「中田喜直」の版間の差分
(→校歌作曲) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/6/ (月) 05:55時点における最新版
中田 喜直 | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 | 1923年8月1日 |
出身地 | 日本東京都 |
死没 | 2000年5月3日(76歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
中田 喜直(なかだ よしなお、1923年(大正12年)8月1日 - 2000年(平成12年)5月3日)は、日本の作曲家。
Contents
概要
東京市(現在の東京都渋谷区)出身。『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』など、今日も小中学校の音楽の時間で歌い継がれている数々の童謡、楽曲を作曲した日本における20世紀を代表する作曲家の一人である。
父は「早春賦」で知られる作曲家の中田章、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。また、はいだしょうこの声楽の師匠でもある。
- 本名:中田喜直
因みに甥の中田佳彦は大瀧詠一と細野晴臣共通の友人で、ポップスの勉強会を立ち上げる等交流のあった人物、大瀧と「EYES」というデュオを組んでいた時期がある。後に大瀧のアルバム「大瀧詠一」収録の「おもい」のアレンジを手掛ける。それが縁でアルバム「多羅尾伴内楽団Vol.1」において「雪の降る街を」をインストでカバーしている。
経歴
年譜
- 1923年 東京府(現・東京都)生まれ。
- 1943年 東京音楽学校(現在の東京芸術大学)卒業。
- 1968年 横浜市保土ケ谷区(翌年区制が改正され「旭区」となる)へ転居。
- 1979年〜2000年 社団法人日本童謡協会会長。
- 1986年 11月紫綬褒章受章。
- 1990年〜2000年 フェリス女学院大学教授ならびに名誉教授。
- 1995年 NHK放送文化賞受賞。
- 1999年 日本音楽著作権協会60周年特別賞受賞。
- 2000年 第42回日本レコード大賞日本作曲家協会功労賞受賞。5月3日、直腸癌のため死去。76歳没。
活動など
中田章の三男として生れる。父は物心ついた頃にはすでに病床に伏しており、音楽については兄の一次から教わったという。1933年には最初の歌曲を書いている。1935年には、映画『別れの曲』の影響でショパンに心酔しピアニストを志望するようになる。
青山学院中等部を経て1940年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科に入学。戦時(太平洋戦争)のため繰り上げ卒業をした後は、特別操縦見習士官(第1期)となり宇都宮陸軍飛行学校に入校、帝国陸軍航空部隊の戦闘機操縦者となる。陸軍少尉に任官し、四式戦闘機「疾風」を装備する飛行第51戦隊附としてフィリピン戦線やインドネシアに赴き、本土で特攻隊要員として終戦を迎えた。
ジャズピアニスト志望であったが、手が小さいことから断念し、終戦後の1946年には作曲家グループ「新声会」に入会。歌曲の伴奏をつとめるかたわら、作曲家としての活動を本格的にスタートさせる。NHK「ラジオ歌謡」や「歌のおばさん」、「えり子とともに」などラジオ番組にも積極的にかかわり、これらの番組において「夏の思い出」や「かわいいかくれんぼ」「雪の降るまちを」などを生み出している。
1953年にはフェリス女学院短期大学音楽科講師に就任し、その後40年にわたって教職を勤め上げた。在職中、教え子であった妻幸子と出会い結婚。同校とのかかわりのなかで生まれたものに、プロ合唱団「フェリス女声合唱団」(のちの日本女声合唱団)のために書いた多くの女声合唱曲や、著書『実用和声学』(音楽之友社)がある。1988年からは神戸山手女子短期大学でも教えた。
1955年に大中恩、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。この会は中田が亡くなる2000年まで活動を続け、数多くの童謡のレコード・楽譜を世に送った。また、1956年には「蜂の会」に参加し、ここで歌曲「サルビア」「おかあさん」などを発表。1969年に設立された日本童謡協会にもかかわり、のちに会長に就任する。
2000年5月3日に亡くなるまでに書かれた作品は3000近くといわれている。その全貌はまだ明らかになっていない。校歌や社歌・自治体のための歌も少なくない。
人物
- 父は「早春賦」を作曲した中田章であり、喜直も日本の四季を題材にした曲を多数作った。春については、「もうすぐ春だ」(内村直也作詞)、「もう春だ」(夢虹二作詞)、「春のむすめ」(立原えりか作詞)、「ああプランタン無理もない」(サトウハチロー作詞)等がある。生前、喜直は、春の歌に関しては、次のように書き残している。
春の歌を色々作ったのだが、どうもヒットしない。そこでなぜか考えていたら、ふと思い当たることがあった。「早春賦」という歌が今でもよく歌われているが、これは私の父(中田章)の作曲した唯一知られている歌曲で、あとは何もない。歌われている曲がたった一つしかないのである。それが春の歌であるから、私はなるべく邪魔をしないで、敬意を表することにした。などと言って、講演の時に聴衆を笑わせることがある。[1]
- 中田には運動家・提唱者としての側面もあった。とりわけ嫌煙運動家としての顔が知られており、1980年には渡辺文学と『嫌煙の時代』(波書房)を出版している。『随筆集 音楽と人生』(音楽之友社)では、第2章「タバコについて」、第9章「もう一度タバコについて」、第10章「野球のこと、そしてまたタバコのこと」と、全10章中3章がタバコ関連の文章で占められており、これら以外の章にも散見される。中田の評伝を出版した牛山剛によると、「中田はよく音楽にまつわる講演を頼まれたが、普通なら忙しくて断わるときでも、『タバコの話』さえできれば、喜んでどこへでも出かけて行った」(『夏がくれば思い出す――評伝 中田喜直』新潮社、p. 197)という。これだけ熱心な嫌煙家になったきっかけは、父が晩年に結核に倒れてもなおタバコを吸い続けるほどの愛煙家であり、その彼を見ていた母からタバコの害を聞かされていたことだという。
- 自分の手が小さく、ピアノを弾くのに苦労したという中田は、ピアノを習う子供たちのために鍵盤の幅を細くすることを提唱した。提案だけでなく実際に作らせ、自身の作曲に使用した。「細幅鍵盤運動」は嫌煙に次いで力を注いだ分野であったが、嫌煙運動ほどの反響を得ることはできなかった。また、政治や社会の問題に対しても積極的に発言し、読売新聞「気流」欄や朝日新聞「声」欄に熱心に投稿した。騒音問題(駅や飛行機のBGMも彼にとっては「騒音」であり、車掌やスチュワーデスに音楽を止めるよう直接要求したことさえある)、反核・反地雷、憲法改正など彼の発言は多岐にわたる。
- 君が代について、次のように述べ、君が代のメロディによく合った日本国民のみんなが納得するような内容の歌詞をつけ直してはどうか、と提言している。
メロディはいいのだが、言葉とメロディが全く合っていないのだ。歌詞が短くて、メロディが長い。それを無理に合わせようとしたので最低の歌曲になってしまった。(中略)歌曲は、言葉(歌詞)とメロディがよく合っていて、自然にきこえなければ駄目です、ということなのだ。「なつがくーればおもいだす」ならば不自然ではないが、
「なーつがくれーばおーもいだすう」では気持ち悪くて誰も歌わないだろう。(中略)
私はいろいろな会で「君が代」が演奏された時、必ず立上がってきちんとした姿勢をとる。しかし決して歌わない。出来そこないの歌だから歌えない。[1]
- 憲法改正について、日本国憲法は、「かなり短い時間で作られたもので、あの戦争や日本が負けたことを考えれば、それなりによく出来ており、特に戦争放棄やその後自衛隊が出来てからの海外派遣の禁止等も、日本の運命の重大な不幸を未然に防いだ効果は非常に大きい」としながらも、「世界情勢と日本国憲法を普通に常識的に見てみると、今の憲法が日本と世界の現実と合っていないことがわかる」として、憲法改正を主張した。皇室について、「黛敏郎氏とはまったく違うが、皇室を大切にしたいという気持は十分にある」とし、天皇を日本国および日本国民統合の象徴とする規定は、物体でない人間に国民の精神的な連帯の絆を求められては「天皇はたまったものではない」と述べ、むしろ「『天皇は、日本国の伝統文化の象徴である』という風に直したいと思っている」と述べている[1]。
著書
- 実用和声学(音楽之友社、1957年)
- メロディーの作り方(音楽之友社、1960年)
- だれでも弾けるやさしい伴奏(音楽之友社、1986年)
- 音楽と人生(音楽之友社、1994年)
作曲
器楽曲
- 小さなヴァイオリニスト(ヴァイオリン・ピアノ)
- フルートとピアノのための「日本の秋の歌」
- 2台のピアノのための音楽「無宗教者の讃美歌」
- 2台のピアノのための「軍艦マーチによるパラフレーズ」
- 雨の夜に(ピアノ)
- ピアノ・ソナタ
- ピアノのための組曲「光と影」
- ピアノのための組曲「時間」
- 四手連弾のための組曲「日本の四季」
- 子どものための8手連弾ピアノ曲「日本ふうのメロディーによる主題と変奏曲」
歌曲・童謡・放送歌謡など
のちに合唱曲に編曲された作品も少なくない。
- 六つの子供の歌〔1.うばぐるま、2.烏、3.たあんき ぽーんき、4.風の子供、5.ねむの木、6.おやすみ〕
- 歌曲集「海四章」
- マチネ・ポエティクによる四つの歌曲〔1.火の鳥、2.さくら横ちょう、3.髪、4.真昼の乙女たち〕
- 二人のモノローグによる歌曲集「木の匙」
- 夏の思い出
- 雪の降るまちを
- 心の窓にともし灯を
- 君よ八月に熱くなれ
- かわいいかくれんぼ
- あひるの行列
- めだかの学校
- バナナのうた
- 夕方のおかあさん
- わらいかわせみに話すなよ
- ちいさい秋みつけた
- さわると秋がさびしがる
- 手をたたきましょう(編曲)
- 歌曲集「魚とオレンジ」〔1.はなやぐ朝、2.顔、3.あいつ、4.魔法のリンゴ、5.艶やかなる歌、6.ケッコン、7.祝辞、8.らくだの耳から(魚とオレンジ)〕
合唱曲
- 混声合唱曲集「午後の庭園」
- 混声合唱組曲「海の構図」
- 混声合唱組曲「昇天」
- 合唱組曲「おかあさんのばか」(混声・男声・女声版あり。磯部俶との共作)
- 混声合唱とピアノのための組曲「都会」
- 女声合唱とバリトンソロ・管弦楽のためのカンタータ「新しい山河」
- 女声合唱組曲「美しい訣れの朝」
- 女声合唱組曲「蝶」
- 朝のうた(第17回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)
- 祭りの宵(第19回同小学校の部課題曲)
- 美しい秋(第33回同中学校の部課題曲)
- 心の馬(第50回同中学校の部課題曲)
校歌作曲
- あ行
- 青森県立弘前中央高等学校校歌
- 青森県立八戸南高等学校校歌
- 愛知県立丹羽高等学校校歌
- 愛知県立岡崎北高等学校校歌
- 愛知県立明和高等学校校歌
- 愛知県立一宮興道高等学校校歌
- 足立区立本木小学校校歌
- 足立区立西新井小学校校歌
- 岡山県美作高等学校校歌
- 厚木市立飯山小学校校歌
- 岩倉市立五条川小学校校歌
- 岩手大学教育学部附属小学校校歌
- 市原市立五所小学校校歌
- 糸魚川市立糸魚川東小学校校歌
- 入間市立藤沢東小学校校歌
- 茨城大学教育学部附属中学校校歌
- 板橋区立上板橋第三中学校校歌
- 青木村立青木中学校校歌
- 伊那市立東部中学校校歌
- 伊予三島市立東中学校校歌
- 上田市立第六中学校校歌
- 魚沼市立守門中学校校歌
- 浦安市立日の出小学校校歌
- 愛媛県立宇和島南中等教育学校校歌
- 愛媛県立三島高等学校校歌
- 大阪教育大学附属天王寺小学校校歌
- 茨木市立大池小学校校歌
- 赤穂市立赤穂西小学校校歌
- 大田区立大森第二小学校校歌(同校は統廃合のため現存せず)
- 大田区立大森東中学校校歌
- 大町市立八坂中学校校歌
- 大町市立八坂小学校校歌
- 大町市立美麻小中学校校歌
- 岡山市立岡北中学校校歌
- 生駒市立生駒台小学校校歌
- 宇部市立藤山中学校校歌
- か行
- 香川大学教育学部附属幼稚園高松園舎の歌
- 学校法人有明中央学園ひまわり幼稚園園歌
- 葛飾区立南奥戸小学校校歌
- 葛飾区立綾南小学校校歌
- 葛飾区立西渋江小学校校歌
- 葛飾区立上千葉小学校校歌
- 神奈川県立相模田名高等学校校歌
- 神奈川県相模原市立共和中学校校歌
- 神奈川県立横浜立野高等学校校歌
- 神奈川県立氷取沢高等学校校歌
- 神奈川県立川崎北高等学校校歌
- 刈谷市立住吉小学校校歌
- 川崎市立平間中学校校歌
- 川越市立川越第一小学校校歌
- 川越市立広谷小学校校歌
- 川越市立霞ヶ関北小学校校歌
- 川越市立高階南小学校校歌
- 川越市立古谷小学校校歌
- 川崎市立今井小学校校歌
- 川崎市立有馬小学校校歌
- 川崎市立金程中学校校歌
- 川崎市立井田小学校校歌
- 川崎市立川崎中学校校歌
- 久喜市立青毛小学校校歌
- 久喜市立太田小学校校歌
- 気仙沼市立松岩小学校校歌
- 気仙沼市立松岩中学校校歌
- 桐生市立西中学校校歌
- 木更津市立清川中学校校歌
- 共立女子学園歌
- 川越市立東中学校校歌
- 川越市立大東中学校校歌
- 川口市立青木中学校校歌
- 共立女子第二中学校・高等学校旧校歌
- 岐阜県立池田高等学校校歌
- 協同組合短期大学校歌(1973年廃止)
- 越谷市立武蔵野中学校校歌
- 北区立赤羽台西小学校校歌
- 北区立八幡小学校校歌
- 小金井市立東小学校校歌
- 狛江市立狛江第四中学校校歌
- 小平市立小平第一小学校校歌
- 小平市立小平第二中学校校歌
- 小平市立小平第十小学校校歌
- 小平市立小平第十五小学校校歌
- 小平市立花小金井小学校校歌
- 行田市立東小学校校歌
- 江東区立大島中学校校歌
- 弘学館中学校・高等学校校歌
- 古河市立三和東中学校校歌
- 川口市立八幡木中学校校歌
- 越谷市立弥栄小学校校歌
- 川口市立安行小学校校歌
- 川口市立根岸小学校校歌
- 川口市立南鳩ヶ谷小学校校歌
- 御殿場市立南中学校校歌
- さ行
- 埼玉県立所沢商業高等学校校歌
- さいたま市立植竹中学校校歌
- さいたま市立上里小学校校歌
- さいたま市立栄小学校校歌
- さいたま市立指扇中学校校歌
- さいたま市立大東小学校校歌
- さいたま市立三室小学校校歌
- さいたま市立与野西中学校校歌
- 佐賀県立武雄青陵高等学校校歌
- 坂戸市立坂戸中学校校歌
- 相模原市立共和中学校校歌
- 狭山市立東中学校校歌
- 志木市立志木第二中学校校歌
- 四条畷市四条畷西中学校校歌
- 静岡市立玉川小学校校歌
- 杉並区立永福南小学校校歌
- 草加市立稲荷小学校校歌
- 世田谷区立船橋中学校校歌
- た行
- 高崎市立新町第一小学校校歌
- 高崎市立新町第二小学校校歌
- 高崎市立高松中学校校歌
- 高松市立紫雲中学校校歌
- 立川市立西砂小学校校歌
- 立山町立立山中央小学校校歌
- 茅野市立永明中学校校歌
- 調布市立飛田給小学校
- 都留市立都留第一中学校校歌
- 筑後市立下妻小学校校歌
- 豊島区立大成小学校校歌
- 所沢市立清進小学校校歌
- 所沢市立山口小学校校歌
- 富山大学人間発達科学部附属幼稚園園歌
- 所沢市立並木小学校校歌
- 所沢市立若狭小学校校歌
- 千葉市立千草台小学校校歌
- 千葉市立花園小学校校歌
- 千葉大学教育学部附属中学校
- 燕市立燕北中学校校歌
- 東京都文京区立本郷小学校歌
- 東京電機大学中学・高等学校校歌
- 東京都立国分寺高等学校校歌
- 東京都立神津高等学校校歌
- 栃木県立足利高等学校校歌
- 富山県立高岡南高等学校校歌
- 富山医科薬科大学校歌
- 学校法人東京聖徳学園学園歌
- 取手市立井野小学校校歌
- (2015年(平成27年)3月、取手市立小文間小学校、取手市立吉田小学校と統合により、閉校し、4月から、取手市立取手東小学校となったため、現在使用していない)
- 取手市立白山西小学校校歌
- (2016年(平成28年)3月、取手市立稲小学校と統合により、閉校し、4月から、取手市立取手西小学校となったため、現在使用していない)
- 登米市立佐沼中学校校歌
- な行
- 長浜市立長浜小学校校歌
- 長岡市立山本中学校校歌
- 長野県梓川高等学校校歌
- 長野県伊那弥生ヶ丘高等学校校歌
- 長野県豊科高等学校校歌
- 名古屋市立清水小学校校歌
- 名古屋市立戸笠小学校校歌
- 習志野市立秋津小学校校歌
- 新潟県立新潟中央高等学校校歌
- 新潟市立竹尾小学校校歌
- 新潟青陵大学・新潟青陵大学短期大学部学園歌
- 新潟大学教育学部附属新潟中学校校歌
- 日本放送協会学園高等学校校歌
- 練馬区立大泉学園小学校校歌
- 練馬区立関町小学校校歌
- 西尾市立中畑小学校校歌
- 沼津市立長井崎中学校校歌
- は行
- 半田市立青山中学校校歌
- 広島県立呉商業高等学校校歌
- 広島県立広島工業高等学校校歌
- 広島市立二葉中学校校歌
- 広島市立中島小学校校歌
- 平塚市立金目小学校校歌
- 平塚市立南原小学校校歌
- 福岡県立久留米高等学校校歌
- 富士市立原田小学校校歌
- 富士見市立みずほ台小学校校歌
- 東松山市立南中学校校歌
- 東久留米市立西中学校校歌
- 福山市立鷹取中学校校歌
- 福井県立福井商業高等学校校歌
- 福生市立福生第二小学校校歌
- ま行
- 舞鶴市立若浦中学校校歌
- 三次市立甲奴中学校校歌
- 水戸市立新荘小学校校歌
- 水戸市立双葉台小学校校歌
- 目黒区立宮前小学校校歌
- 町田市立忠生第五小学校校歌
- 村上市立山辺里小学校校歌
- や行
- 山形県立鶴岡中央高等学校校歌
- 八街市立実住小学校校歌
- 八街市立八街中学校校歌
- 大和市立上和田中学校校歌
- 横須賀市立田戸小学校校歌
- 横須賀市立追浜中学校校歌
- 横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校・横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校 学園の歌 山のすがた
- 横浜市立新井中学校校歌
- 横浜市立いずみ野小学校校歌
- 横浜市立左近山第二小学校校歌
- 横浜市立東希望が丘小学校校歌
- 横浜市立南希望が丘中学校校歌
- 横浜市立つつじが丘小学校校歌
- 横浜市立日野南小学校校歌
- 横浜市立峯小学校校歌
- 横浜市立矢部小学校校歌
- 横浜市立葛野小学校校歌
- 横浜市立万騎が原小学校校歌
- 横浜市立秋葉中学校校歌
- 横浜市立上飯田中学校校歌
- 横浜市立川和中学校校歌
- 横浜市立戸塚中学校校歌
市町村歌作曲
- 浦和市歌
脚注・出典
参考文献
- 牛山剛『夏がくれば思い出す――評伝 中田喜直』2009年 新潮社