デレック・ベル

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デレック・ベル
基本情報
フルネーム デレック・レジナルド・ベル
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 同・ミドルセックスピナー
生年月日 (1941-10-31) 1941年10月31日(82歳)
F1での経歴
活動時期 1968-1972,1974
所属チーム '68 フェラーリ
'69 マクラーレン
'70,'71,'74 サーティース
'72 テクノ
出走回数 16 (9スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1968年イタリアGP
最終戦 1974年カナダGP
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デレック・ベルDerek Reginald BellMBE 1941年10月31日 - )は、イングランドミドルセックス州ピナー出身の元レーシングドライバーである。ベルはスポーツカーレースで高い成功を収め、ル・マン24時間レースで5勝を挙げた。また、フェラーリサーティーステクノよりF1にも参戦した。

ファイル:Bell, Derek, Brabham F2 1970-05-01.jpg
ウィートクロフトレーシングのブラバム・BT26をドライブするデレック・ベル(ニュルブルクリンク、1970年)
ファイル:Derek Bell 2008 Goodwood.jpg
フェラーリ・312B3 "Spazzaneve"テストカーをドライブするデレック・ベル(グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード、2008年)

農場で育ったベルは、ペイガム湾近郊でオートキャンプ場(caravan site)の経営を手伝い、1964年に継父のバーナード・ヘンダーの勧めによりロータス・セブンでレースを始めた。翌年にはF3へステップアップしロータス・31をドライブした。1966年にロータス・41にマシンを変更すると、グッドウッドサーキットで初勝利を収め、1967年には7勝を挙げることに成功した。1968年、ベルはF2にステップアップし、継父の持つチャーチファームレーシングよりプライベーターとしてブラバム・BT23Cで参戦した。ここでベルは活躍を見せてフェラーリの注目を集め、モンツァでF1デビューを果たした。1969年にはシルバーストンのレースにフェラーリで参戦し、イギリスグランプリにはマクラーレンの4WD車、M9Aで参戦した。M9AのF1参戦はこのレースが唯一であった。

ベルはスティーブ・マックイーン主演の映画、栄光のル・マン1970年)に多くのドライバーとともに出演した。ベルは撮影中に幸運にも難を逃れている。ベルのドライブするフェラーリ・512はあるシーンの撮影に入るところで突然出火した。ベルは車両が炎に包まれる直前に脱出することに成功し、軽い火傷を負っただけで済んだ。車両は大きな損傷を受けたが、後に再生された。

ベルは1970年のヨーロッパF2にも参戦し、マーチをドライブした。1972年にはテクノF1チームよりナンニ・ギャリのチームメートとして参戦した。その後はサーティースチームから何度も参戦したが、スポーツカーレースにおいても高い評価を得た。

ベルはスポーツカー世界選手権タイトルを2度(1985年1986年)獲得し、デイトナ24時間レースでは3勝(1986年、1987年、1989年)し、ル・マン24時間レースでは5勝(1975年、1981年、1982年、1986年、1987年)を挙げている。ベルはポルシェ936956962で参戦した多くのレースでジャッキー・イクスと組んでおり、モータースポーツ史での著名なペアの一つと見なされている。

ベルはモータースポーツへの尽力が認められ、1986年大英帝国勲章MBEを叙勲した。

1996年、ベルはスペクトル・R42プロジェクトのチェアマンに就任したが、プロジェクトは失敗し1997年に解体された。2001年、ベルはベントレーのコンサルタントに就任し、2003年のル・マン24時間レースでの勝利に貢献した。その後ベルはアメリカとボグナーレジスを行き来する生活を送り、F1レースのコメンテーター、ヒストリックイベントでのドライブ、ポルシェの大使役となった。

ベルの息子、ジャスティン・ベルもレーシングドライバーになった。ベル親子は1991年のデイトナ24時間レース、1992年のル・マン24時間レースでチームを組んだ。2008年のデイトナ24時間でもコンビを組んだが、デレックが乗車する前にレースをリタイヤした。


F1での年度別成績

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1968年 フェラーリ 312/68 RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA
Ret
CAN USA
Ret
MEX NC 0
1969年 マクラーレン M9A RSA ESP MON NED FRA GBR
Ret
GER ITA CAN USA MEX NC 0
1970年 ブラバムトム・ホイートクロフト BT26A RSA ESP MON BEL
Ret
NED FRA GBR GER AUT ITA CAN 22位 1
サーティース TS7 USA
6
MEX
1971年 TS9 RSA ESP MON NED FRA GBR
Ret
GER AUT ITA CAN USA NC 0
1972年 マルティーニ (テクノ) PA123 ARG RSA ESP MON BEL FRA
DNQ
GBR GER
Ret
AUT ITA
DNQ
CAN
DNS
USA
Ret
NC 0
1974年 サーティース TS16 ARG BRA RSA ESP BEL MON SWE NED FRA GBR
DNQ
GER
11
AUT
DNQ
ITA
DNQ
CAN
DNQ
USA NC 0
先代:
アンリ・ペスカロロ
ジェラール・ラルース
ル・マン24時間優勝者
1975 with:
ジャッキー・イクス
次代:
ジャッキー・イクス
ジィズ・ヴァン・レネップ
先代:
ジャン・ロンドー
ジャン=ピエール・ジョッソー
ル・マン24時間優勝者
1981 with:
ジャッキー・イクス
次代:
ジャッキー・イクス
デレック・ベル
先代:
ジャッキー・イクス
デレック・ベル
ル・マン24時間優勝者
1982 with:
ジャッキー・イクス
次代:
ヴァーン・シュパン
アル・ホルバート
ハーレイ・ヘイウッド
先代:
クラウス・ルドヴィク
パオロ・バリッラ
"ジョン・ウィンター"
ル・マン24時間優勝者
1986 with:
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
次代:
デレック・ベル
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
先代:
デレック・ベル
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
ル・マン24時間優勝者
1987 with:
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
次代:
ヤン・ラマース
ジョニー・ダンフリーズ
アンディ・ウォレス
先代:
ステファン・ベロフ
スポーツカー世界選手権チャンピオン
1985-1986,
1985: with ハンス=ヨアヒム・スタック
次代:
ラウル・ボーセル

テンプレート:マクラーレン テンプレート:スポーツカー世界選手権ドライバーズチャンピオン