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出島 | |
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座標 |
北緯38度27分0秒 東経141度31分30秒 |
面積 | 2.68 km² |
海岸線長 | 14 km |
最高標高 | 87.8 m |
所在海域 | 太平洋 |
所属諸島 | 牡鹿諸島 |
所属国・地域 |
出島 (宮城県) (宮城県) |
地理
全島が三陸復興国立公園に指定されている。女川町中心部から見て北東にあり、本土とは最も狭い場所で300mしか離れていない。本土と島を結ぶ橋が2022年度の完成を目標に建設される計画がある[1]。
集落は、島の北部にある出島と南部の寺間のみであり、両集落の間に宮城県道217号出島線が走っている。人が古くから住み、宮城県最大規模の貝塚群がある。その中でも出島遺跡が良く知られており、考古学ロマンあふれる島である。
島の周辺は、いわゆる金華山沖とも呼ばれる好漁場であり、釣り客の来島が多い。
- 面積 - 2.68平方キロメートル
- 周囲 - 14キロメートル
- 人口 - 最盛期は約1800人が暮らしたが、過疎化や後述する東日本大震災の影響などで2018年3月末時点では133人へ減少している[2]。震災当時の人口は450人[3]。
気候
黒潮の影響を受けるため、本土に比べて温暖である。雪はほとんど降らない。
歴史
- 縄文時代に生活が営まれた跡と推定される出島遺跡が残されている。
- 南北朝時代に創建された薬師堂がある。
- 南三陸で操業する船舶の避泊地として重宝されていた。島の開発は、始め製塩業から始まったが、燃料に使う木を伐採し過ぎたことから衰退し、漁業へと変わっていった。[4]
- 寺間は、出島から分かれた村である。出島は入江に集落が形成されたため、水に恵まれず、雨水に頼らざるを得なかったのに対し、寺間は入江から沢に向かって集落が形成されていった。[4]
交通
女川港からだと11キロメートル離れており、所要時間は高速船「しまなぎ」で約20分間。出島~寺間間は12分間(シーパル女川汽船により運航。便により先に入港する港が変わる。1日4便)。
前述のように、架橋計画が進んでいる。
生活
- 公的機関 - 女川町の出先機関として、出島開発総合センターがある(寺間)。
- 教育機関 - なし。かつては女川町立女川第四小学校、女川町立女川第二中学校あったが、震災後に閉校(両校は同じ校地・校舎に併置され、教職員用宿舎もあった。出島と寺間の中間地点の山中にあった)。
- 震災前は、女川町立出島保育所が寺間にあった。
- 郵便局 - 出島簡易郵便局(出島)。震災による津波で建物が流出し、現在は業務休止中[5]。
- 商店 - 震災前は、寺間に1軒、出島に2軒あった。
- 食堂 - なし。
- ガソリンスタンド - なし。かつては寺間にあったが、震災による津波で建物が流出。
- 金融機関 - 宮城県漁業協同組合女川町支所出島出張所。
- 民宿 - 1軒(出島)。2017年にいったん閉鎖され、2018年3月に再開された。
- 医療機関 - なし。女川町国民健康保険出島診療所(出島)があったが、震災による津波で建物が流出し、現在は閉鎖。現在は月に2度、女川町立病院の院長が、女川町保有の船舶で来航し、仮設住宅の集会場での問診を行っている[6]。急患は漁船または学校そばの野球場から宮城県防災航空隊ヘリで急患搬送。[7]
- 放送 - アナログテレビ放送については、地形の関係から直接受信に適さないが、島内に共聴施設があるため全島で良好に視聴できる。ラジオは問題なく受信できる。
- 電気・電話 - 完備している。海峡部での空中架線にて島内に供給。固定電話は「新出島交換所」が島内に存在する。
- 携帯電話 - NTTドコモFOMAプラスエリア対応機種の場合、出島は、本土側尾浦の対岸に当たるためエリア内、寺間には中継局が存在する。両地区内で使用が可能である。
- 水道 - 本土から海底送水しているが、老朽化が問題になっている。
- し尿・ごみ - 全て本土に搬出。
観光
名産品
東北太平洋地震の影響について
2011年3月11日に発生した東北太平洋沖地震(東日本大震災)により、島の住宅はほとんど倒壊し、島を襲った津波で島民25名が犠牲となった[8]。津波の高さは20m近くあったという[3]。住民たちは山を駆け上り、女川町立女川第四小学校、女川町立女川第二中学校へと避難した。本土との連絡手段はなかったが、島内に2台ある衛星電話のうち1台が残っていたため連絡が付き、翌日には、生き残った全島民が島外に避難することが出来た[3]。
2港の岸壁は、地震の影響で1m近く沈下した[9]。2011年11月現在で、島に戻ったのは100人以下である。[10]女川港との定期船は週3日2便になり、女川町国民健康保険出島診療所は閉鎖。出島簡易郵便局や宮城県漁協女川町支所出島出張所の再開見通しも立っていない[11]。
島の復興案について、宮城県では、出島と寺間の両集落を集約して高台に移転する案をまとめ、住民に提示した。住民は「慣れ親しんだ土地での再建をしたい」と集約・移転案への反発もあり[12]、平成26年度に出島地区、平成27年度に寺間地区にそれぞれ災害公営住宅が完成した[13]。
脚注
- ↑ 女川・出島架橋 アーチ橋に決定 技術検討委『河北新報』2017年7月28日(2018年4月27日閲覧)。
- ↑ 震災で過疎化 宮城・女川の離島/民宿再開おいでよ出島/仙台から移住 佐藤さん「憩いの場に」『東京新聞』朝刊2018年4月25日(特報面)2018年4月27日閲覧
- ↑ 3.0 3.1 3.2 その時 何が(21)島を救った衛星電話(宮城・女川町の出島)
- ↑ 4.0 4.1 女川町誌
- ↑ 出島簡易郵便局
- ↑ [顔]ボートで離島の巡回診療を行う医師 斎藤充さん : アラカルトニュース : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)
- ↑ 防災拠点一覧表(改定案)
- ↑ 宮城・女川と離島結ぶ航路が25日再開
- ↑ 女川の離島・出島 進まぬ復旧に募る島民の焦り
- ↑ 不便でもおらほの島 住民3分の2戻る 宮城・女川町江島
- ↑ 第3部・仮設暮らし(6)離島/強い愛着 不便なんの/「定住」「通勤」思い同じ
- ↑ 漁村集約住民は難色 女川町公聴会町長、見直しを示唆
- ↑ 宮城県 災害公営住宅が完成しました(女川町)