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スラム(英: Slum)とは、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど、居住者やコミュニティの健康や安全、道徳が脅かされている荒廃した状況を指す[1]。世界中のほとんどの大都市にスラムがある。スラム街、退廃地区、貧民窟などとも表現する。
世界のスラム住民の数は増加傾向にあり、国際連合人間居住計画の統計によれば、21世紀初頭でのおよそ10億人から、2030年には倍の20億人に増えるとされる。[2]。
概要
スラムの特徴として、高い失業率と貧困があり、このため犯罪や麻薬、アルコール依存症や自殺などが多発する傾向にある。特に悪事や犯罪などがしばしば行われる無法地帯と化した地域に対しては暗黒街と称されることが通例となっている。発展途上国の多くでは、非衛生的な環境のため伝染病が流行していることが多い。貧困状態にある少数民族の居住区を指して、ゲットーと呼ぶこともあるが、日本語でのゲットーの意味は主にユダヤ人居住区を指すことが多い。
発展途上国の多くのスラムは、農村部などからのスコッターと呼ばれる移住者が首都などの大都市に押し寄せ、需要を超えた労働力の超過によって行き場を失い、環境の悪い町外れなどの未開発地域に住み着いた結果発生する。無計画、無秩序に住居が建てられることで消防車や救急車といった緊急車両が進入できないほど道が狭く、建物が混み入っている。これらは火事が広がって多くの犠牲者を出す、急病患者や怪我人が助からないなど生活環境を悪化させる要因になっている。
道の狭さからゴミ収集車も立ち入れず、地区全体が回収作業の対象とされない場合、さらに衛生状態を悪化させる要因になっている。いくつかのスラムは、ゴミ処理場の近くや中に作られており、ゴミのリサイクルで生活費を稼いでいる。
日本のスラム
江戸時代から明治時代にかけて江戸・東京の三大貧民窟と呼ばれていたのは、下谷万年町(現・台東区東上野四丁目)、芝新網町(現・港区浜松町二丁目)、四谷鮫河橋(現・新宿区若葉)であり[3]、いずれも徳川時代の旧非人系の被差別部落に起源があった[4]。その他には、深川の霊岸、麻布の新網町、浅草の玉姫町、本所の三笠町などが著しい貧民窟として知られていた[5]。明治20年代には、調査された地域においてだけでも、東京には少なくとも115の貧民窟があった[6]。1897年の調査では、下谷万年町で875戸、芝新網町で532戸、四谷鮫河橋谷町で1370戸の細民長屋が確認されていたが、日露戦争後に地価が高騰すると貧民は日暮里や三河島など場末の細民街への移転を余儀なくされた。1923年には関東大震災で場末の細民街の多くも壊滅し、東京市外に移る者も現れた。
対策と評価
スラムを解体したり、活性化さることで問題を解決しようとする試みは古くから行われてきたが、必ずしも成功を収めていない。文化大革命時に大量に中国大陸から香港に難民が押し寄せた際、不衛生なスラムが至るところに出来、犯罪や暴動が頻発した。当時の英国行政府は膨大な量の高層住宅を建設して住民を収容したり、郊外に新たな居住区を建設し、住民を移住させるといった対策で一定の成果を得た。しかし、他の開発途上国では、失業者対策が行われないなど、スラムの存在する根本的な理由を解決していないことが多いため、プルーイット・アイゴーのように、団地自体がスラム化する場合がある。また、賄賂や横領など対策を取る側に問題があることもある。
ある地域をスラムと呼ぶとき、異なるアイデンティティをもつ外部の人々が自分たちの文化景観の基準から外れた地域に対して、その地域の人々の文化やライフスタイルと関係なく、秩序が無い(ように見える)、建材が現代的で無い、など文化摩擦や誤解から一方的にスラムのレッテルを与えてしまう場合があり、行政によって都市再開発の対象とされてしまうケースもある[7]。例えば、アメリカでは、プエルトリコ人やロシア移民など、特定の民族集団が固まって居住する地域のライフスタイルや空間の使い方が、アングロサクソン系アメリカ人の許容できる水準に達していないとして、スラムと定義した例がある[7]。
スラムを民間部門の自由な社会経済活動の場と捉えて、住民を草の根民活として、肯定的に評価する立場もある。農村にあっても十分な収入を期待できない場合、都市に流入する貧困者が多いが、都市に転居しても、工場労働者や事務員のように正規の雇用機会は得られない。そこで、自らが、露天、靴磨き、廃品回収などの小規模で、元手があまりかからない仕事を創出する。こうして、スラムの未熟練労働者が多数就業する都市インフォーマル部門が開発途上国の大都市で成長している。 こうしたスラム住人は小規模自営の労働集約的な生業に就くことで、貧困状態にはあっても、失業者や犯罪者とは異なる地域コミュニティを形成している。
脚注
- ↑ 永野征男『都市地理学研究ノート』冨山房インターナショナル 2009 Google Books版 2017年7月14日閲覧。
- ↑ Slum Dwellers to double by 2030:Millennium Development Goal Could Fall Short
- ↑ 東京の都市下層社会と「細民」住居論『都市と技術』石塚裕道、国連大学出版局・国際書院、1995年
- ↑ 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.119、三一書房、1984年
- ↑ 東京の貧民窟『東京学』石川天崖(育成会, 1909)
- ↑ 旧市域における都市下層の分布の変化『都市と技術』中川清、国連大学出版局・国際書院、1995年
- ↑ 7.0 7.1 エイモス・ラポポート『文化・建築・環境デザイン』大野隆造、横山ゆりか訳 彰国社 2008年 ISBN 9784395051014 pp.60-65,120-121.
参考文献
- 田野橘治『暗黒の倫敦』 (広文堂, 1903)
- 唐十郎『下谷万年町物語』、中央公論新社 1981年 - 戦後男娼の巣窟になった上野のスラム街を描いた自伝的小説
- ウラジーミル・ギリャロフスキー 『帝政末期のモスクワ』 村手義治訳、中央公論新社、1985年。 / 〈中公文庫〉、1990年。 - 帝政ロシア時代の貧民窟ヒトロフカについての記述がある。
- 布野修司 『カンポンの世界 - ジャワの庶民住居誌』、PARCO出版、1991年(ISBN 4-89194-288-6)
- 中西徹 『スラムの経済学 フィリピンにおける都市インフォーマル部門』、東京大学出版会、1991年(ISBN 4-13-046042-0)
- 鳥飼行博 『地域コミュニティの環境経済学 - 開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発』、多賀出版、2007年(ISBN 9784811571317)
関連項目
- 乞食谷戸
- 権田保之助(大正時代の東京の貧民街の研究)
- 横山源之助(明治時代の阪神地区の貧民街の研究)
- 九龍城砦
- バンリュー(フランス)
- ゲジェコンドゥ
- フーバービル
- ファヴェーラ(ブラジルにおける貧民街)
- トンド・ スモーキー・マウンテン(フィリピン・マニラ)
- スモーキー・バレー(フィリピン・ケソン)
- タルトンネ(韓国)
- プルーイット・アイゴー - ニューヨーク世界貿易センタービルの設計者として有名なアメリカの建築家ミノル・ヤマサキの初期の代表作。都市計画の失敗例として有名。
- ハーレム (ニューヨーク市)
- 貧困の文化
- 都心の荒廃
- ドヤ街 - 日雇い労働者の寄せ場・宿泊需要に発祥を持つ点で、住民構成や社会的課題のあり方がスラムとは異なる。
- スラムツーリズム