ラトロイ・ホーキンス
ラトロイ・ホーキンス(LaTroy Hawkins , 1972年12月21日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
Contents
経歴
プロ入りとツインズ時代
1991年のMLBドラフトでミネソタ・ツインズから7巡目(全体180位)指名され、6月7日に契約。この年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズで11試合に登板し、4勝3敗・防御率4.75だった。
1992年はルーキー級ガルフ・コーストリーグとアパラチアンリーグのルーキー級エリザベストン・ツインズでプレー。ルーキー級エリザベストンでは5試合に登板し、0勝1敗・防御率3.38だった。
1993年はA級フォートウェイン・ウィザーズで26試合に登板し、15勝5敗・防御率2.06だった。
1994年はA+級フォートマイヤーズ・ミラクルとAA級ナッシュビル・エクスプレス、AAA級ソルトレイク・バズでプレー。AAA級ソルトレイクでは12試合に登板し、5勝4敗・防御率4.08だった。
1995年4月20日にツインズとメジャー契約を結び、4月29日のボルチモア・オリオールズ戦で先発起用されメジャーデビュー。1.2回を7安打7失点と打ち込まれ、メジャー初黒星を喫した。その後は2試合に登板したが、3連敗を記録し、5月11日にAAA級ソルトレイクへ降格。AAA級ソルトレイクでは22試合に登板し、9勝7敗・防御率3.55だった。9月16日にメジャーへ再昇格。9月18日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦のダブルヘッダー2試合目で先発し、5.2回を10安打4失点だったが、10点の援護もあり、メジャー初勝利を挙げた。この年は6試合に登板し、2勝3敗・防御率8.67だった。
1996年2月9日にツインズと1年契約に合意。開幕から先発ローテーションに加わったが、7試合の登板で1勝1敗・防御率8.20と結果を残せず、5月14日にAAA級ソルトレイクへ降格した。降格後はAAA級ソルトレイクで20試合に登板し、9勝8敗・防御率3.92だった。9月8日にメジャーへ再昇格したが、登板のないままシーズンを終えた。
1997年3月3日にツインズと1年契約に合意。3月26日にAAA級ソルトレイクへ異動し、そのまま開幕を迎えた。AAA級ソルトレイクでは14試合に登板し、9勝4敗・防御率5.45だった。6月17日にメジャーへ昇格。昇格後はシーズン終了までローテーションを守り、20試合に登板。6勝12敗・防御率5.84だった。
1998年3月2日にツインズと1年契約に合意。この年はチーム最多の33試合に先発し、前年を上回る7勝を挙げたが、チームワーストタイの14敗[1]を記録し、防御率は5.25だった。
1999年3月2日にツインズと2年契約を結んだ。この年もチーム最多の34試合に先発。初の二桁勝利となる10勝を挙げたが、前年と同じくチームワーストタイの14敗[2]を記録、防御率は6.66だった。
2000年はマーク・レッドマン、ジョー・メイズのメジャー定着もあり、リリーフに転向。クローザーとして66試合に登板し、2勝5敗14セーブ・防御率3.39だった。
2001年2月20日にツインズと2年契約(2003年の球団オプション付き)を結んだ。この年もクローザーとして登板していたが、救援失敗が続き、終盤はクローザーの座をエディ・グアダードに奪われた。この年は62試合に登板し、1勝5敗28セーブ・防御率5.96だった。
2002年はクローザーにグアダードが指名され、ホーキンスはセットアッパーへ転向した。この年は65試合に登板し、6勝0敗・防御率2.13だった。オフの10月28日にツインズが球団オプションを行使した[3]。
2003年はチームトップで自己最多の74試合に登板し、9勝3敗2セーブ・防御率1.86だった。オフの10月27日にFAとなった。
カブス時代
2003年12月3日に小さい頃からファンだった[4]シカゴ・カブスと総額1100万ドルの2年契約(2006年の選手側選択オプション付き)を結んだ[5][6]。
2004年はセットアッパーとして開幕を迎えたが、6月にクローザーのジョー・ボロウスキーが故障で離脱。代役としてホーキンスがクローザーに起用された。この年は前年の74登板を上回る、チーム最多の77試合に登板。5勝4敗25セーブ・防御率2.63だった。
2005年もボロウスキーが故障のため、クローザーとして登板していたが、5月に入ると救援失敗が続き、セットアッパーへ配置転換された。カブスでは21試合に登板し、1勝4敗4セーブ・防御率3.32だった。
ジャイアンツ時代
2005年5月28日にジェローム・ウィリアムズ、デビッド・アーズマとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍[7]。リリーフとしてリグレー・フィールドで登板した際は、スタジアム全体からカブスファンの"Hawkins sucks"(「ホーキンス最低」)という合唱が起こった。移籍後は4試合に登板していたが、6月17日に尺骨神経の故障で15日間の故障者リスト入りした。7月4日に復帰。復帰後はセットアッパーとして定着し、ジャイアンツでは45試合に登板。1勝4敗2セーブ・防御率4.10だった。オフの10月27日にホーキンスが選択権を持つ、プレイヤー・オプションを行使した[8]。
オリオールズ時代
2005年12月6日にスティーブ・クラインとのトレードで、ボルチモア・オリオールズへ移籍した[9]。
2006年は開幕からリリーフとして定着し、60試合に登板。3勝2敗・防御率4.48だった。オフの10月30日にFAとなった。
ロッキーズ時代
2006年12月5日にコロラド・ロッキーズと350万ドルの1年契約(2008年の相互選択オプション付き)を結んだ[10][11]。
2007年は開幕からセットアッパーとして起用されていたが、4月24日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[12]。5月22日に復帰[13]。この年は62試合に登板し、2勝5敗、防御率3.42だった。セットアッパーとして契約したが、4月に故障で離脱したこともあり、ロッキーズが低年俸での契約を求めたため、オフの10月30日に球団側のオプションを破棄した。ホーキンスは「ロッキーズに戻りたい」と話していた[14]が、ホーキンス側もオプションを破棄し、FAとなった。ロッキーズは1年契約を提示していたが、「戻る気はない」とオファーを断った[15]。
ヤンキース時代
2007年12月27日にニューヨーク・ヤンキースと375万ドルの1年契約を結んだ[16][17]。
2008年の開幕当初は、1990年代後半のヤンキース黄金時代を支えた外野手のポール・オニールがつけていた番号で準欠番扱いとなっていた背番号21をつけていた(スプリング・トレーニング時にはモーガン・エンスバーグが着用していたがオニールに配慮し辞退)[18]。そのため、ホーキンスの登板時にファンがブーイングや野次を飛ばしたり、オニールの名前を呼ぶなどの事態が生じたため、4月16日に背番号を22へ変更した[19]。この年はクローザーにマリアノ・リベラ、右のセットアッパーにカイル・ファーンズワースが在籍していたが、前年オフにルイス・ビスカイーノが移籍。ビスカイーノの代役として期待されていたが、33試合に登板し、1勝1敗・防御率5.71と結果を残せず、7月26日にDFAとなった。
アストロズ時代
2008年7月30日にマット・クシックとのトレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した[20]。移籍後はセットアッパーとして24試合に登板し、2勝0敗1セーブ・防御率0.43だった。オフの10月31日にFAとなったが、11月7日にアストロズと350万ドル+出来高の1年契約で再契約した[21]。
2009年開幕前の3月に、第2回WBCのアメリカ合衆国に選出された[22]。
シーズンでは、前年と同じくセットアッパーとして開幕を迎えたが、4月下旬にクローザーのホセ・バルベルデが故障で離脱したため、クローザーへ転向。バルベルデが復帰した6月からはセットアッパーに復帰した。この年は65試合に登板し、1勝4敗11セーブ・防御率2.13だった。オフの11月6日にFAとなった。
ブルワーズ時代
2009年12月16日にミルウォーキー・ブルワーズと総額750万ドル+出来高の2年契約[23]を結んだ[24][25]。
2010年も開幕からセットアッパーとして登板していたが、5月9日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、6月8日に60日間の故障者リストへ異動した[26]。7月29日に復帰し、復帰後は5試合に登板していたが、8月12日に右肩の故障で再び15日間の故障者リスト入りした[27]。その後はいくつかのMRI検査を行い[28]、8月22日にMRIの結果から手術を行うことを決定[29]。8月27日に手術を行い、残りのシーズンを欠場することとなった[30]。この年は故障で18試合の登板にとどまり、0勝3敗・防御率8.44だった。
2011年は前年の手術の影響で、3月27日に15日間の故障者リスト入りした。4月21日に復帰[31]。この年は52試合に登板し、3勝1敗・防御率2.42だった。オフの10月30日にFAとなった。
エンゼルス時代
2011年12月8日にロサンゼルス・エンゼルスと300万ドルの1年契約を結んだ[32]。エンゼルスには同年クローザーを務めた若手のジョーダン・ウォルデンが在籍しているが、ジェリー・ディポートGMは「経験豊富なクローザーのひとりとして期待している」と話した[33]。
2012年もセットアッパーとして開幕ロースター入りしたが、5月7日に右手小指の故障で15日間の故障者リスト入りし[34]、6月9日に復帰。この年は48試合に登板し、2勝3敗1セーブ・防御率3.64だった。オフの10月29日にFAとなった。
メッツ時代
2013年1月31日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[35]。前年クローザーを務めたフランク・フランシスコが故障で離脱したこともあり、3月29日にメッツとメジャー契約を結んだ。その後はリリーフに定着し、8月からクローザーとして起用された。この年は2004年以来の70試合登板となる72試合に登板し、3勝2敗13セーブ・防御率2.93だった。オフの10月31日にFAとなった。
ロッキーズ復帰
2013年11月22日に古巣のロッキーズと225万ドルの1年契約(2015年・225万ドルの球団オプション付き[36])を結んだ[37][38]。
2014年はジェイソン・ジアンビ、ラウル・イバニェスに次ぐ現役3番目の年長選手となった[39]。前年クローザーを務めたレックス・ブラザーズがセットアッパーに復帰し、ホーキンスはクローザーを務めることになった。シーズン最終登板となった9月27日のロサンゼルス・ドジャース戦では、史上12人目となる通算1000登板を果たした[40]。この年は57試合に登板し、4勝3敗23セーブ・防御率3.31だった。オフの10月31日にロッキーズが225万ドルの球団オプションを行使した[41]。
2015年シーズンは、それまでMLB現役最高齢選手だったジアンビ、イバニェスが引退したことにより、現役最高齢選手となった[42]。
ブルージェイズ時代
7月28日、ホセ・レイエス、ミゲル・カストロ、マイナー選手2名とのトレードで、トロイ・トゥロウィツキーとともにトロント・ブルージェイズへ移籍した[43]。ブルージェイズには、全30球団の選手で最年少であるロベルト・オスーナが所属しており、ホーキンスは全30球団の選手で最年長であるため、最年少選手と最年長選手が同時に所属する事となった[44]。
8月5日のツインズ戦で移籍後初セーブを記録し、これによりメジャー史上13人目の全30球団からセーブを挙げた投手となった[45]。ブルージェイズでは18試合に登板して防御率2.76・FIP2.77を記録し、移籍前よりも安定したピッチングを見せた。シーズントータルでは、年齢と同じ42の試合でマウンドに登り、3勝1敗3セーブ・防御率3.26という成績だった。ALCS敗退後の10月25日に自身のインスタグラムで現役引退を表明した[46]。
引退後
2016年9月に第4回WBC予選のブラジル代表コーチを務めた[47]。
詳細情報
年度別投手成績
1995 | MIN | 6 | 6 | 1 | 0 | 1 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 131 | 27.0 | 39 | 3 | 12 | 0 | 1 | 9 | 1 | 1 | 29 | 26 | 8.67 | 1.89 |
1996 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 124 | 26.1 | 42 | 8 | 9 | 0 | 0 | 24 | 1 | 1 | 24 | 24 | 8.20 | 1.94 | |
1997 | 20 | 20 | 0 | 0 | 0 | 6 | 12 | 0 | -- | .333 | 478 | 103.1 | 134 | 19 | 47 | 0 | 4 | 58 | 6 | 3 | 71 | 67 | 5.84 | 1.75 | |
1998 | 33 | 33 | 0 | 0 | 0 | 7 | 14 | 0 | -- | .333 | 840 | 190.1 | 227 | 27 | 61 | 1 | 5 | 105 | 10 | 2 | 126 | 111 | 5.25 | 1.51 | |
1999 | 33 | 33 | 1 | 0 | 0 | 10 | 14 | 0 | 0 | .417 | 803 | 174.1 | 238 | 29 | 60 | 2 | 1 | 103 | 9 | 0 | 136 | 129 | 6.66 | 1.71 | |
2000 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 14 | 7 | .286 | 370 | 87.2 | 85 | 7 | 32 | 1 | 1 | 59 | 6 | 0 | 34 | 33 | 3.39 | 1.34 | |
2001 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 28 | 1 | .167 | 248 | 51.1 | 59 | 3 | 39 | 3 | 1 | 36 | 7 | 0 | 34 | 34 | 5.96 | 1.91 | |
2002 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 13 | 1.000 | 310 | 80.1 | 63 | 5 | 15 | 1 | 0 | 63 | 5 | 0 | 23 | 19 | 2.13 | 0.97 | |
2003 | 74 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 3 | 2 | 28 | .750 | 310 | 77.1 | 69 | 4 | 15 | 1 | 1 | 75 | 5 | 0 | 20 | 16 | 1.86 | 1.09 | |
2004 | CHC | 77 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 25 | 4 | .556 | 333 | 82.0 | 72 | 10 | 14 | 5 | 2 | 69 | 2 | 0 | 27 | 24 | 2.63 | 1.05 |
2005 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 4 | 0 | .200 | 80 | 19.0 | 18 | 4 | 7 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 9 | 7 | 3.32 | 1.32 | |
SF | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 15 | .200 | 167 | 37.1 | 40 | 3 | 17 | 3 | 0 | 30 | 1 | 0 | 18 | 17 | 4.10 | 1.53 | |
'05計 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 6 | 15 | .200 | 247 | 56.1 | 58 | 7 | 24 | 3 | 0 | 43 | 1 | 0 | 27 | 24 | 3.83 | 1.46 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | BAL | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 16 | .600 | 261 | 60.1 | 73 | 4 | 15 | 3 | 0 | 27 | 2 | 0 | 30 | 30 | 4.48 | 1.46 |
2007 | COL | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 17 | .286 | 225 | 55.1 | 52 | 6 | 16 | 1 | 0 | 29 | 2 | 0 | 21 | 21 | 3.42 | 1.23 |
2008 | NYY | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 173 | 41.0 | 42 | 3 | 17 | 3 | 0 | 23 | 2 | 0 | 26 | 26 | 5.71 | 1.44 |
HOU | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 12 | 1.000 | 79 | 21.0 | 11 | 0 | 5 | 1 | 0 | 25 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0.43 | 0.76 | |
'08計 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 12 | .750 | 252 | 62.0 | 53 | 3 | 22 | 4 | 0 | 48 | 3 | 0 | 29 | 27 | 3.92 | 1.21 | |
2009 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 11 | 19 | .200 | 259 | 63.1 | 60 | 7 | 16 | 2 | 2 | 45 | 2 | 0 | 16 | 15 | 2.13 | 1.20 | |
2010 | MIL | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 6 | .000 | 74 | 16.0 | 21 | 2 | 6 | 1 | 2 | 18 | 1 | 0 | 15 | 15 | 8.44 | 1.69 |
2011 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 20 | .750 | 204 | 48.1 | 50 | 1 | 10 | 1 | 0 | 28 | 2 | 0 | 15 | 13 | 2.42 | 1.24 | |
2012 | LAA | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 1 | 6 | .400 | 178 | 42.0 | 45 | 5 | 13 | 1 | 0 | 23 | 0 | 0 | 20 | 17 | 3.64 | 1.38 |
2013 | NYM | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 13 | 12 | .600 | 288 | 70.2 | 71 | 6 | 10 | 2 | 1 | 55 | 1 | 0 | 27 | 23 | 2.93 | 1.15 |
2014 | COL | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 23 | 1 | .571 | 226 | 54.1 | 52 | 3 | 13 | 2 | 0 | 32 | 3 | 0 | 23 | 20 | 3.31 | 1.20 |
2015 | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 2 | 3 | .667 | 89 | 22.1 | 22 | 3 | 4 | 1 | 0 | 20 | 1 | 0 | 9 | 9 | 3.63 | 1.16 | |
TOR | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 73 | 16.1 | 22 | 1 | 3 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 7 | 5 | 2.76 | 1.53 | |
'15計 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 3 | 7 | .750 | 162 | 38.2 | 44 | 4 | 7 | 1 | 0 | 34 | 1 | 0 | 16 | 14 | 3.26 | 1.32 | |
通算:21年 | 1042 | 98 | 2 | 0 | 0 | 75 | 94 | 127 | 184 | .444 | 6323 | 1467.1 | 1607 | 163 | 456 | 35 | 21 | 983 | 70 | 7 | 763 | 702 | 4.31 | 1.41 |
- 各年度の太字はリーグ最高
諸記録
- 通算登板数:1042(歴代10位[48])
- 通算ホールド:187(歴代7位[49])
- Immaculate Inning(3者連続3球三振):1回(2004年9月11日)
背番号
- 32 (1995年 - 2005年、2006年 - 2007年、2010年 - 2015年)
- 23 (2006年)
- 21 (2008年 - 同年途中)
- 22 (2008年途中 - 2009年)
代表歴
コーチ歴
脚注
- ↑ ブラッド・ラドキーとエリック・ミルトンの3人が14敗を記録した。
- ↑ ブラッド・ラドキーが同じく14敗を記録した。
- ↑ “Twins pick up 2003 options on Guardado, Hawkins and Prince”. MLB.com Twins Press Release (2002年10月28日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ 「30球団マンスリー・リポート シカゴ・カブス ウッドと長期契約の方針を表明 FAでは救援右腕ホーキンス獲得」『月刊メジャー・リーグ』 2004年2月号 ベースボール・マガジン社 77頁
- ↑ “Cubs agree to terms with free agent Hawkins”. MLB.com Cubs Press Release (2003年12月3日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Hawkins agrees to sign with Cubs”. ESPN MLB (2003年12月2日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Giants acquire LaTroy Hawkins from Cubs”. MLB.com Giants Press Release (2005年5月28日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Giants exercise 2006 options on Schmidt and Winn”. MLB.com Giants Press Release (2005年10月27日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Giants acquire lefty Kline from Orioles for Hawkins”. ESPN MLB (2005年12月6日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Rockies and right-handed pitcher LaTroy Hawkins agree to a one-year contract”. MLB.com Rockies Press Release (2006年12月5日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Rockies add Hawkins to bullpen”. ESPN MLB (2006年12月5日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Rockies place RHP LaTroy Hawkins on 15-day disabled list; Activate LHP Tom Martin from disabled list”. MLB.com Rockies Press Release (2007年4月24日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Rockies activate RHP LaTroy Hawkins from disabled list; option RHP Darren Clarke to Tulsa”. MLB.com Rockies Press Release (2007年5月22日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Thomas Harding (2007年10月31日). “Rockies to decline option on Hawkins”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Troy E. Renck (2007年12月7日). “Rockies increase offer for Hawkins”. The Denver Post. . December 27, 2014閲覧.
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- ↑ Bryan Hoch (2007年12月28日). “Yanks seal deal with Hawkins”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Saga of No. 21 begins with respect Ensberg defers to O'Neill; Hawkins wears number for Clemente”. The Official Site of The New York Yankees. . 2008年5月7日閲覧.
- ↑ “Yanks reliever Hawkins bows to fans' wishes, will switch to No. 22”. SportsLine.com(CBS). 2008年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2008年5月7日閲覧.
- ↑ “Astros acquire Hawkins from Yankees”. MLB.com Astros Press Release (2008年7月30日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Astros sign Hawkins to one-year deal”. MLB.com Astros Press Release (2008年11月7日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ 2009 Tournament Roster WBC公式サイト英語 2015年9月5日閲覧
- ↑ 2010年は300万ドル、2011年は400万ドルで、契約金は50万ドル。出来高は各年27万5000ドル。
- ↑ “Brewers Sign Free Agent Reliever LaTroy Hawkins”. MLB.com Brewers Press Release (2009年12月16日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Adam McCalvy (2009年12月17日). “Hawkins, Brewers finalize two-year deal”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Adam McCalvy (2010年6月9日). “Riske arrives day after Suppan's release”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Back to DL for Brewers' Hawkins”. MLB.com (2010年8月12日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Hawkins undergoes another MRI on shoulder”. MLB.com (2010年8月21日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Jordan Schelling (2010年8月22日). “Hawkins opts for right shoulder surgery”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
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- ↑ “Brewers activate Hawkins; Morgan on DL”. MLB.com (2011年4月21日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Tony Jackson (2011年12月8日). “Source: Angels, LaTroy Hawkins agree”. ESPN MLB. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Alden Gonzalez, Adam McCalvy (2011年12月8日). “Angels nearing deal with reliever Hawkins”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Hawkins placed on DL; Downs still recovering”. MLB.com (2012年5月8日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ Anthony DiComo (2013年2月1日). “Mets ink reliever Hawkins to Minors deal”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ 違約金は25万ドル。
- ↑ “Rockies sign LaTroy Hawkins to one-year deal”. MLB.com Rockies Press Release (2013年11月22日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “LaTroy Hawkins joins Rockies”. ESPN MLB (2013年11月24日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “2014 Major League Baseball Awards, All-Stars, & More Leaders”. Baseball-Reference.com. . 2017閲覧.
- ↑ Thomas Harding (2014年9月28日). “Hawkins logs 1,000th career appearance”. MLB.com. . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “Rockies exercise team option on RHP LaTroy Hawkins”. MLB.com Rockies Press Release (2014年11月1日). . December 27, 2014閲覧.
- ↑ “2015 Major League Baseball Awards, All-Stars, & More Leaders”. Baseball-Reference.com. . 2017閲覧.
- ↑ Chris Towers (2015年7月28日). “Fantasy analysis: Breaking down the Troy Tulowitzki, Jose Reyes trade” (英語). CBSSports.com . 2015閲覧.
- ↑ 月刊Slugger2015年10月号より
- ↑ “史上13人目の快挙!ブルージェイズ右腕が全球団からセーブを記録”. スポーツニッポン (2015年8月6日). . 2015.8.10閲覧.
- ↑ “LaTroyHawkins32 on Instagram”. Instagram (2015年10月25日). . November 18, 2015閲覧.
- ↑ [1] (英語) 2016年10月25日閲覧
- ↑ “Career Leaders & Records for Games Played”. Baseball-Reference.com. . 2017閲覧.
- ↑ 公式記録となった1999年以降
関連項目
外部リンク
- LaTroy Hawkins stats MiLB.com (英語)
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