夕刊紙
夕刊紙(ゆうかんし)とは夕刊を専門に発行する新聞のことである。夕刊専売紙(ゆうかんせんばいし)とも言う。一般に原則は店頭販売、帰宅するサラリーマンを主な想定読者とした小型サイズ(タブロイド)のものが多い。代表的な夕刊紙には東京スポーツや夕刊フジ、日刊ゲンダイがある。また、夕刊専売で、市町村単位など地域が地方紙以上に限定される新聞も夕刊紙と呼ばれる。
紙面構成としてはスポーツ新聞に近いが記事はスポーツよりも娯楽への比重が置かれ、性風俗関連記事も多い。金・土曜日発行の場合は、翌日の中央競馬レースの予想も掲載される。広告も性風俗店や「トイチ」のサラリーマン金融(ほとんどは東京都に貸金業登録(創業)をして間がなく登録番号が「都(1)」で始まる、また利息が10日毎に10パーセント(=1割)と高いからとの説もあり)、ブルーカラー系求人などが多数掲載される。記事の内容は、いわゆる飛ばし記事が多いのも特徴である。
夕刊紙の大きな転換期として1990年代後半より海外チームへ移籍したプロスポーツ選手(野球・サッカー)の登場や活躍により、メジャーリーグを始め海外のスポーツ自体が注目され始めたことが挙げられる。それにより時差の関係で夕刊紙が他紙よりも早く速報を伝えられる状況であったため、夕刊紙の一面でスポーツ記事が掲載される割合も多くなった。
時事論説は時として硬派の新聞以上に鋭い切り込みをしていることもある。
夕刊の前史
日本での夕刊紙の第1号とされるのは1877年11月12日創刊の「東京毎夕新聞」という夕刊の専売が最初とされており、その後東京日日新聞など大手の新聞も続々夕刊を創刊させる。さらに1897年1月1日に東京朝日新聞社が発行した「2回版」と呼ばれる物も発行されている。当時は未明に「1回版」を発行した後、午前10時ごろに「2回版」を発行・配達していたため、厳密な意味での夕刊ではなかったが、当時は新聞の印刷技術の問題から無理もあり、わずか7か月で「2回版」は廃止されてしまう。
その後迅速な報道が要求されていることや、1915年に大正天皇の即位の礼が開催されることから、大阪朝日新聞社と大阪毎日新聞社が提携し「御大典記念」としてその年の10月10日に10月11日付けとして夕刊を発行したのが起源とされている。
なお太平洋戦争の激化による新聞の統廃合や製紙事情により1944年を最後に夕刊はいったん廃止されたが、戦後の1950年前後から夕刊が復活している。しかしこの間も、大手全国・県域紙が夕刊発行のための子会社などを設立し、1940年代後半から夕刊紙やスポーツ紙の基礎となる新聞が発行されている。[1]
往年の大阪の夕刊紙
戦後から1980年代には大阪市では「大阪新聞」「大阪日日新聞」「関西新聞」「新大阪」などの地元夕刊紙が多く発行されており梅田駅の地下通路などに毎日各紙が張り出されていたほどの盛況で一つのジャンルを形成していたが、東京資本新聞社の販売攻勢によって2000年頃までに発行の中止、あるいは朝刊紙への転向で長年親しまれた大阪の地元夕刊紙が姿を消した。また、大阪を中心とする近畿地方の隣の中部地方で長年発行されていた名古屋市の老舗夕刊紙「名古屋タイムズ」も発行元の経営難により2008年10月31日に休刊になった。
主な夕刊紙
全国紙
- ※九州スポーツは朝刊で発行。
地方紙
- 十勝毎日新聞(翌日の日付で夕方に宅配、キオスク・コンビニでは翌日日中も販売される)
- 苫小牧民報・千歳民報
- 石巻日日新聞
- いわき民報
- 南信州新聞 (市街地の一部で、翌日の日付で夕方に発行)
- 夕刊三重
- 熊野新聞
- 紀南新聞
- 日高新報
- 紀伊民報(田辺市など南部の多くでは翌日付として夕方に、和歌山市など北部の多くでは翌日朝に配達・販売)
- 両丹日日新聞
- 津山朝日新聞
- 宇部日報
- 今日新聞
- 夕刊デイリー