医王山
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医王山(いおうぜん)[注釈 1]は、石川県金沢市と富山県南砺市にまたがる標高939mの山塊である。白兀山、奥医王山及び前医王山などの山塊の総称で、最高点の奥医王山には一等三角点が設置されている[1]。日本三百名山[2]及び新・花の百名山[3]に選定されている。
概要
医王山は古来より火山と称されることが多いが、いわゆる第四紀火山ではなく、大部分が約1500万年前の新第三紀中新世の(おそらく海底での)火山活動で生じた医王山累層からなる。
大門山付近等北陸の山域に広く分布する岩稲累層などと並び、グリーンタフの一部とされる。
医王山累層は、火砕流や火山灰、溶岩流などからなり、夕霧峠には流紋岩溶岩が見られ、黒瀑山周辺には黒曜岩ないし真珠岩の溶岩がみ られる。しかし、最も量が多いのは、火山灰や軽石が降り積もった流紋岩質凝灰岩で、夕霧峠から石川県側へ下る林道沿いによく見られる。
医王山累層の厚さは、場所によっては1000m以上あり、現在の医王山山塊を北限として、手取扇頂部を経て、福井県との県境付近の丘陵地まで分布している。またこの層は日本海側へ傾斜しており、金沢市街の下にも広がっていると考えられている。
よって医王山は、地質上は古い火山岩からなるが、侵食等が進み、本来の火山地形は失われていると考えられている。
見所としては、三蛇ケ滝(さんじゃがたき)、鳶岩(とんびいわ)が有名である
歴史
- 719年(養老3年) - 白山を開いた泰澄大師が開山し、薬草が多いことから唐の育王山にちなんで育王仙と名付けたのが始めとされる。
- 722年 - 当時の元正天皇が大病にかかり、泰澄大師がこの山の薬草を献上したところ快癒された。帝は大いに喜ばれ、泰澄に神融法師の称号を賜わり、山には医王山と命名されたという。薬草が多く、薬師如来(大医王仏)が祭られたことが山名の由来とする説もある[4]。
- 藩政時代は医王石(戸室石)の産地だったため、前田家により一般人の立ち入りを禁止された山であった。
- 1934年(昭和9年) - 室生犀星が代表作である小説『医王山』を出版[4][5]。
- 1947年(昭和22年) - 第2回国民体育大会の登山競技がこの山で行われた。
- 1975年(昭和50年)2月22日 - 富山県内4番目の医王山県立自然公園として県立自然公園に指定。
- 1995年(平成7年) - 田中澄江が『新・花の百名山』を出版し、この山とベニバナイチヤクソウなどの植物を紹介した。
- 1996年(平成8年)3月29日 - キゴ山、白兀山などとともに医王山県立自然公園の一部として石川県内5番目の県立自然公園に指定。
登山
国民体育大会で最初に登山競技が行われた山である[6]。北端の大沼付近には、トンビの頭に似た鳶岩があり、流紋岩の岩場の難所となっている。
登山道
- 二俣道
- 見上道
- 白兀道
- ナカオ新道
- 祖谷道
- 小原道
- 栃尾道
- 横谷道
山小屋
- 白兀平ヒュッテ - 夕霧峠の無人小屋
- 国見ヒュッテ - 国見平
地理
峠
- 夕霧峠(菱広峠)
- 見上峠
- 横谷峠
- 地蔵峠
河川
施設
- 石川県側
- 銀河の里キゴ山
- ふれあいの里
- 自然学習館
- 医王の里総合案内所
- 医王山スキー場
- 医王山スポーツセンター
- 医王山ビジターセンター
- 富山県側
- 国見キャンプ場
- 国見ヒュッテ
- 国見コテージ
- 三千坊展望台
- イオックス・アローザ
脚注
注釈
- ↑ 「ぜん」と読むのは、育王仙惣海寺と関連があるためとする説がある。
出典
- ↑ 1.0 1.1 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名: 福光(金沢)、国土地理院、2010年12月11日閲覧。
- ↑ 『日本三百名山』毎日新聞社、1997年、ISBN 4-620-60524-7
- ↑ 『新・花の百名山』、田中澄江(著)、文春文庫、1995年、ISBN 4-16-731304-9
- ↑ 4.0 4.1 引用エラー: 無効な
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タグです。 「y1000
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 5.0 5.1 “医王山県立自然公園パンフレット (PDF)”. 石川県. . 2016閲覧.
- ↑ 『ヤマケイアルペンガイド21白山と北陸の山』山と渓谷社、2000年、ISBN 4-635-01321-9