ニールス・アーベル

提供: miniwiki
2017/2/13/ (月) 18:29時点におけるja>渚月による版 (外部リンク)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索
ファイル:Niels Henrik Abel.jpg
ニールス・アーベル

ニールス・ヘンリック・アーベル(Niels Henrik Abel、1802年8月5日 - 1829年4月6日)はノルウェー数学者である。

年表

業績

1818年に、数学教師ホルンボエEnglish版に出会ってから、数学に興味を抱くようになった。友人達とヨーロッパ中を回って長く遊学し、クレレと知遇を得て、クレレの雑誌に多数の研究論文を掲載した。ヤコビルジャンドルはアーベルの業績を認めていたが、ガウスはアーベルの研究論文に不快感を示し、コーシーは彼の論文をまともに審査しないまま放置するなど、アーベルには正当な評価が与えられなかった。帰国後はクリスチャニア大学に臨時講師を勤めたが、病気(結核及び併発した肝機能障害)のために26歳で世を去った。

しかし、彼が当時世界最高レベルといわれた数学の総本山パリ科学アカデミーへ提出した「超越関数の中の非常に拡張されたものの一般的な性質に関する論文」こそ、のちに“青銅よりも永続する記念碑”と謳われ、後代の数学者に500年分の仕事を残してくれたとまで言われた不滅の大論文だった。

5次以上の代数方程式には、冪根 n√ と四則演算だけで書けるような一般的な解の公式が存在しないことに、初めて正確な証明を与えた。この業績については、パオロ・ルフィニの重要な貢献があるが、その証明は必ずしも完全なものではなかったとされている。

アーベルが中心的に扱ったのは楕円関数とアーベル関数に関する研究である。アーベルはガウスの著作にある、レムニスケートの等分問題から楕円積分逆関数の研究に取り組み、ガウスの研究(完璧主義のため、生前には公表されなかった)を独自に発見することになった。楕円関数論のアーベルの定理とは、楕円関数の極と零点に関する合同式である。研究上のライバルであったヤコビはアーベルの論文を目にして「私には批評もできない、大論文」と最大限の賛辞をおくったといわれる。ヤコビはアーベルの定理を利用してヤコビの逆問題を示して、その後の研究の目標を新たに与えることになる。

可換を指す「アーベル群」など数学用語にも名を残している。無限級数の収束に関するアーベルの定理も著名だが、他にも無限級数の一様収束を初めて注意したことで知られる。

その他にも、アーベル方程式アーベル積分アーベル関数アーベル多様体遠アーベル幾何学などアーベルの名を冠している数学用語は多い。

方程式が可解であるための条件を明らかにしたガロアとともに、若くして悲劇的な死をとげた19世紀の数学者として広く知られている。

死後の1830年には、フランス学士院数学部門大賞を受賞した。

彼の名を冠する賞として、アーベル賞2001年に創設された。またアーベルの肖像は長期にわたってノルウェーの500クローネ紙幣に描かれていた。

著書

参考文献

  • F.クライン 『クライン:19世紀の数学』 石井省吾渡辺弘 訳、共立出版、1995年9月。ISBN 4-641-06794-5。
  • 高木貞治 『近世数学史談』 岩波書店〈岩波文庫 青939-1〉、1995年8月。ISBN 4-00-339391-0。
  • 高木貞治 『近世数学史談・数学雑談』 共立出版、1996年12月。ISBN 4-320-01551-7。
  • 『岩波数学辞典』 日本数学会 編、岩波書店、2007年12月、第4版。ISBN 978-4-00-080309-0。
  • C.A.ビエルクネス 『わが数学者アーベル その生涯と発見』 辻雄一 訳、現代数学社、1991年10月。ISBN 4-7687-0305-4。
  • Pesic, Peter (February 27, 2004), Abel's Proof: An Essay on the Sources and Meaning of Mathematical Unsolvability (Paperback ed.), The MIT Press, ISBN 0-262-66182-9 
  • E.T.ベル 『数学をつくった人びと 2』 田中勇銀林浩 訳、早川書房〈ハヤカワ文庫 NF 284〉、2003年10月。ISBN 4-15-050284-6。

関連項目

外部リンク