大多亮
大多 亮(おおた とおる、1958年11月3日 - )は、テレビドラマプロデューサー・映画プロデューサー、フジテレビジョン常務取締役。元・フジ・メディア・ホールディングス取締役。ポニーキャニオンおよび共同テレビジョンの取締役を兼務している。
Contents
人物
トレンディドラマというジャンルを確立したプロデューサーのひとりで、視聴率30%を超えるヒットドラマを多数手がけている[1]。大多が率いていたフジテレビジョン制作1部「大多班」は、編成制作局の中ではドラマ制作部門で、最大勢力を誇っていた。
『愛という名のもとに』の登場人物・倉田篤(チョロ)が最終回を前にして死んだのは視聴率のため、ヒットの鉄則は『時代を追いかけないこと』(著書『ヒットマン』参照)と著書に書くなど、ヒットへの執念を感じさせる面がある。
俳優個人との付き合い、マンツーマンのキャスティングが得意。そのためか、『東京ラブストーリー』放映前後の一時期に主演の鈴木保奈美と不倫関係にあり、同著にて「保奈美をいとおしく思えた」と述懐している。
高校時代に同級生だった小室哲哉とは現在まで親交があり、大多が手がけたドラマの音楽を小室が担当したこともある。小室曰く「ドラマのロケーション現場にできた曲をどんどん持っていって流しながら撮影し、編集も1小節に添ったカット割りになっている程音楽にこだわる人」と称している[2]。
『パパはニュースキャスター』(TBS)で松澤一之が演じた報道記者の役名は大多亮[注 1]であるが、これは親交のある脚本家の伴一彦が大多の名前を拝借して名付けたものである[3]。尚、モデルとなった大多自身もフジテレビ入社当時は報道記者であった。
イタリアで全編ロケされた映画『アマルフィ 女神の報酬』では企画とプロデューサーを務めたが、映画公開直前の2009年6月26日にドラマ制作センターからデジタルコンテンツ局長へ異動になった。その後、デジタルコンテンツ局とライツ開発局の統合により新設されたクリエイティブ事業局の局長に就任。
フジテレビCS放送初の連続ドラマ「ニュース速報は流れた」を製作。また、「イマつぶ」、「見参楽」の開始やYouTubeとの提携など、フジテレビのインターネットビジネスを主導した。
2011年、ジュピターエンタテインメントより同社が運営する女性向け専門チャンネル「LaLa TV」(現「女性チャンネル♪LaLa TV」)のリニューアルを依頼を受け[4]、かつて大多の元でプロデューサーを務めた栗原美和子をエクゼクティブプロデューサーに就任させるとともに、フジテレビのCS放送「フジテレビTWO」(現「フジテレビTWO ドラマ・アニメ」)とのコラボレーションを実施。大多自らも出演した「トレンディドラマの裏側全て語っちゃいますSP!」が両チャンネルで放送された。また、2012年2月より1年間にわたり、フジテレビTWOにて「フジテレビTWO×LaLaTV トレンディドラマ フェスティバル 大多亮セレクション」が放送されている。
フジ・メディア・ホールディングスの取締役[7]。
2013年6月より編成制作局長を兼任も1年で役目を終えた。2014年6月27日より編成制作局長は小川晋一に交代。さらに翌15年6月には、編成制作の担務を外れる[8]。
2017年6月28日の株主総会を以て、フジ・メディア・ホールディングスの取締役を退任。以降はフジテレビ常務取締役に専念する。
略歴
- 1977年、早稲田実業学校高等部卒業。同窓に小室哲哉がいる
- 1981年、早稲田大学教育学部卒業後フジテレビ入社。報道局に配属。社会部警視庁クラブなど担当。
- 1986年、広報局広報部から第一制作部(現ドラマ制作センター)へ異動。
- 1990年代、ドラマ制作において『踊る大捜査線』の亀山千広と双璧をなし、フジテレビドラマの高視聴率を支えた。
- 2002年、編成制作局次長に就任。
- 2004年度の月9ドラマを企画・プロデュース。
- 2005年1月、演劇『歩兵の本領 soldier's mind』を企画し、初めて舞台演劇に携わった。
- 2006年6月、編成制作局ドラマ制作担当局長に就任。
- 2006年8月7日、『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)にラジオ初出演。『シュガー&スパイス~風味絶佳~』の宣伝とコラボドラマ(『青春★ENERGY』2006年9月20日放送)を持ちかけた。
- 2007年6月、執行役員編成制作局ドラマ制作担当局長に就任。
- 2009年6月26日、23年間携わったドラマ制作センターから離れ、デジタルコンテンツ局長に就任。
- 2010年6月、クリエイティブ事業局長に就任。
- 2011年6月、ポニーキャニオンの取締役に就任。
- 2012年6月、フジテレビジョン常務取締役(編成制作・美術制作担当)、フジ・メディア・ホールディングス取締役、および共同テレビジョンの取締役に就任。
- 2013年6月、常務取締役(編成制作・映画事業・コンテンツ事業担当)・編成制作局長に就任。
- 2014年6月、常務取締役(編成制作・国際担当)に就任。
- 2017年6月、フジ・メディア・ホールディングス取締役を退任。
テレビドラマ
1988年
1989年
1990年代
- 世界で一番君が好き!(1990年)
- 恋のパラダイス(1990年)
- 恋の熱帯低気圧(1990年)
- バラ色の人生 (1990年)
- すてきな片想い(1990年)
- 東京ラブストーリー(1991年)
- 101回目のプロポーズ(1991年)
- ハイレグクイーンロマンス ピットに賭ける恋!(1991年)
- 家族の食卓「進級テスト」(1992年)
- 愛という名のもとに(1992年)
- 親愛なる者へ(1992年)
- 二十歳の約束(1992年)
- お願いダーリン!(1993年)
- ひとつ屋根の下(1993年)
- 素晴らしきかな人生(1993年)
- 瀬戸内少年野球団(1993年)
- この世の果て (1994年)
- グッドモーニング(1994年)
- 妹よ(1994年)
- 僕らに愛を!(1995年)
- いつかまた逢える(1995年)
2004年
企画
- 時には母のない子のように(1988年)
- 最高の片想い(1995年)
- 僕が僕であるために(1997年)
- 抱きしめたい!世紀末スペシャル(1999年)
- 慎吾ママドラマスペシャル 「おっはー」は世界を救う!(2000年)
- 27時間テレビドラマスペシャル 父さん(2000年)
- 慎吾ママドラマスペシャル ミッキーも一緒♥「おっはー」は世界を救う!2(2001年)
制作
制作統括
ドラマ制作センター時代
- 空から降る一億の星(2002年)
- Dr.コトー診療所シリーズ(2003年、2006年)
- 白い巨塔(2003年)
- 太閤記 サルと呼ばれた男(2003年12月27日)
- 徳川綱吉 イヌと呼ばれた男(2004年12月28日)
- 女の一代記(2005年11月24日 - 26日)
- ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜(2006年5月26日 - 27日)
- 黒部の太陽(2009年3月21日 - 22日)
デジタルコンテンツ局長・クリエイティブ事業局長時代
- ニュース速報は流れた(2009年)
- わが家の歴史(2010年春、フジテレビ開局50周年企画)
- TOKYO コントロール(2011年)
- シークレットガールズ(2011年、2012年。見参楽、『ちゃお』(小学館)付録DVD)
- 恋なんて贅沢が私に落ちてくるのだろうか?(2012年)
- オリエント急行殺人事件(2015年、制作)
映画
- ヒーローインタビュー(1994年)
- バースデイプレゼント(1995年)
- 冷静と情熱のあいだ(2001年)
- チェケラッチョ!!(2006年)
- シュガー&スパイス 風味絶佳(2006年)
- スマイル 聖夜の奇跡(2007年)
- 容疑者Xの献身(2008年)
- アマルフィ 女神の報酬(2009年)
著書・参考文献
- 『ヒットマン―テレビで夢を売る男』 (角川書店刊、1996年6月発売、ISBN 4048527029)
脚注
注
- ↑ フルネームはスペシャル版での役名であり、レギュラー版での役名は「大多記者」であった。
出典
- ↑ “フジテレビ、亀山新体制でも視聴率回復は遠い?過去の遺産頼み、社内から疑問の声も…”. ビジネスジャーナル. (2013年5月23日) . 2013閲覧.
- ↑ 立東社刊『KB special』1993年1月号22Pより。
- ↑ 伴一彦@sacaban - Twitter
- ↑ “「より焦点を絞った女性向けchに…」、来年1月にLaLa TVを大幅刷新”. 日経ニューメディア. (2011年11月17日) . 2013閲覧.
- ↑ “テレビのヨミカタ 2012年度四半期視聴率でも低迷が続くフジテレビ。凄腕プロデューサー・大多亮氏の大抜擢人事で、3冠返り咲きはなるか!?”. 現代ビジネス. (2012年8月18日) . 2013閲覧.
- ↑ “テレビのヨミカタ フジテレビは本当に「ドラマでうなぎ登り」となるか!? 元花形プロデューサー・大多亮氏が手掛けた4月改編の成否”. 現代ビジネス. (2013年5月15日) . 2013閲覧.
- ↑ “平成24年3月期 決算短信 日本基準(連結) (PDF)”. 株式会社フジ・メディア・ホールディングス (2012年5月15日). . 2013閲覧.
- ↑ “わずか就任2年でポイ 激震フジ(メディア・ホールディングス)かくて社長のクビが飛ばされた「天皇」日枝久会長を直撃!”. 週刊現代. 現代ビジネス. (2015年6月4日) . 2015-6-7閲覧.