大石田町
大石田町(おおいしだまち)は、山形県の北東にある人口約8千人の町。北村山郡に属する唯一の自治体。
Contents
地理
町の東部、最上川の流域に発展した町で、役場や中心商店街も河川のすぐそばにある。町の西南の端に葉山がある。
歴史
かつては最上川の舟運で栄えた。延喜式によると、多賀城と秋田城とを結ぶ街道沿いに「野後駅」という駅があったが、その場所は長年、尾花沢市を含む北村山郡内のいずれかではないかと推定されていたが、詳しい場所は分からなかった。近年、町北部の最上川沿いにある「駒籠楯跡」において、掘立柱建物の遺構群が発見され、発掘調査を行っている山形県教育委員会では、この遺跡が「野後駅」であった可能性が高いとしている。[1]
大石田の南には、碁点、隼、三ヶ瀬の最上川三難所があり、物資を安全に運ぶためには、大石田河港で陸揚げし、三難所を避けて陸路運ぶ方がリスクが少なく、確実であった。舟運で上流部に運ぶ場合でも、三難所があるため、酒田港からの大型の川舟はここまでしか入れず、三難所を越えるために小型の舟に積み替える必要があり、いずれにしても大石田河港に舟を着けなければならなかった。そのため、大石田は最上川の港としては最大の物資の集積地として繁栄した。天領であり、大石田川船役所が置かれた。その輸送路は山形県村山地方や置賜地方のみならず、奥羽山脈を越えて仙台藩にまで至り、仙台城下に上方の物資をもたらした。
一方、最上川の対岸に当たる横山と田沢は新庄藩の飛び地であった。新庄藩の立藩から幕末まで一貫して新庄藩領であり、横山番所が置かれた。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行、大石田村、亀井田村、大高根村が成立。
- 大石田村 ← 大石田村,今宿村
- 亀井田村 ← 海谷村,岩ヶ袋村,鷹巣村,川前村,豊田村,駒籠村,大浦村,次年子村
- 大高根村 ← 横山村,田沢村,富並村,山内村,白鳥村
- 1897年(明治30年)1月23日 - 町制施行、大石田村より大石田町となる。
- 1901年(明治34年)5月1日 - 大高根村より、大字横山・田沢が横山村として分立。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 大石田町、亀井田村、横山村が合併し、大石田町となる。
行政
- 町長:庄司喜与太(しょうじ きよた、 2011年11月13日 - 1期目)
隣接する尾花沢市との合併が協議されて新市名公募をし、「はながさ市」という名前まで決まっていたが、2005年(平成17年)2月13日に大石田町で行われた住民投票の結果、合併反対が多数だったため合併を断念し、2005年(平成17年)3月31日合併協議会も解散した。
経済
産業
郵便局
- 大石田郵便局 (集配局)
- 亀井田郵便局
- 小菅簡易郵便局
- 次年子簡易郵便局
金融機関
姉妹都市
地域
人口
大石田町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
教育
- 中学校
- 小学校
大石田町立大石田小学校 大石田町立大石田北小学校 大石田町立大石田南小学校
- 社会教育
- 大石田町立歴史民俗資料館
- 歴史資料、文化資料、町にゆかりのある美術品などを収蔵展示する資料館。
- 統合中学校の開校
大石田第一中学校と亀井田中学校との統合中学校が平成22年4月1日に「大石田町立大石田中学校」として開校となった。旧大石田高校の解体作業が終了している。
交通
空港
鉄道路線
路線バス
- 山交バス
- 尾花沢市営バス
道路
観光ほか
- 大石田まつり
- 大石田まつりは、町のメインストリートで、船曳きが行われ、神輿がパレードを組む夏祭り。その後、付近の最上川河川敷きで灯篭流しがあり、続けて大花火大会に移行する。
- 最上川大花火大会
- 会場となる最上川の河川敷はそれほど広くはないが、観客席と、対岸の花火の打ち上げ地点の距離が近いため、大音響と触れられるほど近い火花は迫力がある。
- あったまりランド深堀
- 大石田ゴルフクラブ
- 大石田そば街道
エピソード
- 1982年7月22日、福祉会館でTBSテレビ「ザ・ベストテン」の中継があり、細川たかしが『北酒場』を披露した(第6位)。夜遅い時間帯であったにもかかわらず、福祉会館には多くの町民が集まった。(当時山形県にはTBS系列の民放局は開局しておらず、隣県の東北放送がその中継に関わったと思われる)
出身有名人
- 柴崎芳太郎{陸地測量部陸地測量官(1876年(明治9年)8月13日 - 1938年(昭和13年)1月29日)}
- 小松均、日本画家(1902年(明治35年)1月19日 - 1989年(平成元年)8月23日)
- 旧亀井田村出身。国の文化功労者。大石田町の名誉町民。
脚注
外部リンク