川医科大学設置
- 1976年 旭川医科大学医学部附属病院(現旭川医科大学病院)開院
- 1979年 大学院医学研究科設置
- 1983年 開学10周年記念式典挙行
- 1996年 医学部看護学科設置
- 1999年 情報処理センター、遠隔医療センター設置
- 2000年 大学院医学研究科を大学院医学系研究科と改称し、大学院医学系研究科修士課程看護学専攻を設置
- 2004年 国立大学法人旭川医科大学発足
- 2005年 旭川医科大学医学部附属病院を旭川医科大学病院に名称変更
- 2010年 英訳名称を「Asahikawa Medical College」から「Asahikawa Medical University」へと変更
所在地・象徴
所在地
- 北海道旭川市緑が丘東2条1丁目1番1号
象徴
- 学章の全体像を、雪の結晶に見立てることにより北海道をイメージしたものとなっている。医大の象形文字を中央に据え、その周りを「旭川市の木」に指定されているナナカマドが囲うことで「北海道の中央、ならびに旭川の中核医療」を象徴するデザインとなっている。
教育および研究
学部・学科
大学院
- 医学系研究科(博士課程)
- 医学専攻
- 研究者コース
- 臨床研究者コース
- 医学専攻
教育
当初、医学科のみであったため「教養」「専門」が一貫したカリキュラムになっており、必須科目がほとんどである。また、1年の授業から大学病院など臨床関係の講義がある。
学年制であり、医学科は各学年での必須単位を取得しないと進級できない。ただし、選択科目の必須単位8は2年前期迄に取得すればよい。このため、全体として成績良好(殆どが『優』)であっても1科目を落とした時点で原級留置となるのが基本であるが、P制度というものがあり、正確には、留年が確定するのは2科目を落とした場合である。なお、学則上は1科目を取得できなかった時点で原級留置となることのみ記されている。近年は、1年次でも10〜20名の原級留置が常態化している。
開講講座はほとんどが必須科目であり、選択科目は1年の計29講座(12単位分)である(単位がこの時点で取得できなかった場合には2年時で取得する。)。また、必修扱いではあるが一部制限下で履修科目を選択できる、3・4年後期に2学年合同で履修する選択必修コース(計12講座、12単位分)もある。
所在地の緑が丘は小中高大・専門学校・看護学校と教育機関が集中しているという、勉学に励むのに良い立地条件のためか、入学時の偏差値が国公立大学医学部では下位にもかかわらず、CBTや医師国家試験の成績は概ね良好である。
昨今全国的に少なくなってきた寄生虫学講座を開講しており、特に多包虫(エキノコックス)の研究で有名である。
国内で睡眠障害の研究を行っている数少ない大学のひとつである。
附属機関
- 旭川医科大学病院
- 図書館
- 教育センター
- 保健管理センター
- 二輪草センター(復職・子育て・介護支援センター)
- 動物実験施設
- 実験実習機器センター
- 放射性同位元素研究施設
- 情報処理センター
取り組み
遠隔医療
2007年7月より就任した吉田晃敏学長は、通信回線等を用いた遠隔医療システムの第一人者であり、大学病院内にも彼を長とした日本初の遠隔医療センターが設けられている。 上記の遠隔医療システム開発において、マサチューセッツ州知事賞を授与されている。
「四本足のニワトリ」
1980年の旭川医科大学の入学試験で、受験生が10分間で「ニワトリ」と「ハエ」の絵を描くように指示され、その後、足が4本の「にわとり」や8本足の「はえ」の絵を配布、「3、4歳児でも鳥の絵は描けるのに、日本では満足に描けない大学生がいる。配布されたような絵を描く学生が多く現れるにいたった背景について、現代日本の社会、生活、教育、学習環境などの問題を主体的に受け止め、所見を述べなさい」という出題がなされた。この件に関する新聞報道を発端として、現在っ子・都会っ子の自然離れ、理科教育、美術教育など様々な角度から議論がなされ、論文・書籍なども多数刊行された。
大学関係者
- OG・OB
-
- 学者・研究者
-
- 吉田晃敏 - 旭川医科大学学長 (眼科)
協定
教育研究連携協定
包括連携協定
- 北見工業大学(2009年7月17日)
- 日本赤十字北海道看護大学( 〃 )
関連項目
参考文献
四本足のニワトリ
- 「自然離れだね いまどきの中学生 ニワトリの足は四本」『朝日新聞』 1988年11月8日付
- 『教育美術』第41巻第13号
- 宮脇理編『4本足のニワトリ ― 現代と子どもの表現』国土社、1998年 ISBN 4337482121
- 栗田真司「四本足のにわとり考」『世界思想』第26号
- 旭川医大のみに14億円賠償命令 「電子カルテ」控訴審『毎日新聞』 2017年9月1日付
脚注
外部リンク