多気城 (下野国)
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多気城 (栃木県) | |
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別名 | 多気山城[1]、御殿山[2] |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 不詳[3][2] |
築城年 | 不詳[3][2] |
主な城主 | 多気兵庫守、宇都宮氏 |
廃城年 | 1597年(慶長2年) |
遺構 | 本丸、土塁、堀[2] |
指定文化財 | 市指定文化財 |
位置 | |
地図 |
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多気城(たげじょう)は、現在の栃木県宇都宮市田下町にあった中世の日本の城(山城)である。宇都宮氏の城だった。別名は多気山城[1]。
歴史・沿革
古くは1472年(文明4年)に多気兵庫守の居城だったという記録がある[4]。一方、その築城に関しては1576年(天正4年)に築城されたとの記録もある[5]。いずれも明らかな記録ではなく、築城時期や築城者は不明とされている[1]。 尚、1576年に上高根沢城主高根沢信濃守、下高根沢城主平八郎、弥八郎、栗賀島城主直井淡路守、小和久保城主矢口筑前守、石居城主野沢若狭守らが入城している。[6] 戦国時代末期、宇都宮氏は南に台頭する北条氏、北にこれに乗ずる日光山僧兵の侵略に晒されていた。本拠の宇都宮城は平城で防御に不向きだった為、宇都宮国綱は宇都宮城を玉生美濃守に託し多気城を改修して拠点とした。小田原征伐に続く宇都宮仕置で領土が安堵され、再び宇都宮城に本拠を戻している[1]。
1597年(慶長2年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった[1]。
現在の状況
現在の多気城跡には不動寺(多気山不動尊)がある。また、曲輪・土塁・空堀が良好に現存する。