日本橋大伝馬町
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日本橋大伝馬町 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度46分43.16秒北緯35.689639度 東経139.7786556度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1] | |
- 計 | 1,376人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 103-0011[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋大伝馬町(にほんばしおおでんまちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区にあたる日本橋地域内である。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は103-0011[2]。
概要
江戸最古の町のひとつであり、最大のメイン通りである日光・奥州街道で賑わいを見せた町で、神田祭などの筆頭氏子町会として山車を引いたことで知られる。現在はオフィス等連なる町並みで、べったら市などでにぎわいを見せる街である。
江戸最大の繊維問屋街として名をはせるようになり、往時「木綿店」と通称された一角には、江戸時代には木綿問屋が74軒あり、その中でも6割以上が伊勢国(現在の三重県)の店が占め、かつ松坂出身の店が多くあった。また多数が戦後まで軒を並べていた。
地理
日本橋地域の北部に位置する。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
日本橋大伝馬町 | 814世帯 | 1,376人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 中央区立日本橋小学校 | 中央区立日本橋中学校 |
地域
観光
- 日光・奥州街道 - 大伝馬本町通りが該当。
- 蔦屋耕書堂 - 地本問屋で主人は蔦屋重三郎。 1773年(安永2年)、重三郎は吉原大門の前に書店を開き、はじめは吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の販売、出版から出版業に関わって、山に蔦の印の箱看板を出していて、蔦重〔つたじゅう〕と呼ばれていた。1783年(天明3年)に日本橋大伝馬町に移転してきた。 山東京伝、馬琴、一九などの作家や絵師をかかえていた。 浮世絵を出版し、 歌麿と写楽を見いだした。1802年に出版された北斎の『絵本東都遊』に店先の様子が描かれている。
交通
- 大伝馬本町通り
- 人形町通り
関連項目
脚注
外部リンク
- 中央区ホームページ
- 日本橋小舟町地区 町名の由来 - 中央区ホームページ内
- 大伝馬町[人形町・浜町エリア]- 中央区観光協会
- 大伝馬町 - 古今・お江戸日本橋 日本橋”町”物語