海上自衛隊幹部候補生学校
海上自衛隊幹部候補生学校(かいじょうじえいたいかんぶこうほせいがっこう、JMSDF Officer Candidate School)は、海上自衛隊の幹部自衛官を養成する教育機関である。初級幹部としての職務の遂行に必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行う。所在地は江田島地区(広島県江田島市江田島町国有無番地)。
旧日本海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関であった海軍兵学校の主要施設を、海上自衛隊第1術科学校とともに継承使用している。
所在地である江田島や学校庁舎から赤レンガの通称で呼ばれる[1][2]。
概要
約150名の一般幹部候補生(防衛大学校卒業者が半数と一般大学等卒業者が半数)、航空学生出身の飛行幹部候補生、海上自衛隊部内から選抜された一般幹部候補生(部内)、海曹長・准海尉で昇任試験に合格した幹部予定者、防衛医科大学校及び一般の医科歯科大学の出身者からなる医科歯科幹部候補生等の教育を行っている。教育期間は、課程により異なり、一般幹部候補生課程は最も長い1年間で、医科歯科幹部候補生課程は6週間の教育期間となる。卒業後、3等海尉(大学院卒及び医科歯科幹部候補生は2等海尉)に任官する。
海軍兵学校の生徒館を校舎の一部として使用している他、分隊対抗のカッター競技である「総短艇」の実施など海軍兵学校の伝統が継承されているといわれている。また、一般幹部候補生課程は同期間の連携を重視する旧海軍の伝統に基づき、防衛大学校出身者と一般大学等出身者とを混合した教育を行っている。
自衛隊の中でも規律に厳しいためかつては『気違い部落』と呼ばれていたという[1]。
アメリカ海軍からも連絡官(2011年時点では大尉[3])が派遣されている。
沿革
- 1953年(昭和28年)6月1日:第1期幹部候補生教育が警備隊横須賀地方総監部において開始。
- 1956年(昭和31年)1月16日:海上自衛隊術科学校が江田島に移転。
- 1957年(昭和32年)5月10日:海上自衛隊幹部候補生学校が新設。
組織編成
- 総務課
- 教育部(教育部長は学生隊長を兼務する場合がある)
- 学生隊
- 学生隊本部
- 第1学生隊
- 第2学生隊(第2学生隊長は第3学生隊長を兼務)
- 第3学生隊
- 主任教官(4人)[注 3]
- 学校教官[注 3]
- 米海軍連絡官(米国海軍連絡官は普通学科教官(英語、米海軍事情)を兼務)
主要幹部
官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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海上自衛隊幹部候補生学校長 | 海将補 | 南孝宜 | 2018年 | 8月 1日防衛監察本部監察官 |
副校長 | 1等海佐 | 永井一成 | 2017年 | 8月 1日海上幕僚監部総括副監察官 |
教育部長 兼 主任教官 |
1等海佐 | 久保健昭 | 2018年 | 8月 1日第3護衛隊司令 |
学生隊長 | 1等海佐 | 平井克英 | 2018年 | 3月30日第4護衛隊群司令部首席幕僚 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
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1 | 魚住順治 | 1957.5.10 1958.1.15 |
海機37期・ 海大機関学生 |
海上幕僚監部技術部附神戸駐在 →1957.3.1 海上自衛隊術科学校付 |
海上自衛隊術科学校横須賀分校長 | |
2 | 杉江一三 | 1958.1.16 1959.3.31 |
海兵56期・ 海大37期 |
自衛艦隊幕僚長 兼 第1護衛隊群幕僚 |
自衛艦隊司令部附 →1959.7.1 第1護衛隊群司令 |
|
3 | 續 平 | 1959.4.1 1960.8.31 |
海機40期・ 海大機関学生 |
海上幕僚監部総務部総務課長 →1959.3.17 幹部候補生学校附 |
海上自衛隊第2術科学校長 | 就任時1等海佐 1959.8.1 海将補 |
4 | 佐藤文雄 | 1960.9.1 1962.1.15 |
海兵59期 | 海上自衛隊幹部学校副校長 | 第2護衛隊群司令 | 就任時1等海佐 1961.12.31 海将補 |
5 | 瀧川孝司 | 1962.1.16 1962.9.30 |
海兵59期 | 第2護衛隊群司令 | 練習艦隊司令官 | |
6 | 市來崎秀丸 | 1962.10.1 1964.1.15 |
海兵58期 | 海上幕僚監部調査部長 →1962.7.1 幹部学校付 |
海上自衛隊第1術科学校長専任 ※1963.7.1から第1術科学校長兼任 |
|
7 | 佐藤文雄 | 1964.1.16 1964.12.15 |
海兵59期 | 第2護衛隊群司令 | 大湊地方総監 | 再任 |
8 | 岡本晴年 | 1964.12.16 1965.12.15 |
海兵60期 | 教育航空集団司令 | 航空集団司令官 | 1965.7.1 海将 |
9 | 伍賀守雄 | 1965.12.16 1966.4.29 |
海兵61期 | 練習艦隊司令官 →1965.11.16 自衛艦隊司令部付 |
海上幕僚副長 | 1966.1.1 海将 |
10 | 富田敏彦 (海将) |
1966.4.30 1966.6.30 |
海兵59期 | 海上自衛隊第1術科学校長専任 | 兼補解除 | |
11 | 堀江文彦 | 1966.7.1 1968.3.31 |
海機42期 | 統合幕僚会議事務局 第4幕僚室長 |
舞鶴地方総監 | 1967.1.1 海将 |
12 | 筑土龍男 | 1968.4.1 1968.12.30 |
海兵63期 | 統合幕僚会議事務局 第5幕僚室長 |
呉地方総監 | |
13 | 大川秀四郎 | 1968.12.31 1969.12.31 |
海兵64期 | 練習艦隊司令官 →1968.11.16 呉地方総監部付 |
海上自衛隊第1術科学校長 | 1969.7.1 海将 |
14 | 本村哲郎 (海将) |
1970.1.1 1972.3.15 |
海兵65期 | 練習艦隊司令官 →1969.12.1 呉地方総監部付 |
海上幕僚副長 | |
15 | 今井梅一 (海将) |
1972.3.16 1973.6.30 |
海兵67期 | 練習艦隊司令官 →1971.12.16 海上幕僚監部付 |
舞鶴地方総監 | |
16 | 石榑信敏 (海将) |
1973.7.1 1974.12.4 |
海兵68期 | 練習艦隊司令官 →1972.12.16 海上幕僚監部付 |
舞鶴地方総監 | |
17 | 香取頴男 | 1974.12.5 1976.11.30 |
海兵70期 | 海上幕僚監部調査部長 | 呉地方総監 | 1975.3.17 海将 |
18 | 小松崎正道 (海将) |
1976.12.1 1978.3.15 |
海兵72期 | 海上幕僚監部調査部長 | 呉地方総監 | |
19 | 松井 操 (海将) |
1978.3.16 1979.3.21 |
海兵73期 | 海上幕僚監部監察官 | 大湊地方総監 | |
20 | 中川英二 (海将) |
1979.3.22 1980.10.6 |
海機54期 | 調達実施本部副本部長 (調達管理第一担当) |
退職 | |
21 | 藤川常夫 (海将) |
1980.10.7 1981.6.30 |
海兵75期 | 海上幕僚監部調査部長 | 潜水艦隊司令官 | |
22 | 田村 豊 (海将) |
1981.7.1 1982.6.30 |
海兵75期 | 在米大使館参事官兼海将補 →1981.5.29 海上幕僚監部付 |
海上自衛隊幹部学校長 | |
23 | 佐藤英夫 (海将) |
1982.7.1 1983.12.19 |
海兵76期 | 海上幕僚監部総務部長 →1982.1.11 海上幕僚監部付 |
呉地方総監 | |
24 | 岡田 憲 | 1983.12.20 1984.12.16 |
海保大1期・ 4期幹候 |
練習艦隊司令官 | 舞鶴地方総監 | 1984.5.7 海将 |
25 | 鈴木 眞 | 1984.12.17 1987.3.26 |
日大・ 2期幹候 |
横須賀地方総監部幕僚長 | 退職 | 1985.7.1 海将 |
26 | 伊藤達二 | 1987.3.27 1988.7.6 |
防大2期 | 第1航空群司令 | 海上自衛隊幹部学校長 | |
27 | 手塚正水 | 1988.7.7 1989.8.30 |
防大3期 | 第1護衛隊群司令 →1988.3.16 海上幕僚監部付 |
舞鶴地方総監 | |
28 | 佐々木邦秀 | 1989.8.31 1990.7.8 |
防大3期 | 第21航空群司令 | 退職 | |
29 | 内田 徹 | 1990.7.9 1993.3.31 |
防大4期 | 海上幕僚監部監理部長 | 退職 | |
30 | 松村清人 | 1993.4.1 1995.3.22 |
防大6期 | 第1航空群司令 | 退職 | |
31 | 功刀正文 | 1995.3.23 1997.3.22 |
防大9期 | 第21航空群司令 | 横須賀地方総監部幕僚長 | |
32 | 勝山 拓 | 1997.3.23 1999.3.28 |
防大12期 | 練習艦隊司令官 | 海上幕僚監部装備部長 | |
33 | 尾崎通夫 | 1999.3.29 2001.1.10 |
防大13期 | 海上自衛隊幹部学校副校長 | 大湊地方総監 | |
34 | 半田謙次郎 | 2001.1.11 2002.3.21 |
防大17期 | 第5航空群司令 | 海上幕僚監部人事教育部長 | |
35 | 保井信治 | 2002.3.22 2004.8.29 |
防大16期 | 練習艦隊司令官 →2001.12.3 海上幕僚監部付 |
護衛艦隊司令官 | |
36 | 松岡貞義 | 2004.8.30 2006.3.26 |
防大18期 | 第31航空群司令 | 大湊地方総監 | |
37 | 柴田雅裕 | 2006.3.27 2007.7.3 |
名工大・ 27期幹候 |
練習艦隊司令官 →2005.12.5 海上幕僚監部付 |
掃海隊群司令 | |
38 | 宮﨑行隆 | 2007.7.4 2009.1.29 |
防大20期 | 第3護衛隊群司令 | 海上自衛隊第1術科学校長 | |
39 | 野井健治 | 2009.1.30 2010.3.29 |
防大20期 | 第5航空群司令 | 退職 | |
40 | 堂下哲郎 | 2010.3.30 2011.8.4 |
防大26期 | 第3護衛隊群司令 | 防衛監察本部監察官 | |
41 | 坂田竜三 | 2011.8.5 2012.7.25 |
防大26期 | 統合幕僚監部指揮通信システム部長 | 横須賀地方総監部幕僚長 | |
42 | 池 太郎 | 2012.7.26 2014.12.14 |
防大27期 | 舞鶴地方総監部幕僚長 | 教育航空集団司令官 | |
43 | 杉本孝幸 | 2014.12.15 2016.3.22 |
防大29期 | 防衛監察本部監察官 | 横須賀地方総監部幕僚長 | |
44 | 真殿知彦 | 2016.3.23 2017.8.7 |
防大33期 | 第2航空群司令 | 統合幕僚監部防衛計画部副部長 | |
45 | 齋藤 聡 | 2017.8.8 2018.7.31 |
防大33期 | 護衛艦隊司令部幕僚長 | 海上幕僚監部防衛部長 | |
46 | 南 孝宜 | 2018.8.1 |
防大29期 | 防衛監察本部監察官 |
不祥事
幹部候補生学校に入校していた36歳の男性海曹長が、2013年7月中旬頃に同期の20歳代の男性の顔面を殴るなどした。他にもこの海曹長は、被害男性に対し人格否定の暴言や暴力を繰り返していたとされ、他に暴力行為などで4度の処分歴があったとされる。被害男性はこれらが元で鬱状態となり、自殺未遂事件も起こすなどし、最終的には退校を余儀無くされた。警務隊は加害者の海曹長を呉区検に暴行容疑で書類送検(その後不起訴)し、減給10分の1の懲戒処分としたが、「職務に関連しない私的行為であり、この場合は停職以上に限り公表する」などを理由として、2014年3月10日に報道されるまで公表していなかった[7]。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 伊藤祐靖-分隊長がお呼びだ - 伊藤祐靖
- ↑ 幹部候補生学校:学校紹介【施 設】
- ↑ 幹部候補生学校 米海軍連絡官について
- ↑ 4.0 4.1 “海上自衛隊幹部候補生学校の組織に関する訓令 (PDF)”. . 2013閲覧.
- ↑ “海上自衛隊幹部候補生学校/教育/教官室紹介”. . 2013閲覧.
- ↑ “海上自衛隊幹部候補生学校/教育/教官室紹介/普通学科”. . 2013閲覧.
- ↑ 書類送検:海自幹部候補生の暴行暴言受け同期生自殺未遂 毎日新聞 2014年3月10日
関連項目
外部リンク