「鈴鹿峠」の版間の差分

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'''鈴鹿峠'''(すずかとうげ)は、[[三重県]][[亀山市]]と[[滋賀県]][[甲賀市]]の[[県境|境]]に位置する[[東海道]]([[国道1号]])の[[峠]]。[[高さ|標高]]は357m。
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'''鈴鹿峠'''(すずかとうげ)
  
== 概要 ==
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三重県北部[[亀山市]]と滋賀県[[甲賀市]]の境界にある峠。[[鈴鹿山脈]]南端に位置し,江戸時代,東海道の道筋に定められて整備された峠で,南東麓に坂下宿 ([[坂下]] ) が設けられた。滋賀県側は緩傾斜,三重県側は急崖をなす傾動地塊のため,三重県側は曲折の多い急坂で,箱根と並ぶ難所として知られた。現在は国道1号線が標高 357mの地点を鈴鹿トンネルで抜ける。旧道は東海自然歩道として利用されており,登りつめた標高 378mの峠付近は広い鞍部で,常夜灯や茶屋跡が保存されている。[[鈴鹿国定公園]]に属する。
滋賀県側は比較的なだらかである一方、三重県側は高低差が急激であり、現在でも[[箱根峠]]に次ぐ「'''国道1号有数の難所'''」と言われるほど、険しい区間が多い。[[東海道本線]][[東海道新幹線]]、[[名神高速道路]]もその険しさによる難工事が予想されたために、このルート採用を断念して[[中山道]]に迂回している。東海道沿いに鉄道を敷設しようとした[[関西鉄道]]も鈴鹿峠の南にある[[加太越]]を加太トンネルにて通り抜けるルートを選択し、[[柘植駅]]より東海道沿いに官鉄の[[草津駅 (滋賀県)|草津駅]]を目指した。これが現在の[[関西本線]]と[[草津線]]である。
 
  
現在では鈴鹿峠を越える[[国道1号]]とほぼ並行するルートに[[新名神高速道路]]の[[鈴鹿トンネル]]が開通している。結果、鈴鹿峠を抜けるのは道路のみで鉄道は実現していない。
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== 歴史 ==
 
[[鈴鹿山脈]]のなかで最も低い位置にある峠で、古くから[[畿内]]から[[東国]]への重要なルートであった。[[壬申の乱]]に際しては、大海人皇子(後の[[天武天皇]])に味方した伊勢国司の兵が鈴鹿山道(鈴鹿峠)を封鎖している。飛鳥時代に現在の[[亀山市]]関地区に[[鈴鹿関]]が置かれ<ref> 『[[一代要記]]』では天武天皇元年(672年)とするが、鈴鹿関の設置時期には諸説ある。</ref>、以後これより東を[[関東]]と呼んだが、当初は[[伊賀国]]を経由する[[加太越|加太越え]]の道が用いられていた。[[仁和]]2年(886年)、[[斎宮]][[繁子内親王 (光孝天皇皇女)|繁子内親王]]の伊勢行きを契機として鈴鹿峠を経由する新道(阿須波道)がひらかれ<ref>「[[日本三代実録]]」(『新訂増補国史大系 4』)</ref>、その後明治にいたるまで東海道の本道として機能した。また、「鈴鹿山」と呼ばれる鈴鹿峠とその周辺の山地は、『[[後撰和歌集]]』以降[[歌枕]]として多くの和歌に詠まれた。
 
 
 
盗賊の横行する場所としても名高く、新道開通12年後の[[昌泰]]元年(898年)には[[伊勢神宮]]への勅使一行が襲撃され<ref>「太神宮諸雑事記」(『神道大系 神宮編1』)</ref>、以後鈴鹿山の盗賊はたびたび史書に現れることとなる。こうしたなかで、[[坂上田村麻呂]]による鬼神[[大嶽丸]]退治や、女盗賊立烏帽子([[鈴鹿御前]])の伝承が生まれた。峠をへだてて滋賀県側には土山の[[田村神社 (甲賀市)|田村神社]]が、三重県側には坂下の[[片山神社 (亀山市)|片山神社]]があり、それぞれ田村麻呂や鈴鹿御前を祀り<ref>[[寛政]]9年(1797年)刊『東海道名所図会』では土山田村神社の祭神を将軍田村麿・[[嵯峨天皇]]・鈴鹿御前とし、神宝として田村将軍像や鈴鹿御前像を有すという。また片山神社については、IT版『亀山市史』通史編第4章において鈴鹿御前を祀る鈴鹿社のこととしている。</ref>、室町時代・江戸時代を通じて東海道の旅人たちの守護神として崇敬された。
 
 
 
江戸時代には[[東海道五十三次]]として[[坂下宿]]・[[土山宿]]が整備された<ref>{{Cite journal |和書|author =西田與四郎 |title =鈴鹿峠の聚落|date =1926|publisher =日本地理学会|journal =地理学評論|volume =2|issue =6|doi=10.4157/grj.2.493|pages =493-503|ref = }}</ref>が、[[明治]]23年(1890年)に草津-柘植-四日市間に[[関西鉄道]](現在の[[草津線]]-[[関西本線]])が開通したことにより、東海道の要衝としての地位を失った。現在の鈴鹿峠は自動車社会の急速な進行に対応すべく[[国道]]整備が進み、 旧街道は[[東海自然歩道]]の一部として残っている。
 
 
 
== 交通 ==
 
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峠付近では、国道1号の[[バイパス道路|バイパス]]整備が進んでいる。
 
* [[関バイパス (三重県)|関バイパス]] ※現在一部区間が暫定開業。
 
* [[鈴鹿峠バイパス]]:滋賀県方面への一方通行の形で新たに建設され、従来の道は三重県方面への一方通行となっている。
 
 
 
※荒天時は鈴鹿峠バイパス三重県側区間は徐行もしくは通行止めになる。また、冬場は路面凍結に注意を要する。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 関連項目 ==
 
* [[日本の峠一覧]]
 
* [[鈴鹿山脈]]
 
* [[亀山市]]
 
* [[甲賀市]]
 
* [[東海道]]
 
* [[新名神高速道路]][[鈴鹿トンネル]]
 
* [[鈴鹿峠バイパス]]
 
 
 
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[[category:三重県の峠]]
 
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2019/6/11/ (火) 09:38時点における最新版

鈴鹿峠
標高 357 m
所在地 三重県亀山市滋賀県甲賀市
位置 東経136度20分14秒北緯34.89417度 東経136.33722度34.89417; 136.33722
山系 鈴鹿山脈
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鈴鹿峠(すずかとうげ)

三重県北部亀山市と滋賀県甲賀市の境界にある峠。鈴鹿山脈南端に位置し,江戸時代,東海道の道筋に定められて整備された峠で,南東麓に坂下宿 (坂下 ) が設けられた。滋賀県側は緩傾斜,三重県側は急崖をなす傾動地塊のため,三重県側は曲折の多い急坂で,箱根と並ぶ難所として知られた。現在は国道1号線が標高 357mの地点を鈴鹿トンネルで抜ける。旧道は東海自然歩道として利用されており,登りつめた標高 378mの峠付近は広い鞍部で,常夜灯や茶屋跡が保存されている。鈴鹿国定公園に属する。



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