石山寺
石山寺 | |
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所在地 | 滋賀県大津市石山寺1-1-1 |
位置 | 東経135度54分20.25秒北緯34.9604194度 東経135.905625度 |
山号 | 石光山 |
宗派 | 東寺真言宗 |
本尊 | 如意輪観音 |
創建年 | 天平19年(747年) |
開基 | 良弁、聖武天皇(勅願) |
札所等 |
西国三十三所13番 江州三十三観音1番 近江西国三十三観音3番 神仏霊場巡拝の道146番(滋賀14番) |
文化財 |
本堂、多宝塔、釈摩訶衍論他9件(国宝) 東大門、鐘楼他(重要文化財) 珪灰石(国の天然記念物) |
石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。当寺は京都府の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。
紅葉の名所としても知られ、秋にはライトアップが行われており、2015年に日本夜景遺産に認定された[1]。
洋画家の三谷祐幸から寄付される形で関西美術院の所有者となっている。
Contents
歴史
石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。
石山寺と文学作品
石山寺は、多くの文学作品に登場することで知られている。
『枕草子』二百八段(三巻本「日本古典文学大系」)には「寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀」とあり、藤原道綱母の『蜻蛉日記』では天禄元年(970年)7月の記事に登場する。『更級日記』の筆者・菅原孝標女も寛徳2年(1045年)、石山寺に参篭している。紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされている。伝承では、寛弘元年(1004年)、紫式部が当寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、石山寺本堂には「紫式部の間」が造られている。 『和泉式部日記』(十五段)では、「つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて」とあり、 和泉式部が敦道親王との関係が上手くいかず、むなしい気持を慰めるために寺に籠った様子が描かれている。
伽藍
- 本堂(国宝) - 正堂(しょうどう)、合の間、礼堂(らいどう)からなる複合建築である。構造的には正面7間、奥行4間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を示す建築用語)の正堂と、正面9間、奥行4間の礼堂という2つの寄棟造建物の間を、奥行1間の「合の間」でつないだ形になり、平面は凸字形になる。正堂は承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築である。内陣には本尊如意輪観音を安置する巨大な厨子がある。合の間と礼堂は淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたものである。合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の紫式部の像が安置されている。礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっている。懸造の本堂は、清水寺、長谷寺など、観音を祀る寺院に多い。
- 多宝塔(国宝) - 建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。
- 東大門(重文) - 参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立だが、本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。
- 蓮如堂(重文)
- 鐘楼(重文) - 鎌倉時代。
- 毘沙門堂 - 1773年建立。
- 御影堂(重文)
- 三十八所権現社本殿(重文) - 桃山時代
- 大黒天堂
- 月見亭
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東大門(重文)
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鐘楼(重文)
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御影堂(開山堂)(重文)
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御影堂内陣
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毘沙門堂
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三十八所権現社本殿(重文)
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大黒天堂
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月見亭
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経蔵(重文)
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蓮如堂(重文)
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多宝塔(国宝)細部
文化財
国宝
- 本堂
- 多宝塔
- 漢書 高帝紀下、列伝第四残巻 2巻(紙背金剛界念誦私記)
- 史記 巻第九十六、九十七残巻 1巻(紙背金剛界次第)
- 玉篇巻第廿七 後半(紙背如意輪陀羅尼経)
- 春秋経伝集解 巻第廿六残巻(しゅんじゅうけいでんしっかい)
- 春秋経伝集解 巻第廿九残巻(紙背金剛界儀軌)
- 釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)5帖
- 淳祐内供筆聖教(薫聖教)(しゅんにゅうないくひつしょうぎょう・においのしょうぎょう)73巻1帖(附:聖教目録1巻)[5]
- 延暦交替式(紙背南天竺般若悉曇十八章)
- 越中国官倉納穀交替記残巻(紙背伝三昧耶戒私記)
- 周防国玖珂郡玖珂郷延喜八年戸籍残巻(紙背金剛界入曼荼羅受三昧耶戒行儀)
重要文化財
- 木造如意輪観音半跏像-当寺の本尊。本堂奥の巨大な厨子に納められている。秘仏であり、33年に1度の開扉と、天皇即位時の開扉以外は原則として公開されない。像高約3メートル。如意輪観音像は6臂像(6本の手をもつ)が多いが、本像は2臂像で、岩盤の上に直接坐している。本堂の再建と同時期の平安時代後期の作と推定される。像内からは奈良時代の金銅仏4体、水晶製五輪塔などが発見され、これらは2003年、本像の附属として重文に追加指定されている。本像は以下の機会に開帳されている。
- 1991年4月10日から4月30日まで(天皇即位吉例開帳)
- 2002年8月1日から12月16日まで(開基1,250年記念)
- 2009年3月1日から5月31日まで、および9月1日から12月16日まで(花山法皇一千年忌西国札所一斉開帳)
- 2016年3月18日から12月4日まで(33年ごとの開帳)
- 塑造金剛蔵王立像心木-塑像(表面を粘土で造形した像)の内部にあった支えの心木である。この心木は、本尊の右脇侍である金剛蔵王(蔵王権現)像の内部から発見されたもの。金剛蔵王像自体は江戸時代の作だが、心木は奈良時代創建時のもので、学術的にきわめて貴重なものである。
以下は石山寺所有の重要文化財の一覧である(上に略説したものも再掲している)。
- (建造物)
- (絵画)
- (彫刻)
- 木造如意輪観音半跏像(本尊)・像内納入品(銅造如来立像1躯、銅造観音菩薩立像2躯、銅造菩薩立像1躯、水晶五輪塔1基、木造厨子1基)[10]
- 木造如意輪観音半跏像
- 木造大日如来坐像(多宝塔安置)快慶作
- 木造大日如来坐像(伝元多宝塔本尊)
- 金銅観世音菩薩立像 - 1948年盗難に遭い、その後、首以下の胴体部分のみが発見された。切断された頭部は行方不明である。
- 銅造釈迦如来坐像
- 木造持国天立像・増長天立像・毘沙門天立像
- 木造維摩居士坐像
- 木造毘沙門天立像
- 木造不動明王坐像
- 塑造淳祐内供坐像(御影堂安置)
- 塑造金剛蔵王立像心木[11]
- 附 塑造断片一括、光背1面、心木内納入品(木造五輪塔形1基、木造舎利容器1合、紙本墨書般若心経1紙)
- (工芸品)
- 梵鐘
- (書跡典籍、古文書)
- 叡山大師伝
- 倶舎論記 普光撰22巻・倶舎論疏 法宝撰30巻・倶舎論頌疏 円暉撰5巻
- 説一切有部倶舎論 仙釈筆
- 十誦律 巻第五十二
- 大般若経音義 中巻
- 智証大師伝
- 不空三蔵表制集 巻第三
- 仏説浄業障経(天平神護二年吉備由利願経)
- 法花玄賛義決 弘仁十年書写奥書
- 法華義疏 7巻
- 石山寺一切経 4,644帖 (附:雑宝経 巻第四(光明皇后五月一日願経)以下199巻)
- 石山寺校倉聖教 1,926点(附:聖教箱30合)
- 本朝文粋零本
- 建久年中検田帳 2巻
- 行歴抄 円珍記
- (考古資料)
- 袈裟襷文銅鐸
出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
拝観情報
- 交通アクセス
- 開門時間 - 8:00~16:30
画像
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石造宝塔と石庭
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宝篋印塔
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宝篋印塔(後方の塔は重要文化財)
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宝篋印塔
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宝篋印塔
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無憂園
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東大門の金剛力士(仁王)像
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天照皇大神を拝し弘文天皇を祭る若宮
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心経堂
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紫式部供養塔と芭蕉句碑
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島崎藤村ゆかりの密蔵院
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三鈷の松
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くぐり岩
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石山寺縁起絵巻 第1巻第3段 石山寺建立の際に地中から宝鐸が発見される
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石山寺縁起絵巻 第4巻第1段 石山寺に参籠した紫式部は湖面に映る月影を見て物語の構想を得る
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石山寺縁起絵巻 第3巻第3段 菅原孝女の石山参詣、雪の逢坂関
御詠歌
- 後の世を
- 願うこころは
- かろくとも
- ほとけの誓い
- おもき石山
前後の札所
脚注
- ↑ “日本初、夜景遺産の紅葉 大津・石山寺でライトアップ”. 京都新聞. (2015年11月13日) . 2015閲覧.
- ↑ 薗田, 稔 『神道史大辞典publisher=吉川弘文館』(snippet)2004年。, p.494
- ↑ 相馬, 大 (だい) 『近江33ヵ所』(preview) 保育社、1982年。ISBN 9784586505814。, p.8-9
- ↑ “白鬚大神社縁起(白鬚大明神縁起絵巻原文)”. 白鬚神社. . June 2012閲覧.
- ↑ 1961年の国宝指定時には「60巻1帖」だったが、寺内で新たに発見された13巻が2002年に追加指定されている。
- ↑ 平成20年12月2日文部科学省告示第172号(御影堂以下の4棟を「石山寺 4棟」として指定。)
- ↑ 平成20年12月2日文部科学省告示第172号
- ↑ 平成20年12月2日文部科学省告示第172号
- ↑ 平成20年12月2日文部科学省告示第172号
- ↑ 納入品は平成15年5月29日文部科学省告示第105号で追加指定。文化庁サイトの「国指定文化財等データベース」では納入品の記載が脱落している。
- ↑ 平成16年6月8日文部科学省告示第112号
参考文献
- 井上靖、塚本善隆監修、野口武彦、鷲尾隆輝著『古寺巡礼近江2 石山寺』、淡交社、1980
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』78号(石山寺)、朝日新聞社、1998
- 『日本歴史地名大系 滋賀県の地名』、平凡社
- 『角川日本地名大辞典 滋賀県』、角川書店
- 『国史大辞典』、吉川弘文館
関連項目
- 日本3名塔 - 石山寺・金剛三昧院・慈眼院
- 日本の寺院一覧
- 国宝一覧
- 西国三十三所
- 石山 - 石山寺にちなんで大津市南西部の地域名となっている。
- 近江八景
- 地質・鉱物天然記念物一覧
- 日本の地質百選
- 石山寺縁起絵巻
外部リンク
- 石山寺
- 国指定文化財 データベース(文化庁)