ジョルジュ・サンピエール
ジョルジュ・サンピエール(Georges St-Pierre、1981年5月19日 - )は、カナダの男性総合格闘家。フランス系カナダ人。ケベック州サンティジドール出身。ケベック州モントリオール在住。トリスタージム/ジャクソンズMMA所属。極真カラテ三段、士道館空手道黒帯。ブラジリアン柔術黒帯。元UFC世界ミドル級王者、元UFC世界ウェルター級王者、UFC史上4人目の二階級制覇王者。
名前の頭文字をとって「GSP」とも呼ばれる。爆発的な攻撃力から「ラッシュ」の異名を持ち、MMAとして完成された穴のないファイトスタイルや「ウェルター級最強」と称されるほどの実力とカリスマ性、また、端正なルックスと紳士的な性格から、母国カナダでは英雄のような存在であり、カナダ国外でも絶対的な人気を誇る。総合格闘技におけるパウンド・フォー・パウンド最強の候補としても名前が挙がっている。
Contents
来歴
治安の悪い街サンティジドールに生まれ、幼い頃はいじめに遭い、小遣いを盗まれたり学校で服を脱がされたりした。今でもその時に刃物で斬り付けられた傷跡が体に残っている。護身のために7歳の時に極真空手を学び始めた[1]。空手の先生が死去した後、ブラジリアン柔術、ボクシング、レスリングなど様々な格闘技を学んだ。プロ総合格闘家になる前は、モントリオールのクラブで門番の仕事をしていた。
2002年1月25日、プロデビュー戦となったUCC 7でアイヴァン・メンジバーと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。
2002年6月15日、UCC 10のカナダウェルター級タイトルマッチでジャスティン・ブルックマンと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。
2002年10月11日、UCC 11のカナダウェルター級タイトルマッチでトラビス・ガルブレイスと対戦。サイドポジションから相手の後頭部をマットに叩き付け肘打ちでTKO勝ち。初防衛に成功した。
UFC
2004年
2004年1月31日、UFC初参戦となったUFC 46でカロ・パリジャンと対戦し、3-0の判定勝ち。
2004年10月22日、UFC 50の世界ウェルター級王座決定戦でマット・ヒューズと対戦し、ラウンド終了とほぼ同時に腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。
2005年
2005年4月16日、UFC 52でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ち。UFCに出場したためTKOカナダウェルター級王座を剥奪された[2]。
2005年8月20日のUFC 54ではフランク・トリッグにチョークスリーパーで一本勝ち、11月19日のUFC 56ではショーン・シャークからパウンドでTKO勝ちを収めた。
2006年
2006年3月4日のUFC 58ではUFC世界ウェルター級王座挑戦者決定戦でBJ・ペンと対戦。激闘の末に2-1の判定勝ちを収めた。
2006年9月23日のUFC 63でマット・ヒューズの持つUFC世界ウェルター級王座に挑戦予定だったが、負傷により欠場した。
2006年11月18日、UFC 65のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで王者マット・ヒューズに挑戦。タックルを完封して打撃で圧倒し、最後は左ハイキックからパウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功し、リベンジを果たした。
2007年
2007年4月7日、UFC 69で初防衛戦としてマット・セラと対戦し、1RにパウンドでTKO負けを喫し王座陥落。この試合は後にUFC史上最大の番狂わせの一つと言われた[3]。
2007年8月25日、UFC 74でジョシュ・コスチェックと対戦し、3-0の判定勝ち。
2007年12月29日、UFC 79のUFC世界ウェルター級暫定王座決定戦でマット・ヒューズとラバーマッチを行なう。序盤にクリンチワークからの大外刈りでヒューズからテイクダウンを取り主導権を握ると、終始一方的に攻め、ヒューズにほとんど何もさせないまま、最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2008年
2008年4月19日、地元モントリオールで開催されたUFC 83のUFC世界ウェルター級王座統一戦でマット・セラと再戦。試合開始早々にテイクダウンを奪い、ほぼ一方的にセラを攻め立て、最後はグラウンドでのボディへの膝蹴りによりTKO勝ちを収め王座統一に成功し、リベンジを果たした。8月9日のUFC 87ではジョン・フィッチと対戦し、右ストレートでダウンを奪うなど終始圧倒し続けて3-0の5R判定勝ちを収め初防衛に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
夏から秋にかけてブラジルのグレイシー・バッハ本部に出稽古に行きブラジリアン柔術黒帯を授与された[4]。
2009年
2009年1月31日、UFC 94の2度目の防衛戦で、ライト級王者BJ・ペンと再戦。「世紀の一戦」「MMAのパウンド・フォー・パウンド最強王者決定戦」と評されたこの試合で得意のテイクダウン技術で優位なポジショニングを取り、パウンドの連打によりダメージを蓄積させ、4R終了時にコーナーストップでTKO勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した。7月11日にはUFC 100でチアゴ・アウベスと対戦し、終始テイクダウンを奪い続けて3-0の5R判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した。
2009年12月28日、スポーツ・イラストレイテッドのファイター・オブ・ザ・イヤーを受賞した[5]。
2010年
2010年3月27日、UFC 111の4度目の防衛戦でダン・ハーディーと対戦し、腕ひしぎ十時固めやキムラロックを極めかけるなど終始ハーディーの持ち味を潰して3-0の5R判定勝ち。4度目の防衛に成功した[6]。
2010年9月から放送されたリアリティ番組The Ultimate Fighter 12でコーチを務め、相手チームのコーチであったジョシュ・コスチェックと因縁を作った。12月11日、地元カナダで開催されたUFC 124の5度目の防衛戦でコスチェックと3年3か月ぶりに再戦し、打撃でコスチェックの右目を腫れあがらせ、3-0の5R判定勝ちで5度目の防衛に成功した[7]。この試合はファイト・オブ・ザ・ナイトに選出された。
2011年
2011年4月30日、地元モントリオールにて、UFC史上最大のイベントUFC129(5万5000人来場)で元Strikeforce世界ミドル級王者のジェイク・シールズと対戦。終始圧倒し3-0の5R判定勝ちを収め6度目の王座防衛に成功し、マット・ヒューズの持っていた最多防衛記録を更新した。
2012年
2012年2月4日のUFC 143でニック・ディアスとタイトルマッチを行う予定であったが、2011年12月7日、右膝の前十字靭帯を負傷し、欠場することが発表された[8]。10月29日のUFC 137でも試合をする予定であったが、同じく膝の怪我で欠場している[9]。
2012年11月17日、母国カナダにて開催されたUFC 154で暫定王者カーロス・コンディットと王座統一戦で対戦。3Rにハイキックでダウンを奪われるものの、試合全体としては終始優勢に立って、3-0の5R判定勝ちで王座統一に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後にはアンデウソン・シウバとのスーパーファイトについて聞かれたが「まず休んでから考えて、正しい判断をしたい」と慎重な姿勢を示した[10]。
2013年
2013年3月16日、母国カナダにて開催されたUFC 158で以前から度々挑発されてきた元Strikeforce世界ウェルター級王者でウェルター級ランキング3位のニック・ディアスと対戦。スタンド、グラウンド共に終始圧倒し、3-0の5R判定勝ちを収め8度目の王座防衛に成功した。
2013年11月16日、UFC 167でウェルター級ランキング1位のジョニー・ヘンドリックスと対戦。ヘンドリックスの強打とテイクダウンに苦戦を強いられたが、数度テイクダウンを奪い的確に打撃を当てるなど対抗し、僅差で2-1の5R判定勝ちを収め9度目の王座防衛に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後のマイクアピールでは「今までありがとう」と引退を示唆するような発言をした。
2013年12月13日、記者会見を開き、ウェルター級王座の返上と休養を表明。「いつか必ず戻ってくる」と語った[11]。後に休養の理由の一つに強迫性障害であった事を挙げている[12]。
2014年
2014年3月28日、復帰に向けてトレーニングをしていた最中に今度は左膝の前十字靭帯を負傷した事を発表[13]。
2017年
2017年11月4日、約4年ぶりの復帰戦となったUFC 217で世界ミドル級タイトルマッチで王者マイケル・ビスピンに挑戦。3Rに左フックでダウンを奪い、リアネイキッドチョークで見込み一本勝ちを収め王座獲得に成功し、ランディ・クートゥア、BJ・ペン、コナー・マクレガーに次いでUFC史上4人目となる二階級制覇を達成した。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2017年12月7日、自身の健康上の問題を理由にミドル級王座を返上し、UFC史上最短の王座在位期間となった[14]。
ファイトスタイル
Rush(ラッシュ)の異名通りの爆発的な攻撃力に加えて、テイクダウン、寝技、打撃、全てにおいて優れており、あらゆる局面において強さをみせる。またそれらの技術を総合仕様に上手くアレンジして利用する柔軟性も彼の持ち味であり、ダナ・ホワイトに「総合格闘技の歴史を10年早めた」と言わしめた[15]。また、極真空手出身でありながら、北京オリンピックと2012年夏季のロンドンオリンピックにレスリングでの出場を目指そうとするほど優れたテイクダウン技術を持っている。
人物・エピソード
- 英語とフランス語を話す。カナダの公用語は英語であるが、GSPの名前の発音も英語ではなくフランス語発音であり、これらはGSPの出身地のケベック州の公用語がフランス語のため。
- 左胸に「柔術」と日本語で刺青を彫っている。入場の際には必ず空手着を着て、日の丸に必勝と描かれたハチマキを着けて入場するなど、空手の母国である日本に敬意を抱いており、「まだ日本に行ったことは無いけど、いつか絶対に日本で試合をしたい」と語っている。日本で開催されたUFC144には怪我の為出場は出来なかったがゲストとして初来日した。自宅では日本刀をコレクションしている[16]。
- 北京オリンピックにレスリングでの出場を目指していた。しかし、UFC 83がサンピエールの故郷モントリオールで開催されることと同大会でマット・セラへのリベンジを賭けた王座統一戦を行なうことが計画されていることを知り、こちらを優先したため、北京オリンピック出場を目指すことを断念した。2012年夏季のロンドンオリンピック挑戦については悩んでいたが、結果的に出場していない。
- ウェルター級ではあまりにも圧倒的に強すぎて相手がいないため、階級をミドル級に上げてUFC世界ミドル級絶対王者アンデウソン・シウバと対戦することをしばしば期待されているが、本人は「ウェルター級で自分自身が納得できるまで戦った上で、もう少し身体を大きくしたら挑戦したい」と語っている。
- 元プロボクシングWBA世界スーパーウェルター級王者ヨアキム・アルシンはトレーニング・パートナーである。
- カナダのスポーツサイトsportsnet.caが制定する「2008年カナディアン・アスリート・オブ・ザ・イヤー」の5人の候補の1人にノミネートされ、ネット投票を行った結果、野球のジャスティン・モルノー、ホッケーのジャローム・イギンラ、テニスのダニエル・ネスター、北京パラリンピックの陸上競技で5個の金メダルを獲得して世界新記録も作ったシャンタル・プチクレールらを抑え、89%の支持を得て総合格闘技から初めての同賞者となった[17]。さらに2009年、2010年と3年連続で同賞を受賞した。
- 練習仲間のレオナルド・ガルシアによると高所恐怖症であるとのこと[18]。また、宇宙人を怖がっているというエピソードを持つ[19]。
- 恐竜好きであり、オフの日は博物館に行く事が多いという。ジュラ紀や白亜紀についての質問には大抵答えられるとのこと[20]。
- 著名人との交流を多く持っており、2011年の冬に膝の手術を受けた後にシルベスター・スタローンとディナーを共にしたり、UFC 154の後にはアーノルド・シュワルツェネッガーから祝福を受けている[21]。また、ジャン=クロード・ヴァン・ダムと練習をする映像もある[映像 1]。
- 記者会見には必ずスーツとネクタイを身に着けて出席し、その立ち振る舞いに多くの観衆から尊敬の意を寄せられている。自身は「自分は格闘家の代表として、社会の中で恥ずかしくない態度と行動を取り、模範的な存在でありたい」と語っている。
- 禁止薬物には思うところがありUFC 167のジョニー・ヘンドリックス戦ではVADA(ボランティア・アンチ・ドーピング協会)のドーピング検査をヘンドリックスに提案するも、GSPとVADAの癒着を疑われ断られたことがある。また、長期休養を決めた理由のひとつとしてUFCが厳格な薬物検査に協力的でなかったことを挙げている[22]。2015年にアンデウソン・シウバのドーピングが発覚した際には「パフォーマンス向上薬は生物兵器と同じだ」「私たちはゴルフやモータースポーツをやっている訳ではない、格闘技をやっている。私たちが格闘技をやっている時は常に命を懸け、身を危険に晒す事になるんだ」と語った[23]。
- カナダの麻薬王ジミー・コーノイアーは友人であり、コーノイアーが逮捕された際には裁判所に情状酌量を求める手紙を送った事もある[24]。2014年9月にはコーノイアーの兄のパーティーにレオナルド・ディカプリオと共に参加している写真がニューヨーク・タイムズに掲載された[25]。
戦績
総合格闘技
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獲得タイトル
- 第2代TKOカナダウェルター級王座(2002年)
- 第6代UFC世界ウェルター級王座(2006年)
- UFC世界ウェルター級暫定王座(2007年)
- 第8代UFC世界ウェルター級王座(2008年)
- 第9代UFC世界ミドル級王座(2017年)
表彰
- UFC ファイト・オブ・ザ・ナイト(4回)
- UFC ノックアウト・オブ・ザ・ナイト(1回)
- UFC サブミッション・オブ・ザ・ナイト(1回)
- UFC パフォーマンス・オブ・ザ・ナイト(1回)
- SHERDOG ブレイクアウト・オブ・ザ・イヤー(2005年)
- SHERDOG 殿堂入り(2014年)
- スポーツ・イラストレイテッド ファイター・オブ・ザ・イヤー(2009年)
- Rogers Sportsnet アスリート・オブ・ザ・イヤー(2008年、2009年、2010年)
- Spike TV モスト・デンジャラスマン(2010年)
ペイ・パー・ビュー販売件数
開催年月日 | イベント | 販売件数 | 備考 |
---|---|---|---|
2017年 | 11月16日UFC 217: ジョルジュ・サンピエール vs. マイケル・ビスピン | 87万5千件 | |
2013年 | 11月16日UFC 167: ジョルジュ・サンピエール vs. ジョニー・ヘンドリックス | 63万件 | |
2013年 | 3月16日UFC 158: ジョルジュ・サンピエール vs. ニック・ディアス | 95万件 | |
2012年 | 11月17日UFC 154: ジョルジュ・サンピエール vs. カーロス・コンディット | 70万件 | |
2011年 | 4月30日UFC 129: ジョルジュ・サンピエール vs. ジェイク・シールズ | 80万件 | |
2010年 | 12月11日UFC 124: ジョルジュ・サンピエール vs. ジョシュ・コスチェック 2 | 80万件 | |
2010年 | 3月27日UFC 111: ジョルジュ・サンピエール vs. ダン・ハーディー | 77万件 | |
2009年 | 11月14日UFC 100: ブロック・レスナー vs. フランク・ミア | 160万件 | セミファイナルに出場 |
2009年 | 1月31日UFC 94: ジョルジュ・サンピエール vs. BJ・ペン2 | 92万件 | |
2008年 | 8月9日UFC 87: ジョルジュ・サンピエール vs. ジョン・フィッチ | 62万件5千件 | |
2008年 | 4月19日UFC 83: マット・セラ vs. ジョルジュ・サンピエール2 | 53万件 | |
2007年 | 12月29日UFC 79: ジョルジュ・サンピエール vs. マット・ヒューズ3 | 75万件 | |
2007年 | 4月7日UFC 69: ジョルジュ・サンピエール vs. マット・セラ1 | 40万件 | |
2006年 | 11月18日UFC 65: マット・ヒューズ vs. ジョルジュ・サンピエール2 | 50万件 |
出演
映画
- デス・ウォーリアー(2009年)
- キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014年)バトロック・ザ・リーパー役
- キリング・サラザール 沈黙の作戦(2016年)
CM
脚注
- ↑ 湯浅亮「ジョルジュ・サンピエール オクタゴンで五味を待つ」 『ゴング格闘技』、日本スポーツ出版社、2007年4月号、p.47
- ↑ World Welterweight: 156-170 lbs. MMA to Z
- ↑ UFC 83公式サイト・冒頭部のナレーション
- ↑ 最近のニュースをまとめて! ブラジリアン柔術ニュースブログ ブラジルブログ 2008年10月26日
- ↑ SI.com's 2009 MMA Awards スポーツ・イラストレイテッド 2009年12月28日
- ↑ 【UFC111】GSP、強すぎるが故に消化不良?王座防衛 MMAPLANET 2010年3月28日
- ↑ 【UFC124】GSPが防衛成功、敗者いたわる余裕も MMAPLANET 2010年12月12日
- ↑ GSP blown acl will be out for 10 mos. Now Condit vs Diaz for the interim welterweight title on Feb 4th in Las Vegas!! ダナ・ホワイトtwitter 2011年12月7日
- ↑ UFC champ St-Pierre out of UFC 137 with injury, Diaz vs. Penn named new headliner MMAjunkie 2011年10月18日
- ↑ サンピエールV8!復帰戦を飾る/UFC nikkansports.com 2012年11月18日
- ↑ It’s official: Georges St-Pierre vacating UFC welterweight title MMA JUNKIE 2013年12月13日
- ↑ Revealed! Georges St-Pierre says battle with obsessive compulsive disorder (OCD) reason behind UFC leave MMA MANIA 2014年2月26日
- ↑ Georges St-Pierre announces ACL tear, potential UFC return date delayed MMAjunkie 2014年3月27日
- ↑ [1]
- ↑ kamipro誌内でサンピエールを紹介する時に必ずと言っていいほどこのエピソードが紹介される
- ↑ 「俺は宇宙人に記憶を消されている」GSPの未知との遭遇■MMA Unleashed Dropkick 2013年6月23日
- ↑ GSP voted CDN athlete of the year Sportsnet.ca 2008年12月22日
- ↑ The Sunday Morning Rumor Mill MiddleEasy.com 2011年5月22日
- ↑ Is Georges St-Pierre scared of being abducted by aliens? Florian says yes! UNDER GROUND 2012年5月7日
- ↑ Quote of the Day: Georges St. Pierre Loves Dinosaurs More Than Sports Bloody Elbow 2010年10月19日
- ↑ Silva fight will happen on my terms, not his MMA Fighting 2012年11月26日
- ↑ Georges St-Pierre on UFC's lack of drug testing support: 'It bothered me enormously' MMAFighting 2014年1月14日
- ↑ Morning Report: Georges St-Pierre says Anderson Silva's 'biological weapon' should have cancelled fight with Nick Diaz MMAFighting 2015年2月12日
- ↑ Court document links Georges St. Pierre to jailed drug trafficker dubbed Canada's 'King of Pot' MMA MANIA 2014年1月26日
- ↑ The Rise and Fall of the Biggest Pot Dealer in New York City History The New York Times 2014年9月5日
映像資料
- ↑ JCVD & GSP - Return of the Champion. brakus73さん Youtubeより.. (2012年11月20日)
関連項目
外部リンク
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