ミレトス

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座標: 東経27度16分42秒北緯37.53028度 東経27.27833度37.53028; 27.27833

ファイル:Milet amfiteatr RB.jpg
ミレトスの劇場跡

ミレトス古代ギリシア語: Μίλητος ミレートスラテン語: Miletusトルコ語: Milet)は、エーゲ海をはさんだギリシア本土の対岸、アナトリア半島西海岸(今のトルコアイドゥン県バラト近郊)メンデレス川河口付近にあった町(ギリシア人の植民市)である。青銅器時代から人が住んでいた。タレスなどミレトス学派をうんだことで有名である[1]

現代では海に接していないが、これはメンデレス川の堆積によって湾が埋まってしまったためであり、古代においては港町だった。

紀元前5世紀初頭、イオニアの反乱が起こりペルシアに鎮圧されたが、紀元前334年に、アレクサンドロス3世(大王)によって解放された。

最終的にオスマン帝国が支配して港として利用したが、港が沈泥でふさがれた時、ミレトスは捨てられた。現在、都市の跡は海から約10キロメートル奥にある。

植民

ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは『博物誌』の中で(5.112)、ミレトスは(黒海マルマラ海沿岸に)90もの植民地を作ったと書いている。

例を挙げると、アポロニア(現ソゾポル)、オデッソス(現ヴァルナ)、トミス(現コンスタンツァ)、ヒストリア、ティラス、オルビア(en:Olbia)、パンティカパイオン(現ケルチ)、テオドシア、タナイス、ピティウス(現ピツンダ)、ディオスクリア(現スフミ)、ファシス(現ポティ)、トラペズス(現トラブゾン)、ケラソス(現ギレスン)、コテュオラ(現オルドゥ)、アミソス(現サムスン)、シノペ(現スィノプ)、キュトロス(en:Cytorus)、セサモス(現en:Amasra)、などである。

ミレトス出身の著名な人物

出典

  1. デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.

関連項目